四、福田パン
「え、あれ福田パン本店じゃないですか!?」
朝から接見と関係者への聴取を立て続けにこなしていた清水は、事務所に帰る途中、狭い車道の向こう側に赤い屋根の小さい店を見つけて声を上げた。日車は清水の言葉についと目を上げたが「そうだ」とだけ言い歩調を緩めることはない。清水は慌てて「日車さん、五分だけいいですか!」と胸の前で手を合わせる。
日車は清水とパン屋を順に見て「ああ」と浅く頷く。清水は日車の気が変わらないうちに小走りでパン屋に向かった。自動ドアをくぐると店内では数人の客が真剣な顔で壁に貼られたクリームの一覧を眺めている。清水もそれに倣い壁を見上げた。
「パンが好きなのか?」
清水の背後で日車も壁を眺めながら言う。
「そういうわけではないんですけど。でも福田パンって有名じゃないですか。テレビに出てたし」
「知らなかった」
「東京のおしゃれなコッペパン屋が福田パンを参考にしたらしいですよ」
「……福田パンは別におしゃれではない」
日車の物言いに清水は眉尻を下げる。
「あんまり好きじゃないんですか?」
「そういうわけではないが」
日車は壁を眺めたまま「学生の食べものだ」と言った。へえ、と清水は眉を上げる。
「日車さんも学生の頃は食べたんですか?」
「まあ、たまにな。ここから母校が近い」
周辺を歩いてみたところ、学校が多い地域であるようだった。あ、そうなんですねえ、と清水はクリームの一覧に心奪われたまま生返事を返した。
「日車さん、おすすめあります?」
「あんバター」
「やっぱりあんバターはマストですか? でも変わり種クリームも試してみたいし……あっ、お総菜パン系もある! うわ、悩むな……」
ぶつぶつ言う清水に日車は呆れた視線を向ける。清水は相変わらず日車の考えていることは分からないが、頻繁に呆れられていることは肌で分かるようになっていた。それに関しては、清水は半ば開き直っている。日車にしてみれば世の中の人間の大半は果てしないアホに見えるだろう。
「日車さん、何にしますか?」
「……俺も買うのか」
「買わないんですか?」
清水が言うと、日車は溜息交じりにメニューを見た。
「たまご」
「ああー、たまごもいいなー! 通っぽいですね」
「通……?」
眉をひそめる日車からメニューに視線を戻す。クッキー&クリームも美味しそうだが、かぼちゃクリームとホイップクリームの組み合わせが不味いわけもない。抹茶クリームに求肥を合わせるのもやってみたい。ピーナッツクリームにリンゴジャムも意外と美味しいかもしれない。
「決めた。あんバターとかぼちゃホイップとれんこんしめじにします」
決めかねた清水は候補を絞りきれずに全て買うことにした。おやつと、夕食と、明日の朝食にしよう。日車は気のない様子で「いいんじゃないか」と答えた。清水は財布を手にカウンターの店員に声をかけた。
「すみません、あんバターとかぼちゃホイップとれんこんしめじでお願いします」
「はあい、少々お待ちください」
カウンターの店員が奥の店員に声をかけると、メッシュの帽子をかぶった女性が二つ割りのコッペパンを取り手際よくクリームを塗っていく。清水は女性店員の手からはみ出るコッペパンの大きさに釘付けになっていた。
「れんこんしめじにからしバターはおつけしますか?」
「……えっ? あっ、はい、……パン、大きいですね」
清水がお金を差し出しながら思わずそう言うと、店員さんは「そうですね、うふふ」とお金を受け取った。
差し出された福田パンのロゴ入りのポリ袋は、巨大なコッペパンを三つも詰め込まれぱんぱんになっている。清水は受け取った袋の重さに思わず笑ってしまった。自分の分のパンを一つだけ買った日車が悠々と清水の手に提げられたポリ袋を見下ろす。
「多いな」
「日車さん、どうして止めてくれなかったんですか」
「よく食うんだなと思った」
「百円ちょっとのパンがこんなバカデカだと思わないですよ!」
清水は指に食い込むポリ袋を持ち直す。日車がぱんぱんの袋に視線を注いでいるので、清水は唇をとがらせた。
「本当に面白がっていたわけではないんですよね?」
「ああ。――だが今はちょっと面白いと思っている」
清水はそれに言い返そうとし「今のは軽口か?」と日車の顔を凝視する。日車は清水に顔をじろじろ見られ、怪訝な顔をした。清水は日車が軽口めいたことを言うのを初めて見た気がした。日車のことであるので、ただ己の心理状態をそのまま口にしただけなのかもしれない。少しは打ち解けられていたらいいなとは思うが、石のように微動だにしない表情を見ると何とも言い難かった。