一
【鵲市七遺体事件の真相! 衝撃の真犯人とは? 生き残った少女の行方は? 本名は? 顔写真は? 今何してる? 】
二〇〇四年に鵲市のゴミ集積所で黒いゴミ袋に詰められた男性のバラバラ遺体が発見されました。警察の捜査で男性は鵲市に住む松尾健司さん(37歳)であることが明らかになりました。
警察が松尾健司さんの自宅に向かうと、室内から異臭が。なんとリビングで権東一樹(28歳)が首を吊って死んでいました。
さらに恐ろしいことに、建物の中からは松尾健司さんの妻である松尾あかねさん(31歳)、松尾あかねさんの妹の樋田はすみさん(27歳)、樋田まおさん(19歳)の遺体が次々に発見されました。庭には松尾あかねさんの連れ子の遥斗くん(7歳)と眞由璃ちゃん(5歳)の遺体が埋められていました。惨たらしいですね。
警察は松尾あかねさん、樋田はすみさん、まおさんの母親の樋田ユカリ(当時52歳)を死体遺棄の容疑で逮捕しました。
事件の詳細は以下の記事をご覧ください。
【鵲市七遺体事件を覚えていますか? 報道規制が敷かれた平成最後のサイコパス猟奇事件! 殺された美人三姉妹の素顔は? 母親は霊能力者だった!?】
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【衝撃の真犯人!】
樋田ユカリは犯行を否認。家族を殺したのは権東一樹で、その後自殺したと証言しました。
しかしこの証言には奇妙な箇所があります。発見された七人の遺体は死後経過した時間が異なっていたのです。最も時間が経っていたのが樋田はすみさんで死後半年以上。遺体は白骨化していました。
さらに権東一樹は亡くなった三女のまおさんが働いていた飲食店の客で、この家族とはほとんど接点がないのです。樋田家の人間は家族以外の男が家に居座り、家族を殺していくのを半年以上傍観、白骨化していく遺体とともに生活していたということになります。
さらに、権東一樹さんは細身でおとなしいタイプでしたが、松尾健司さんは元プロボクサーで大柄です。松尾健司さんは権東一樹さんを止めることができたはずです。
自殺した権東一樹のズボンのポケットには遺書らしきものが入っていて、内容は「もう耐えられない。許してほしい」というものであったと報道されました。
警察は他に協力者か真犯人がいると見て取り調べを行いましたが、結局真犯人を捕まえることは出来ませんでした。
真犯人の考察記事はこちら。
【鵲市七遺体事件の真犯人考察! 事件後十年で明らかになった衝撃の事実? 証拠は捏造されていた!?】
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【生き残った少女Aの行方は?】
実は樋田家にはもう一人住人がいました。樋田はすみさんの長女の少女Aさん(当時8歳)です。
幼いAさんは幸運にも事件を生き延びましたが、警察に一切の証言をしませんでした。恐ろしさのあまり記憶があやふやになってしまったのでしょうか。家族の遺体が転がる家に暮らしていては、精神を病んでしまってもおかしくありません。一説では、権東に殺人を指示した祖母を庇ったのではないかとも言われています。
Aさんは児童養護施設に保護されました。当時8歳であったAさんも現在20歳であり、養護施設を卒業しています。そんなAさんが現在何をしているのか調べてみましたが、有用な情報は見つかりませんでした。心穏やかに暮らしていることを祈るばかりです。
Aさんの本名はお母さんが樋田はすみさんであることから姓が樋田であることは分かっています。現在も樋田と名乗っているかは不明でした。下の名前も当時ほとんど報道されていません。
殺された三姉妹は美人三姉妹と報道されていましたが、Aさんの現在の顔は分かっているのでしょうか。現在の顔写真を見つけることはできませんでしたが、今は整形して顔を変え身を隠しているという噂もあります。
いかがでしたでしょうか――
「樋田さん?」
久坂が女に声をかけると、女は公立大学の学生寮の門扉の前で足を止めた。
「――いえ」
「樋田瑠海さんですよね」
「人違いです、すみません」
女は久坂に背を向けると、俯きがちにその場を去ろうとした。久坂は慌てて彼女の後に追いすがる。
「鵲市七遺体事件の」
「すみません、急いでいるので」
久坂はポケットから傷だらけの名刺入れを取り出し、名刺を彼女に差し出した。
「記者の久坂功太です。お話を伺えませんか。少しでいいんです」
女は怯えたように、あるいは苛立ったように靴底をコンクリートに擦り付けた。ざりざり、と冷たい音がする。
「人違いです」
久坂はなるべく威圧的にならないよう、大きな体を縮こまらせて穏やかな声で続ける。
「急に押しかけてすみません。私は犯罪ルポルタージュを専門にしている記者です。よければ樋田さんにおばあさんの話が聞きたくて……もし話していただけるなら、日を改めてお伺いします」
