Helluva Friends



 ホテルの食堂で昼食をとり終えたヴァギーは、テーブルにさっとコーヒーを置かれ視線を上げた。ディメンシアが物言いたげな顔でテーブルの脇に立っている。ヴァギーは一瞬怪訝な顔をし、カップに手を伸ばした。
「……ありがとう?」
「ええ、はい、どうぞ」
 淹れたてのコーヒーのいい香りがする。ヴァギーがコーヒーを口にしたのを目にしても、ディメンシアは感想を尋ねるでも、その場を去るでもなく「ここ、いいですか」とヴァギーの向かいの席を指差した。ヴァギーはそんなところだろうと片眉を上げる。
「いいわよ、どうぞ」
 ディメンシアはヴァギーの向かいに座ると、鋭い爪のある手で何かを手繰るような細々とした動きをしながら何から話せばいいか考えあぐねているようだった。ヴァギーはコーヒーを飲みながらディメンシアが話し始めるのを待つ。
「このあいだ、スマホをいただいたでしょう?」
「ああ、そうだった。業務用スマホね。仕事の効率はあがった?」
 ヴァギーが意味深に口角を下げながら言うと、ディメンシアは意図するところを察したのか喉奥で笑った。
 ヴァギーはディメンシアをアラスターの一味だと判断し、最初こそ警戒の態度をとっていたが、共に働くうちに分かったことがある。ディメンシアは真面目で誠実な悪魔である。”悪魔並み”に殺したり脅したり壊したり盗んだり騙したりはするが、とりたてて悪行を論うほどではない。地獄でそのあたりはルーティンワークだ。
 ヴァギーはアラスターがディメンシアを無理に付き従わせているのかとも疑ったが、どうやらそういうわけでもないらしい。アラスターはディメンシアをわざとらしく友と呼んだ。ディメンシアがアラスターのことをどう思っているのかは、分からない。
「それで、SNSで友達が出来て――」
「待ってあんた、SNS やってるの!?」
 ヴァギーが目を剥くと、ディメンシアは気まずそうな顔をして口元で指を一本立てた。ヴァギーは「まあいいわ、続けて」と先を促す。
「このあいだ、オフ会してきたんです」
「オフ会!?」
 ディメンシアははにかみながらスマホで画像を見せてくる。ヴァギーは画面を覗き込んだ。ディメンシアと二人の若い悪魔の自撮りがSNSで共有されていて、いくつかいいねがついている。
「あんた……アラスターにバレたら殺されるわよ」
「でもアラスターはネットは見ないので」
 ヴァギーは額をおさえて天井を仰ぐ。アラスターと付き合いが長い割に不用意だ。なるべくディメンシアの反発を呼ばないよう言葉を選びながら諭す。
「それならいいんだけど。でもアラスターは関係なく、ディメンシア、SNSに写真をアップするときは、個人情報にもっと気を付けないと駄目。誰が見てるかわかんないんだよ。それに、ネットで知り合った人とそんな簡単に会うのは警戒心がなさすぎる。もしあなたに何かあったら、チャーリーが悲しむ」
 ヴァギーの言葉にディメンシアは立ち耳を伏せた。ヴァギーは溜息をつく。
「次から気を付けて。それで、楽しかった?」
 ディメンシアは「はい、とても」と頷いた。ふうん、とヴァギーは画像をスワイプしていく。初対面のオフ会とは思えないほど打ち解けた雰囲気が画像からでも見て取れた。
「この二人は……家族の、その、ちょっとした問題について話をしていて」
 ディメンシアは写真にともに写る悪魔を指先で示した。
「この子は、お父様とお母様の仲がよくなくて、しょっちゅう喧嘩ばかりなんだそうです」
「それは気の毒ね」
 ディメンシアの指先が隣の不機嫌顔のヘルハウンドに滑る。
「そしてこの子のお父様――義理のお父様らしいんですが、この子に理解が無くて、職場の部下をストーカーしてて、それでこっちの子のお父様と寝ているって」
 ヴァギーは一瞬「キモすぎ」と言いそうになったのであるが、なんとか堪えて「それは……複雑だね」とコメントするに留めた。ディメンシアは苦笑する。
「私は親の話は出来ないので、その……話を合わせるためにアラスターのことを話しました」
「ワオ、最悪パパ選手権ならダントツ首位に躍り出そうな男をエントリーさせたんだ。それで、なんだって?」
