Change! Body! Junkie!



 「アラスターとディメンシアの中身が入れ替わってる」と腹を抱えて笑うエンジェルダストと「ホテルの前でジャンキーが死んでるぞ」とうんざりしたハスクから同時に報告を受けたチャーリーは混乱して「え? アラスターがジャンキーでディメンシアが死んでる?」と口走った。
「ハハハ! それは愉快な状況ですね! 少なくとも今よりは!」
 マイク仕様のステッキを手にしたディメンシアが険のある表情でチャーリーの背後に現れた。チャーリーは突然現れるディメンシアに驚いて振り返る。ハスクが「死体は放っておいていいのか?」とチャーリーに声をかけると、チャーリーは頭を抱え「うーん、今はこっちを優先! だって死体はもう死んでるんだし……」と呻いた。
 チャーリーはホテルのロビーに据え付けられたソファに座る。ディメンシアがするりと隣に座ってきて、その遠慮のない振る舞いがいかにもアラスターであったのでチャーリーは「ええと……アラスター? 本当に?」とディメンシアの顔を覗き込む。ディメンシアは歯列を剥き出しにして笑った。
「いかにも! お見苦しいところをお見せして申し訳ありません!」
 ディメンシアの声にざらざらとしたノイズが被っている。チャーリーがまじまじとディメンシアの顔を見つめていると、客室階に繋がる階段をアラスターが小走りに降りてきた。
「アラスター、なんか口の中が変な味するんですけど、あなた昨夜何食べたんです? 歯、磨きました?」
 アラスターの声にはノイズが入らない。チャーリーは困惑げに眉を下げるアラスターと、胡散な笑顔のディメンシアを順に見た。ディメンシアが立ち上がり、アラスターの頬を抓むと上に引き上げる。
「ディメンシア、ほゥら笑顔を忘れていますよ。私の顔でそんなシケた表情をしてはいけません」
 爪先立ちになってアラスターの口角を無理矢理上げるディメンシアを見るに至り、チャーリーはエンジェルダストの言葉が比喩や冗談ではなく真実であったことを理解した。
 チャーリーがディメンシアに向かい「ディメンシア……ではないのね、アラスター?」と問いかける。ディメンシアは困惑げなチャーリーを見て心底楽しそうにニタニタした。
「どうぞ遠慮なくディメンシアとおよびくださァい。外見と名前の一致は重要ですから」
 ディメンシアはぱちんと指を鳴らしてアラスターを指差し、アラスターは肩をすくめる。チャーリーが二人を見比べながら尋ねる。
「いったいどうしてこんなことに?」
 チャーリーの言葉に、ディメンシアはアラスターの腰に腕を回した。
「それは私たちがとーっても仲良しだからでぇす! あなたがたも好きでしょ? シェアってやつです。或いは選べるランチプレート、或いはディナー後のアイスクリーム、或いは本、部屋、自転車」
「体もシェア?」
「そゆこと」
 ディメンシアがアラスターの背を手のひらで叩く。気もそぞろに天井を眺めていたアラスターは、疲れた顔で「飲み物を用意してきます」と言った。チャーリーは、甲斐甲斐しく皆のコーヒーを淹れるアラスターを想像し、口をへの字にした。ディメンシアは楽しそうに「私を顎で使える機会なんてそうありませんよ、せっかくだからパイでも焼かせましょう!」とアラスターの頬を指先でつついている。
 チャーリーは遠慮がちに胸の前でアラスターに手のひらを向けた。
「飲み物は平気よ、ありがとう」
 チャーリーの言葉にアラスターが軽く微笑む。チャーリーは頭を抱えた。
「ディメンシアがラジオ・デーモンになっちゃって、アラスターは……これじゃあ好青年だわ!」
「チャーリー、私はいつでも紳士のつもりでしたが」
 ディメンシアは口角を上げながら苦言を呈する。成り行きを嬉々として見守っていたエンジェルダストがアラスターに擦り寄った。常であればするりと逃げるアラスターが、素直にエンジェルダストに肩を抱かれる。
「アーン、カァワイクなっちゃってさ! スウィーティー、おれのこと、ぎゅって抱きしめてくれる?」
