ほねとかわとがはなれるおと



※性描写あり




 呪詛と「なりかけ」による性的な干渉に何か意味があるのかと言われれば竹汀は無いと断言できた。少なくとも己には皆無だ。当然繁殖という最大の目的は果たされるわけもなく、二者間の情愛を育むという副産物も得ようがない。呪詛はそんな感情を持ち得ない。
 肉体と記憶を失った竹汀は肉体的快楽とは縁が無く、とどめとばかりにその手の欲望も消失している。あればそこから記憶を失う前の性的指向とおおよその性自認が明らかになるので、そのあたりを入念に漂白されたのは当たり前といえば当たり前だった。だがかつての己は、自身をこうなってまで性行為に至る人間だと判断していたのだろうか。それはそれで少し嫌な気分がした。そしてその予測が現実になっているので重ねて嫌な気分になった。
 一方で両面宿儺の欲望は極めて旺盛である。それは両面宿儺が元来抱えた獣欲の発露かも知れず、器となった虎杖の健全な発育のためかも知れない。両面宿儺の感興は殺し犯し破壊することだけに向いている。分かりやすいといえばその通りで、だが単純明快なそれが強烈過ぎるが故に容易に人の理を越えた。
 両者とも人の営みから外れた存在でありながらかけ離れた立ち位置にある。竹汀は己より遙かに長い時間を呪詛として封じられてきた両面宿儺が欲望の火を滾らせているのを見ると恐怖と同時に畏怖すら感じる。持って生まれた欲望の熱量とそれへの向き合い方が違う。さすが幾世紀にも渡り呪術師の手を煩わせてきただけはある。
 立場と心持ちが違えど二者が衝突することはない。ありえない。竹汀は両面宿儺に圧倒され制圧され蹂躙されるだけだ。そこに竹汀の主義主張などひとかけらも差し挟まれる余地はない。

 竹汀は両面宿儺の着物の帯を解き、肩から着物を滑り落とす。膝をつき両面宿儺の肌着と履き物を外す竹汀を見下ろし、両面宿儺は唇を歪めた。

「長着の扱いも様になってきたか」

 擽るような声音に悪意が滴る。竹汀は曖昧な吐息だけをそれに返した。
 両面宿儺の欲望はおおよそが加害への欲求に起因する。肉体を組み伏せ、精神を踏み躙り、尊厳を剥ぎ取り、屈辱を浴びせる。両面宿儺にとっての色事はつまるところ粘膜を介した暴力に過ぎない。
 両面宿儺は裸体を惜しげも無くさらし胡座をかいた。竹汀は水面に目を逸らす。暗い水面がたゆたゆと揺れた。媚態も示さなければ嬌声の一つもあげられず手練手管も持ち得ぬ竹汀を両面宿儺がなぶるのは、竹汀がそれを心底忌避していることを知っているからだ。
 両面宿儺の姿は虎杖悠仁を模している。竹汀はそれが時折ひどく耐えがたくなる。着物を落とした両面宿儺の体は禍々しい呪印を黒々と浮かび上がらせてさえ、その体躯は十六の少年のものだった。いやだ、と竹汀は思う。年齢の割に張り詰めた筋肉で覆われたがっしりとした体つきをしている。だが、体格に比してやや薄い腰回りや、成長の余地を残した関節の華奢さや、なめらかな背中や、生え揃わぬ体毛や、粘膜の色の淡さが、竹汀を追い詰める。加えて虎杖と同じ顔が、似ても似つかぬ老獪で狷介な笑みを浮かべて竹汀を獣のように睨め付けた。
 触れろ、と両面宿儺は囁く。赤裸の男を前にして何処をと尋ねるのも野暮だった。竹汀は両面宿儺の膝元ににじり寄る。興奮を隠せぬ息の音が痛いほどに耳朶を打つ。いやだと思う。いやだが、両面宿儺に逆らうのも怖かった。
 竹汀の手が両面宿儺の股座に置かれる。くたりとした柔らかな陰茎を握る。記憶は無くとも情報は持っていた。どういう扱いをすればいいかは知っている。かつては己のものを扱いたかも知れず、誰かのものを触れたのかも知れない。或いはどちらもあったかも知れないし、どちらもなかったかも知れない。いずれにせよ、上手くはないのだろうなと竹汀は自覚している。冷え痺れ震える手では、巧拙以前の問題であろうか。だが両面宿儺にとっては竹汀の手付きの如何などどうでもいいことであった。両面宿儺の興に入るのは、竹汀の顔が心の底からの嫌厭に歪むことだ。
 俯き、呻きながら覚束なく行き来する竹汀の手の中で陰茎は熱を持って行く。嫌悪感で体が強張り腹の筋が引き攣った。いやだ、と知らず竹汀の口から呻き声が零れる。それを両面宿儺は咎めなかった。そのかわり、その言葉が漏れるたびに両面宿儺の陰茎は硬く芯を持ち、息は荒く熱を帯びる。双眸からぼとぼとと涙が落ちるので、竹汀は両目をきつく閉じた。

