Aunt's Cookies



 人食いタウンのメインストリート、ひときわ瀟洒な白い壁の百貨店に足を踏み入れる。目当ての人物は店のカウンターで常連相手に会話に花を咲かせていたので、ディメンシアは店を回ってタイミングを合わせることにした。にぎわう店内は店主のセンスと好みを反映してデコラティブでファンシーだ。屋根飾りのついたジェラートワゴンの中には脳味噌と肝臓のペーストが入っていて、大きな三段の回転台は色とりどりの指や目玉が満載し、くるくる回っている。ディメンシアはオルゴールの音とともにゆっくり動く回転台を飽きずに眺める。目の前を「右手、中指」と書かれたケースが通り過ぎていったところで、背後からロージーに声をかけられる。
「やだわディメンシア、来ているなら声をかけてちょうだい! ごめんなさいね、ちょっとばたばたしていて」
「すみませんロージー、私からお声をかけるべきだったのに」
 振り向いたディメンシアの肩に手を置き、ロージーは大袈裟に目を見開いて見せる。
「あらあら嘘でしょう! しばらく見ないうちに立派になって! 顔をもっとよく見せてちょうだい! 前も素敵だったけど、今はもっと素敵だわ! 背も伸びたんじゃない? よければあいさつしてくださる?」
 ロージーは控えめに両手を広げる。ディメンシアは苦笑を浮かべながらそれに応じた。ロージーはディメンシアを抱きしめる。薔薇とミルラとフランキンセンスの香りと死臭がした。
「また会えて本当に嬉しいわ。ディメンシアはいつまで私とハグしてくれるのかしら、寂しくなるけど、嫌なときは遠慮せずに伝えてちょうだい」
「いつでも、喜んで」
「もうあなたったら初めて会ったときはあんなに幼気だったのに大人になって! アラスターを模範にしているの? アラスターも魅力的な友人だけど、あなたもきっととっても素敵になるわ! あら何を見てるの? フィンガーホイール? ほしいの?」
 ディメンシアが遠慮する前にロージーは透明のパックにぽいぽいと指を詰めていく。手が二、三人分揃いそうになってもなお詰めようとするので、ディメンシアは「いえ、そんな」と呟く。
「左手の薬指が美味しいの、結婚指輪の跡があるとアタリよ。たくさん入れておいてあげる。アラスターと楽しんで」
「あ、ありがとうございます。でも、そんなには……」
「そうそう頂き物の目玉がたくさんあるから、それも帰りに持たせるわね。何色が残ってるんだったかしら? アラスターにはグリーン、あなたはグレーが好きよね?」
「ロージー、指だけで十分です」
「もう、遠慮なんかするものじゃないわ。あなたがにこにこ笑ってありがとうって言ってくれればそれでお釣りが出るんだから」
 ロージーはパックの口を赤いリボンで留め、紙袋に入れてディメンシアに持たせる。ロージーは胸の前で手を打った。
「こんなところで立ったまま話をさせてごめんなさいね、ちょっと休んで行って」
「いえ、アラスターに代わってご挨拶に来ただけなので」
 ディメンシアの言葉が聞こえないかのようにロージーはディメンシアを奥に案内する。ディメンシアはまごつきながら「じゃあ、すみませんが、少しだけ」とロージーに促されるまま、ティースペースに座らされた。
「はい、指」
 すかさずテーブルに指が置かれる。ディメンシアは眉尻を垂れた。
「ロージー、指はさっき頂いたもので十分です」
「そんなこと言わないで、美味しいんだから味見していって。ああそうだ、キドニーパイがあるの。切ってあげるからちょっと待ってね」
「ロージー、」
 十分です、と言い終わる前にロージーは部屋から出ていき、さっと戻ってくる。手にはキドニーパイと耳のスープと鼻軟骨スナックと皮膚クッキーと膵臓のサンドイッチを持っている。
「ディメンシア、お昼はもう食べたの?」
「はい、食べてきました」
「あら、でもせっかくだからこれもどうぞ。食べきれないようなら包んであげるわ」
 ディメンシアはテーブルにずらりと並んだ人肉料理を見渡し「……ありがとうございます」と呻いた。アラスターの友人であるロージーのことをディメンシアは素敵な女性だと思っているが、会うたびに山ほどの食べ物を出してくることには若干辟易している。人食いたちは揃って健啖家であることに加えて、おそらくロージーはディメンシアのことを運動部の男子高校生くらいいつも腹ペコだと思い込んでいる。
 ディメンシアは礼儀として皮膚クッキーを手にし、一口かじる。
「これ、とっても美味しいです」
「そうでしょう? 今、人食いの若い子に人気で、うちでも品切れになってるの。もし人食いの子とデートするなら、これがマストよ。デート中に齧られそうになっても、このクッキーを投げればそれに夢中になっている間に逃げ切れるから。こっちのスナックも食べてみて、美味しいわよ」
 ディメンシアは促されるままスナックを食べ、お茶を一口飲むとナプキンで手を拭く。
「お菓子が美味しくてすっかり用件を忘れていました、これ――」
「ディメンシア、話の前にスープだけ飲んでくれないかしら? 温かいほうが美味しいから」
「……はい」
 ディメンシアは小さなカップに注がれた熱いスープを飲み干す。ディメンシアがスープを飲むのを、ロージーは目を細めて眺めていた。飲み終えたあとに「おかわりいる?」と聞かれたのに「いえ十分です、ありがとう」とディメンシアは早口に答える。
 ロージーがおかわりを取りに行ってしまう前に、ディメンシアは贈り物の小箱をロージーに手渡す。
「この間の会合はすぐに解散になってしまってろくにお話もできなかったから、と。アラスターからです。あと、直接顔を見に行けず申し訳ないとも」
「あらシンデレラの心臓じゃない! それにディメンシアまで添えてくれるなんてね! ああもうアラスターったら、こういうところが大好きよ」
 伝えておいてね、と言われ、ディメンシアは笑って首肯する。
「後からあいさつするとは言っていたけど、本当に来てくれると思わなかった。だってゼスティアルへのあいさつは、あの人すっぽかしたんでしょう? ええと、腹痛だったかしら?」
「……そうですね、虹色のグミキャンディで」
 そういえばそんなでまかせで予定をキャンセルした覚えもある。ロージーは首を傾げて「あら、コットンキャンディじゃなかった?」と言った。ディメンシアは視線を泳がせ、ロージーはディメンシアの顔を見てくすくす笑う。
「いいのよ、分かってる。アラスターの馬鹿馬鹿しい嘘は好きよ。少なくとも私はね」
 笑いながらクッキーの皿を勧められ、ディメンシアはおずおずとクッキーを一枚取った。
「アラスターにとっては、ゼスティアルよりロージーのほうが大切なんだと思います」
「いけないわ、敬老の精神は大切。ディメンシア、真似しちゃ駄目だからね」
 ディメンシアは苦笑して頷く。クッキーを食べ終えたディメンシアが「お忙しいところすみませんでした」と言うのと、ロージーが「キドニーパイもどうぞ」と言うのがほぼ同時だった。
「ロージー、十分です」
「あらそう? じゃあ包んであげるから温めて夕食に召し上がってね」
 ロージーは店員を呼び付け、テーブルの上の軽食を包むように指示する。店員は軽食を見てボタボタと涎を垂らしていた。そんなに食べたいなら食べてもらっても構わないのだが、とディメンシアは思う。
 やがてお土産の詰まった大きな紙袋を持った店員が戻ってくる。ディメンシアはそれを受け取り、あまりの重さに「ワァ」と呻く。店内を通ってエントランスに向かう途中、ロージーは「これも持っていってね」と棚から取った動脈血トリュフの箱を紙袋に押し込んできた。
 エントランスから出ようとしたところで、ロージーは「ああ!」と声を上げた。
「私ったらうっかりしていたわ、ディメンシア、ちょっと待ってて」
 ロージーは店内に戻ると、しばらくして小走りにディメンシアのもとに現れた。手にはリボンのかけられた白い箱を持っている。
「目玉! 持たせるって言ったのに忘れてたわ! ごめんなさいね、グレーを切らしてて。そのかわりにブルーとアンバーをたくさん入れておいたから」
 ロージーはその箱もディメンシアの持つ紙袋に押し込み、ディメンシアの肩に腕を回して抱きしめる。
「いつでも遊びに来てね、大歓迎よ」
「ありがとう、ロージー。ロージーもホテルに遊びに来てください」
「あのおかしなホテル? ええ、ぜひ」
 ロージーに送り出されたディメンシアは、往来で「美味しそうなにおいがする!」「どこだ!? 探せ!」と殺気立つ住人たちから逃げるように人食いタウンを後にした。

