七
簗には心底嫌いなものがこの世に三つある。己と敵対する者と、己に媚び諂う者と、己自身だ。
脅され賺されいやいや始めた鬼狩りが、簗には性に合っていた。平時にあって疎まれる簗の激しすぎる気性や手の早さは鬼殺隊では不問にされた。尊ばれるといってさえよかった。簗は「あの気性はなんだが」の枕詞ありで一定の尊敬と信頼を得られた。簗にとってそれは生まれて初めてのことであった。また爽快でもあった。
簗は生まれてこの方誰かの役に立ちたいとか、何かのためになりたいとか、そういう殊勝な考えを持ったことはない。だが疎まれ蔑まれ利用されるだけの人生を振り返ったときに、それよりはマシだと思った。そうであるから長い間鬼殺隊士ではなくただの簗として喧嘩をし、筋者に睨まれ、町の者に眉をひそめられているのは、今の簗には耐えがたかった。五年前の簗が知れば、何を贅沢なことをと嗤ったであろう。
市井に身を隠し情報収集をしていた鬼殺隊関係者が齎した情報は、ある賭場が龍儘會の塒になっていて、そこを取り仕切っているのが不可思議な遠見の力を持った男であるという話だ。常であれば隊士の耳にも届かぬ些末な巷説に過ぎぬが、どんな些細な情報でも耳に入れろと周知したのは白瀬であった。
それを聞いた簗は鼻で笑った。博打にのめり込むような阿呆が、胴元の暴利を貪る様をああだこうだと言い募るのは常である。言いがかりが「仕切りが遠見の異能持ち」だというならば、まだ可愛げのあるほうだ。そんな言い分を真に受ける方がどうかしている。簗はそう言って相手にしなかったのであるが、白瀬はそうは思わなかったらしい。隠の男にそのことについて詳細を尋ねたのであるが、肝心の男がへらへらふにゃふにゃと言っていることの要領を得ない。どうやらその情報を追っていた者の行方が取れなくなり、これはいよいよ核心に近づいたのではないかという段階で、それ以上の情報はないということを聞き出すまでに四半刻はかかった。
白瀬はややうんざりとした顔で「そうか」とだけ呟いたので、簗は「おまえ、白瀬をあそこまで追い詰めるなんてやるじゃねえか」と隠の男の肩をこれ見よがしに叩いた。隠は揺さぶられるままににこにこと笑う。白瀬は二人の様子を見て肩を落として溜息をつく。
「仕様もない噂話でも、手掛かりは手掛かりだ」
白瀬はそう言った。簗はその案に賛同しかねたが退屈は極めていた。ならば己が賭場でひと騒ぎ起こしてやると申し出た。白瀬はもの言いたげに眉をひそめたが、白瀬も簗の我慢が限界に近いことを承知していた。白瀬はそれを受け入れ、簗に偵察を任せることにした。
出がけに、簗は白瀬に「新しい日輪刀の具合はどうだ」と尋ねられた。簗は柄頭を指先で弾くと「悪くねえ」と答える。白瀬は黙ったまま浅くうなずくだけで何も言わなかった。簗は妙だとちらとは思ったが、問い詰める理由もなかったので宿を後にした。
薄暗い裏通りの狭い間口の賭博場は煙草の煙と暗い熱気が立ち込めている。木戸を潜った簗に場内の人間の視線が突き刺さった。軽く会釈する簗に中盆の男が鼻を鳴らした。
「子供の来るところじゃねえぞ、小僧」
あたりで誰かがくっくっと笑う声がする。頭にかっと血が上ったが、簗はそれを押しとどめる。
「耄碌爺が、若い男はみんな孫にでも見えるかよ」
簗がそう言うと男はにっと笑った。
「そこに座んな」
煤けたぺらぺらの座布団を示され、簗はそれにどかりと座りこむ。
「貉だ。分かるか」
