インターネット絶許デーモン



 ロビーのソファで寝落ちしていたディメンシアは向かいのソファに誰かが座る気配で目が覚めた。ディメンシアがちらと横目を向けると、チャーリーがそっとこちらを窺っていた。ディメンシアはとろとろと起き上がると、半分眠ったままチャーリーに会釈する。ディメンシアが目を覚ましたことに気が付いたチャーリーは「起こしちゃったかしら?」と言う。ディメンシアは目をこすりながら首を横に振った。
「変な夢をみていたかも」
「あら、素敵! どんな夢?」
 ディメンシアは「覚えていなくて」と首を傾げる。チャーリーは「思い出したら教えてね」と言うと、スマホをディメンシアに差し出す。ディメンシアは怪訝な顔をした。自分の顔を反射する暗い液晶を見てから、チャーリーの顔を見る。チャーリーは笑顔を隠せないような不思議な表情をしていた。
「これ、私とヴァギーからのプレゼントよ」
 それを聞いて、ディメンシアは座ったままソファの上で跳ね上がった。眠気も忘れて高速でチャーリーの顔とスマホを見比べる。
「え? スマホですか? いいんですか? 本当ですか? 私に!?」
 目を回しそうなほど喜んでいるディメンシアの顔を見て、チャーリーはいたずらが成功したようににこにこ笑う。スマホの画面を表示し、メッセージアプリをディメンシアに見せる。
「ホテルのみんなの連絡先ももう入れてあるから」
 バーカウンターに座っていたエンジェルダストがそれを聞きつけ、ディメンシアのほうにスマホを握った手を挙げた。
「ディメンシア、スマホ処女開通おめでとお! 初メッセージはおれにちょうだい」
 ディメンシアはおろおろとチャーリーの手からスマホを取り、たどたどしい手つきで液晶に触れる。エンジェルダストは自身のスマホがディメンシアから犬のスタンプを受信したことを確認し「ディメンシアのはじめてもらっちゃったー」とけらけら笑った。
 ディメンシアはスマホを手にバーカウンターに駆け寄ると、カウンターの向こうに身を乗り出しハスクに詰め寄る。
「ハスク、あなたにもメッセージを送っていい?」
 ハスクはグラスを磨く手を止め、苦笑しながら肩を竦める。
「構いやしないが、この距離でか?」
「近いですか? 少し離れます」
 ディメンシアは壁際まで移動し、ハスクに猫のスタンプを送った。それを見たハスクは片眉を上げ、ディメンシアに向けてスマホを掲げて見せる。ディメンシアはソファまで戻ると、何度もどもりながらチャーリーにありったけのお礼の言葉を並べた。チャーリーの笑顔が苦笑にかわり「もう……もう大丈夫よディメンシア、喜んでくれて嬉しい……喜んでくれたのは分かったから……」と言ったところでやっとディメンシアはお礼の土砂降りをチャーリーに浴びせるのをやめた。
 ディメンシアはスマホを両手で持ち、崩れるようにソファに座った。その途端、蠢く黒い影のあわいから現れたアラスターがディメンシアの隣に座り、悠然と脚を組むとディメンシアの肩に腕を回した。アラスターはディメンシアに一瞥もくれずに、退屈そうに自身の指先を眺める。
「いいおもちゃをもらったようですねェ、ディメンシア。私にも見せてくれます?」
 ディメンシアの笑顔が凍り付く。ハスクが「おいでなすった」と鼻を鳴らし、チャーリーは困ったようにこめかみに指先を当てる。アラスターが立板に水とばかりに捲し立てる。
「それで何をする? ニュースを見る? タレントの根も葉もないゴシップを交わして自殺に追い込む? 違法アップロードのコミックを読んでもいいし、戦争に巻き込まれて哀れに惨殺された子供の画像で平和への意識を高めてもいいし、Amazonで詐欺商品の出品と違法ウェブカジノで一攫千金、なんて夢があるんでしょう、それにツイッターで人種差別するほど楽しいことはない。ああ、そうそう、贖罪への攻略情報が載っているかもしれないナァ。もしかしたらキミの記憶が戻るかも。オッケーグーグル、私の奪われた記憶について教えて? ハハ! インターネットはサイコー!」
 チャーリーは軽く手を上げアラスターの口上を制止する。
「アラスター、あなたが……伝統を大切にするのは尊重するし、インターネットは確かに危険な面もあるわ。でもいい面もある」
 アラスターは唇の片端を上げ、挑発的な表情をした。たとえば、とチャーリーは視線を上に向ける。
「私たちは多くの人と繋がれるようになったし、連帯できるようになった。それって素晴らしいことじゃない?」
「いいですねェ、連帯して大統領官邸に押し入ろう! コロナウイルスは政府のでっち上げで、ワクチンは製薬会社の人体実験、地震は人工地震に間違いない! アポロ11号は月に降り立っていないし、地獄の王はレプティリアンでゴムマスクだ! ディメンシア、頭にアルミホイルを巻いておくといい!」
「アルミホイル?」
 ディメンシアは自身の額に手を当てた。アラスターはディメンシアの肩に顎を置き、耳元で囁く。
