コレクション



 珍奇は美しさや高価とは関係ない、珍奇は珍奇だ。

 アカウントの持ち主はヨモダと名乗った。数度のメッセージのやりとりの後、私はヨモダの家に招待された。ヨモダの家は郊外の山裾にあり、最寄りの駅まで若い女性が迎えに来た。黒髪を一つに束ねた地味な雰囲気の女で、おそらく年齢は私とそう離れていないが目尻の皺が目立つ。笑うたびに目の端とその皺が繋がって、なんとなくこちらをほっとさせる雰囲気があった。ナイトウ、と名乗った。
 私たちは車で二十分程度の道のりを当たり障りのない話をして過ごした。今日はいい天気ですね。このあたりは初めて来ました。自然が豊かでいいところですね。そういう平和な話題を選んだ。ナイトウは愛想が良く朗らかであったが、決してこちらを見ようとしないことには気が付いていた。
 ふ、と車内に沈黙が下りる。何がきっかけであったかは分からない。気まずさから私は「ナイトウさんは、ヨモダさんのご親戚なのですか」と尋ねてみた。ナイトウは右折のウインカーを出しながら首を横に振る。

「いいえ、私は弟子みたいなものです」

 私はナイトウの起伏の少ない横顔を見る。

「というと、その、ナイトウさんも、幽霊とか、そういうのが……」

 私が言葉を選びながら辿々しく紡いだ疑問に、ナイトウは眉尻を下げて微笑むことで応えた。目尻の皺が人の良さそうな陰影を作る。

「ナイトウさんには、私に何がとりついているか分かりますか」

 ナイトウはそう尋ねた途端表情を強張らせ、首を横に振る。それはおそらく「分からない」という意味ではなく「その話はしたくない」という意味だった。
 それからはひたすら無言であった。エンジンの音と、時折跳ねた石や撓んだ枝が車体を打つ音だけがした。

「着きました、こちらです」

 そう言われ示されたのは何の変哲もない田舎の古びた民家だった。木造の平屋は年季が入っているが、あちこち手入れされ丁寧に使われていることが分かる。庭先に数羽の鶏が放し飼いにされていた。
 ナイトウに促されるまま家に上がる。履き物を脱いでいるところに、家の奥からぱたぱたと小さな足音が近付いてきた。

「いらっしゃい、お待ちしていましたよ」

 穏やかに笑う小柄な初老の女性だった。ヨモダだ、と私は直感する。やはり彼女はヨモダと名乗り、にこやかに私を迎え入れた。アカウントからの印象通りなんでもない普通の女性に見えた。さっぱりとしたショートカットの下で、ヨモダは溌溂とした瞳を細める。

「遠かったでしょう? お茶はいかが?」

 私が何か言う前にヨモダは私を和室に押し込み、ナイトウに何か指示を飛ばしていた。そのあとヨモダは机を挟んで私の正面に座る。穏やかな黒い瞳に見つめられ、私は緊張して正座の脚をごそごそさせる。ヨモダはふふと柔らかく笑った。

「そんなに緊張しないで。そうね、せっかくだからあなたのお話が聞きたいな」

 私は記憶を辿る。一番初めにあった奇妙な出来事はナオの――いや、電車で小石を押し付けてきた宗教勧誘のおばさんか。それを言いかけると、ヨモダは小さなてのひらをこちらに向ける。

「あなたに何が起きたかは、後で聞くわ。私はあなたのお話が聞きたいの」

 そんなことを言われても、と私は言葉に詰まった。ぽつぽつと自分の仕事の話を始める。今の仕事が好きなこと。上司にも同僚にも恵まれていること。繁忙期は帰りが遅くなることだけが大変であること。そんなとりとめのない話をヨモダはうんうんと楽しそうに聞いてくれる。私は祖母を思い出していた。学校であったことをこうして楽しそうに聞いてくれた。
 ちょうど会話が途切れた頃に、ナイトウがお盆にお茶とお菓子を持って入ってきた。

