そこでジャンプしてズボンも置いてきな



 話はニフティがバーの床に落ちていたダイスを拾ったことに始まる。スケルトン素材の赤いダイスを拾ったニフティは「キャンディみたいで美味しそぉ!」と単眼をキラキラさせるなりそれを口に入れようとし、ディメンシアが寸でのところで阻止した。
 憤慨するニフティの口にキャンディを放り込み宥めたディメンシアはダイスを手の内で転がしながらカウンターに向かい、ハスクにダイスを差し出す。
「ハスク、備品の管理をお願いします。ヴァギーに叱られてしまうし、ニフティがダイスを食べようとしていました」
 食べる? と怪訝な顔をしたハスクであったが、素直に「悪かったよ」とダイスを受け取ろうとする。ディメンシアは両手を背後に隠し、ダイスを握り込んだ手と、空の拳をハスクの目の前に再び出す。
「どーっちだ」
 ディメンシアは目を細めて笑い、ハスクは「おい、くだらないことするな」と呆れるふりだけしたあと、真剣な顔で「左だ」とディメンシアの握り拳を指差す。
 ディメンシアは指差された拳をゆっくりと開ける。爛々とディメンシアの手が開く様を見ていたハスクは、開かれた手のひらの上に何もないのを見て悪態をついた。ディメンシアは肩を揺らして笑い「チップください」とハスクに手を差し出す。ハスクは鼻を鳴らしてカウンターのガラスキャニスターからナッツをざらりと掴みあげ、ディメンシアの手のひらの上に盛る。
 ディメンシアはハスクにダイスを返し、ナッツを摘まんで口に入れる。ハスクはダイスを手の内でいじりながら「おまえギャンブルやるのか?」と言った。そうであればハスク同様ディメンシアもギャンブルでアラスターに魂を奪われたクチか。だが、ディメンシアは首を横に振った。
「やらないのか? 少しも?」
「機会がなかったので」
 それがいい、ギャンブルなんかやらないほうがマシだ、と言いかけたハスクは口を噤む。ふと悪い考えが浮かんだ。つまり、ギャンブル初心者のディメンシアなら、いくらでもカモに出来るのではないかということだ。最近はギャンブルと適正な距離をとれていたし、定職についたために余剰資金もあるし、チームで仲を深めるためにゲームをするのは悪いことではない。ハスクはにやける口元をおさえながら、自分への言い訳を並べ立てた。
「じゃあ、いい機会だ。教えてやるよ」
 ハスクはダイスを使った簡単なギャンブルをディメンシアに手解きする。カウンターの隅で出目の大小を予測して一喜一憂しているディメンシアを、小銭を賭けるよう誘導した。ディメンシアは上着のポケットから数枚の紙幣を出す。ハスクはにんまりと笑った。
 運要素の強いダイスギャンブルは、せいぜいちょっとした余興にしかならない。しばらくゲームをしたところで、ディメンシアの持ち金は増えたり減ったりする程度だ。
 ハスクは頃合いを見てディメンシアに提案する。
「ディメンシア、ギャンブルの王様といえばなんだと思う?」
「さあ? なんでしょうか、競豚とか?」
「おいなんだそれ」
 初めて聞く言葉だ。ハスクが眉をひそめて尋ねると、ディメンシアはダイスを転がしながら答える。
「天井から人間を三人吊るして、飢えた豚が誰のどこに最初に噛み付くか賭けるんです。以前、アラスターが胴元をやっていました」
「それは変態パーティーだ、忘れろ」
 ハスクはトランプデッキを取り出すと、ディメンシアの目の前で鮮やかな手つきでシャッフルする。ディメンシアは感心した声を上げた。
「ギャンブルの王様といえば、やっぱりトランプだろ」
 ハスクはディメンシアの向かいに座り、ブラックジャックのルールを教えてやる。ディメンシアはふんふん言いながら熱心にハスクの説明を聞くので、ハスクは多少後ろめたさを覚える。だが鉄火場で情は無用である。
 説明を終え、数回のゲームをして、持ち金を半分持っていかれたハスクは呆然として「マジか……」と呟いた。ダイスではビギナー丸出しだったディメンシアが、トランプとなると異様に勝負勘を発揮してくる。
