レインボー・キャンディかラブ・ポーションか



 シャーロット――チャーリー・モーニングスターが地獄のプリンセスと知ったディメンシアは「ぎゃ」と小さな悲鳴を上げた。二十四時間営業のパブには昼夜を問わず床に酔っ払いと死体が転がっている。ディメンシアは足元に這いつくばりげろげろと嘔吐する死体寸前の酔っ払いを爪先で押しのけた。
「あんた知らんのか? 我らが敬愛する王女殿下サマを」
 安酒一杯でディメンシアにチャーリーのことを教えてくれたマスターは、店の片隅のテレビを指で示した。今朝の番組が編集され、滑稽な効果音を付けられて再放送されている。特にチャーリーとケイティが取っ組み合いになった場面は、あらゆる角度からの映像がスローモーションも交えてしつこく流されている。ベイビーちゃん、地獄は初めてか、俺がなんでも教えてやろうか、と手を伸ばしてくるマスターの指を、ディメンシアはテレビを観ながら天井に向けてへし折る。マスターは悲鳴を上げてカウンターの向こうに引っくり返った。
 コーヒーは用意した。着替えも揃えてきた。靴も磨いたし、あのお嬢さんが喜びそうな手土産を用意するのもどうにかしよう。鹿は後回しだ。だが、どうすればこの国の王女殿下に面会の取次ぎが出来るのか、ディメンシアは寡聞にして知らない。ディメンシアは王城の豪勢な門扉に向けて「すみませーん、チャーリー王女殿下とお話ししたい悪魔がいてぇ!」と大声をあげる自分を想像し、カウンターテーブルに突っ伏す。二秒後には蜂の巣だろう。
 方々に伝手のありそうなアラスターはすでに出かけてしまい、ディメンシアから連絡を取る手段はない。アラスターはいかなる場面でもディメンシアを一方的に呼びつけることが出来るというのに、不便なことだった。ディメンシアはアラスターにスマートフォンなどと贅沢は言わないので、らくらくフォンくらいは持ってほしいと願っている。叶うことはない願いだった。
 ディメンシアは折れた指について喚くマスターに「電話借りられます?」と声をかける。少々交渉は難航したが、暴力に訴えずに電話を借りることができた。但し鼻柱へのパンチ一発までは暴力に含めないものとする。
 ディメンシアはパブの古びた据え置き電話で、先ほどのテレビCMで表示されたハッピーホテルの電話番号をプッシュする。チャーリー本人が出ずとも、関係者は出るだろう。なんとかして本人に取り次いでもらうしかない。
 べたつくボタンをプッシュし、埃まみれの電話機から発信した瞬間、コール音が鳴るか鳴らないかの早さでとられた電話の向こうから女性の明るい声が聞こえる。
「ねえだから言ったじゃないヴァギー! 電話は絶対に来るって! はい、ハッピーホテルオーナーのチャーリーです。あなたが電話をかけてくれて本当に嬉しヤダ、嘘でしょ駄目――」
 悲鳴と爆発音とともに電話は途切れる。ディメンシアはツー、ツー、と平坦な不通音を聞きながら電話のコードを指に絡めた。しばらく目を伏せた後、同じ電話番号にかけ直す。応答はなかった。どうしたものか、と考えたが、少なくとも掲示された電話番号にかければチャーリーに繋がることは分かった。電話の向こうから聞こえた声は、番組に出ていた若い女性と同じ声だった。プリンセスへの直通電話の番号がテレビ番組で放送されてしまっていたとは、地獄の治安もいいのか悪いのか分からない。
 電話が不調だったのか通話は切れてしまったが、オープンしたばかりのホテルならば施設の不備もあるだろう。後ほど連絡すれば、通じるようになるかもしれない。
 ディメンシアは電話をかける前よりは多少軽い気持ちになり、受話器を置いた。電話連絡は再度試みるとして、まずは手土産を用意しようと店を出る。店を出るときにマスターが鼻血でふがふがしながら「どうも、またのご来店を」と言うのを背中で聞いた。
 往来に出たディメンシアは小走りにギフトショップに駆け込んだ。チャーリーと同じ年頃に見える女性店員に「若い女性への手土産を探しているのですが」と声をかけると、店員はにっこりと笑って間髪入れずに「セックスドラッグはいかがでしょうか」とピンク色の小瓶を指し示した。
「一滴で効果抜群、アフリカゾウも一撃。メロメロのぱおんぱおんでございます」
「ぱおんぱおん?」
 ディメンシアは胡乱な顔で店員の言葉を復唱する。