「やだ、私が隠してたお菓子、ばれてたのね」

 ヨモダは出されたお菓子を見て声を上げる。ナイトウはいたずらっぽく笑って「これしかなかったんです」と言って部屋を出ていく。私はその後姿を見送った。

「美味しいの。本当は誰にも内緒で食べるつもりだったのだけど、どうぞ召し上がって」

 いただきます、と小さく呟き両手を合わせる。小さな洋風饅頭だった。

「あなたはとっても礼儀作法がしっかりしていらっしゃるのね、素敵ね」

 ヨモダは微笑みながらお茶に手を伸ばす。そんなことは初めて言われた。恐縮しながら饅頭を口に運ぶ。黄身餡がほろほろして確かに美味しかった。仕事の話もすることがなくなり、私は家族の話を始める。小学校まで歩いて一時間近くかかる田舎に住んでいたこと。家の裏を流れる小川で兄と妹とザリガニを捕まえるのが好きだったこと。中学の部活動で表彰されたこと。
 話が祖母の亡くなったときのことに差し掛かると、ヨモダは痛まし気に眉を下げる。

「でももう結構歳でしたし、本当に眠るように穏やかに亡くなったから、よかったなって思うんです。ただもっと会いに行っていればよかったって、思います」

 私が言うと、ヨモダは「その気持ちだけでおばあさまはきっと喜んでいらっしゃるわ」と言った。ヨモダが言うならそうなのだろうと私は思う。

「本当にさいごのさいごまで、私を心配してくれてたから――」

 私のつぶやきにヨモダは視線で先を促す。わたしはお茶を一口啜る。華やかな香りのするお茶だった。私は迷いながら、祖母からの電話の話をする。ただの夢だったんですけどね、と言い訳のように付け足した。ふとヨモダを見ると、ヨモダは厳しい顔で茶器の水面を見つめていた。
 狼狽する私にヨモダは淡く笑いながら「ごめんなさい、続けて」と言う。私は祖母の話題を避け、また当たり障りのない話を始めた。
 しばらく話をしていると、ヨモダがこつりと茶器を置く音が妙に響いた。私がはっとしてあたりを見回すと、窓の外は夕日も暮れて薄暗くなっていた。そんなに話し込んでいたつもりはないのに、と私は目を白黒させながら窓とヨモダを何度も見る。ヨモダは立ち上がると、部屋の明かりをつけた。ぱぱっ、と懐かしさを覚えるような蛍光管の点滅ののち、部屋が明るくなる。

「遅くなってしまったわね。お夕飯にしましょう」
「あ、あの、お祓いは……」
「明日にしましょうね。今日は泊まっていらして」

 ナイトウともう一人、はじめて見る中年の女性が現れて、次々料理を運んできた。手持無沙汰におろおろしながら、私は手際よく用意される食卓を傍観しているしかない。根菜の味噌汁、野菜の煮物、天ぷら、豆腐――。私は法事であれだけうんざりしていた天ぷらに手を付ける。山菜の香りがふっと鼻に抜け、さくさくして美味しかった。
 食後はお風呂をもらい、案内された客室でのんびりしていた。窓の向こうから虫と蛙の声が絶えず聞こえてくる。私は田舎暮らしもいいな、と思った。だが東京での便利で刺激に満ちた暮らしに慣れてしまった私には退屈かもしれない。
 ふすまの向こうから呼ばれ、布団の上で寝そべっていた私は跳ね起きる。返事をすると竹藪の描かれたふすまがすらりと開いた。寝間着姿のヨモダが立っている。

