半端者
※男主
※性描写
最初の違和感は「何食べますか」と尋ねたときに「魚」と返答があったことだった。
日車寛見は男が司法試験に合格し初めて勤務した法律事務所で男の研修担当であった。男は日車と挨拶をしたとき、己の研修担当が彼であることに一抹の不安を感じた。弁護士のパブリックイメージからかけ離れた陰気な風貌、愛想に欠ける態度、恬淡とした語り口、変わり映えのない暗色の背広。右も左も分からず己が選んだ職種に対して漠然とした期待と憧ればかりを抱く恥ずかしいほど青かった男の思う優秀な弁護士像とは合致していなかった。
その印象が覆るには少し時間がかかった。日車は己の能力も努力もひけらかすタイプではなかった。男がやっとそれに気がつく頃には、研修期間は終わりに近づいていた。男はそれを思い起こすたびに、その頃の自分自身を殴ってやりたくなる。最も近い位置で面倒を見てもらっていた時期に、彼からもっと学ぶべきことや吸収すべきことはいくらでもあったはずだった。
男は研修を終えても日車の下で仕事をすることを望んだ。おおむねその希望が通ったのは、日車が他のスタッフが手を挙げたがらない仕事を受けることが多かったからだ。それは日車が独立するまで続いた。
日車が独立し、仕事仲間から一応の商売敵になっても二人の交流は続いている。男が一方的にねだったと言ってもいい。男は研修時代よりさらに日車を慕い、ことあるごとに、迷惑にならない程度に、理由をつけては日車を食事に誘った。日車はよほど多忙でなければその誘いを断らなかった。
その日も男は日車と約束を取り付けていた。盛岡市母子住宅内強盗致死事件の二審が行われる日だった。男も弁護士であるのでその審理が無罪のまま通るとは思っていない。せめて気晴らしにならぬかと「時間があれば」と食事に誘った。日車は常と変わらず素っ気ないメッセージでそれを了承した。
男はその日、何度もニュースサイトに指を伸ばしかけたが、結局盛岡市住宅内母子強盗致傷事件の判決について調べるのはやめた。己が知っていたところでどうにもならない。有用なアドバイスができるわけでもない。ならば、何も知らないまま、何も聞かないまま、日車が話したいときに話したいことだけを話してくれればいいと思った。
初冬の気配の色濃い日であった。夕日はとうに暮れていて、空は暗く青くなっていた。男はいつも待ち合わせ場所にしている駅前の広場で首を巡らせる。手入れの行き届いていない街路樹の下、薄暗がりの中に日車が立っていた。男が駆け寄り「お久しぶりです」と挨拶すると、日車は淡い影を背負ったまま男に向かって会釈した。
「日車さん、今日はどうします。何食べますか」
男が努めてなんでもない風に言うと、日車は男の顔を見もせず短く「魚」と答えた。男は一瞬、違和感を覚える。男が会うなり「何食べますか」と問うのはいつものことで、日車は「あらかじめ決めておいて予約した方がいいだろう」などとぼやいたものだった。だが男は、この広場で交わす無駄なやりとりが好きで、いつもこの方法を選んだ。日車は男の問いに毎回「おまえは何が食べたい?」と返した。そして結局、男が行きたい店に行く。なぜか今日に限って、日車は言葉少なに己の要求を口にした。
男は珍しいとは思ったが、二審の件を思えば追求も出来なかった。曖昧に「いいですね」などと言いながら、魚の美味しい店を調べた。駅前の繁華街とはいえ地方都市のことで、人気のある店でもふらりと立ち寄る二人組を受け入れる余裕はあった。男は日車とカウンターに並んで座り、グラスビールと数種の肴を頼んだ。
日車は男の雑談に対して常と変わらず「ああ」「うん」と素っ気ない返事をした。いつもと違うのは、それが素っ気ないだけでなく生返事であったからだ。日車は返答に気がなくとも人の話はきちんと聞いている人間であった。男は日車の心ここにあらずな様子に一瞬口を噤み、殊更明るく話題を変えた。
「飯野、覚えていますか? 飯野慎吾」
