先へ進むことも後戻りすることも出来ず困難なことでしょう。注意しましょう。

 浅草寺観音御籤、第五十八、凶の託宣を眺めながら「商売気のないものだ」と竹汀は思った。小さな紙片のしわを丁寧に指先で伸ばし、デスクの隅に置いておく。正しい使い方をしたことのない自室のベッドに寝そべり、ぼんやりと天井を見る。あれほど竹汀の意に反したはずの体が今はおとなしく従順だ。呪骸は殻にすぎない。あれをしたのは己自身だ。竹汀は呻き、顔を覆い、ベッドの上で丸くなる。
 枕元に置いたままの「虎杖悠仁を探せ」という走り書きを手に取る。先の潰れた鉛筆で書かれたであろう太く掠れた文字は荒れている。これを書いていた人間は焦っていたか、或いは文字の巧拙を気にしない気質であったか。竹汀は黒鉛のこびりついた紙片を指で撫でる。幾度もそうしたせいで指先に粉が移ることもない。
 竹汀はこれを書き残したのは己であると半ば確信している。執拗に痕跡を消し、肉体を焼き潰し、記憶を拭い去ったにも関わらず、書き残した人間の状況、気質を想起させる手書きのメモを残した。何者かに代筆させた可能性はあるが、善意の第三者が焼け焦げた人体の傍らに置いたものとは考えにくい。己は何か意図があり、この書置きを残し、己の四肢を切り落とし、火をつけ、呪詛を刻んだ。
 その意図が竹汀にはどうしても分からない。考えようとはする。しかしその手の推測は不完全な記憶と情緒しか持たない竹汀には難しい。仮に正常であったとしても、正常であればこそなお、己の肉体を破壊し呪詛を施し生きたまま呪具にしようとする人間の心境など分かるはずもなかった。考えようとすると怒りが先立ち頭がくらくらする。冷静でいられなくなる。
 ころしてやる、と竹汀は口中で呟く。呪具になりたかったのか、或いはこのまま死んでしまいたかったのか、竹汀には分からない。だがおまえの思うようにはさせない、と竹汀は奥歯を噛む。
 仮に自身が呪物となり汚泥のように呪詛を吐き出し続ける何かになりたかったのだとしたら、それは竹汀にはなんとなく分かるような気もした。何もかも上手くいかないのならば、何もかも壊してしまいたいというような気持ちは覚えがある。今がそうだ。だがそれには蓋をした。それを思うのが自分自身であるか、或いは呪詛によって思わされているのか、竹汀は確信が持てなくなってきている。一考に値する事象か、或いはまやかしか。竹汀は呪詛にそう思わされているよりも、本心からそれを思っている方が恐ろしい。だから考えるのはやめた。「どうして」など、どうしようもないことだった。

 ふと目を閉じたところで、部屋の窓ガラスが音を立てて割れた。外から内へ向かって破砕し飛び散るガラスが床に落ちまたさらに細かく砕けていく。竹汀は驚き声も出せずにベッドから飛び起きた。アルミサッシには無残に割られたガラスが垂れ下がり、床にガラスの破片が飛び散っている。陽の光を反射してきらきらしていたが、綺麗だと思う余裕はない。
 窓の外から「ウワア、ごめーん! 竹汀いるか!? 無事か!?」と悲鳴じみた声が聞こえ、竹汀はおそるおそる割れた窓から外を覗いた。前庭に虎杖が立っていて、真っ青な顔で三階の竹汀の部屋を見上げている。窓から竹汀が顔を出すと、虎杖はほっとしたように表情を緩める。

「怪我ねえか!?」

 ない、が、それどころではない。竹汀は階下の虎杖と自室の惨状を忙しなく見比べる。フローリングの上、ガラスの破片の中に子供の拳ほどの石が混ざっている。まさかこれを投げたのか。

「昔の映画とかでさ、あるじゃん!」

 竹汀は悠仁が何を言いたいか分からないまま、唖然として窓の外を見下ろす。

「部屋の窓に石投げて出てきてもらうやつ! ごめん失敗した!!」

 竹汀の唇から嘆息とも悲鳴とも呆れ声ともつかぬ囀りが漏れた。どうしたものかとこめかみを押さえ、どうにもならないのでガラス片を避けながら室外に出る。出がけに隣室の様子をうかがったが五条は留守であるようだ。あとでどう謝ったらいいものであろう。
 共用階段を駆け下り、前庭に飛び出す。虎杖は困り果てたように眉を下げ竹汀に駆け寄ると、竹汀の姿を頭から足先まで見る。

