疫病神の刺繍
藤緒の刺繍は道中の路銀稼ぎに大いに役立った。布と糸という少ない元手で、それなりの額を稼ぐことができる。猟ほど大きな額は手に入れられないが、確実に現金を手にする事ができる。
藤緒が歩きながら刺繍をはじめたときには、いったいどういう芸なのかとアシリパは目を丸くしたが、徒手だとあれこれに気を取られて足を止めてしまう藤緒は、刺繍に集中しながら歩いた方がむしろ早いらしい。
ここ数日も、藤緒は何かを刺繍しながら一行の後ろをふらふらとついていた。時折尾形が声をかけると、小走りに距離を詰める。ふと気が付くと姿が見えなくなっているときもあったが、大抵は数刻するとまた後ろをふらふらとついている。
とん、と肩を叩かれ、アシリパは振り返る。藤緒が淡い色の瞳でアシリパを見下ろしていた。
「どうした藤緒、オソマか?」
問うと、藤緒は首を横に振る。こめかみのあたりの後れ毛がふわふわと揺れた。
差し出されたのは白い手巾であった。もはや白い手巾とはいえないかもしれない。赤、桃、黄、橙、紫、青、緑、様々な色糸で花々と蝶、そしてその間を飛び交う小鳥が縫い取られている。爪の先ほどしかない小鳥の顔の、目までが精巧に刺繍されていた。
「すごい! とても綺麗だ! 藤緒は器用だな!」
アシリパが手放しに褒めると、藤緒は遠慮がちにはにかむ。そうやって笑うときの藤緒は大輪の花のように美しいのだが、その分だけ大きく引き攣れる頬の傷が痛々しい。隣を歩いていた杉元も、アシリパの手元を覗き込んで感嘆の声を上げた。
「きっとすぐに買い手がつくな。アイヌの村人が食べ物と交換してくれるかもしれねえし」
杉元の言葉に、藤緒は首を横に振る。藤緒のほっそりとした手が、手巾をアシリパの手の上からそっと包む。
アシリパは目を丸くした。
「くれるのか? 私に?」
藤緒は何度も頷く。アシリパは手巾を広げた。端正な糸目が光を反射してきらめく。
「ありがとう! 大切にする!」
にこにこと嬉しそうな藤緒の肩の向こうから、尾形が常の陰鬱な顔を覗かせた。
「あーあ、受け取っちまったか」
尾形は一言そう言う。すぐに杉本が噛み付いた。
「あ? んだテメェ、アシリパさんと藤緒さんの触れ合い邪魔してんじゃねぇぞ妬いてんのかあっち行けシッシッ」
尾形は鼻を鳴らした。
「藤緒の刺繍を貰った奴にゃ大抵不幸が訪れる」
藤緒が唇を尖らせ、尾形の袖を引く。尾形は片眉を上げた。
「嘘は言ってねえだろ。ガキんとき米屋の次男は便所に落ちたし、おまえから無理矢理上着を奪ったババアは間男がバレて追い出された。それに、この間、おまえが破れた袖を直して護符を刺繍してやった大工も、酔ってすっ転んでしばらく仕事出来なくなっていた」
む、と藤緒は呻く。白石が「ねえそれって、」と何か言いかけたが、尾形に睨まれて口を噤んだ。
アシリパは美しい手巾を見つめたあと、ぱっと顔を上げる。
「わかった。藤緒、これをやる」
アシリパは己の首飾りを外し、藤緒に差し出した。
「レクトゥンペという。私達の首飾りだ。これを、藤緒の手巾と交換しよう。そうしたら貰ったわけではないから、きっと大丈夫だ」
アシリパが言うと、藤緒はしばしぼうとしていたが、ふと笑うとそれを受け取る。藤緒は和人とは異なる刺繍や縫い付けられた金属の飾りをひとしきり指でなぞると、首の後ろで結わえて止めた。
「似合うぞ、藤緒」
藤緒は首元に手を当て目を細める。それを見た杉元が目元を和ませた。
「アシリパさんは機転が利くなあ」
それに対して誰かさんは、と杉元はわざとらしく尾形を一瞥し、芝居がかって肩を落とす。アシリパもやれやれとばかりに首を振る。
「尾形、ゲン担ぎを悪いとは言わないが、自分の先行きは自分で決めるものだぞ」
藤緒までがアシリパの背越しに尾形を睨んだ。藤緒は懐から何かを取り出し、尾形に投げつける。
尾形はそれを胸の前で受け止めた。小さく畳まれた手拭いであった。端に、戯れのように兎が刺繍されている。手巾に刺繍された美しい小鳥とは似ても似つかぬへなへなとした線で、兎がてんで好きな方向に跳ねていた。
あーあ、と杉元が大きな声をあげる。
「受け取っちまったなあ」
尾形はひどく面白くなさそうにそれをしまいこんだ。
「俺はいいんだよ」