六
野鉄砲のタケナガが手配した宿は一階が菓子屋を営んでおり、二階が武永に宿を乞う旅人に貸す部屋となっていた。菓子屋と貸家という武永なりの洒落であるらしい。不自由はさせないという武永の言は嘘ではなかった。食事は上等で、何くれとなく組の若い衆が御用聞きに来る。部屋に芸妓が来たときはさすがに固辞した。
鬼探しの方は――上手くいっていない。簗がこれ見よがしにそのへんで騒ぎを起こしたり、龍儘會のチンピラ相手に喧嘩を仕掛けたりしたが、それらしい気配もなかった。どこかから簗が野鉄砲預かりになっていることが露見したのかもしれないし、あまりに挙動の派手な余所者にさすがの鬼も腰が引けたのかもしれない。簗の暴れぶりは半分は鬼をおびき寄せる演技で、半分は素であった。
日々喧嘩に明け暮れ自儘に暮らす簗はさぞ羽を伸ばしていることであろうと思われたが、その実簗は日々機嫌が悪くなった。喧嘩など好きではないという言は、案外嘘や出任せではなかったらしい。道を歩いている最中に怯えられ、飯屋でお代はいらないと卑屈げな目で見られるたびに、簗は露骨に苛立った。怒りと、寂しさと、遣る瀬無さの綯い交ぜになったような目をして凄む簗の姿は痛々しい。そのひりひりとした雰囲気は白瀬の心もささくれ立たせた。炎柱に厳しく生活を律され、命を削って鬼を狩っているときの方が、白瀬には簗が余程心穏やかに見える。
簗は低い窓辺に腰掛けてぼんやりと目下の往来を眺めていた。うなじに大きな傷がある。それは隊服の詰襟の下、背中にまで繋がっていた。久しぶりに顔を合わせた簗は一層傷が増していた。大小取り合わせて無傷の皮膚が見当たらないほどで、右手の薬指と小指は上手く動かなくなっていた。
白瀬は眉をひそめてその様子を見ながら「よく生きているな」とだけ言った。皮肉でも嫌味でもなく、素直な感想であった。
白瀬は指先でついとうなじの傷に触れる。簗は短く悲鳴を上げて窓辺からずり落ちた。
「なんだよ」
「ひどい傷だ」
「テメエその話ばっかりだな」
溜息交じりに簗は胡坐を組みなおす。粗忽な指先ががりがりとうなじを掻いた。
「死んでねえんだ、構うかよ」
「そのうち死ぬぞ」
「あのなァ、人間そのうち死ぬんだぜ」
けらけらと簗は笑う。口元の傷が大きく引き攣った。あの傷は初めて会った時から簗の人好きしない顔貌を一層凶相たらしめていた。
簗の剣は攻撃一辺倒の剛剣である。一の太刀を疑わぬ心構えは門下の誰より炎の呼吸らしい剣を振るわせる。だがこの男が柱となることはないだろう。明言はされずとも、どうしてか炎柱の座だけは世襲となっている。煉獄杏寿郎が幼い今、煉獄槇寿郎が柱の座を辞したとしても、炎柱の座は有力な煉獄の縁者に渡るであろう。縁者でなくとも槇寿郎の声一つですぐに杏寿郎に炎柱の座を譲るような扱いやすい人間に継がせるはずだ。簗だけは、その烈火の如き気性のために炎柱になることはない。誰よりも炎の呼吸らしい気性のために炎柱になれないのは皮肉であった。
「回避と防御を覚えろ」
白瀬が何の気なしにそう言うと、簗はぎりと白瀬を睨んだ。
「ハ、柱候補は言うことがちげえ。こっちは鬼の頸落とすので精一杯よ、テメエの頸の心配なんかしていられるかい」
「――そういうものか」
ぽつりと答えると簗は鼻を鳴らしてその場で手枕で横になる。
「業腹だ」
「それは……すまない……」
「おまえだけはいつか殴る」
白瀬は背けられた簗の顔を眺めた。
「――楽しみにしている」
「ばかにしてんのか」
簗はばねのように跳ね起きる。簗が何か喚く前に、襖の向こうから男の声がした。
「白瀬さん、簗さん、ちょっとお尋ねしたいことがあるんですが」
二人は一瞬目を見交わし、競うように襖に取り付き引き開ける。襖の向こうには幾度か顔を合わせた野鉄砲一門の男が座っていた。一門の男はいかにも肝の据わった筋者風の顔を困惑げに歪ませている。
簗はずいと身を乗り出す。
「鬼が出たか!」