久坂の名乗りに嘘はなかった。久坂は記者であり、昔から鵲市七遺体事件には強い興味を抱いていた。
鵲市七遺体事件は二〇〇〇年代最大の猟奇殺人事件とされたが、事件の異様さからすぐに報道が下火になった。関係者がほとんど死亡しており、樋田ユカリは自身の犯行を認めなかった。検察は樋田ユカリを殺人、死体損壊、死体遺棄で起訴したが、殺人の証拠が挙げられず、松尾遥斗への傷害致死、死体遺棄でのみ懲役十二年の判決が下った。今年出所した樋田ユカリへの取材を進めようとしていたところ、孫であり事件の生き残りでもある樋田瑠海の行方を偶然知ったのだ。
女は色の白い顔を久坂に向けた。くっきりとした双眸が印象的な女の顔は、母である樋田はすみよりも、その妹である樋田まおに面立ちがよく似ている。樋田まおの残された報道写真に写っている年齢が彼女と近いせいでそう思うのかもしれない。
女の手がバッグの中から白いカードを取り出し、久坂が差し出したままにしていた名刺に重ねるように突き出された。
「そのお話は、弁護士を通すように言われているんです」
久坂は白いカードに視線を落とす。名刺だった。法律事務所のロゴマークと日車寛見という名前が印刷されている。久坂が渋々それを受け取ると、女は低く囁く。
「音無です」
「――はい?」
女はゆっくりと瞬きし、先程の言葉を繰り返す。自分自身に言い聞かせているようであった。
「音無、音無晶です。私の名前」
「……そうですか、すみません。音無さん」
久坂が答えると、晶はぎこちなく口元に笑みを浮かべ、小さく会釈してその場を足早に立ち去った。
*
音無晶は大学生であり、かつて世間を賑わせた猟奇事件の被害者遺族であり加害者遺族であった。当時のことをふと思うとき、周囲の大人が慌ただしく走り回っていたことばかり思い出される。それは警察官であったり、医療従事者であったり、福祉職員であったり、マスコミであったり、世間の人々であったり、様々であった。晶のために奔走する者もいれば、面白おかしく追いかけてくる者もいた。
世間の興味は移ろいやすいもので、十年以上の歳月が経った今ではその事件が人々の口の端にのぼることは滅多にない。悪趣味なウェブサイトに標本のように開陳された情報は、書き手がコピーアンドペーストと愚にもつかない考察を繰り返しているうちに、核心に近い情報は薄れていき話題性のある巷説ばかりが誇張されていった。晶はそれらの記事を好んで読みはしないが、読んでも心動かされることはない。
大学からアルバイト先まで自転車で移動する途中、晶は小さな菓子屋でだんごを買い求めた。年季の入ったショーケースからだんごを選び、寡黙な老婆に包んでもらう。それを自転車の籠に収めると再びペダルをこいだ。アルバイト先であるビルの、正面玄関から見えない位置に自転車を停める。晶がガラス戸を押し開けながら「おつかれさまです」と言うと、事務所の主がわずかに顔を上げそれに応えた。
「早いな」
「四限が休講になったんです。日車さん、おだんご召し上がりますか」
晶が言うと日車はキーボードを叩いていた手を止め、晶が手に提げるポリ袋に視線をやった。
「事務所から出たアルバイト代を事務所に還元してどうする」
「ええ、まあ、それは、はい」
苦笑する晶に清水が「私、しょうゆとあんこ」と片手を挙げる。晶は給湯室の方に向かいながら「お茶淹れてきます」とだんごの入った袋をぱしゃぱしゃ言わせた。三人分の茶を用意しながら、昔懐かしい紙包みからだんごを皿に取り分ける晶の背後、狭い給湯室の入り口に日車がぬうと立つ。急に手元が暗くなった晶は眉をひそめて顔を上げた。
「晶、少しいいか」
日車は来客スペースの方を指で示した。晶は小さく呻く。この事務所の来客スペースは天井から床まで届く頑丈な作りのパーテーションで区切られている。声を荒げたり笑い声を上げることさえなければ、会話の内容が外に筒抜けになることはほとんどない。そこに呼ばれるときは、晶が仕事でミスをしたときか、過去にまつわる話があるときだった。晶は前者であってほしいと一瞬願ったが、やはりどちらも嫌だと思い直した。
晶は清水に茶とだんごを出す。清水は日車の言葉を聞いていて同情するような表情を晶に向けたが、結局何も言わずに食器を受け取った。とぼとぼと来客スペースに向かい、応接テーブルの脇に所在なく立ち尽くしていた。日車がいくつかの資料を手にスペースに入ってきて、後ろ手にドアを閉める。
「取材の依頼が来ている。どうする」
日車は視線で座るよう晶に促す。日車は名刺を一枚テーブルに置き、ソファに座る晶に向かい押して寄越した。晶は木目模様のテーブルの上にぽつんと置かれた名刺を見下ろした。そこに印刷された名に覚えがあり、眉を上げる。
「この人、先週寮の前に来ていた人だ……」
晶がひとりごちると日車は晶をじいと見つめた。表情こそ変化がないが、晶は日車が己を案じてくれているのだろうと当たりをつける。晶は胸の前で小さく手を振りながら空笑いを浮かべた。
