施療院の寝台で目を覚ました時、簗は同期であった看護人のことを聞いた。「あいつ、元気か」というようなことを気忙しく走り回る男の看護人に尋ねた気がする。己が死の淵に辛うじて引っ掛かっている身だというのに。
 看護人はちょっと眉をひそめて言葉少なに「死んだよ」と言った。簗はそれに「そうかい」とだけ答えた。理由も、時期も、聞かなかった。興味がなかったし、或いはなんとなく分かっていたのかもしれない。簗は不明瞭なやりとりをして再び意識を失った。冷たい体がひどく重かった。
 消毒薬のにおいがする空気を肺に入れて体に巡らせているだけで己が取り返しのつかない重病人になった気がする。彩度を欠いてざらついた視界には天井の木目ばかりが広がる。うんざりして寝返りを打つと、隣の寝台が目に入る。空であった。以前目を覚ました時には、全身に火傷を負った女が寝かされていたような記憶が朧にあった。
 上体を起こし、周囲を見回す。それだけのことに気の遠くなるような時間がかかった。右脚が鉛のように重い。正確には、右脚の感覚が無い。故に動かない。何に原因があるのかは不明であった。骨か、筋肉か、腱か、神経か、その全てか。いずれ治るものなのか、一生不具となったのか。だが医師にそれを説明されないということで簗は薄々予後の悪いことを察した。鬼殺隊の施療院はいつでも満床で人手も足りていない。今後戦力にならぬと判断された者にかける手はない。
 目を覚まして数日後に隠が一人面会に来た。見覚えのない顔であったが、もしかするとどこかで擦れ違ったことくらいはあるのかもしれない。隠は寝付いた簗を見て痛々し気に目を細めた。
 持ち込まれた話は、隠になるか、育手になるか、或いは国に帰るか、というものであった。簗はいまだ朦朧とする頭でそれを聞いていた。どれもピンと来なかった。己に顔を隠し姿を隠し誰かのために裏方に徹することが出来るか。刀の握り方も知らぬ洟垂れに根気強く指導が出来るか。家に帰られるか。
 簗は回らぬ舌で「後にしてくれ」と言った。モルフィネがまだ残っていて、上手く物事が考えられなかった。
 今はその時より頭がはっきりしていた。痛み止めの効果もとうに切れていた。だがこのザマでは、端から痛み止めなど必要なかったのかもしれない。
 枕元に長大な鞘だけが虚しく立てかけられている。簗はそれを横目に見て鼻を鳴らす。日輪刀を紛失したというのに鋼鐵塚は顔を出しさえしなかった。刀を損ねるたびに怒り狂い殺しにかかってくる鋼鐵塚を鬱陶しいと思ってはいたが、来なければ来ないで何か抜け落ちたような気分になった。薄情なものだと思った。刀を振るえぬ体になった途端これかと怒りさえ湧く。だがその怒りも長続きしなかった。怒ることさえ体力が必要なのだということに簗は初めて気が付いた。大量の血液と大腿の肉と機能を失った簗には怒りを持続させる体力も気力も欠けていた。
 だが簗は鋼鐵塚を恨みはしていない。鋼鐵塚は――そういう男であった。心にかけるのは刀のことと、目の前の鬼殺隊士が刀を上手く扱えるかということ、それだけだ。諦めてもいたし、理解してもいたし、好ましくも思っていた。そういう男だから、簗は鋼鐵塚と鋼鐵塚の刀を当てにした。
 簗は鞘を手にするとそれに体を預けて寝台から立ち上がる。掴まり立ちを始めたばかりの赤子のようなたどたどしさで木の床の上に立った。右脚に体重をかけようとしたが、ずぶずぶと泥に沈んでいくようで気持ちが悪い。痛みも違和もないかわりに、何も感じなかった。左脚に全て体重をかけ、己の身体の重さに愕然とする。
 動かぬ右脚は重くぶら下がる肉の棒でしかなかった。用を足さぬのならば切り落としてしまってよかった、と心中で悪態をつきながら廊下へ続く扉の取手に手をかける。押し開けようとしたところで、向こう側から戸を引かれた。よろけた簗はつい以前のように右脚で床を踏みしめて均衡を図ろうとし、そのまま床に倒れて強かに頭を打った。