喜色の滲む声を咎める気も起きない。やっと何事か起きたのであろうかと気を引き締める白瀬に、男はちらりと視線を向ける。
「いえ――つかぬことをお伺いいたしますが、ひょっとこ面の男はお知り合いですか」
身を乗り出していた簗が「ぐう」と奇妙な声を漏らした。
「お二方が当初宿をとっていた伍井屋にひょっとこ面の奇妙な男が押しかけて、簗さんを出せと大騒ぎしておりまして――」
白瀬は眉をひそめる。心当たりは痛いほどにあった。白瀬がそろりと簗の方を見ると、簗は棒立ちになりしばらく天井を眺めていた。ふー、と低く細く溜息をつきながら簗は白瀬の方を見た。あのよォ、と苦々しげに呻く。
「俺ァガキの頃から手の付けられねえバカでよ、ありとあらゆる人間の手を焼いてきたんだよ」
「…………それがどうした」
「俺は人に迷惑かける側の人間だろ!? なんでかけられてんだよ!」
「知るか」
白瀬は素っ気なく答えると額に手をやり項垂れる。
「申し訳ない。こちらの知り合いです。迎えに行きます」
「ああ、いえ、お知り合いなら構わないんです。もうお連れしてますんで」
男が階下に合図すると、若い男三人がかりで羽交い締めにされたひょっとこ面の男が急な階段を引きずり上げられてきた。何があったのか上着を奪われ、裸の上半身には数発の殴打の跡がある。白瀬は言葉を失い呆然と立ち尽くした。
早々に退散する男達を後目に、簗が自身のこめかみのあたりを掻きながら鼻を鳴らす。
「いいザマだな鋼鐵塚」
「せっかく刀届けに来てやったのになんだその言いぐさは。持って帰るぞ馬鹿野郎」
「持って帰って誰が使うんだ? 沢庵でも切るのかよ。四の五の言わずにさっさと刀出せ」
鋼鐵塚は憎々しげに呻いたが、存外素直に負った刀箱を差し出した。簗は菓子袋を開ける幼い子供のように風呂敷包みを引き剥ぐ。現れた刀は黒塗りの鞘には装飾らしい装飾もなく、鍔も槌目仕上げの素っ気ないものであった。傍目にもずしりと重たげな姿だ。簗はそれを気負いなくぞろりと引き抜いた。鍔元から細い溝を血が伝うように緋色の線が走っていく。きれいだ、と白瀬は思った。鋼鐵塚も満足げに顎を上げる。
簗はそれを軽く数度振った。捲れ上がった袖から前腕の引き攣る傷が見える。刀を強く絞るたびに傷が赤みを帯びた。しばらくそうした後、簗は鞘に刀を戻す。
「いいな」
「そうだろう」
二人は短くそうだけ交わした。白瀬はそれを横目に見る。尻の据わりが悪い。白瀬はその気はなくとも簗の刀鍛冶を奪い、鋼鐵塚との関係を反故にした。何か取り繕うか、いないものとして振舞うか、しばらく悩んでやっと口を開いた。
「私も見ていいか」
白瀬は簗に尋ねる。簗は虚を突かれたように眉を上げた。
「俺は構わねえけどよ」
簗は鋼鐵塚に目をやる。鋼鐵塚は一瞬何か言いたげに肩を怒らせたが、何も言わずに首肯した。面の下ではどういう顔をしているか分からない。簗は投げ渡すように無造作に白瀬に刀を渡した。途端に「おい!」と鋼鐵塚が叫ぶや否や簗に詰め寄る。
「テメエ俺の打った刀をどういう扱いだ、アア!? そんな扱いしてるからすぐぶっ壊すんだろうが!!」
「あー、あー、うるせえな! これで壊れんならテメエの作り方が悪ィだろ! ボケ!」
ぎゃんぎゃんと言い合いを始める二人をさて置いて白瀬は手の内の刀を検分する。両手で鞘の中ほどを支えてさえ重い。これを握り振り回す簗の膂力を思う。恵まれた体躯のなせる技だ。こればかりは白瀬がどれほど努力を重ねても辿り着けぬ。鞘を払うにも動作がぎこちなくなる。己の扱う日輪刀より五寸は長く、厚く武骨な刀身は野太刀と呼ぶにふさわしい。火のにおいの残るような真新しい刀身に血のような一線が鈍く光っていた。美しい刀だった。
だが、重すぎる。白瀬は眉をひそめた。いかに簗が体格に優れ膂力があろうと体捌きに少なからぬ影響があるだろう。攻撃のたび足の止まる炎の呼吸ならばなおさらだ。軽く素振りをすれば、みしりと肩の筋が軋んだ。この長大な刀を扱っていれば、頑健な簗であってさえ早晩肉体が傷む。