日車は箸先で梅水晶をつまみながら「ああ」と男に視線を向けた。今日はじめて日車が男に意識を傾けた。
「執行猶予が明けて、日車さんにお礼を言いにうちの事務所にお母様と来ましたよ。独立したって伝えたら、おめでとうございますって」
飯野慎吾は日車が弁護し、男が助手をした被疑者の一人である。夜間、酔った五十代の男性の頭部を背後から殴打し金品を奪った、いわゆるオヤジ狩りの首謀者として逮捕、起訴された。
当時は報道で大きく取り上げられた。飯野以外のメンバーが皆未成年であったことから、不良少年達に強盗を強要する悪の元締めと扱われた。ワイドショーは唯一顔と名前を報道できる飯野の人となりをしつこく電波に載せ、コメンテーターはしたり顔で不良社会の大人になれない大人を非難した。
男もニュース番組を見ながら、許しがたい大人がいるものだと憤りもしたものだ。己が彼の弁護を手伝うことになるとは思っていなかった。
日車は、被疑者が世間の鼻つまみ者であろうと、冗談のような端金で任される国選弁護であろうと、一切手を抜かなかった。飯野の噛み合わない会話、曖昧な態度、衣服の下の卑猥な文字の拙い入墨、ライターの火で炙られた皮膚、折れて不格好に繋がった小指の骨。日車は飯野が境界知能であること、それに付け込んだ不良少年達に苛烈な虐待を受けていたこと、事件当日はスケープゴートとして連れ回されていたことを立証した。
被告側の言い分は認められ、飯野には強盗致傷では異例の執行猶予がついた。飯野はNPO法人の手を借り就労訓練を受け、今は家族と隣県に住み悪い仲間と距離を置きまっとうな暮らしを志している。
「――そうか」
日車は短く答えた。
男にも飯野の事件は印象深い。同僚からの呆れ交じりの視線も厳罰を望む世間からのバッシングもものともせずに弁護士の仕事を粛々と遂行する日車は、男にとって眩しく、恐ろしく、美しかった。男は、最も尊敬している弁護士を問われれば日車の名を挙げる。最も影響を受けた弁護士を問われても日車の名を挙げた。
「飯野も、高木さんも、日車さんのこと心配してましたよ。元気でやられてます?」
男は顔色の優れない日車の横顔を盗み見る。日車は突然痙攣のように笑った。男はぎょっとしてグラスを取り落としそうになる。
「元気だ、今までにないくらいに元気でやってる」
堪えきれぬように笑声を滲ませる日車に、男は戸惑いながら「そうですか……よかったです……」とやっと答えた。
おまえは? と問われ、男は目を丸くする。
「心配してくれる人間はいるのか?」
そう言われ、男は狼狽えた。他の人間に問われたのであれば、遠回しに恋人の有無を尋ねられているような言い回しだった。普段は「いやあ、いないんですよ。誰かいい人紹介してくださいよ」と軽く返せる類の与太話だ。だがそれを言ったのが他ならぬ日車であったので、男はただ泡を食いぼそぼそと「いや……いないですけど……なんでですか」と答えるのが精一杯だった。答えを聞いた日車は鼻を鳴らして「俺もだ」と低く呟き、店員に会計を頼んだ。
「え、もう帰るんですか」
男はテーブルに視線をやる。日車のグラスは手を付けられておらず、ビールの泡が潰れた分だけ水位が下がっていた。グラスの内側に泡の残滓がへばりついている。会計を終えた日車は何も言わずに席を立つ。男は上着を取ると慌てて日車の後を追った。
店を出ると冷たく乾いた風が上着の裾から侵入してきて、男は薄手の上着の前をかき合わせる。
「日車さん!」
男は日車の背中に追い縋る。日車は歩調を緩めることなく、追いついた男にため息まじりに寄りかかった。男は息を詰まらせ、その体をそっと支える。
「日車さん……大丈夫ですか……」
控訴審の件が余程堪えているのだろうか。男は日車に何と声をかけたらいいか分からなかった。
「正体をなくすほど酔ったことはあるか?」
日車は男に体重を預けたままそう言った。男は首を横に振る。