「ほんっとごめん! まさか割れるとは思わなくって! 怪我ねえよな、ガラス大丈夫か!?」
「悠仁……」

 力加減を覚えてくれ、死ぬほどびっくりした、五条に謝ってくれ、部屋の掃除もしてくれ、というかそもそも人の部屋に石を投げるな――と、いくらでも苦言が口をついて出そうになるが、それらは全て飲み込んだ。虎杖がそうまでして、生徒は立ち入り禁止の職員用施設にまで会いに来てくれたのだ。竹汀には喜び受け入れる以外の選択肢が存在しない。

「竹汀急にどっか行っちゃうからマジで大変だったんだぞ!」

 虎杖は寝過ごしそうになった上に空っぽでぴくりとも動かない竹汀を担いで高専まで帰らざるを得なくなった。おまけに巡回中の警察官にも声をかけられた。日も落ちた時間にぐったりとした少女を担いで歩く男がいればそうなる。すわ死体かとざわめく警察官への誤解はすぐに解けたが、虎杖は夜中に精巧な少女の人形を担いでうろついていたことへの言い訳に腐心する羽目になった。
 それを聞いた竹汀は申し訳ないやら痛ましいやらで項垂れる。

「……ごめん」
「警察官にめーっちゃニヤニヤされた! 絶対変態だと思われてる!」
「ごめん、ほんとごめん」

 頭を下げる竹汀に虎杖は眉根を寄せた。

「ちげえよ、謝ってほしいんじゃなくて……いや、やっぱちょっとは謝ってほしいけど……大丈夫か? 体調悪いのか? 俺が寝ている間に何かあった?」

 竹汀はどういう顔をしたらいいか分からず、口元だけで微笑む。虎杖が心配そうに一歩近寄ってきたので、竹汀は思わず二歩後ずさる。それを見た虎杖は眉を上げ不思議そうな顔をする。

「え、何、どうしたの」

 竹汀は何も言わずに首を傾げる。普段であれば端正な少女の外貌であるのをいいことにパーソナルスペースなど無視して虎杖にすり寄る竹汀だが、今は虎杖を傷付けることを何より恐れている。不用意に近づきたくなかった。竹汀は上衣の裾を指でいじりながら、虎杖を横目に見る。

「近づいてほしかった?」

 鼻にかかった声でそういうことを言えば虎杖が退くことを竹汀は知っている。ずるいことは承知で、一番自分らしい方法を選ぶ。だが虎杖は竹汀のささやかな抵抗を無視して大股で距離を詰めると竹汀の手首を掴んだ。

「俺が何かした? そうじゃなければ……呪いのこと? 言ってくれ、頼むから。俺じゃ頼りないなら、五条先生でも伏黒でも釘崎でもいい。先輩もいる」

 竹汀は掴まれる手首を見下ろし、泣き出したくなる。くるりと手首を返し、下から掬うように虎杖の手を握る。手首を返してもがっちりと握られていた虎杖の手は、竹汀が振りほどく意思がないことを理解したのかわずかに緩む。

「悠仁が何かしたし、呪いのことでも悩んでるよ」

 竹汀は虎杖の手を弄ぶ。手の上でぽんぽんと跳ね上げると、虎杖の大きな手はされるがままになる。この手に何度肉を裂かれ骨を折られ臓腑を掻き出されたか忘れたが、竹汀は虎杖の手が好きだった。あたたかく、ごつごつとして、優しい。
 何か言いかけた虎杖の唇の前に人差し指をかざす。虎杖は渋々口を噤んだ。竹汀はゆっくりと言葉を選ぶ。

「死にたくないって、思っちゃった……。少なくとも、自分の思うままに呪物になって死ぬのは厭だなって」

 虎杖は黙ったまま神妙な顔で頷く。竹汀は苦笑してその顔を見た。

「望まれていないことは分かってる。早く呪物になって安定すれば壊すなり封印するなりできる」

 もの言いたげに開いた虎杖の口を竹汀は手で塞ぐ。

「大勢に死を望まれていても、それでも生きたいと思うことを許してくれる? たとえその動機が不純で、手段が綺麗でなくても、悠仁は軽蔑しない?」

 虎杖は目を見開き竹汀の目を見る。眉根が寄せられ、竹汀の手のひらに困惑気な吐息が吐きかけられる。竹汀はそっと虎杖の口から手を離す。虎杖は深く息を吸った。眩しいほどに真っ直ぐな双眸が竹汀を射貫く。焼かれそうだった。竹汀は虎杖の稟性が愛おしく、羨ましく、同時にひどく恐ろしくもある。