「いいですか、アナタが私の足のサイズを知りたいとしましょう」
「な、なんで足のサイズ?」
「インターネットにはそれ以下の情報しかないから。話を戻します。アナタは値引きタグみたいなちんけな白いバーにこう打ち込む。アラスター、スペース、足のサイズ、スペース、何センチ」
 ディメンシアは話が見えて来ず「はァ」と相槌を打った。アラスターは察しの悪いディメンシアにやれやれと溜息をつく。耳に息があたってボワボワした。
「そうすると、検索一位のページ数はこう。ラジオデーモン、アラスターの没年は? 彼女はいるの? 結婚はしてる? 七年間何してた?」
「足のサイズの話はどうなったんです?」
「検索二位はこうだ。アラスターの出身は地獄? 悪魔を何人殺した? 生前もラジオパーソナリティだったって本当? 頭のあれは耳? それとも髪? 調べてみました!」
「……詳しいですね、アラスター」
 アラスターはディメンシアの呻き声を完全に無視した。へらへらした笑顔を浮かべているが、相当苛立っている感じがする。ディメンシアは首を竦めた。アラスターはディメンシアの顔を覗き込む。
「それで、何が分かると思う?」
「……アラスターの足のサイズ?」
「ニャハハ! 答えは"何も"! 調べてみましたが分かりませんでしたと繰り返して閲覧数を稼ぐだけのクソ記事だらけだ! ディメンシア、インターネットってのはそんなもんです。口を開けて流動食が流れ込むのを待つ家畜以下の生き物のための疑似ユーモア装置。自分に必要な笑いすら分からないすかすかの脳味噌がぷかぷか浮かぶ藻だらけのプールです。よもやアナタはそんなものを欲しはしませんよね、我が友よ」
 ディメンシアは渋い顔をして「ああ」と「うう」の中間あたりの音を口の端から漏らした。アラスターの一席に、チャーリーは頭を抱え、ハスクは溜息をつき、エンジェルダストは完全に興味を失いディメンシアのスマホにスタンプ爆撃をしていた。ぴろん、ぴろん、と間抜けな通知音だけが等間隔に聞こえる。
 チャーリーは目を閉じ、アラスターに何と声をかけるかたっぷりと迷った。慎重に慎重を重ね言葉を選び、アラスターに提案する。
「でも、アラスター、自分に何が必要かは、最終的にはディメンシア自身が選ばなくっちゃ」
「その必要が?」
「もちろんよ。ディメンシアは自分の責任で、自分の行動を選ぶの」
 アラスターは凶悪な笑みを浮かべ、ディメンシアの肩を指先でとんとんとんと叩く。
「自ら選んで私の隣に座って震えあがっているようなおばかさんにまた責任をおっかぶせようとはなんてひどいんでしょうまあそれはいい。ならばディメンシアは自分でスマホを手に入れればよかった。それを怠って他人に与えられたものに尻尾を振ってがっつくだけなんて、チャーリー、アナタの言葉を借りれば責任ある行動とは言えない。そうでしょう?」
 ラジオデーモンに口喧嘩で勝てるわけもない。チャーリーは口を噤んで口角を下げると、この話は終わりとばかりに両手を振った。
「とにかく、これは――そう、業務用スマホだから! アシスタントをしてもらうのに、出先で連絡が取れなくなるのは困るわ!」
「私は困りませェん」
「私たちは、困るの! いいかしら、ディメンシア、これは業務命令です! スマホは必ず持ち歩くこと!」
 スマホを手離さないながらも伏し目がちにアラスターの顔色を窺うディメンシアにチャーリーは溜息をつく。チャーリーはディメンシアの方に向き直る。
「ディメンシア、スマホをテーブルに置いて」
 チャーリーが言うと、ディメンシアは怪訝な顔をしながら素直にスマホをテーブルに置く。
「胸の前で指を組んで、そう。そして、首を傾げて――」
 実演するチャーリーに倣い、ディメンシアは胸の前で指を組み首を傾ける。チャーリーは「そうそう上手よ」と頷いた。
「そして、目をキラキラさせて、アラスターおねがい、って言うの」
 そこまで言われるに至り自分が何をさせられそうになったか気が付いたディメンシアは胸の前で組んだ手を解いた。いかにチャーリーの頼みでもそれは聞けない。こういう怒り方をしているときのアラスターにそういうふざけ方は最も避けるべきだ。比喩でなく殺される。
 無言で首を横に振るディメンシアにチャーリーは「ヴァギーにお願いごとするときはこれが一番効果があるのに」と頬を膨らませた。そういうことは恋人同士でだけお願いしたい。
 チャーリーとディメンシアのやりとりを見ていたアラスターは「まあいいでしょ」と芝居がかって手を広げた。
「ディメンシアが自分の責任で選んだ行動なら、私は尊重します」
 アラスターの言葉にチャーリーは満足そうに微笑んだ。アラスターはディメンシアの耳元でディメンシアにだけ聞こえるように「でも保護者によるフィルタリングはオンにします」と囁いた。それで済むならなんでもいいとディメンシアは思い、エンジェルダストのスタンプ爆撃の通知をオフにした。