 ディメンシアは楽しそうな画面を消すと、スマホを上着のポケットにしまった。両手をテーブルの上に置き、眉根を寄せる。ここからが本題であるらしい。
「誰かの記憶を奪うという行為は、悪魔であっても異常ですか?」
 ディメンシアの問いに、ヴァギーはカップをテーブルに置く。
「そう言われたの?」
 ディメンシアは曖昧な表情を浮かべ首肯する。どうやらアラスターの所業は若い女悪魔二人に相当悪しざまに罵られたらしい。その場に立ち会いたかった。ヴァギーもラジオデーモンに言ってやりたいことは山ほどある。ヴァギーはどう伝えるのか迷ったのであるが、今さら取り繕ってもしかたあるまいと「異常だよ」と単刀直入に伝えた。ディメンシアは「そうですか」と浅く頷く。
「私はこれまで、それをあまり気にしていなかったのですが……色々言われて気になってきてしまって」
「アラスターに聞いたことは?」
「あります」
「彼はなんて?」
 ディメンシアは黙ったまま肩を竦めた。それでおおよそ何があったかは分かる。
「だから、もし、私の記憶を取り戻す方法があれば――それが無理でも、私が何者だったか知るような方法があればと思いました。何かいい方法を知りませんか?」
 ヴァギーは腕を組み、考えを巡らせる。
「あんた、元人間だった? それとも地獄生まれ?」
「覚えていません」
「じゃあ、アラスターと会う前は何してた?」
「それも覚えていなくって」
「昔のあんたを知ってるような奴は?」
「……アラスター?」
「悪いけど、お手上げ」
 ヴァギーは両手を挙げて見せる。ディメンシアは不安そうな表情を浮かべたが、すぐに「すみません、無理を言ってしまって」と苦笑した。
 ヴァギーはぬるくなったコーヒーに口を付ける。ぬるくなっても美味しいコーヒーは、アラスターが「コーヒースタンドでコーヒーを買う? ディメンシアがいるのに?」と言いはなつ代物だ。アラスターはディメンシアのコーヒーだけは褒める。
「あたしも一つ聞いていい? あんたなんでアラスターと一緒にいるの?」
 ヴァギーの問いにディメンシアは「今まで一緒にいたから」と答えた。それは知ってる、とヴァギーは右手をひらひらさせる。
「これからはどう? あんたはホテルでちゃんと働いてて、みんなの信頼を得てる。友達だってできたし、一人で立派にやっていける。それでもアラスターと一緒にいる理由はある?」
 ヴァギーの言葉に粛々と耳を傾けていたディメンシアは、何か考えるように唇を閉じた。これは長くかかるか、とカップに手を伸ばしかけたヴァギーの指先が把手にかかる前にディメンシアは自信なさそうに眉尻を下げながら「好きだから」と言った。ヴァギーはカップの把手を指先でなぞる。
「アラスターを?」
「はい、多分。いや、違うかも」
 ディメンシアは頭を抱えてテーブルに突っ伏す。ヴァギーはそれを眺めながらコーヒーを飲み干す。
「あんたのおかげでアラスターのコーヒーの好みが分かるようになった」
 ヴァギーが言うと、ディメンシアは不思議そうな顔をしてテーブルから顔を上げる。ヴァギーは他の長身の面々に合わせて高く作られたテーブルの上に身を乗り出し、ディメンシアに視線を合わせた。
「あたしはあのおしゃべりクソ野郎――ああ、ごめん気にしないで――には心底ムカついてるし多分一生好きになれないけど、あの自分以外誰一人信用していないような態度の人好きしないへらへら悪魔に好みのコーヒーを淹れてくれる友達がいるのは、よかったって思ってる」
 ディメンシアはヴァギーの言葉を丁寧に咀嚼する様子だった。ディメンシアはしばらくするとテーブルから身を起こし、納得したのかしていないのか分からない表情で「ありがとうございます」と囁いた。
「でもアラスターのディメンシアへの態度はサイアク」
「……それは、まあ、はい」
「だからもし、アラスターの態度に我慢ならなくなったらすぐ言って。チャーリーと話して、あんたを二号館勤務にしてあげるから」
「二号館? あるんですか?」
「ないけど」
 ヴァギーは声を上げて笑う。ディメンシアも笑うヴァギーを見て、口の端に微笑を浮かべた。