「しない、絶対に」

 そっか、と竹汀は微笑む。離しかけた手を強く握られ、引き寄せられる。背に腕を回される。安い柔軟剤と汗のにおいで躰の内が満たされる。虎杖に強く抱きしめられ、竹汀は呆けて立ち尽くす。この身の内に心臓があったら馬鹿みたいに跳ね回っていたのだろう。

「でも約束してくれ、誰も傷付けないって」

 それを聞き、竹汀の唇は弧を描く。指先が虎杖の背を辿り、ゆるく腕を回していく。

「約束する」

 竹汀が囁くと虎杖はばしばしと竹汀の背中を叩いた。体を離し、もう一度肩を叩かれる。信じてるから、と虎杖に言われた竹汀は「ありがと」と答える。不安そうに立つ虎杖の肩に手をやり後ろを向かせる。

「悠仁、次の授業始まる」
「いや、でも――」

 渋る虎杖の背中を押す。

「平気だから」

 虎杖は何度も振り向きながら授業に戻っていく。その姿が見えなくなるまで見送り、竹汀は溜息をつく。何も気取らせていないつもりでいた。それほどまでに己は分かりやすい性質であろうか。それともこの殻が悪いのか。
 踵を返し部屋に戻る。割れた窓からすうすうと風が吹き込んでいる。竹汀は今にもデスクから滑り落ちそうになっている御籤を摘み上げた。デスクの端で細く小さく折り、破れないように一度だけ片結びをする。これ以上なく折り畳まれた凶の御籤を竹汀は喉の奥に放り込む。飲み込むと胸のあたりにつかえたような感覚があった。


******


 五条悟が高専敷地内の私室に赴くとドアの前に竹汀が座っていた。竹汀は五条の姿を見るなり微笑み立ち上がる。

「隣なんだから自分の部屋で待っていればよかったのに」

 五条が言うと竹汀は苦笑して「ちょっと風通しが良すぎて」と答える。どういうこと、と問えば竹汀は自室のドアを開けた。ひんやりとした夜風が五条の頬を撫でる。見れば窓が一枚アルミサッシだけになっていた。割れたガラスが部屋の隅で山になっている。

「…………悠仁?」
「…………うん」

 五条は溜息をつく。五条も夜蛾あたりから小言を言われそうだ。とりあえず今日は急場凌ぎでダンボールか新聞紙で穴を塞ぐしかあるまい。

「五条、話がしたい。あと自分の体も見たい」

 そう言われたので五条は部屋に竹汀を通す。竹汀は冷蔵庫に近寄ると遠慮なく冷凍室のドアを開ける。そこに己の体と、大量のカップアイスが冷凍されているのを見て思い切り顔をしかめた。

「人の体をアイスと保管するなと言うべき? それとも食品を不衛生なものと保管するなと言うべき?」
「密封してるし平気だよ」

 五条はカップを一つ取り上げ封を開け、食べごろまで解凍されるのを待つ。竹汀は己の体の胸のあたりに無造作に置かれたアイスをばらばらと払いのけ、パウチ越しに己の胸をなぞる。

「五条」
「どうしたの」
「これ、あげる」

 竹汀は腐敗し冷凍された瀕死体を指さしながら言う。竹汀の申し出に五条は目隠しの下で眉を顰めた。

「いるかいらないかで言うと、全然いらない」

 きったねえし危ないし、と言うと竹汀は肩を竦める。

「これでも多少役に立つ」
「今の状態は不安定すぎる。破壊するにも何が起こるか分からない。呪物にし、破壊する。駄目なら封印――竹汀も了承しただろ」

 淡々とした五条の言葉に竹汀もまた淡々と「でも生きたくなっちゃったな」と嘯いた。

「どういう風の吹き回し。殺してくれと泣いて縋っていたじゃないか」
「人間が生きたいと願うことに理由はいらないでしょう」
「人間ならね。僕としては半端者の君の発言がどの立場から発されているか疑わしい」

 竹汀は一瞬不愉快そうに表情を歪めた。冷凍室のドアを閉め立ち上がると、背の高い冷凍庫に寄りかかる。すらりとした長身の少女の姿を見たときは「学長の趣味も案外悪くないな」と思った。今は、生徒とさほど変わらない年の頃の姿に多少のやりにくさを感じる。
 蛍光灯の光をゆらゆらと反射する竹汀の双眸はポリメチルメタクリレート製の医療用義眼を流用したものだ。プラスチックの紛い物が、不思議と意思を宿しているように見える。