「危ないことは何もなかったですよ。すぐ日車さんの名刺渡しましたし」
「おまえの素性を知っている人間が現住所まで把握しているのは十分危惧すべき事態だろう」
淡々と説かれ、晶は項垂れる。だがその話は後にしよう、と日車は立て続けに資料を晶の前に並べる。記者の経歴や取材申し込みの経緯や動機を書かせた書類を見て、晶はどうやら件の記者がこの事務所に尋ねてきていたらしいことを知った。面白半分興味本位で取材を申し込んでくる人間――つまり今までコンタクトのあったほとんどの自称ジャーナリスト――は弁護士を通してくれと言うだけで怖気づいた。
日車が取材依頼を握りつぶすようなことはなかったが、晶のもとに辿り着くことの出来た依頼は多くはない。そしてこれまで晶はそれらを全て断ってきた。それは大抵の記者が取材の動機に「遺族として世間に伝えたいことがあれば代弁したい」というようなことを伝えてきたからで、晶にはマスコミを通じて世間に伝えたいことなど特になかったからだ。
晶はコピー用紙に印刷された一文を指でなぞる。「世相を揺るがした大量死事件について、人々が事実を知ることは社会正義の一つ足り得ると考えます。」角ばった明朝体は内容以上に硬い印象を与えた。
「しゃかいせいぎ」
口内で小さく繰り返す晶に日車は人好きのしない三白眼をぎょろりと向けた。
「あまり真に受けるな。売れる記事のためなら何でも言う連中だ」
冷ややかな物言いに晶は眉尻を下げて笑う。日車が「ジャーナリストは精神病質度が高い十の職業のうちの一つだ」と言うので、晶は「そのうちの一つに弁護士も入ってますよね」と答えた。
晶の指摘を日車は黙殺し、数冊の新書や雑誌を晶に差し出す。著者が件の記者であると気が付き、晶は眉を上げる。国内の薬物市場や海外マフィアの取材記事などが見て取れ、晶は彼が少なくとも嘘をついてはいなかったことを理解した。晶はそれらのページををぱらぱらとめくりながら首を傾げる。
「こんな面白い本を書いてる人が、私のことなんか書いてどうするんでしょうね」
軽口めいて晶が言うと、日車は晶の顔をちらと見て細く息を吐いた。
「人の下世話な好奇心には限りがない」
晶が日車を見返すと、日車は感情の機微が窺えない目を宙に向ける。
「他人事でさえあれば、薬物もマフィアもおまえのことも同じ種類の物語だ」
それを聞いて晶はふと微笑んだ。
「自宅に死体があったことが面白いですか」
「自分の家でなければ面白いと感じる人間もいるだろう」
「日車さんも面白いと思いますか」
「いや、よく聞く話だ」
「かっこいい」
茶化す晶を日車は無言で睨んだ。晶はその視線を躱し、白い天井を仰ぐ。取材受けてみようかな、と小さく囁くと、日車は資料を整理する手を一瞬止めた。何事もなかったかのように動き出した両の手が資料の角を揃え、晶の方に押して寄越す。晶はそれを何とはなしに眺めていた。
「どう思いますか、日車さん」
晶が尋ねると、日車はテーブルから視線を上げないまま答える。
「弁護士としては依頼人の希望を叶えるだけだ。個人的にはもう少し慎重になるように忠告する。身内なら首根っこを掴んで止めている」
晶はそれを聞いて肩を震わせて笑いながら「残酷なことを言う人だな」と思いもした。寄越された資料を引き寄せ、晶は日車の表情を窺う。
「なんだろう……世間に何かを訴えたいとか、そういうのではないんです。ただ、私自身の整理のために、こういう機会を設けてもいいのかなとは思いました」
本心ではあったが、己の思う所を上手く言語化できていない気もして、晶の言葉尻は自信なさげに小さくなる。
「話して楽になりたいなら他にマシな宛てがあるだろう」
「日車さん相手だと甘えちゃうからな」
「――俺に話してどうする。まともな相槌を打てる相手を探せ」
晶は眉根を寄せながら笑った。
「それに、この記者自身に興味があるのかもしれないです」
「晶――取材の意味は理解しているか」
普段あまり表情の変わらない日車が心底呆れた顔をしていたので、晶は慌てて首肯する。
「し、しています……」
「ならいい。よく考えろ」
素っ気なくさえ聞こえる言葉を浴びながら、晶は資料を抱えた。考えます、と晶は資料の角を指先でなぞる。
席を立つ日車を晶は「日車さん」と呼び止めた。
「――忙しいのにすみません、ありがとうございます」
深々と頭を下げる晶を見て日車は「相談料は給料から引いておく」とだけ言った。晶はそれを聞いて「そんなことしないくせに」と思った。
日車の後を追って来客スペースを後にすると、清水が常と変わらぬ調子で「晶ちゃん、午後ずっとコピー機のランプが点いてるの。見てくれる?」と声をかけてくる。晶はそれに返事をし、資料を鞄にしまいこむとコピー機に駆け寄った。コピー機に手をかけ手のひらにじんわりと熱を感じながら、差し出された名刺と男の姿を思い出していた。