簗はそれにおうと答えた。ツボ振りの男が右隣の客に賽子を四つ手渡す。客は賽子に仕掛けがないか、目を皿のようにして検分する。簗の手元に賽子が来たとき、簗は賽子四つを盆切れの上に転がした。二度、三度とそれを繰り返す。順を待つ博徒が苛立ったように身をよじらせた。それを無視してしばらく賽子を転がした後に、左の男に賽子を投げ渡す。つと目を上げると中盆の男と目が合う。簗は唇の端を上げた。
ツボ振りが賽子を振り、中盆が囃し立てる。客達が各々出目を予想してコマを張る。簗は戸惑いなく一に一枚、三に二枚、四に一枚張った。ツボ振りがツボを開けると賽子の目は一、三、三、四である。中盆はぎょっとしたように簗を睨んだが、何食わぬ顔で配当を配った。それから次の勝負を始める。
簗は呼吸を整え全神経を耳に集中させる。呼吸の精度に関してはそう繊細とは言い難い簗ではあるが、隊士の端くれならば賽子が盆切れに落下する音でおおよその出目を当てることはそう難しくなかった。次々と出目を的中し賭け金を攫っていく簗に中盆の男の顔色は目に見えて悪くなっていく。賭場全体にぴりぴりとした空気が流れ始めた。
「この賭場の元締めは遠見が出来るってなァ本当かい」
しれっと簗がそう言えば、額に冷たい汗を滲ませた中盆は表情を歪める。
「何を馬鹿げたことを――」
「は、そっちの頭がどうかは知らねえが、俺にはどうやら予知能力があるようだなあ。さっきから出目が外れねえもんだから笑いが止まんねんよ」
簗の挑発に中盆は乗らなかったが、ツボ振りが激昂する。盆切れを乗り越え簗に掴みかかるが、簗はそれをあっさりと投げ飛ばした。賽子が好き勝手な方向に飛んでいき、からからと音を立てる。成り行きを見守っていた破落戸の誰かが「あっ」と声を上げる。
「てめえ、簗だな! そのツラどこかで見たことあると思ってたんだ! 舐めやがって!」
「一度見たら忘れられねえツラだと思うぜ」
簗は己の口元の大きな傷を親指で撫でた。とびかかってくる男の前髪を掴み上げ、顔に拳を、腹に蹴りを一発ずつ入れる。破落戸は鼻血を出して引っくり返った。破落戸の仲間たちがいきり立って簗に詰め寄る。簗はじんと痛む拳を握りなおした。
「やめねえか!!」
大きな声が賭場に響き渡り、破落戸が蹴散らされる。現れたのは痩せた小男であった。手足ばかりがひょろひょろと長い。男が現れた瞬間、賭場の空気が凍り付く。この不格好な侏儒を、血の気の多いチンピラどもは心底恐れているらしかった。
「言触の旦那……」
誰かがそう言う。簗は男の顔を見るなり眦を吊り上げる。
「あァ!? 大層な呼び名じゃねえか! ええ、コラ、吉次よお」
吉次と呼ばれた小男は賭場にいる人間に顎をしゃくる。
「今日は仕舞いだ。さっさと帰んな」
負けが込んでいた者は何か言いたげに顎を上げたが、逆らう者はいなかった。ぞろぞろと列を成して賭場から出ていく背中を睨み、簗は腰の刀に手をかける。無人となった賭場は先ほどまでの人いきれの気配さえ薄れて廃墟じみたにおいを濃くする。
「偉くなったもんだなあ、オイ! アニキの影から出られなかったような男がよゥ!」
かつてこの街を塒にしていたとき多少の親交のあった男である。言触は細い鼻梁に皺を寄せる。昔からの癖は変わらないらしい。その表情は男の下膨れた顔を、愛玩犬じみた剽軽なものに見せている。だがその表情に見合わぬ自信に満ちた目で、言触は簗を正面から見つめ返した。
「やたら喧嘩っ早い男が街に現れたって聞いたときは、まさかと思ったんだがな。あんた変わんねえな」
「テメエは随分と変わったようだな」
足元から這い上がる冷たい気配を感じて、簗は柄を強く握る。