「いやでなかったら、一緒の部屋で寝ましょう」

 面食らったが、断る理由もないので了承する。ヨモダは押し入れから布団をもう一組出した。

「お夕飯、お口にあったかしら? 若い方には物足りなかったかも」
「いえ、とっても美味しかったです。あんなにお米をもりもり食べたのは久しぶりです」

 世辞ではなかった。ヨモダは嬉しそうな顔をする。ヨモダは豆球を残して部屋の明かりを消してしまう。途端に窓の外の蛙の声がわっと騒がしくなったような気がした。もう寝るのか、と私はたじろぐ。普段であればまだ就寝の準備もしていないような時間だった。
 私は毛布にくるまりながら、薄明るい天井を眺める。不思議とゆったりとした気分で、すぐに眠れそうな気もした。

「ヨモダさん」

 まだ眠っていないだろう。私は隣の布団で眠るヨモダに声をかける。なあに、と優しい声が帰ってくる。

「私には、何が起きているのでしょう」

 尋ねると、少しの沈黙があった。やはり答えてもらえないだろうか、と私は自分の質問を取り消そうと口を開きかける。ヨモダの穏やかな声がそれを遮る。

「あなたは、とても強いものに目をつけられてしまったのね」

 つよいもの、と私は口の中で繰り返した。

「何と呼んだらいいのかしら。神様、といってもいいかもしれないわね。ずーっと昔から、私たちと共にあった古いものよ」

 私は不安に駆られ、毛布を掴む。

「でも、私……バチが当たるようなことなんて、何も……」

 特別信心深くもないが、だが無礼を働いた記憶もない。無謀な肝試しをしたことも、おかしなオカルトグッズに手を出したこともない。

「あなたが悪いことをしたわけではないの。そういうものには、私たちが何をしたかなんて関係ないのよ。子供が気まぐれに虫を捕まえるようなものね。珍しい色形をしていて興味をひいたのかもしれないし、ただなんとなく存在に気が付いただけかもしれない。言い方は悪いかもしれないけど、そういうものにとって私たちはおもちゃみたいなものなの」

 私はサクラバに見せられた絵を思い出す。女神に這い寄る傷病人の姿。あれをサクラバは女神が彼らを癒しているのだと言った。だが、逆だとしたら。女神と呼ばれるあれが、先祖たちをああいう姿に変えて面白がっているのだとしたら。私は神社に居並ぶ奇形の石像を思い出し、己の妄想に身震いする。

「あなたが思うようなお祓いはできないのよ。相手は神様だから。不安にさせてごめんなさい。でもね、この人から離れてくださいってお願いはできる」

 私は毛布の間で震える声で返事をする。

「今日はゆっくり休んで、明日に備えましょうね」

 その言葉が耳に入ると、私は墜落するように眠りについた。悪夢は見なかった。



 翌朝、日の出とともに目が覚める。今までにないほど爽やかな目覚めだった。用意されていた白い和服にナイトウが着替えさせてくれた。ナイトウ自身も白い和服に着替えていた。やはり彼女は私を見なかった。
 通された広間には大きな祭壇が組まれていた。祭壇には果物や米や菓子、それに酒が捧げられている。広間の中心の半畳ほどの広さに細い縄で区切られた場所に座らされる。縄からは甘い酒の香りがした。ナイトウに「何があっても声を出さないでください」と言われる。私は緊張してかくかくと頷いた。ナイトウはそっと肩に触れ「だいじょうぶ、がんばって」と囁く。触れた手は暖かかった。
 同じく白い和服の女たちが四人、部屋の四隅に座っている。手に手に太鼓や鐘を持っていた。冷や汗をかきはじめた頃、広間にヨモダが現れる。白い和服姿のヨモダが現れた瞬間、広間の空気がぴんとした。彼女の纏う柔らかな気配は鳴りを潜め、きりりとした厳しい気配を漂わせている。ヨモダはちらと私を見ると、安心させるように微笑んだ。それから祭壇に向かい座ると、はっきりとした声で「はじめます」と宣言した。かぁん、と鐘の音が鳴る。