 ハスクはこのあたりで形勢を持ち直さなくてはと手札をカウンターの下ですり替えようとしたのだが、ディメンシアが「あ、そういうのもアリのルールなんですね、知らなかった」と言ってそのゲームでは二回のヒットで合計点数をぴったり二十一にしてきたのでハスクは「いや、そういうルールはない。もうやるな」と呻いた。
 ハスクは耳の付け根をかきながら、ゲームをテキサスホールデムに切り替える。壁と床の隙間の虫の巣穴を深追いしていたニフティをディーラー役にし、暇そうにしていたエンジェルダストとサー・ペンシャスをプレイヤーに加え、ビリヤード台を囲む。
 ゲーム開始直後こそ慣れない手順と複雑な役に手間取りチップを大きく減らしたディメンシアであったが、あっという間に要領を掴みそれからは着実に他のメンバーからチップを巻き上げていた。
 エンジェルダストとサー・ペンシャスが顔色を失い、ハスクがチップを全て失うにいたり、ハスクはブタの手札をビリヤード台に叩きつけた。
「クソッ、どうなってる! ギャンブル初心者は嘘か!?」
 ニフティが台上のチップをディメンシアの方に押す。ディメンシアは肩を竦めて「ビギナーズラックですかね」と嘯く。
「案外、生前のおまえはギャンブラーだったかもな」
 ハスクがぼやくと、ディメンシアは「賭博の罪で地獄に?」と首を傾げる。ハスクは片眉を上げて鼻を鳴らした。
「これじゃあ俺は文無しだ、他に賭けるものもない」
 ビリヤード台に溜息を落とすハスクに、ディメンシアは冗談ぽく笑って「今履いているズボン賭けます?」と言った。エンジェルダストが二対の手で拍手しながら「サイコー! 絶対に負けんなよディメンシア!」とはしゃぐ。ハスクはエンジェルダストを睨んだ。
「ズボンを賭けるくらいなら魂を賭けたほうがマシだ」
「それは困ります! アナタの魂にはすでに私の差押え票がついているのだから!」
 ハスクの背後からアラスターが突然顔を出す。ハスクは手で顔をおさえ、ディメンシアは目を丸くする。
 アラスターはディメンシアの手元に山になったチップを一瞥し、口の端を吊り上げた。気まずそうに言い訳の口上を述べようとしたディメンシアを、アラスターが遮る。
「教育ママじゃあるまいし、アナタの遊び方にまで口を出す気はありません。思えばアナタは昔からゲームが好きでしたから、遊びの範疇ならお好きにどうぞ。私は許します」
 ですが、とアラスターはニヤニヤした。
「ヴァギーが許すかな?」
 バーに現れたヴァギーが、ビリヤード台の上のカードとチップ、紙幣を見て眉を吊り上げた。アラスターによりすでに告げ口済みであったようだ。
「ちょっと! なにやってんの!? ここは更生のためのホテルよ! ギャンブルは禁止! 信じられない!」
 ヴァギーがカッカと怒りながら台上のカードを片付けていく。エンジェルダストが「おれらゲームで仲を深めてたのに」と唇を尖らせた。
 ヴァギーの怒りをおろおろと見守っていたチャーリーが、エンジェルダストに「それはとてもいい考え!」と人差し指を立てる。
「実はこんなゲームを用意してるの! リバーシ、チェス、バックギャモン、カタン、ドミニオン、あとゴキブリポーカーも! ギャンブルはちょっと困るけど、みんなでレクリエーションに利用してね! 私のイチオシはこれ! 「ふわふわパピーのトーキング・ゲーム」! これを使ってお互いにお互いの素直な気持ちを話してみない?」
 大量のテーブルゲームを押し付けられたエンジェルダストが目を白黒させる。ヴァギーはディメンシアに詰め寄り「お金は返しなさい」と諭す。ディメンシアはしばらく渋ったが、他のメンバーから巻き上げた金を返却した。
 戻ってきた紙幣を数えるハスクの肩に、アラスターが手を置く。
「ディメンシアにズボンまで取られなくてよかったですね」
「うるせえ」