「いえ……あ、学生の頃は何度か……」
「俺は一度もない」
男は苦笑した。
「日車さんは、そんな感じがします」
「だから、今、泥酔したふりをしてる」
「――は?」
寄りかかられ、何度も手の甲どうしがぶつかっていた。だらりと力なく下げられていた手が、突然意思を持ったように男の指に絡みつく。男は困惑したが、その手を振り払うこともできず、どくどくと不安で低く鳴る心臓の音を聞いていた。
触れた手が冷たかった。男は日車がこの寒空に上着も着ていないことに気が付く。
「……日車さん、寒くありませんか」
男がおずおずとそう言うと、日車は男の上着のポケットに手を入れた。大きな掌が腹のあたりを這いまわり、男の自室の鍵をつまみ上げた。
「おまえの部屋、暖房は効いているか」
男はされるがままに前を向いているしかなかった。吐いた息が冷やされ、白く淡く暗い空に吸い込まれていく。男は浅く頷いた。おそらく頷いてはならなかった。日車の指先で男の部屋の鍵がちゃりちゃりと硬い音をたてた。
自室のドアの鍵を閉め、顔を上げた途端に薄く冷たい唇を押し付けられた。男は思わず頭を仰け反らせ、戸板に強かに後頭部を打つ。
目の前に日車の高い鼻梁があった。男は後ずさるが戸板に阻まれ距離をとることが出来ない。
「日車さん、なんで……」
怯える男に日車は肩を揺らして笑った。
「なんで? 俺をずっとこういう目で見ていたのはおまえの方だろう」
男は息もできないほど驚き、戸惑い、羞恥に駆られ、ぱくぱくと意味もなく口を開けたり閉じたりする。
「あ――ちがう……いや、どうして……」
隠し通してきたつもりだった。日車に迷惑をかけたくなかった。日車は男の顔の表面をなぞるように眺める。
「弁護士は人を見るのも仕事の内だ」
男は恐ろしくなり、日車の胸を押し返そうとする。差し出した己の手が掠れた血の跡で汚れていた。男は呆気にとられて己の手のひらを見つめる。怪我をしているのではなかった。乾きかけた血に触れてしまったような跡だった。
「ああ、悪いな。汚れたか?」
薄暗い屋外や飲食店の抑えた照明では判然としなかった日車の上着の黒い染みが、明るい蛍光灯の下ではよく見える。日車は片眉を上げ、暗色の背広を脱いだ。
白いワイシャツの両袖が、血の桶に両手を沈めたように赤く染まっていた。
「怪我を……?」
「俺か? 俺は元気だよ」
日車は鼻歌交じりにネクタイを外しワイシャツのボタンに手をかける。男は日車の手ごとワイシャツを握りしめそれを制止した。
「なに――」
日車の空いたもう片方の手が、男の股座をスラックスの上からなぞる。
「いい機会だから教えてくれ。おまえの妄想の中で、俺はどうやって弄ばれた?」
男は引き攣るように息を吸う。別人のような日車の態度が恐ろしかった。だがどうしようもなく惹かれもした。血の染みの残るシャツのことを聞きたかった。聞いてはいけないことは分かっていた。絶対にやめておけ知らないふりをしろ黙っておけと理性が暴れ、それを抗いがたい獣欲が飲み込んでいく。
男は震える手を日車の頬にやる。日車はそれに冷ややかな視線を向けた。
「――本当にいいんですか」
日車の答えを待たずに男は日車の唇を食む。舌でなぞり、口唇をこじ開け、口内を蹂躙する。荒っぽく息を吐きながら唾液を啜り、抱えた頭の髪を乱す。
はっ、はっ、と短く荒い呼吸をする男の口付けから、日車は顔を逸らしながら笑った。
「親戚の家のばか犬みたいだな。なんでそんなに必死なんだ」
なんで? ――男の中にふつふつと怒りが湧く。好きだったからだ。心の底から好きだった。尊敬していた。手の届かぬ崇高な何者かであったから、ずっと適切な距離を置いてこれた。勝手に降りてきたのは日車の方だ。