「大丈夫ですか!」

 幾度か見かけた看護人が慌てて簗に駆け寄る。差し伸べられた手から簗は顔を背ける。だが、萎えた片足を引きずって床から立ち上がることは、今の簗には難しかった。床の上でみっともなくもがき、二度三度と尻餅をつく簗を見かね、看護人は放り出された刀の鞘を拾って来た。無言で差し出されたそれを取り、簗は覚束なく立ち上がる。

「歩き回るにはまだ早いですよ。十分体を休めて、出来ることから順に始めましょう」

 看護人は十代半ば程の少年であった。稚さの抜けぬ丸い顔に戸惑うような表情を浮かべている。

「歩き回ることすら出来なくなっちまってたらおしまいだろうが」

 簗の言葉に少年はきゅっと唇を噛んだ。それを見て簗は鼻を鳴らす。

「このポンコツ、元には戻らねえか」

 刀の鞘で己の右脛を叩く。ぼわ、と曖昧な感覚が腰の下あたりに響いた。少年はおろおろと視線を泳がせ、白いお仕着せの裾を握って俯く。

「――すみません」
「ああ、そおかい」
「…………すみません、ごめんなさい」
「なんでテメエが謝る、鬱陶しい」

 簗は病室の真ん中で立ち尽くす。転倒した際に打った腰は痛み、酷使した左脚は痺れたが、座る気にはならなかった。二度と立ち上がれない気がした。
 片足の機能を失ったことには、奇妙なまでに心動かされなかった。実感が無いのだと言われれば、その通りだった。簗が心にかけるのは、脚が思うように動かぬことでも自力では床からも立ち上がることの出来ぬ不様でもない。隊士として刀を振るえぬことだ。
 白瀬の言うように防御と回避を習得するべきであっただろうか。だがそれに何の意味があるだろう。今より少し傷を負いにくくなり、今より少し死にやすくなるだけだ。脚を潰すくらいなら死んだほうがマシであっただろうか。それはまだよく分からないでいた。
 簗は溜息をつき、鞘を頼りに老人のように廊下へ向かう。少年は泡を食って簗の前に両手を広げて立ち塞がった。

「だ、だめです! 無理をしては治るものも治りませんよ!」
「治んねえんだろ」
「そ――で、でも、多少は恢復するはずです」

 簗は少年の体を押しのけ廊下に出ようとしたが、片足だけが支えの体は想像以上に安定せず、己の半分しか目方のなさそうな小柄な少年を押しのけることすら出来ない。簗は自身の肉体に苛立ちを募らせる。

「どけ」
「どきません」
「どけって言ってんだ! ブッ殺されてえのか!!」

 少年は肩を震わせたが、真正面から簗を睨み首を横に振った。眦を吊り上げ怒鳴りつけようとした簗を、平坦な声が制止する。

「よせ、簗」

 山繭白瀬が廊下の中ほどに立っていた。背に窓からの光を浴びて、顔に影が差している。

「起き上がれるようになった途端看護人に因縁をつけているのか。好きだなおまえも」
「――白瀬」

 白瀬は常と変わらぬ腰の上下しない歩様で滑るように簗に近付いてきた。少年に「少しいいか」と断りを入れる。少年は白瀬と簗の顔を見比べ、ぺこりと小さく礼をすると小走りに離れていった。

「任務帰りか」
「ああ」

 涼しげに答える白瀬には見たところ傷の一つもない。簗は手のひらで白瀬の胸を叩く。

「このへんザックリいってただろうが。どうした」
「塞がってはいる。あまり強く押すな。痛む」

 入るぞ、と言われ、出入り口を塞ぐように立っていた簗は鞘を頼りにぎこちなく通り道を開けた。白瀬の目蓋が上がる。

「簗、おまえ。脚が――」

 顔を引き攣らせる白瀬に簗は唇を歪めた。

「動かねえ」

 端的に答えると白瀬は深く息をつく。簗は笑った。

「テメエの言うとおりになったな。防御と回避を習得しておくべきだった。これで満足か」

 悪態をつく簗を白瀬は気の毒なものを見るような目で見た。こいつにだけはそういう目で見られたくなかった、と簗は思う。扉から寝台までの些細な距離を額に汗をにじませながら移動する簗を、白瀬は廊下に立ち尽くしたまま見つめている。