 たかあまはらにましまして
 てんとちにもはたらきをあらわしたまうりゅうおうは

 私は目を閉じひたすら無心でいることに努める。ヨモダの声と単調な太鼓の音で、気分は落ち着いた。ふわふわとした心地になり、私は夢うつつになる。

 だいうちゅうこんげんの
 みおやのみつかいにして

 ふ、と甘い香りがした。酒のにおいとは違う。一面の花畑にいるような香りだった。

 いっさいをうみいっさいをそだて
 よろずものをごしはいあらせたまうおうじんなれば

 ずずず、ずずず、と何かが這う気配がする。巨大な何かが這い寄ってくる。ふうぅ、とか細い吐息の音がした。鐘と太鼓の音が一層激しくなる。私は目を開けたい衝動に駆られる。そこにいる、何かが、見たい。

 いふみよいむなやことのとくさのみたからを

 私はそっと目を開けた。細い縄の向こうに裸足の足が見えた。大人の女の足だ。私は目玉だけを上に動かしていく。黒い巻き毛の女だ。ナオを追い返した女。その女がじっと私を見下ろしている。

 おのがすがたとへんじたまいてじざいじゆうに
てんかいちかいじんかいをおさめたまう

 私は強く目を閉じ、もう一度開ける。女の姿はなかった。かわりに幼く可愛らしい少女がそこに立っていた。少女は声を上げて笑う。あははは、はは、あははは、と楽し気な笑い声が響く。それをかき消すようにヨモダの声が大きくなった。

 りゅうおうじんなるをとうとみうやまいて
 まことのむねひとすじにみつかえもうすことのよしをうけひきたまいて

 少女は縄に触れようとしては、困惑したように首を傾げる。ずずず、ずず、と何者かが私の背後に這い寄る。ひんやりと恐ろしく、威圧感のある気配がする。もう何もかも投げ出して身を任せてしまいたくなる。そういう気配だ。ふぅ、と何かを耳元に囁きかけられた。私はそれから意識を逸らすように目の前の少女だけを見つめる。白い頬を、釦のように丸い瞳を、笑みを絶やさぬ唇を。

 おろかなるこころのかずかずをいましめたまいて
 なさしゅにふなえふいーとらー

 ほっそりとした美しい手が、少女の背後からぬっと伸びる。鋭い黒い爪が少女の胸に食い込む。少女の向こうに目を凝らすが、私には凝る暗闇しか見えなかった。

 いっさいしゅじょうのつみけがれのころもをぬぎさらしたまいて
 なさしゅにふなえしゅいーとらー
 よろずのもののやまいわざわいをもたちどころにきよめはらい
 いあいあふんぐるいむぐるうなふなえふいーとらー

 視界の端で黒い何かが煌めく。鱗だ。緑に光をはじく、黒真珠のような鱗。蛇の尾だ、と思うのと同時にその姿が見えた。何度も夢に見た、あの、おそろしい。ふるく、つよく、うつくしく、おそろしい。

 いあいあふんぐるいむぐるうなふなえふいーとらー
 なさしゅにふなえふいーとらー
 まえいるあにとなさしゅにふおえらいあ

 鐘の音が激しくなる。女だった。蛇身の。青白い腹が艶めかしくくねる。黒い巻き毛の向こうから、私を見ていた。

 いあいあふんぐるいむぐるうなふなえふいーとらー
 なさしゅにふなえふいーとらー
 まえいるあにとなさ

 突然祝詞が途切れた。鐘太鼓の音が狼狽したようにばらつく。座ったヨモダの両の鼻の穴からとめどなく鮮血が流れていた。だらしなく開いた唇からごおおお、ごおおおと湿ったいびきが漏れ出る。白い着物が血に染まっていく。誰かが悲鳴をあげた。弟子がヨモダに駆け寄る。触れられた途端、ヨモダはその場にごとりと崩れ落ちる。細い手足が藻掻くように痙攣した。いびきがやまない。救急車、と誰かが叫ぶ。
 私は目の前の神々しい姿だけを見ていた。少女に絡みつく黒真珠の蛇体が煌めく。それは細い縄の結界を指先でたやすく断ち切った。