 絡まれたアラスターは片眉を上げ、首を傾げると「いいですよ」とエンジェルダストを軽くハグする。エンジェルダストは「マジで!? 言ってみるもんだな!」とケタケタ笑いながらふかふかの胸毛をアラスターの顔に押し付け、それを見せつけられたディメンシアはグリルの溝にギトギトの油汚れが詰まっているのを見つけたような顔をした。
 そのとき、ホテルの外に死体の様子を見に行っていたハスクが浮かない顔で戻ってくる。ハスクはエンジェルダストをハグするアラスターを二度見し、何か言いかけたが何も言わなかった。ハスクはチャーリーに向けて「悪い知らせだ……いや、良い知らせかもな」と言う。チャーリーがソファに座りこめかみを押さえて項垂れながら「いったいなに?」と呻いた。
「あー、死んでなかった。生きてた」
 ハスクが言うのと同時にホテルのドアが開けられ、痩せたインプが転がり込んでくる。インプは呂律の回らない口振りで「ここから天国に行けるって聞いたんだけどぉ」と叫んだ。チャーリーが目を輝かせインプに駆け寄ろうとするのを、ヴァギーが押しとどめる。
「ちょっとチャーリー、あんなズブズブのジャンキーの相手しちゃだめ!」
「彼のような人にこそ救いは必要だと思うの!」
 押し問答をする二人を尻目に、ハスクがアラスターの顔をまじまじ見つめる。
「ディメンシア? おいおいマジか」
「はい、本当に」
 眉尻を下げて首肯するアラスターに、ハスクは顔をしかめた。
「なんだってこんなことになってる?」
 ハスクの言葉にアラスターは首を横に振った。
「私には分かりませんが……アラスターの悪ふざけかも」
 アラスターの返答を聞いたハスクは、大げさに自身の二の腕を手のひらでさすって見せた。
「おいそのツラのくせに素直すぎて気味が悪いぞ! 全身に鳥肌が立ってる」
 ハスクの言葉にアラスターはくすくす笑った。その笑い方もやめてくれ、とハスクも笑う。
「もっとアラスターっぽいほうがいいですか? ——ハスカー、これならどうです? 」
 アラスターの声が突然スピーカー越しのようにざらざらと響く。ハスクはぎょっとして身をのけぞらせた。アラスターがニヤニヤ笑ってハスクに顔を寄せる。
「おやァ、どうしました? アナタのリクエストなのだから、拍手の一つもしてくださったっていいのでは? ちょっぴり傷付きました」
「おい、よせよ」
「モノマネ芸なんて挑戦したことありませんけど、私は真のエンターテイナーですからァ!」
「わかったわかったよ、わかったからやめろ」
 ハスクがアラスターを押しのけると、アラスターはノイズのない声で「ちょっとは似てましたか?」と首を傾げて笑う。ハスクは溜息をついた。
「才能あるぞ、特にerの発音なんか死ぬほどそっくりで寒気がした」
 ハスクの評価を聞いたアラスターが「伊達に毎日聞いてないです」と疲れた顔をする。ハスクが「同情する」とアラスターの背中に手を置いた。
 ジャンキーのインプが素っ頓狂な声を上げ、彼をホテルの外に追い出そうとしていたヴァギーの手を振り払った。インプはディメンシアに向けて両手を広げる。
「デキシー! おまえデキシーだろ!? 久しぶりだな! 元気にしてたか!」
 インプは勢いよくディメンシアを抱きしめ、頬に盛大なキスをした。ディメンシアの中身がアラスターであることを知っているその場の全員がいっせいにその光景から目をそらした。アラスターが額に手をやり、俯く。ディメンシアはひきつった笑顔でインプを押しのけた。
「あれ、名前違ったか? ジーンだった? ダリア? まあなんでもいいや」
 インプはてんで好きな方向を向いた目をギョロギョロさせ「俺たち親友だったろ、グレン」と欠けた歯の口でへらへら笑った。チャーリーがアラスターに目配せすると、アラスターは無言で首を横に振る。
 インプはディメンシアの隣にどかりと座った。ディメンシアは露骨に嫌そうな顔をし、一人分席をずれる。
「なあ、俺困ってんだよ。金もねえし、宿もねえ。寒くて死にそうだ。酒も持って行かれっちまった。ピンクのネズミがさあ、勝手に持って行ったんだよ。ここなら天国までブッ飛べるんだろ? もうなんでもいいから静脈にぶち込みたい気分だ」