男は乱暴に日車のシャツのボタンを引きむしる。乾いた血痕がぽつんとついたボタンが外れて床の上で跳ねた。引きずるように日車の体を寝室に押し込み、ベッドに投げ捨て、覆いかぶさる。汚れたシャツは引き剥ぎ、視界から追い出すように部屋の隅に放り投げた。縋るように吸いつき甘噛みすると、日車の舌が気怠く男の口腔を舐め上げた。男は日車の目立つ鎖骨を指先でなぞる。忙しなく自身のジャケットを脱ぎ捨て、ネクタイを毟った。息苦しさにシャツのボタンをいくつか外したが、あまり効果はなかった。
日車のベルトを奪い、スラックスを下ろす。下着の上から陰茎をなぞると、日車は興味深そうに男の顔を覗き込んだ。
「毎日触っているはずなのに、他人の、それも男に触られると妙な感じだな」
「――いいですよ、目を瞑ってて」
誰か他の女の子のことでも考えていてください、と男は下着から陰茎を引っ張り出す。半立ちの陰茎をゆるく撫でる。さすがにそこまではという気持ちと、しかし日車が何も言わないからいいのではないかという気持ちが鬩ぎ合う。男は、男の言葉と裏腹に日車の視線が己に注がれていることを痛いほどに感じていて、男のほうが日車の方を見られずにいた。
男は日車の陰茎に舌を這わせる。日車が息を詰まらせる気配がした。日車の腰のあたりがわずかに緊張する。男はやわいそれを口内に納め吸い上げる。日車の震える呼吸が聞こえるたびに、口の中のものは大きさと硬さと熱を増した。
「日車さん、日車さんは、俺がこんなだから――」
こんな、と男は日車の陰茎に唾液を垂らす。ぬめる陰茎がひくんと震えた。
「独立するとき、俺を誘ってくれなかったんですか」
熱っぽい吐息混じりに、男の頭上に「いや」と短い言葉が降ってくる。そうですか、と男は掠れる声で応じる。それが本当でも嘘でも、もはやどうでもいい気もした。荒く息を吐きながら日車の陰茎にむしゃぶりつく男を、日車は足で押しのけ遠ざける。無防備に開いた脚の間に、日車は指をやった。
「もういい、さっさと入れろ」
男は情けなく床に跪いたまま、呆然と目の前の光景を眺めた。妄想の中で、夢の中で、幾度となく日車の痴態を思い描いた。男が欲望のままに夢想した日車の幻影さえこれほど露骨ではなかった。衒いなく己を受け入れようとする日車に、喜ぶべきであろうか。だが男には居心地の悪さと心苦しさばかりが先だった。己は、日車の自暴自棄に付け込んでいる。
「俺が入れていいんですか」
「男相手に勃起が続かない」
冷たい物言いだった。沁みるように痛む心に蓋をして、男は日車の膝元ににじり寄る。設計で想定された使い方しかされたことがないであろう肛門にローションを垂らし、指先で撫でる。日車はあの目で暗い天井を眺めながら「冷たい」と呻いた。
ひんやりとしていた寝室に、いつの間にかぬるく湿っぽい空気が満ちていた。そのほとんどが己が吐いた息の気がして、男は息をひそめる。時間をかけて解した肛門にそろりと指を挿し入れると、日車は喉を反らして小さく呻いた。男はその声を聞きながら、そういえば暖房入れるの忘れていたなとぼんやりと考えていた。
「すみません、やめますか、やめましょう」
「いや、続けろ」
男の指が腸壁を試すように押す。日車は眉根を寄せ目を閉じたまま、薄い唇を半開きにし短く浅い呼吸をしていた。男は鬱々とスラックスと下着を下ろす。暗い室内で、指先でコンドームの個包装を数えた。駄目だやめろと頭で考えていても、下半身は充血してどうしようもない。男は泣きだしそうになりながら日車の脚を押し広げ、いきり立った陰茎を押し当てる。思いのほか抵抗なく挿入できたのは、日車の肢体が死に瀕したように弛緩していたからだ。
男は遠慮がちに腰を揺らしながら、日車の首元に額を押し付ける。膚と体温のにおいと、うっすらと血のにおいがした。
「なんで、こんな……こんなこと」
殊勝気に後悔めいたことを口にしながら、腰はかくかくと浅ましく揺れている。そうだよ、俺はこういう奴だよ、と男は誰に対してでもなく言い訳じみたことを考える。
「風俗嬢に説教するスケベジジイみたいだな」
日車の苦し気な息と薄笑いがうなじを撫でる。そう詰られ男は暗澹とした気持ちを噛みしめながら激しく興奮していた。