吉次はこの街の生まれであった。親を早くに亡くし奉公に出されたが、あまり要領のいい男ではなく、どうにも他人の嗜虐欲を煽る面構えをしているせいか早々に奉公先から虐め出された。ヤクザ者の庇護を得たはいいものの、喧嘩も下手なら商売事も駄目という体たらくで使い走りのような真似ばかりしていた。
「何も言わずに消えたから死んだのかと思ったら、鬼狩りサマになっていたとは」
「俺なしでやれてんのかと心配してりゃ、人食いになっていたとはな」
簗は言うなり日輪刀を抜く。ずしりと重い刀が滑るように鞘から抜ける感触に背筋が粟立つ。言触は刀の切っ先をちらりと見た。
「いいだろ、なあ、もう誰も俺をばかにしねえ。ばかにする奴はみんな食っちまうんだ」
「ああ、そお、そりゃ最高だな」
気のない簗の返答に、言触は円い目を輝かせる。簗はそれを刀越しに見た。そんなだから馬鹿にされるのだ。
「な! オレは誰彼構わず食うわけじゃねえよ。おまえはオレをばかにしなかったし、それに、あんたはオレと同じくらい――」
轟音とともに言触の足元の床板が炸裂する。言触の鼻先をささくれた木片が跳ね上がっていく。言触は足元に食い込んだ日輪刀と、簗の血走った双眸を順に見ておろおろと黒い爪の生えた手を口元にやった。
「なんだ、なんだよぉ、怒んなくたっていいだろ」
簗は刀を担ぎあげる。首筋に冷たいものが伝った。真正面から兜割。重さに物を言わせた豪速の一太刀だ。この距離で避けられるわけがない。言触は肩をすくめて簗を見上げる。
「あんたも鬼になろうよ、きっと簗は強い鬼になるよ、オレから頼んでやるから――」
「誰に」
短く問えば言触は言葉に詰まった。簗は唾を吐く。
「鬼になっても馬鹿は変わらねえな」
頭の回転のさして良くない簗にも、吉次が鬼になってさえ大それた悪事の働けぬ男であることは分かっていた。せいぜいが目についた人間をつまみ食いするので精一杯だ。人間を配下に大侠客に喧嘩を売り街を牛耳ろうなどという野望のある男ではない。
「悪いこた言わねえよ、糸引いてんのは誰か吐いちまえ」
「……言ったらどうしてくれんだい」
「昔の誼だ。俺よか腕のいい奴に首落とさせてやる。多少は苦しまねえんじゃねえか、知らねえけど」
簗の言葉に言触は蓬髪を掻きむしる。鋭い爪で引き裂かれた頭皮から血が迸るが、瞬きのうちに傷は塞がり血はさらさらと粉になって床に落ちた。
「あんた義憤にかられるような男じゃなかったろ! 好き勝手やろうよ! もう誰も、オレらをばかにしなくなる! 誰もオレを殴んないんだ! 金を巻き上げられることもないし、嗤われることもねえ!」
簗は溜息を一つついて刀を真一文字に振り切る。寸分たがわず頚を狙ったはずの切っ先は、再びむなしく空を切った。
「俺ァ鬼殺隊に義理はねえが、どうやらこいつが天職でな」
言いながら、ふとこの街に残った己の姿を思い描く。この男同様、己も鬼となることを選んだであろうか。今となっては分からない。考えても詮のないことだ。遠心力で勢いの付いた刀を無理矢理返し、袈裟に斬り下ろす。家屋の柱に刃が当たり、木の柱は破砕して吹き飛んだ。
「俺がテメエをわざわざ馬鹿にしねえのは、テメエが手の施しようのねえ馬鹿だったからよ」
簗の言葉に言触はぐうと呻いてぼろぼろと涙を溢す。双眸と、額にみりみりと開いた大きな目玉から次から次へと液体が漏れていった。目玉の周りに血管が浮き出る。額の目はぐりぐりと忙しなく動き回り、簗を捉えて見開かれた。額の肉がぐっと盛り上がる。
「あんたにもオレの気持ちはわかんねえんだな! そうだ! あんたは腕っ節が強くて立っ端もあってアニキに目をかけられていて、持っている側の人間だ――」
「――わけわかんねえこと言いやがるな」
担ぎあげた刀で頚を突く。いつの間にか言触は刀の間合いから外れていた。