 笑顔のまま右手の鉤爪をぎらぎらさせるディメンシアを、チャーリーが小声で制止する。インプはその様子を気にしたふうもなく「あれ、ディアナ、おまえ背縮んだか? ザナックスやりすぎるとそうなるぞ」としたり顔をした。
 ディメンシアは溜息まじりに自身の手の爪先を眺めながら「チャーリー、二つに一つです。この無礼な薬物依存症患者を、私が二度と薬物を必要としない状態にするか、あなたが今すぐ叩き出すか」と笑った。チャーリーは慌ててインプを立ち上がらせる。
「ごめんなさいねここではあなたの力にはなれないと思うもしあなたが心から薬をやめて更生したいと思うならこのホテルの客室を一部屋空けておくからいつでも来てちょうだいそれじゃあまたごきげんよう!」
 チャーリーは一息にそう言いながらインプをホテルの外に追い出した。ヴァギーが「言わんこっちゃない」とばかりに首を横に振る。ディメンシアが上着についたインプのフケを手で払い落としていた。

 翌朝、倉庫の中を掻き回しながら「トイレの詰まりを直すやつがない!」と悲鳴を上げるディメンシアと、コーヒーを片手にそれを眺めながら「あれ、ラバーカップっていうんですよ。一つお利口になりまちたねー」と笑うアラスターを見かけたチャーリーは、一晩眠ったら元に戻ったらしいと胸を撫で下ろした。


 *


 インプシティのうらぶれた路地裏で、石塀のヒビに指を差し入れていた痩せたインプの背後に人影が立つ。インプはのろのろと背後に振り向いた。輪郭の曖昧な赤い人影に焦点の合わない目を向ける。
 インプを見下ろすアラスターは鋭い牙を見せつけるように笑った。
「どうも、ごきげんよう」
 インプはアラスターを見上げ、溶けかけた脳味噌から記憶を引きずり出す。悪名高きラジオ・デーモンの姿に、インプは喉を震わせ後ずさった。
「か、金はないんだ……なんでもする……殺さないでくれ……!」
 アラスターは目を細めて舌なめずりした。
「どうしてあなたを殺す必要が? ……と言いたいところですが、あなたには随分と世話になりましたからねェ」
 インプはぶるぶると震えて、その場に蹲る。
「俺があんたに何したって言うんだ……俺はただ……俺は何も……何も……ああ、クソ、虫が……痒い……痒いな……」
「ハハ! その瘡蓋だらけの胸に手を当ててよぉく思い出してみては? 泥水を吸ったスポンジみたいな脳では無意味かもしれませんが、でもポーズだけは祈ってるみたいで小気味いいでしょ?」
 アラスターはインプの伏せられた顔の横にステッキをついた。こめかみすれすれにガツンと突き付けられた石突に、インプは竦み上がる。
「あなた、ディメンシアのことをご存知ですね?」
 ディメンシアと言われ、インプは首をひねる。しばらく地面に這いずり、ぐずぐずの脳味噌の隙間から昼間のことを捻り出した。
「あ、ああー、グレアムか! あ、あいつは……あいつはロクデナシだ! 俺よりも、ああ、母さん! もうぶたないで!」
 アラスターは鼻を鳴らし、先を促す。インプは許しを乞うようにアラスターを見上げた。
「あいつには気をつけたほうがいい。俺は、知ってるんだ。あいつはあんたを……あなたを殺そうとしていた」
「それは興味深い!」
 インプはアラスターの反応にへらへらと追従の笑みを浮かべる。
「そうだ、ドロシアはあんたを殺したがってる! ドロシアってのは俺の母さんの名前だ。いや、母さんの妹だったかも。母さんが殺したがったのは俺だ。このままじゃ今に緑の血液が逆流してあんたも死んじまう! アハ、俺の血はもう砂だ!」
 紡がれた端からほどける糸よりも支離滅裂になっていくインプの言葉に、アラスターは気怠げに爪先を弄った。
「いいでしょう。さっさと、惨めったらしく、涎と小便を撒き散らして、這いつくばって一目散に、この街から失せなさい。それが出来ないなら、今ここで私があなたをいなかったことにしても構いませんが」
 アラスターはインプの散大しかけた瞳孔を一瞥し、インプの鼻先で低く唸る。
「二度とディメンシアの前に姿を現すな」
 インプは飛び上がって足を縺れさせながらその場から走り去る。アラスターの高笑いがそれを見送った。