白銀の繭
どうしてかは分からないが、廊下の真ん中で藤緒が仰向けに寝そべっていた。尾形はしばらくそれを見下ろしていたが、やっとことんと首を傾げる。
「何やってんだ?」
返事はない。梟のような瞳が、じっと天井を見つめていた。
「藤緒」
「おい」
「寝てるのか? 目を閉め忘れてるぜ」
屈み、粘膜の色をした目の縁をなぞる。ふるりと藤緒の睫毛が震えた。
尾形は藤緒の脇の下に腕を通し、そのままずるずると座敷の方に引き摺っていく。んー、と藤緒が抗議の声を上げた。
座敷の中程まで後ずさってきた尾形は、そのまま畳に胡座をかく。己の膝へと引っ張ってきた藤緒の頭を落とした。わずかに不服そうに顰められた顔を覗き込む。こめかみから顎まで走る傷を指でなぞった。尾形が付けた傷だ。
十ニの藤緒は生き人形のように美しかった。農作業もせず何かぶつぶつと呟きながら彷徨き回るばかりで、肌の色は白く、手足は汚れておらずほっそりと柔らかげだった。それをたまたま見かけた女衒が、彼女を買いたいと藤緒の父親に申し出た。その年は凶作で、比較的豊かな尾形の故郷でも多くの娘達が売られていった。
藤緒の父親は気狂いは売れぬものと思い込んでいた。五より大きい数を数えられぬような頭の出来のよろしくない男であったから、金の勘定が出来ていたかどうか。白痴の穀潰しを厄介払い出来ると知り、提示された端金に藤緒の父親は簡単に首を縦に振った。
だから、尾形は藤緒の顔を抉った。掠り傷一つない柔らかな目元に小刀を突き立て、力のままに下方に切り裂いた。
藤緒に女郎など勤まるわけがない。他者と上手く関われぬ藤緒は、精々便所のように臭くて汚い底辺見世まで落ちぶれるのが関の山だ。誰もが羨む美貌さえ、藤緒には何をも齎さなかった。哀れだと思った。
そんな美貌なら壊してしまえばいい。金に変わる価値を奪ってしまえば、良いように利用されることもない。それは愛だった。この世で唯一藤緒を理解し、心を通わせることの出来る己が藤緒を愛してやらなくて、誰が愛してやれるのだ。
小刀の鋭くはない切っ先ががりがりと藤緒の頬骨を削る感触が、まだ手に残っている。頬を貫き口腔にまで達した傷は、激痛に食いしばられる唇に代わって荒い息をするたび饒舌そうにぱくぱくと開いて嗚咽を漏らしていた。
それを思い出すたび、夢に見るたび、尾形はふわふわと妙な気分になる。
傷を隠すように藤緒の頬に掌を当てる。藤緒は丸く見開いた目を静かに閉じた。そうしていれば、藤緒はただ美しい女でしかなかった。
「なあ、藤緒」
藤緒の目が開き、尾形を見上げる。
「お前、あんこう鍋に毒を入れる俺を止めなかったな」
「弟を撃った話をしても、眉一つ動かさなかったな」
「父を殺して血塗れの俺を見ても、何も聞かなかったな」
ぱちり、と藤緒はまばたきをした。
藤緒の鼻先に、己の鼻先を近付ける。額に藤緒の細い吐息が当たった。
「また、黙っていられるよな?」
己も、藤緒も、この幸せの残り香のする家で安穏と暮らせるような上等な人間ではないのだ。