白瀬は横目に簗の姿を見た。しばらく見ない間に夥しく傷の増えた体を思い出す。守りの一切をかなぐり捨てた凶暴な剣を思い出す。鉄穴森の刀を使っていた簗は、これほど狂気じみた戦い方を選びはしなかった。
「――重いな」
白瀬は溜息交じりにそれだけ言った。
「お前には作らん」
鋼鐵塚は面の下で唸った。
******
荷を纏めた鋼鐵塚は、軽くなった背にそれを負った。
今回簗に打った日輪刀は前のものと少しだけ均衡を変えた。がさつなくせに妙なところに気が付く簗は前に打った刀に「前のと違う」と文句をつけた。その通りであった。刀身の重さを増やしたかわりに重心を手元に持ってきた。それが気に食わぬと喚くので、刀を損ねたわけではないが新たに日輪刀を拵えた。煩い男であった。
「あいつがいると知っていたら来なかった」
鋼鐵塚が言うと、つまらなそうに階下の往来を眺めていた簗は振り向きもせずに「来るだろテメエは」と言った。特に言い返す言葉もなかったので鋼鐵塚は黙ってその背中を見つめた。隊服を押し上げる背中の筋肉は、鋼鐵塚の打つ刀の刃が厚くなるのに呼応するように厚くなっていく。鋼鐵塚はそれを布越しに指先で押す。簗は短く悲鳴を上げた。
「なんなんだよおまえらは! 流行ってんのか!?」
「何が」
「うるせえ」
鋼鐵塚は簗の旋毛を見下ろす。伸びかけた髪の毛の下にいまだ生々しく赤みを帯びた傷がある。鬼の爪を刀で受けたときに、刀の峰でつけた傷であった。それを簗は「テメエの刀が鈍だ」と激昂し、鋼鐵塚は「お前がボンクラなんだ」と返した。その決着はまだついていない。簗は刀のせいだと言い張り続け、鋼鐵塚は腕のせいだと主張し続けている。
「帰る」
「そうかい」
「あ、てめ、わざわざ刀を打ち直してやった俺になんだその態度は。散々だったぞ、宿じゃ変な目で見られるわ、なんか知らねえけどブン殴られるわ、なんなんだって」
簗は短く笑う。
「なんで殴られた」
「簗って男を知らねえか聞いただけだよ」
「随分態度のでけえ聞き方したんだろうよ」
「そうでもねえ、いつもどおりだ」
「筋者相手にいつもどおりたあ剛毅だなァ」
へらへらした簗の顔を鋼鐵塚は見下ろす。
「どう思う」
「白瀬か? 俺に聞くなよ、ばかか」
「俺の刀をあいつにだけは使わせねえ」
「はァ? あいつに泣いて頼ませるんじゃなかったのか?」
「それはそれだよ」
「ああ、そお」
簗はのろのろと階下に視線を戻した。鋼鐵塚は挨拶もせずに踵を返した。行きは三人がかりで引きずりあげられた急な階段を軋ませながら下っていく。砂糖の甘い匂いがした。階段を降りきったところで呼び止められる。山繭白瀬であった。「少しいいか」と言われる。首を横に振ったが、白瀬は眉をひそめて鋼鐵塚に詰め寄った。
「刀が重い」
それを聞いた鋼鐵塚は鼻を鳴らす。
「俺がうっかりで重い刀を作ったと思ったのか」
「あれは――、あれはいい刀か」
「重く、鋭く、強い刀だ」
あの男にそれ以上の何が必要だ。短くそう答える鋼鐵塚に、白瀬は涼し気な顔貌に苦いものを迸らせる。鋼鐵塚はそれを見てうっすらと「いいザマだ」と思った。簗がこの男の鼻を明かすことに血道を上げているのもなんとなく分かった気がした。達観したような澄ました表情を、歪ませてやりたいと思わせる顔をしている。
「強い刀だ。美しい刀だ。それは認める。しかし――」
鋼鐵塚は慎重に言葉を選ぼうとする白瀬の表情を眺めた。指先で面の縁をかく。
「――しかし、鋼鐵塚殿の刀に、簗は呪われているのではないか」
ふは、と鋼鐵塚は息を漏らす。笑い声にもならなかった。
「結構なことじゃねえか」
「私は真面目に進言をしているんだ。刀鍛冶の鋼鐵塚殿から見て、あの重量の刀を振るい続けることに、彼の肉体はいつまで耐えうる」
「知るかよ、骨接ぎになった覚えはねえ」
「分かっているだろう」
冷ややかな目が鋼鐵塚を射貫く。
