卵料理はお好き?



 月末の会計処理と、破壊された天井の修理の手配と、切れた備品の急ぎの買い出しと、更正プログラムの情報収集と、ホテルの宣伝広告のための放送局への問い合わせと、トイレに詰まったニフティの救出に追われているところに、エンジェルダストから「ロビーのティッシュが切れてるんだけど換え無いの?」という問い合わせを受け、ディメンシアはヒーと泣き言を漏らした。
 見かねたチャーリーが「私も手伝うわよ」と言うがディメンシアは「チャーリーはオーナーですから、こんな雑用させられません」と倉庫でティッシュペーパーを探しながら答えた。
「ディメンシア、なんでも自分で抱え込んじゃ駄目、助け合わなくちゃ。私たちチームなんだから」
 ティッシュペーパーの在庫がないことに気がついたディメンシアが溜息をつきながら「チーム……」と呟く。そう! とチャーリーは微笑む。
「そうね、ハスクは今時間があると思うわ。買い出しをお願いしたら?」
「駄目ですよ、ハスクはお金渡すと酒に使います」
「あー、じゃあエンジェルダスト!」
「彼は薬に。それに、彼はお客さんですし」
「それならニフティ! ……は、ちょっと不安ね」
 ヴァギーも忙しそうにしている。それならば、とアラスターの名を出しかけたチャーリーはディメンシアの視線に気がつきやめる。ディメンシアは口をへの字にした。
「今、アラスターに頼もうとしました?」
「あー……でも、彼はホテルにとっても協力的じゃない?」
「アラスターはホテルには興味があっても、ティッシュの買い出しには興味ありません」
 そうかも、とチャーリーはアラスターの享楽的な笑顔を思い出す。ちょうど噂をしているところにアラスターが現れたので、二人は口を噤む。ステッキを片手に倉庫を覗き込むアラスターは「ディメンシア、疲れた顔だ! いっしょにコーヒーを飲もうじゃないか!」と言った。
 しょぼしょぼした表情のディメンシアが何か言う前に、チャーリーはアラスターに向けて両手のひらを向け、ノーの姿勢を取った。
「アラスター、ディメンシアは今ちょっと忙しいの」
「そうですか、それが?」
「だから、コーヒーはあなた一人で楽しんでちょうだい」
「おや、それでは私は誰が淹れたコーヒーを飲めばいいんですか?」
「ディメンシア以外なら、誰でも」
 チャーリーはアラスターを回れ右させ、倉庫から押し出す。アラスターは「ふうん、まあいいですけど」と言いながら素直にそれに従った。アラスターを追い返したチャーリーは額を拭う。
「ちょっと従業員が不足してるかもね」
 チャーリーが苦笑気味に言うと、ディメンシアは「始まったばかりですから」と肩を竦めた。
「いずれ、宿泊客が増えたら、従業員も増やしましょうね! それまでは……みんなで上手くやっていくしかないけど」
 そうですねえ、と買い出しメモにティッシュペーパーを書き出すディメンシアの目に廊下を歩くサー・ペンシャスとその後ろをぞろぞろ行進するエッギーズが留まる。ディメンシアが「あ!」と言うより前に、チャーリーが素早くサー・ペンシャスを呼び止めた。
「ペンシャス! いいところに! お願いがあるの!」
 チャーリーはサー・ペンシャスの手を取り、倉庫に引きずり込む。エッギーズが「ボスが進路変更だ!」「続け続け!」とわらわらついてくる。
「なんですか、私は忙しいんです」
 大物ぶって胸を張るサー・ペンシャスをものともせず、チャーリーはいい考えだとばかりに笑顔を浮かべる。
「エッギーズにディメンシアのお仕事を手伝わせてくれないかしら?」
「いやです。エッグたちは私の部下です。なぜディメンシアを手伝わせなければならないんですか?」
「ペンシャス、私たち一緒に更正を目指すチームじゃない。協力しなくっちゃ」
 そう言われ、サー・ペンシャスは口ごもる。エッギーズがワッと沸いて、その場でぴょんぴょん跳ねたりシャドウボクシングを始めたりする。
「ボス! わたしたちはボスのチームのお手伝いが出来ます!」
「ボスのチームに協力出来ます!」
 サー・ペンシャスは自身のために張り切るエッギーズを見て目を潤ませる。チャーリーが特大の笑顔でエッギーズに小さな拍手を送った。サー・ペンシャスは「そうか、おまえたちがそこまで言うなら」と深く頷く。
「私のチームのために、働くんだエッグども!」
 サー・ペンシャスの言葉をチャーリーが「あなたのチームじゃないわ、私たちのチームよ」と訂正した。