「なんだよ、カタワがそんなに珍しいかい」
「いや――ちがう、ただ……すまない、少し……動揺している」
「なんでテメエが」

 白瀬が同期の看護人の死をとっくに知っていたことを、簗は別の看護人伝手に耳にした。同期の死を知りながら素知らぬ顔の出来る人間が、今さら同期の脚の一本や二本駄目になったところでどうということもあるまい。
 白瀬は茫然とした足取りで病室の中ほどまで足を進めた。簗は寝台の上に鞘を投げ出し、半ば倒れこむように座る。

「……すまない」
「どいつもこいつも何だってんだよ。テメエらが謝ったって脚は治んねえ」

 白瀬は寝台の傍らに膝をついた。巻木綿で締め上げられた右脚の、感覚のない膝を穴のあくほど見つめられる。

「すまない、あんなことを言うべきではなかった」
「あ゛ァ?」
「人だと、殺すなと、言うべきではなかった」

 簗はそのときのことを思い出す。そんなことは関係がなかった。簗は白瀬に何を言われようと、必要であれば人間でも殺す。丸腰の人間相手に怯んだのは簗の落ち度でしかない。判断力と決断力が欠けていた。それだけのことだ。

「舐めてんのかテメエは」

 吐き捨てる簗に白瀬は何も答えない。伏し目がちの黒い瞳が、昏く膝に落とされる。

「私が……私が動揺しているのは、おそらくもうおまえと肩を並べることが出来ないからだ……」

 簗は眉をひそめて白瀬の旋毛を見下ろした。白瀬は祈るように簗の膝に額を押し付ける。白瀬の肩が何かを堪えるように上下した。細く長い吐息の音がする。だが、感覚を失い木綿で巻かれた脚ではその温度も分からなかった。

「……すまない」
「知るかよ、関係ねえだろ」

 簗は萎えた足を引き摺って寝台の端に逃げる。白瀬は強く目を閉じた。音をさせずに立ち上がり、寝台の上に蹲る簗を見下ろす。

「簗がこれ以上傷付くことが無いのなら、それでもいいのかもしれない」

 掠れる声がそう言った。声音の弱々しさと裏腹に双眸は爛々とした光を帯び、冷ややかに簗をなぞる。

「――は、」
「……すまない、動揺しているんだ。ああ、でも……いや――」

 体の自由がきいたのならば、今すぐその陰鬱な顔を殴っていた。簗は節が白くなるほど強く拳を握る。ふ、と白瀬が顔を上げる。常と変わらぬ水面のような瞳が簗の方を向く。

「ああ、そうだ、これを――」

 白瀬が荷を探り、簗に向かって根付を差し出す。荒々しい木彫りではあるが、辛うじて仏の立像であることはわかった。

「武永殿が、お前にと」

 簗はそれを受け取り、手の内で転がす。

「鬼狩りが仏に縋るかよ」

 寝間着につける場所もないので、脇机の上に置いておく。がたついた懐中仏はことりと傾いた。

「あのあと、龍儘會は野鉄砲一門に蹴散らされた。街は元の様子に戻ったらしい」
「ふうん、あの廃寺はどうなった」

 白瀬は一瞬口をつぐんだが、淡々と先を続けた。

「火をかけられた。あそこで寝起きしていた無宿人たちは皆連行された」
「そうかい。あいつらにとっちゃ鬼がいたほうがよかったのかもな」
「そこまでは与り知らないさ」

 そう言うと白瀬は淡く微笑んで「また」と言う。簗は軽く会釈し、病室を出ていく白瀬の背中を見送る。軋む木戸が閉まるのを見て、簗は脇机の根付を鷲掴みにすると壁に向かって叩きつけた。高く乾いた音がして、仏像は小さな破片となって床に散らばる。脇机の上にあった水差しも湯呑も全て薙ぎ払い床に落とす。ものすごい音がして陶器は粉々に砕け散った。簗は言葉にならない唸り声を上げると寝台を拳で殴る。みしり、と不吉な音がしたのは、寝台の木枠か己の拳かわからない。

「クソッ、クソッ、クソクソクソクソ!!!」

 脚のことを忘れて起き上がりかけ、顔から寝台に落ちる。清潔な敷布に爪を立てた。奥歯が砕けそうなほど噛みしめ、思うようにならぬ身体に身悶えする。喉元まで熱いものがせり上がったが、涙は出なかった。血を吐くような怒りがそれをさせなかった。
 木戸が跳ね開けられ、先ほどの看護人が飛び込んでくる。少年は病室をおろおろと見回し、でたらめに暴れる簗に駆け寄った。