「どなたにもお喜びいただける高品質のお品です」
 店員が「こちらは麻痺作用付き、こちらは記憶を消す作用が添加されていて」と次々シリーズを取り出すので、ディメンシアは慌てて首を横に振った。
「あー、そういう……深い仲の方へのプレゼントではなく、御挨拶の手土産を探しているんですけど……」
「ではこちらのレイプドラッグが最適です。ローズの香りがいたします」
 執拗に薬物を勧めてくる店員に、ディメンシアは額に手を当て項垂れる。偏ったプレゼント観を持つ店員に声をかけてしまったようだ。ディメンシアは慎重に言葉を選びながら、店員に欲しいものを説明する。
「簡単なお菓子なんかがいいんじゃないかと考えてるんです。軽くて持ち運びしやすく、ちょっと目新しくて、見た目の華やかな、美味しいお菓子。あります?」
 ディメンシアの申し出に店員は難しい顔をして首を捻る。「そんなに難しいことを頼んだだろうか」とディメンシアも首を捻った。店員はつまらなそうに壁際の陳列棚を指さした。
「ああいうお菓子とか……でもちょっと退屈かも」
 確かに薬物よりエキサイティングなプレゼントもそうないだろう。ディメンシアは店員に会釈し陳列棚に向かうと、商品を手に取る。虹色のコットンキャンディだった。
「……本当にあるんだ」
 小さく呟いた瞬間、耳の裏でギュルギュルと周波数のあわないラジオのような異音がする。視界が揺れ、思わず数回まばたきすると、視界が色とりどりのギフトショップからホテルのラウンジに変わっていた。アラスターに呼び出されたらしい。慣れているので慌てることもない。
 ディメンシアは目の前にチャーリーが立っているのを見つけ「あ!」と声をあげると、すかさずチャーリーに手を差し出す。
「はじめまして、ディメンシアです。アラスターがあなたに御挨拶をさしあげたいということなのですが、お時間をとっていただけますか?」
 チャーリーは目を丸くし、ディメンシアの手を取ると軽く上下に振る。それからディメンシアの背後に困惑げな視線を向ける。ディメンシアは怪訝に思いチャーリーの視線の先を見ようとしたのだが、その前に背後から肩を叩かれた。
「ディメンシアはいいアシスタントになります。業者の対応、在庫管理、スケジュール管理もね。心配しないでください、この子は優秀です。何より素晴らしいのは、完璧じゃないトコ!」
 すでに訪問しているのに訪問のアポイントメントを取ろうとするなんて、笑えるデショ? とアラスターが言う。ディメンシアにしてみれば笑えない状況であったが、とりあえず半笑いで「こちらみなさんで召し上がってください」と虹色のコットンキャンディのバケツを差し出した。チャーリーは「なんて可愛いキャンディ!」と目を輝かせ、傍らのヴァギーが「なんでコットンキャンディ?」と眉根を寄せている。ディメンシアがちらとアラスターを盗み見ると、アラスターはおかしそうにニヤニヤ笑っていた。笑ってもらえたなら何よりだ。
 チャーリーは明るく微笑み「仲間が増えて嬉しいわ。いっしょに頑張りましょうね」と言う。面食らったディメンシアがアラスターを振り返ると、アラスターはちょっと肩を竦めて両手のひらを広げて見せた。つまりそれは――それは、どういうジェスチャーだ。ディメンシアはよく分からないまま「よろしくお願いします」と尻すぼみに挨拶した。チャーリーは「いっしょにこのホテルでみんなを更正させましょうね! ……初仕事なんだけど、ホテルの電話が吹っ飛んじゃったの。それで、修理の依頼をお願いできるかしら」と宣言した。
 それを聞いたディメンシアは口の中に突然酸っぱいものを突っ込まれたような顔で「ワァ」と呟く。だが前からはチャーリーにハグされ、背後から肩にアラスターの手を置かれ、ディメンシアは「業者に連絡します」と呻くほかなかった。
 つかつかと近寄ってきたヴァギーがディメンシアを睨み上げ「あたしはイカれたおしゃべり男も、あんたも、信用していない」と鼻を鳴らす。ディメンシアは背後でニタニタ笑うアラスターとヴァギーの顔を順に見て、眉尻を下げて「努力します」と肩を落とす。ディメンシアの様子を見て眉を上げたヴァギーは、チャーリーのニコニコ笑う顔をちらと見た後、ディメンシアの顔を見て少し申し訳なさそうに「ごめん、言い過ぎたかも」と呟いた。