鋼鐵塚の見立てでは、今の刀を振るい続ければまずは肩を、次いで腰を傷める。その期間は正確なことは言えない。だが三年ともつことはないであろう。だがそれの何が問題だ。三年を生き抜く隊士など、そう多くはない。日輪刀の重量を思い切って増量し、幅を分厚くし、簗の功績は目に見えて上がった。はじめから水柱に目をかけられ、時期柱候補だと一目置かれていた白瀬は知らぬのだ。並一通りの隊士が柱や一部の有力な隊士の刀の切っ先を鬼の頚に届けるために、どれほど呆気なく消耗されるかを。生き延びるためには頭一つ抜けねばならぬ。頭一つ抜けるために、簗は鋼鐵塚の刀を頼った。それだけのことだ。
「あの阿呆がそれを選んだんだ」
鋼鐵塚が言う。白瀬の濡れたような黒瞳がきりと引き絞られる。
「鋼鐵塚殿の刀を使いだしてから、簗は怪我が増えた」
「だからなんだ」
「求められるままに容易に振るえぬ刀を打ったためではないのか」
「だからなんだ」
「死んでしまう、あのままでは――」
「だからなんだ」
鋼鐵塚の言葉に白瀬は反射的に鋼鐵塚の胸倉を掴み上げた。鋼鐵塚の耳元で「ひゅ、しゅ、」と鋭い呼吸の音がして、白瀬は瞬きの間に平静を取り戻す。陰鬱にさえ見える落ち着いた目が、憐れむように鋼鐵塚を見た。
「それでも職人か」
「俺はあいつを守る刀を打てと言い付かった覚えはねえ」
鋼鐵塚が打つのはただ鬼の首を落とす刀だ。持ち主の肉体を損壊しようと、寿命を縮めようと、そんなことを鋼鐵塚は関知しない。使い手が生きているうちにより強い鬼の首をより多く落とすことができればそれでいい。
鋼鐵塚は手拭いの上から頭を掻く。要領を得ぬ話を遠回りにぐずぐずと続けられ、あちこちが痒くなった。
「なんだ。なんなんだテメエは。何が言いたい? 何をどうしたいんだ? お前はあいつの母親か?」
「己の打った刀が持ち主を死に追いやることに負い目はないのか」
鋼鐵塚は唇を歪める。答える気にもならなかった。
「俺はな、あの莫迦が結構好きなんだ。それはあいつが命の捨て所を心得ているからだ」
鋼鐵塚はそう言うと「どけ」と低く唸る。白瀬はどかなかった。だがその体を押しのけ帰路につく鋼鐵塚を止めもしない。鋼鐵塚の背中に白瀬は「あいつは鋼鐵塚殿の刀を、ヤクザの頭にさえ触らせなかったんだ」と投げかけた。鋼鐵塚は振り向きもせず「当然だろうが」と答えた。
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代り映えせず行き来する人間の頭を簗は見下ろしている。それ以外やることも特になかった。傍らに置いた日輪刀を手の甲で撫でる。
背後に人の気配がしたがそれを黙殺する。そのうち話しかけてくるだろうと放っておいたが、一向にその様子がない。背後で不規則な息遣いと衣擦れの音が落ち着きなく聞こえてきた。
簗は溜息を一つついて首だけをそちらに向ける。
「いつまでぼさっと突っ立ってんだよ」
簗が苛立たし気な声を上げると、半開きの襖に手をかけたままの隠の男が、襖の隙間からこちらを見ていた。薄暗がりにぬっぺりとした顔が浮かんでいて気味が悪い。声をかけられた男は音もなくへらりと笑った。
「新しい刀だあ」
嬉しげに言うので簗は片眉を上げる。
「おまえは変なとこ鋭いな」
「触っていい? 壊さないから」
「いいわけねえだろぶっ飛ばすぞ」
隠の男は長身を子供のように竦ませた。簗はその態度にカッとなって声を荒げ、拳で畳を殴りつけた。
「びくびくしてんじゃねえよ! イラつくなあ!」
そう怒鳴ってから、どうして自分がそれほど苛立っているのか分からずにじんじんと痛む拳を見下ろす。
「へへ、へへへ、ごめんねえ」
男は目を細めて笑う。弛緩したのっぺりとした顔がくしゃりと歪んだ。簗は隠の肩を小突いた。
「そうだよ、そうやってへらへらしてろ」
「他の隠がねえ、鬼が隠れていそうな場所を見つけたってえ」
それを聞いた簗は「ああ、そうかい」と言うなり立ち上がり腰に刀を佩く。簗にとってみれば死に瀕することよりも退屈の方が耐えがたかった。