「恵まれてんだよ、そりゃ鬼になんてならなくていいんだ、なあ、あんた、それだけ恵まれていて、どうして鬼狩りになんてなっちまったんだ、ばかだなあ」
馬鹿に馬鹿と言われた簗はカッとなって刀を振り上げる。その空いた胸元を鋭い爪がそろりと引っ掻いた。それだけで血が噴き出し、灼けつくような痛みが走った。簗は唇を噛み、呼吸を整える。言触はけらけらと笑った。
「ほら、ばかだ。オレはもうあんたをこのまま嬲り殺しにできるんだ」
続けざまに腿と腹を裂かれる。簗はそれを避けなかった。どうせ致命傷を与える気はないのだろうと判じた。そのまま一歩踏み込み刀を振り下ろす。虚を突いたはずの一撃は、それでもやはり言触の耳元を掠るだけだった。ヤニの染みついた床板にぼとぼとと血が落ちる。奥歯を噛み二の太刀、三の太刀を振るえば腹の傷からぴっ、ぴっ、と血が飛び散った。獲物を捉えられぬ刀身が室内の調度を次々と薙ぎ倒していく。
「あんたを食ったら強くなれそうだ」
簗は欠け一つない刀を見やった。ぬらぬらと美しく艶めく刀身を見る。これに鬼の血を吸わせてやらねばなるまい。首を傾げて言触を見た。
「なんで当たらねえ」
「あんたには一生分からねえさ、ばかだもん」
「そうかよ」
簗は言触に足払いをかける。空を切る足を踏み出し、顔面に拳を振るう。外れた弾みで刀の柄を脳天に振り下ろす。それも当たらないのでぐいと距離を詰め胸倉を掴み上げ鼻面に頭突きを入れる。頭部に痛みが走った。言触はぎゃんと短い悲鳴を上げて後ずさる。ひしゃげた鼻から血が流れたが、すぐに止まった。
「鬼になっても喧嘩は下手だな」
「うう、ぐうう、うるさい、うるさいうるさいぃ……」
右手で担ぎあげていた刀を左手に持ち替え、掬い上げるように峰で打つ。言触の細い腕が音を立てて撓み、おかしな方向を向いた。破れかぶれに振るわれた腕が簗の顔に当たり、半面が裂けぱっと血が飛ぶ。簗は言触の薄い胸を蹴り飛ばした。板造りの壁をぶち破って吹き飛ぶ言触を追う。瓦礫の破片の中に言触を見つけ、頭部を踏みぬく。額の巨大な目玉がぷちゅんと音を立てて弾けた。
弾けた透明のぬるぬるが寄り集まり目玉を形作る前に、簗は筋張った頚に刀を振り下ろす。重い刀は言触の頚を両断し、床板をも割った。言触は色のない唇をぱくぱくとさせ、縋るように簗を見上げる。
「死にたくない」
「あ? もう死んでる」
ひいいぃ、と弱々しい泣き声が簗の耳を打つ。簗は眉をひそめてその場に屈んだ。鬼になってさえ貧弱な肉体がぼろぼろと崩れていくのを目の当たりにする。
「おまえ、多分鬼向いてねえぞ」
「うう、やだ……死にたくない、まだ、まだ……」
黒く鋭い爪が痙攣のように床を掻いた。簗は溜息をつく。
「なあ、おい、てめえみてえな毒にも薬にもならねえような馬鹿にこんな真似させたクソ野郎はどこのどいつだ」
「言えない……言ったら殺される……」
「ばか、もう死んでるって言ってんだろ」
ぐす、ぐす、と言触はすすり泣いた。朽ちた頭部に口だけが穴のように残っている。歯茎を失った歯がぽろりと瓦礫の上に落ち、砂になって消えた。
「狐穏良……街外れの………街道沿い………廃寺……」
黒い穴がそれだけを絞り出す。簗は胸が悪くなって鼻を鳴らした。それからふと気になったことを聞いてみる。
「なんで俺の刀は当たらなかったんだ? まだ分かんねんだよ、気持ち悪ィったらねえ。死ぬ前に教えてくれよ」
それに答える声はなかった。簗はしばらく赤黒い塵の山を眺めていたが、不意に全身がずきずきと痛みだし我に返る。腹の傷の深さを指で測り、思いのほか深かったので舌打ちした。