 *

 ホテルに戻ったディメンシアはお土産の紙袋をアラスターの部屋に持っていく。ノックの応答を待ち部屋に入ると、アラスターは大きな紙袋を下げたディメンシアを見て「あいかわらずの可愛がられようだ!」と笑った。ディメンシアは肩を落とす。
「ロージーは私のことを飢えてると思っているんです」
 アラスターは紙袋の中から取り出した白い箱を開けると、グリーンの目玉を摘まみ上げ「さすがロージー」と口の中に放り込んだ。
「ロージーはどうしてあんなに私にあれこれ持たせようとするんでしょう。……あ、もしかして生前の私はおばあちゃん子だったりしたのかな」
 独り言のように呟いたディメンシアの言葉に、アラスターは笑顔を向ける。ディメンシアは表情を強張らせ「あ、いえ、ロージーをおばあちゃんと言いたいわけではなくて」とへどもど言い訳した。
「口を慎みなさい、ディメンシア。ロージーはレディです」
「すみません」
 ディメンシアは重い紙袋を見下ろし「これ、どうしたらいいでしょうか」とアラスターに尋ねる。二人で食べきるには少々多すぎた。
「ホテルのみんなに食べてもらおうかと思うんですけど」
 ディメンシアが言うと、アラスターは「私は構いませんが」とニタニタ笑った。
「人食い以外の悪魔は人肉を好まない者が多いが、ディメンシアがぜひオススメしたいと言うなら止めはしない」
 それを聞いてディメンシアは言葉を失うほど驚いた。「え! そ、そうなんですか!? みんな食べてるとばっかり! 先に言ってください!」と思わず大きな声をあげる。
「私は美味しくいただくのでね。ディメンシアだって何も言わずに食べていたでしょ?」
「いや、それは……そうですけど……」
「何か問題が?」
「問題というか……」
「地獄に堕ちようと元人間が喜んで人間の肉を口にするわけがありません」
 アラスターはディメンシアの手に紙袋を押し付け「アナタがもらったのだから、アナタが食べなさい」と言った。ディメンシアは紙袋の重さとアラスターの言葉に、口元を押さえて小さく頷いた。