「どっちつかずな奴、おまえはいつもそうだ」
男は日車の言葉に冷たい手で心臓を鷲掴みにされた気分になる。そうだ。己はいつもそうだ。己はいつもどっちつかずだ。だから、日車が独立したときに男に誘いが無かったことに、男は淡く傷つきながら安堵もした。男は日車を尊敬していた。日車のような弁護士は男にとって理想だった。そうなりたいと願った。だが、願うことと実現することの間には越え難い隔たりがある。
男はいまだに飯野の弁護で誹謗中傷を受けた日々のことを夢に見る。事務所に脅迫の電話が来たことも、被害者と同じ目に遭えばいいと匿名の手紙を受け取ったことも、裁判所で面と向かって罵倒を受けたことも、ウェブ上で悪徳弁護士と悪しざまに叩かれたことも、思い出すたびに冷たい嫌な汗をかく。恐ろしかった。嫌だった。もうこんな仕事は受けたくないと竦み上がった。
男が日車の理念に付き従うことが出来たのは、大手の事務所という強力な庇護があったからだ。優秀とはいえ若手の日車が立ち上げた事務所で、日車と二人で、日車に殉じる覚悟は、男にはなかった。日車はきっと、それを承知だった。日車は聡い男で、男が日車を尊敬しながらついていけないと感じていることを、相反する感情を両立させていることを、過不足なく理解していた。だから日車は男に独立の誘いをかけなかった。男の体が羞恥と後悔と遣る瀬無さで痺れる。日車がかさかさと笑った。
「女を抱いているんじゃないんだ。殺す気でどつけよ、半端者め」
男は反射的に日車の手首を掴み上げると、物言わぬ獣のように唸り乱暴に腰を打ち付ける。どす、と重い音がした。噛みしめられた日車の唇から、苦痛の呻き声が漏れる。
「なんだよ、なんなんだよ……俺が悪いのか!? 俺を傷付けて楽しいかよ!」
「あ゛、うお……お゛、ほんとに、あなあく……」
乱暴に押し込められた日車の体は不自然に捻じ曲げられる。激しく暴れる男二人分の体重を支えきれないベッドが不穏に軋んだ。
「好きだったよ! 尊敬してたよ! でも俺は! まっとうに評価される仕事がしたいんだよ! 褒められたいし、感謝されたいし、まともな報酬が欲しいよ! それがそんなに悪いかよ!!」
「あ゛、あ、あ゛、はははは! これはちょっとイイな……」
仰向けの日車の腹の上で、日車の陰茎が立ち上がり揺さぶられるたびに腹を撫でていた。
「あんたは立派だよ! でも俺の人生は!? あんたの人生はどうなんだよ! あんたそれ考えたことあんのか!」
「ん? ……あっ、ふふ、んっ、う、」
「勝手に善がってんじゃねえよ!」
男は日車の手首を離す。日車の手首には赤く痛々しく跡が残っていた。男はそれを見て、一層制御できない感情に駆られる。行き場をなくした両の手で、男は日車の頸を絞め上げた。手のひらに尖った喉仏の感触が妙に生々しい。日車の両足が力なくシーツを掻く。
「じゃあせめて手の届かない存在でいてくれよ! ふざけんなよ! こんな、こんなの――」
血流を失い白くなった顔が、苦し気に口を開けた。かひゅ、かひゅ、と病んだ呼吸音が耳に障る。唾液で濡れた歯列を見て、男は日車の首を絞める力を強くする。日車の胸が痙攣するように上下した。
「なんで、なんで、クソッ、クソクソクソ、好きだったよ、どうすりゃいいんだよ!」
支離滅裂に口角に泡を浮かべて喚きながら、男は嘔吐するように射精する。人生で一番強烈で、もう二度と味わいたくない快楽だった。日車に覆いかぶさったまま虚脱する男の手が緩む。ひゅう、と日車が大きく息を吸う。喘鳴が室内に響いた。
男はローションでぐずぐずになったコンドームを外す。考え得る限り最も惨めな時間だった。日車は荒い息を吐きながら、潰れた声で「すっきりした」と呟く。男はそれを聞いて「なんでそんなこと言うんですか」と泣き笑いを浮かべた。本当に殺してしまえばよかったと思った。きっとこういうところが、取り返しのつかないほど半端者なのだ。