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宿に帰ってきた簗が全身血まみれであるのを見て、白瀬は絶句した。何があったんだ、偵察するだけだと言っただろうが、どうしてそう傷ばかり受けるんだ、と、言いたいことはいくらでもあったのだが、それら全てを飲み込んで溜息とともに「医者を呼ぶか」とだけ聞いた。
簗は血でぐっしょりと重くなった隊服を脱ぎ捨てる。胸と腹の傷を見下ろし「どう思う?」と言う。白瀬はしばらく簗の腹を眺めて「切れてる」と答えた。
「ンなの分かってんだよ! 馬鹿にしてんのか!?」
簗が激昂し怒鳴るのと同時に腹の傷からごぷっと血が溢れた。簗は痛みに呻きながら部屋の中の荷を漁ると、支給品の応急処置用具を取り出す。血止めの軟膏と針と糸、巻木綿を選び取り、白瀬に投げた。
「縫ってくれ」
「……私でいいのか」
「おまえ、糸屋なんだろ」
白瀬は呆れ顔をしたが、黙って糸を解くと針に通す。骨ばった指先が腹に触れ、簗は息を詰まらせた。白瀬が控えていた男に声をかけ、水を持ってこさせるのを簗は眺める。桶に汲まれた水と手拭いで白瀬は簗の傷を洗った。
簗が白瀬に縫合を頼んだのは特に理由のあるものではなかった。野外では必要であれば自分で傷を縫うこともある。手先の器用ではない簗は自分でやるよりは白瀬がやったほうがいいだろうと思った。医者を呼ばなかったのは、なんとなく誰にも会いたくなかったからだ。
「あ、あああああ、いってえ、沁みる……!」
「おまえ、痛覚はまだ残っていたんだな」
「はあ!? そりゃそ――いってえ!!」
声もかけられずに皮と肉を針が貫く。簗は喉を反らせて白瀬の肩を掴んだ。その間も白瀬はざくざくと簗の傷を縫い合わせていく。
「あ、あ、待て、思いのほかいてえ! 医者! やっぱり医者!」
「任せろ」
悲鳴をあげる簗は爪先を丸める。ごつごつした足の甲が白くなった。食いしばった歯の間から荒い息が漏れる。
「う、ぐっ、あのよ、おまえ――」
「どうした」
簗は泰然とした白瀬の俯いた顔を、涙で滲む視界の端で見た。
「俺が、お、お、鬼になったら、ど、する」
「斬る」
「あははは、そうだよなあ」
簗は切れ切れと笑い天井を仰ぐ。おまえはそういう奴だよなあ、と掠れる声で呟いた。白瀬は腹の傷を縫い終えた糸を切り、胸の傷を検分する。その傷も水で洗い、針を突き立てる。ふー、と簗は長く細く震える息を吐いた。
「何があったか聞いたほうがいいか」
白瀬が言うので、簗は何を言うか迷う。賭場を仕切っていたのが鬼であったこと、鬼が見知った男であったこと、鬼にならぬかと言われたこと、恵まれているくせに鬼殺隊士になるなんてばかだと言われたこと、それらをぐるぐると考えて、面倒くさくなって首を横に振る。
「隠に聞け」
「あの男にか……」
珍しく白瀬が露骨にいやそうな顔をしたので、簗は針が肉を貫く痛みも忘れて笑った。
「おう、がんばれ」
「いい、鎹烏に聞く」
傷を縫う針を白瀬はぎゅうと締め上げた。簗は飛び上がりそうになったが傷が引き攣れるのでそれに耐える。苛立ち交じりにがりがりと畳を引っ掻く簗を見下ろして白瀬は「おまえはどうする」と囁いた。
簗は怪訝な顔を上げる。
「何が」
「私が鬼になったら」
「逃げる」
間髪入れずに答える簗に白瀬は顔をしかめた。文句を言われる前に簗は「街外れの街道沿い、廃寺を探させろ」と言う。白瀬は不審げに片眉を上げた。
「そこに鬼がいるとさ。名前も聞いた気がしたが忘れたな」
白瀬は針と糸を片付けると、疲れの滲む声で「先に言え」と呻いた。