「目を開けるか、瞼を切り落とされるか、好きな方を選べ」

 両面宿儺は優しく囁く。竹汀は嗚咽を漏らし、洟を啜り、嘔吐きながら、涙で滲む視界を開いた。そして己の手の内で両面宿儺の陰茎が勃起しぬるぬると先走りを迸らせているのを見て堪えきれずに嘔吐した。物を食わぬ己の、両面宿儺に引き裂かれ口に詰め込まれるくらいしか用を足さぬ胃の腑から薄赤のしゃばしゃばした液体が吐き出されるのを、竹汀はぼんやりと見下ろしていた。うっすらと血の味がする以外は無味無臭の液体だった。
 吐物は黒い水面に落ち、溶けて、消えていく。ひひ、ひひひ、と両面宿儺の笑声が薄膜の向こうからのように不確かに聞こえてきた。

「そうまで嫌か、かつて女共が我を忘れてむしゃぶりついたものだぞ」

 責めるような言葉の割に両面宿儺は上機嫌だった。あらゆる体液でぐちゃぐちゃに汚れた竹汀の頬を両面宿儺の指先がなぞる。
 いやだ、いやだ、と竹汀は啜り泣く。単純な暴力には耐えられた。肉を裂かれ骨を砕かれ臓腑を引き出されようと、竹汀の中では虎杖とそれは結び付かない。あまりにかけ離れている。だがこれは駄目だった。いずれ虎杖は愛した誰かとそういうことをする。もうしているかもしれない。己ではあり得ない。肉体を持たぬ己ではそういう対象にはなり得ず、竹汀自身もそうありたいという欲望を抱けない。虎杖に大切な人間が出来たら、竹汀は祝福するつもりだった。そうであったのにどうしてか――どうしようもなく堪らない気持ちになる。

「まあ今は小僧の貧相な肉体だからな。だがオマエは、小僧を気に入っているだろう。ほら、どうだ、この体を恣に弄ぶことを赦す。どうした、もう少し喜んで見せろ、そんなでは俺も施し甲斐がないだろう」

 両面宿儺は自身の発した言葉に激しく興奮し、無防備に開かれた内股を引き攣らせた。竹汀の手の内で陰茎がひくりと震える。竹汀はもう一度嘔吐した。二対の凶眼が悦楽に蕩ける。竹汀はまた嘔吐しそうになったが腑からはもう何も出て来なかった。身を折り震え激しい吐き気と何かがこみ上げる感覚に身悶えする。両面宿儺は喉を震わせ、竹汀の手を掴み上げる。