「呪物にする?」
「するよ、そして祓う」

 竹汀は必要のないはずの瞬きをした。

「これが呪物に成ったら両面宿儺の物になる、って言ったらどうだろ。考え直してくれる?」

 五条は竹汀の平然とした顔を見つめた。

「誓約したのか」
「それは言わない」

 ことん、と竹汀は首を傾げた。五条は「その仕草、男の体ではするなよ」と言う。竹汀は「今はいいでしょう、かわいいんだから」と答えた。
 特級呪霊との取引など自殺行為だ。何と引き換えにその条件を引き出したにせよ、碌な結果にならないことは目に見えている。だが死と恐怖を目前にした竹汀がその悪手を絶対に取らなかったという保証もない。未曽有の生きた呪物が両面宿儺の所有物となった場合の影響は未知数だった。

「話は簡単だ。呪物に成る前にリスク承知で破壊する」

 だろうね、と竹汀は笑った。

「リスクなんかない。こんなもの簡単に壊せる」
「何を根拠に」
「魂替えはそういうものだから。本体を無防備にすればするほど複製の自由度が担保される」

 竹汀は五条を冷蔵庫の傍に呼び寄せる。竹汀は再び冷凍室のドアを開けた。五条は促されるままに冷凍室の中を覗き込む。体液を垂れ流す醜悪な瀕死体が冷凍されて横たわっている。

「魂の核が縛られてる。見える?」
「見えるよ、呪物の気配の向こうにかすかだけど」

 竹汀はドアを閉める。

「これを、五条に破壊してほしい」

 それは思いもよらぬ要求であった。五条は無言で先を促す。竹汀の目がなぞるように五条を見上げた。

「今すぐじゃない。でも五条の好きなタイミングでいい。呪物に成りかけたとき、他者に危害を加えようとしたとき、悪用されようとしたとき、なんかムカついたとき」
「――縛りか」

 五条が低く唸ると竹汀は答えぬまま言葉を続ける。

「そのうえで、これがいかに有用かをプレゼンさせてほしい。結構便利なんだ。壊さないでよ」

 甘えた高い声が五条の耳をくすぐる。生徒の面影が脳裏をよぎる。他の体で来させればよかった、と五条は思う。

「いいよ、聞くだけ聞こう」

 五条が言うと竹汀は指折り数えだす。

「そうだなあ、まず斥候偵察に使える。自白にも強い。ちょっとした小細工は得意かな。五条のためになんでもするよ」
「嶋宗がいる」
「五百倍優秀だ、一緒にしないでほしい」

 声音が険を帯びる。意外とプライドは高いらしい。竹汀の纏う呪力がゆるゆると漣立つ。五条は竹汀の鼻を摘まみ上げる。

「で? ほら、さっさと切り札を出しなさいよ。あるんだろ、まどろっこしいの嫌いなんだよ。量られるのはもっと嫌い」

 むぐ、と竹汀は呻き、五条の手を払いのける。形いい唇が尖らされた。

「両面宿儺の動きを止める」
「へえ、やるねえ。何秒?」
「完全に止められるのは三秒」
「三秒?」
「……二.七秒」

 五条は竹汀の体温が感じられない頬に手を当てる。やにわには信じられない。竹汀の言っていることで信用に足る言葉は一つもない。両面宿儺との取引、破壊容易な器、両面宿儺の禁足、特に最後の一つは両面宿儺と竹汀の能力の彼我の差を思えば信用性は限りなく低い。五条は沈黙で竹汀に圧をかける。竹汀は冷蔵庫に寄り掛かった。

「そんなに疑わなくてもいいのに」

 そう呟いたのが己の口であったので五条は間髪入れずに呪力でそれを拒絶する。竹汀の体が小さく呻いて頽れた。腹のあたりを抱えて蹲り、肩を震わせながら五条を見上げる。

「ここまでしなくても……」
「えー、ごめんね、びっくりしちゃって、つい。痛かった?」

 五条は軽やかに笑いながら自身の体の状態を確認する。おそらくもう何も残っていない。竹汀の術式の器用さに加え、変質し濃度を増し人よりも物に近い限りなく透明な呪力を用いての完全な隠形だ。行動を起こすまで気配すら悟られない。一度だけなら両面宿儺の不意をつくことも可能かもしれない。

