六、うす焼き
事務所に突然鉦太鼓を打ち鳴らす音とスピーカーで拡声されたやる気のあるのかないのか分からない棒読みの囃子が大音量で響き渡り清水はぎょっとした。
どうやら表の方から聞こえてくるようで、清水は窓の方に首を巡らせる。窓の外に特段変わったことはなかった。
「ひ、日車さん、これ、なんですか!?」
騒音の中、日車は常の無表情のまま顔を上げる。日車は清水に向けて何か話しているようなのだが、普段通り低く抑えた声音で話しているため鉦太鼓の音にかき消されて何を言っているか全くわからない。
「え? なんて?」
カンカン、カンカン――
「日車さん、ちょっと、聞こえないです!」
カンカン、カンカン――
「声張ってくださいって!」
カンカンカンカンカンカンカンカンーー
清水が日車のデスクの脇まで近寄ると、日車はそれなりに大きな声で「祭り、山車、すぐ通り過ぎる」と言った。清水は「そうなんですねえ!」と答えながら「日車さんってこんなに大きな声出せるんだ」と考えていた。
日車の言うように鉦太鼓と囃子の音は少しずつ遠くなっていき、環境音として無視できる程度の音量になっていった。清水は割れたスピーカー音のせいでガンガンする耳を指先で引っ張る。
「あーすごい音でしたね、なんのお祭りなんですか?」
清水の問いに、すでに仕事に戻っていた日車は「知らん、この時期になると山車が出る」と素っ気なく答えた。清水は日車に郷土愛があるのかないのかよく分からないでいる。
「でもすぐ離れていってくれて助かりました。これがずっとだったら仕事になりませーー」
清水が言い切らないうちに遠ざかっていた囃子が近付いてくる。囃子はちょうどサビーーサビ? ーーに差し掛かり、音割れも最高潮に達していた。清水は無駄な抵抗をやめ、日車に視線を向ける。日車は口をへの字にしてパソコンのモニターを見つめている。清水は山車が再び離れていく気配を感じて口を開いた。
「……これ、結構続きます?」
「しばらく地区内を回るはずだな」
日車の返答を聞いて清水はため息をつく。日車も騒音に閉口したようで、席を立つと上着を手にした。
「山車は見たことないよな?」
「はい、ないです」
「ちょっと様子でも見てくるか。これでは仕事にならないしな」
日車が言うので、清水はさっと書類を片付けるといそいそと外出の準備をした。
ビルの外に出て周囲を見渡しても山車の姿は見えない。囃子の音はまた遠ざかりかけていた。清水は音の方向に向けて首を伸ばす。
「大きい通りに行けばそのうち山車と行き合うだろ」
日車はそう言ってすたすたと通りを渡っていく。清水は音の方向を探りながらその背中を追った。
「こんなに大きな音をたてて苦情こないんですかね」
「さあ、昔からこうだしな。俺が学生の頃、英語の定期テストのリスニングに太鼓の音がかぶってやり直しになった」
清水は「マジですか!」と笑いながら「日車さんも学生の頃あったんだ」と当然の事実に感じ入る。この男にも学生服を来ていた時代が、さらに遡ればランドセルを背負っていた時代があったと思うと妙な気分になった。
大きな通りに出ると平日昼間にもかかわらずいくらか人手があった。道端にはぽつぽつと屋台が出ていて、もう開いている出店も準備中の出店もある。
清水が「山車、いないですね」とあたりを見回すのを後目に、日車は屋台に近寄り何かを買っていた。清水は「え、何やってんのあの人」と日車の姿を眺める。買い物を終えて清水のもとに戻ってきた日車は経木の包みを手にしていた。
「何か買ったんですか?」
「うす焼き」
日車は言いながら、手にした二つの経木のうち一つを有無を言わさず清水に差し出す。清水は「あ、ありがとうございます」とそれを受け取る。経木ごしに熱さが手に伝わってきて、蒸気とともに出汁と鰹節の香りが漂う。
「このへんでしか食べられないことに上京してから気が付いた」
短く日車が言う。清水は眉を上げた。
「え! もしかして私が最近ローカルフード探訪してるから買ってくれたんですか!?」
「……まあ、一応」
「えー! うわー! ありがとうございます!」
仏頂面で寡黙な上司は意外と優しいのだ。仕事以外では。
清水は道の端に寄り、経木を剥がしうす焼きの端をかじる。温かくもちもちした薄い生地が二つ折りになっていて、出汁と醤油の香りが口の中に広がる。
「あ、美味しいです」
「お好み焼きっぽくて美味いよな。広島風か関西風かうす焼きかだと俺は思ってる」
「いやそれは怒られますよ」
食べ進めると紅生姜の辛さが舌を刺した。日車も清水と並んで黙々とうす焼きを口にしている。
「山車見たら事務所戻ります?」
清水が尋ねると日車は口の中のものを時間をかけて咀嚼嚥下したあと「どうするかな」とため息まじりに呻いた。
「ここまでうるさいとは思わなかった」
「立地の関係? それとも建物の素材とかですかね? やたら響きましたね」
「毎年これだとすると考えものだな」
毎年、と清水は日車の言葉を反芻する。どうやら今年限りで解雇ということはないらしい。日車の言葉にそれほど意図があったとも思えないが、多少はアソシエイトとして認められているのかなと清水はにやにやした。清水の表情に気が付いた日車が怪訝な顔をする。
「なんで笑っているんだ」
「微笑んでるだけです」
清水はうす焼きを食べ終え経木を細く折った。