「相変わらずつたない。これではいつまでも終わらんぞ、どれ、手伝ってやろうな」

 両面宿儺は朗らかに笑いながら竹汀の手の甲に鋭い爪を突き立てる。硬い爪は竹汀の皮膚を裂き肉を掻き分け骨を押しのけ、手の甲にずぶずぶと沈んでいく。竹汀は悲鳴を上げ、奥歯を鳴らし、震えながら痛みに耐える。やがて手のひらから両面宿儺の爪先が現れる。両面宿儺はそれを見せつけるように竹汀の目の前で人差し指の貫通した手をぶらぶらさせた。目の前で手のひらの穴を乱暴に押し広げられる。肉をほじくり返され、中手骨を順に折られた。末端とはいえ己の体が丹念に破壊されていく。受け入れがたい痛みだった。耐えがたい光景だった。だが、安堵もした。竹汀にはこっちの方が易しかった。
 両面宿儺は竹汀の手のひらから指を抜く。だらだらと血を流す穴から、両面宿儺の愉悦に細められた目がこちらを覗いた。両面宿儺は竹汀の手のひらの穴を陰茎に宛がう。竹汀はそれを見て痛みで痺れる頭で「ああ、そういう」と思った。細く震える深呼吸をし予期できる痛みに備える。両面宿儺は竹汀の態度を見て舌なめずりをした。
 ぞぶ、と傷口を陰茎が抉る。予期してさえ怖気をふるう痛覚だった。竹汀は細かく痙攣する肺を押し広げるように深く呼吸をする。

「そうしていると快楽に打ち震えているように見えるな」

 両面宿儺の言葉に正しく反応する余裕はなかった。悪寒だけが背骨を震わせる。竹汀はああ、とも、うう、ともつかぬ弛緩した声をあげた。
 動かせ、と命じられる。これをか、と竹汀は穴を開けられ歪に押し広げられた己の手をじっと見た。指先を動かそうしたが叶わなかった。痛覚の閾値がすでに振り切れてよく分からなくなっていた。ずるずると手を上下させる。肉と皮が巻き込まれ突っ張った。頭がぼんやりするほど痛むが、耐えられない程ではない。
 両面宿儺の陰茎に己の血がまぶされなすりつけられる。手の甲に血濡れた陰茎が貫通し上下している光景がなんだか面白くて竹汀は引き攣るように笑った。罅割れた笑い声が癪に障ったものか、両面宿儺は陰茎ごと竹汀の手を握った。すでに骨が砕かれ肉が崩れた手のひらが押し潰されぐじゅぐじゅと鳴る。

「愉快だが期待したほどではなかった」

 そのまま荒々しく陰茎を擦り上げられる。傷が裂け血が噴き出す。両面宿儺の下腹に血が溜まるのを、竹汀はされるがままに眺めていた。早く終わってくれとだけ願っていた。両面宿儺は息を乱し、体を震わせ、吐精する。びとびとと排泄されたそれを、両面宿儺はだるそうに竹汀の手で拭った。ぽいと投げ出された竹汀の手は輪郭を歪まされ腫れ上がり力なくぶらぶらしている。なすりつけられた精液の残滓のような呪力さえ容赦なく竹汀の膚を灼いた。竹汀は穴の開いた手のひらを呆然と見つめていた。
 さっさと着物を着こんでいた両面宿儺が、竹汀を見下ろし鼻を鳴らす。

「ふやけた穴をどうにかしろ、見苦しい」

 はあ、と竹汀は吐息とも相槌ともつかぬ声をあげた。呆けた竹汀の前に両面宿儺は立ち、投げ出された竹汀の手のひらを草履で踏みつける。

「呪力で回復しろ」

 竹汀は踏みつけられ血を流す手と両面宿儺の顔を順に見、力なく首を横に振る。そんなこと出来るわけがない。上擦る声で「呪霊ではありませんので」と呻くと、両面宿儺は帯を締めながら「だがもう人間でもない」と冷ややかに言った。

「呪力を巡らせろ、元の容を強く想起しろ、その程度の穴が塞がらぬわけがない」

 両面宿儺は竹汀の手のひらを強く踏み抜いた。骨の砕ける音がし、竹汀は体を丸め息を詰まらせる。咄嗟に言われたとおりにすれば、一瞬で手の腫れがひき骨が組み直され肉が埋まる。竹汀は傷一つない手のひらを見下ろす。まだしくしくと痛んだ。

「ほうれ、出来ただろう」

 猫撫で声とともに頬を撫でられる。竹汀はゆるやかな絶望とともにけふけふと掠れた息を吐く。こんなこと望みはしなかった。出来ると知らぬままでいたかった。竹汀の銷魂を嗅ぎつけた両面宿儺は目を細めて哂った。