「絶対ではないけど、手段は一つでも多い方がいい」

 苦し気に顔を歪めながら竹汀は言った。五条は溜息をつき竹汀を抱き起こす。

「土壇場で君が寝返らないとも限らないし、どうにも信用できないな」

 竹汀は五条の腕に寄りかかりながら首を横に振る。まだ足元が覚束ない。

「悠仁に軽蔑されるようなことはしない。悠仁の大切な人は誰も傷付けないし、悠仁のためならなんでもする」

 五条は先ほど竹汀が己に対して言った「なんでもする」とは重みの違うそれを聞いて苦笑する。

「それも縛り?」

 口の端を上げながらそう尋ねれば竹汀は目を細めた。

「これは愛だ」

 愛ね、と五条はそれを口の中で転がす。竹汀を抱き上げ、ソファに座らせてやる。確かに少しやりすぎた。五条はベッドに腰掛け、ぐったりとソファに沈む竹汀の姿を眺める。

「そうまでして生きて竹汀がしたいことって何?」

 五条の問いに竹汀は少しの間考え、押し隠せぬようにはにかんだ。そうしていると見た目相応の幼さが滲む。

「スマホを契約して、ラインをダウンロードして、一番最初のおともだち登録を悠仁とする」
「マジで言ってるそれ?」

 竹汀は至極真面目な顔で頷いた。冗談ではなく本気であったようで、さすがに五条も一瞬言葉を失う。

「ヤバぁ……まあ、うん、いいんじゃない……」

 竹汀の虎杖への強すぎる執着は危険と言えば危険だが扱いやすいと言えばその通りだ。虎杖が生きている限り、竹汀は虎杖の意に反するような振る舞いはしないだろう。少なくとも、虎杖が感知できる範囲では。
 五条は長い指を一本立てる。

「一つ、五条悟は竹汀の魂を時、場合、理由を問わず破壊可能であり、それを遵守するためいかなる手段を取ることを竹汀は承諾する」

 竹汀は緩く首肯する。もしかすると目眩でふらついているだけかも知れなかった。
 五条は二本目の指を立てる。


「二つ、竹汀は術式の発動、停止に関わる五条悟の要請を全て受け入れなければならない」

 酷な縛りだ。呪術師としての矜持を他者に明け渡すも同然だ。だが竹汀は静かに首肯した。
 五条は三本目の指を立てる。

「三つ、竹汀のラインのおともだち登録を一番最初にするのは五条悟である」
「――は?」

 竹汀は呆気にとられた顔をしたが、すぐに表情を困惑と怒りに歪めた。

「な、なんで、そんな……」
「えへへ、悠仁ばっかりずるくない? 僕も竹汀とオトモダチになりたいなあ」

 竹汀は射殺しそうな目で五条を睨む。五条は肩をすくめてそれを受けた。

「飲めないなら協力しないよ」

 五条が竹汀に手を貸すとすれば、それはこの先考え得るあらゆる可能性に対する置き石に過ぎない。捨て置くには惜しく、だが振り回されるつもりはない。竹汀がいなければいないで他の手を打つだけだ。多少の理不尽に従う心積もりもないならば、上層部に逆らいリスクを冒して竹汀を生かす理由が五条にはない。
 竹汀は自身の肉体がアイスクリームと一緒に冷凍されているのを見たときよりも遙かに物言いたげな顔はしたが、それでも従順に頷いた。

「そのかわり、竹汀にかけられた呪詛への呪い返しには協力してあげるし、生きている限りは僕が面倒見てあげる。はい、けーやくせーりつ」

 ぱん、と五条は手を打ち鳴らす。ベッドから立ち上がるとテーブルの上で溶けるのを待っていたアイスを手に取る。プラスチックスプーンを刺せばほどよい硬さになっていた。竹汀は怪訝そうに五条を見る。五条はアイスを口に運んだ。

「思ったより呆気なくことが運んで訝しく思ってる? あのね、僕が竹汀の存在を許容するのは、その気になれば縛りがあろうがなかろうがいつでも殺せるからだよ。努々忘れないでね、僕に対して小細工を弄すなんて考えない方がいい。――それと、僕、人使い荒いから」

 竹汀は大柄な五条の体躯に合わせて購入されたソファに沈み、仏頂面を隠そうともしない。疲れたように瞼の重たげな表情を五条に向ける。

「精々搾り取ってよ」
「当然」

 五条は持て余し気味の長い足を組む。

「成立ついでに答え合わせさせてよ、竹汀の言ったこと、どれが本当でどれが嘘?」

 竹汀は低く笑うと「言わない」とだけ答える。三つ目の条件はこっちにすべきだったな、と五条はちらと思った。

「僕は話の分かる男だよ、可愛く素直にお願いされたら、普通に話を聞いてあげたのに」

 五条が言えば竹汀は心底厭そうな顔をした。

「五条」
「なあに?」
「五条には畏敬の念を抱いているし、感謝もしてるし、これからも上手くやっていきたい」
「あら、うれしーね」
「でも悠仁の前できったねえ即身仏と呼ばれたこと、まだ根に持ってる」

 それを聞いた五条は参ったなあと笑いながらアイスクリームを口に含む。甘く冷たいそれが喉を滑り落ちていった。