 ディメンシアはキチネットにエッギーズを集めた。足下で整列するエッギーズを見下ろし「ええと、では……」と買い物メモを示す。
「買い出しをお願いします。店と買うものはこのメモに……」
 エッギーズが全員手を挙げ、ぴょんぴょん跳ねる。
「わたしがやります!」
「いーえ、わたしが!」
「なんだと、わたしが!」
「わたしがやるんだ!」
「わたしがボスの役にたつんだ!」
 ボカスカと殴り合いを始めたエッギーズにディメンシアは天井を仰ぐ。互いに殻が割れそうにもみ合う卵を仲裁し、指示を出し直す。ディメンシアはエッグの一人を指名する。
「じゃあ、あなた。あなたが買い出し係」
 使命感に満ちた顔でメモを受け取ったエッグから、隣のエッグがメモを奪い取る。
「いやいやぜひわたしにお任せください!」
「なんだと返せ! わたしが頼まれたんだ!」
「わたしにこの仕事を任せてください!」
「いやぜひわたしに!」
「わたしは買い出し検定二級です!」
 再びもみ合いをはじめたエッギーズにディメンシアは項垂れた。いったいどうすればいいんだ。
 喧噪に引き寄せられたのか、キチネットを覗きに来たアラスターが、ディメンシアが困り顔をしているのを見てニタニタ笑った。
「ヒヨコちゃんが卵を集めて何をピヨピヨやっているかと思えばこれはこれは。はかどっていますか、ディメンシア」
「キレそうです」
「私の気持ちが分かったのでは?」
 アラスターの発言にディメンシアは目を剥く。ここまでひどくはないだろう。どうだろうか。そうであってほしい。アラスターはディメンシアの足下の惨状を一瞥すると鼻を鳴らす。
「リーダーシップについて教えてあげよう」
 アラスターはステッキをエッギーズのもみ合いのただ中に勢いよく突き立てた。ガツン、という大きい音と硬そうな石突きにおののいたエッギーズがぱっと顔を上げると、笑顔のアラスターに「静かにしろ、かち割られたいのか」と睨まれ、すっかり静かになる。アラスターはディメンシアの肩に手を置き、ゆっくりと体重をかける。
「有効なのは、恐怖と支配」
 ディメンシアは渋い顔で「なるほど」と呻いた。身につまされる光景だ。
 アラスターは震え上がるエッギーズのうち、最も怯えた一人を指名する。
「そこの卵、コーヒーを淹れなさい」
 指さされたエッグは死刑宣告を受けたように膝から崩れ落ち、指名を免れたエッギーズが遠巻きに「早くやるんだ」「ボスを怒らせるな」とけしかけた。
 エッグはとぼとぼとミルクパンで湯を沸かしはじめる。湯がぶくぶくと沸いた頃、エッグは震える足を滑らせ煮立った湯に落下する。それを見たエッギーズが悲鳴を上げた。
「フランクがゆで卵になってしまう!」
「助けるんだ!」
 エッギーズがワッとミルクパンに殺到する。
「押すな押すな!」
「殻が割れてしまう!」
「このままではポーチドエッグになってしまう!」
 火にかかった鍋のまわりで右往左往するエッギーズにディメンシアは盛大な溜息をついた。ディメンシアはミルクパンを火からおろし、茹でかけのエッグに冷水をかける。アラスターが面白そうにディメンシアに寄りかかった。
「さすがはヒヨコちゃん。ヒヨコ以前の卵よりは使えるようですね!」
 全然嬉しくない。
 アラスターはエッギーズにちょっかいをかけるのにも飽きたのか「ではコーヒーを淹れてくれ」と言い残しキチネットを去ろうとする。ディメンシアがぼやくように「じゃあかわりに買い出し行ってくれます?」と呟くと、アラスターは振り返ってディメンシアを見た。ディメンシアは「冗談です」と呻く。
 アラスターはニヤニヤしながらディメンシアの背後を指さす。ディメンシアが振り返るとカウンターに切らしていた備品が乗っている。目を丸くするディメンシアに、アラスターは「さて、コーヒーブレイクです!」と悠々とロビーに戻ろうとする。
「いや、すみません、無理です。まだ他にもやることがあって」
 ディメンシアが「備品ありがとうございましたコーヒーはポットに作り置きがあるのでお好きにどうぞー」と尾を引くように叫びながら、キチネットを飛び出し倉庫に走って行く。最後の方はほとんど聞こえなくなったディメンシアの声を聞きながら、アラスターは「……まあ、いいでしょう」と呟き、水風呂に浸けられたエッグを覗き込む。
「コーヒーの相手をしてくれます?」
 誘われたエッグが短い悲鳴を上げた。