「簗さん、どうしたんです!? 傷が……今、鎮静剤を……」
「いらねえ!」

 ふー、ふー、と簗は獣じみた息を吐く。その鬼気迫る様子に少年は一歩後ずさった。簗は熱を持つ顔を震える両手で覆った。
 己が強さを求めたのは、居場所が欲しかったからか。条件付きの温い承認が欲しかったからか。そうではない。そんな理由で命は張らない。

「おい、テメエ、多少は恢復すると言ったな」

 少年は黙って浅く何度も頷く。簗は歯をかちかち言わせながら少年を睨む。

「何すりゃいい。どうすりゃちったァ動けるようになる。クソッタレ、俺ァな、あいつのスカしたツラに一発入れてやらなきゃ気が済まねえんだ。それまで死ぬに死ねねえ」


******


 看護人の少年――名前を穣といった――は献身的に簗を看護した。気の短い簗の機能回復訓練に辛抱強く付き合い、癇癪を起こす簗を宥め、朝晩には感覚のない右脚を丹念に按摩した。人手の足りない施療院で上司同僚の目が厳しくとも、穣はそれらを欠かさなかった。
 さして義理堅い性質ではない簗でさえその献身にはさすがに申し訳なさを覚え、余程追い詰められた時でさえなければ簗は穣の提案する訓練や柔軟を受け入れた。脚は相変わらず動かなかったが、多少地面を踏んでいる感覚を取り戻した。歩くことは叶わずとも二本の脚で立っていることは出来るようになった。歩行の際は杖――これはいまだに空の鞘で代用していた――が必要だが、それでも格段に生きやすくはなる。

「僕ね、簗さんに命を救われてるんです」

 穣ははにかむ。寝台に寝転がり右脚を按摩されていた簗は眉をひそめた。

「ワリ、覚えてねえ」
「ええ、はい、そうだと思います」

 そうは言いながら簗は肩をすくめる。按摩の手の力が強くなった。痛みはないが腰の下が痺れて不快だ。呻く簗に穣は「すみません」と慌てる。

「僕の家族を襲った鬼を斬ったのが簗さんでした。僕は竈の中に隠れていて……後から隠の方に見つけていただいたんです」

 簗は目を閉じた。少し到着が早かったら、こいつの家族は死なずに済んだのだろうかと考えを巡らせる。

「僕は……本当は簗さんみたいな隊士になりたかったんです。でも、駄目でした。怖くて……僕には隊士になる決意ができなかったんです」

 簗は穣の顔をまじまじと見つめる。幼さの残る丸みを帯びた頬には傷一つない。

「そりゃそうだろ」

 ぬけぬけとそう言う簗に穣は目を丸くした。なぜ驚く、と簗は面食らう。

「鬼狩りなんかな、向いてる奴の方がイカれてんだよ。おまえはいい奴だから、さっさとどこへなり行っちまったほうがいい」
「そ、そんな……」
「俺を見ろ、白瀬でもいい。ああなりたいか」

 穣は目の前の簗のひしゃげた脚を、抉れた身体を、裂け引き攣る顔を順に見、表情を曇らせる。簗は鼻を鳴らした。やはり己に育手など無理だと思った。
 簗は上体を起こす。穣の非難がましい視線を黙殺し、話を切り出した。

「明日、留守にする」
「ええ、どちらに行かれるのですか?」
「……ちょっとな」

 言葉を濁す簗に穣は口をへの字にした。ぐいと身を乗り出し、簗の目を覗き込む。

「行先は伝えてくださいね。届を出しますから」
「……ンな遠くねえよ」
「それでも届は必要です。それに、まだ長時間歩ける状態じゃありませんよ」

 食い下がる穣に簗はしばらく黙った後、寝返りを打って布団を被り、寝たふりを決め込んだ。


******


 明朝、簗は山深い隠れ里の湿った土を踏んだ。隠に背負われ連れてこられた門前から、鋼鐵塚の家の前まで歩くだけで多少くたびれた。だが、着実に歩けるようになっている。
 簗は叩扉もなしに引き戸を開ける。薄暗い土間で厚い体を縮こまらせた男が包丁を研いでいた。開けた木戸の隙間の細い光が、包丁の刃に反射する。

「カタワでも戦える刀が欲しい」

 簗がそっけなく言う。鋼鐵塚は顔さえ上げず「来るのが遅ェ」と応えた。