妊婦タミーリンのイクイク行進曲 Vol.4



 次のエクスターミネーションは半月後と通告があり、気ばかりは焦るが対処の方法はない。チャーリーは難しい顔でロビーを早足で歩いていることが多くなり、宿泊客の更正の手立てが定まらないでいるようだ。頼みの宿泊客のエンジェルダストは更正に身の入らない様子で、ホテルでは部屋に引きこもっているかバーで飲んだくれているのかのどちらかだった。

 忙しくロビーを通り抜けようとしたディメンシアをバーカウンターに寄りかかってグラスを舐めていたエンジェルダストが呼び止める。ディメンシアは足を止めそれに応じた。アシスタントである以上、宿泊客の要望に応えるのも仕事の内だ。
「あんたって、アラスターのオトモダチ?」
 オトモダチ、と言いながらエンジェルダストは顔の横に両手を挙げ、二本指を二度折り曲げる。その意図するところを承知し、ディメンシアは肩を竦める。
「友人だとは呼んでくれます」
 自分自身の言葉に大笑いしカウンターに突っ伏すエンジェルダストは、ディメンシアの返答を聞いてはいないようだった。ハスクがエンジェルダストの手から「飲みすぎだ」とグラスを取り上げる。エンジェルダストはわざとらしく唇を尖らせた。
「あーん、ひっどぉい! 仕事がキツいんだよ、飲まないとやってらんないって」
 ディメンシアは今にもスツールから滑り落ちそうなエンジェルダストに肩を貸し、ロビーのソファに座らせてやる。エンジェルダストはふかふかの胸毛にディメンシアの顔を押しつけ「やっさしいんだね、べろちゅーしてやろうか? 今ならゲロの味がするからお得だよ。あ、あと水持ってきて」と言う。ディメンシアは「まにあってます」とふかふかの毛の中で呻いた。柔らかな白い毛の先端とくらくらするような甘い香りが鼻腔に侵入しくしゃみが出そうだ。
 ディメンシアはカウンターから水のボトルを持ってくるとエンジェルダストに手渡す。エンジェルダストはソファに斜めに座ったままボトルに口を付け、そのほとんどを胸にこぼした。
「……こぼれてますよ」
「えー? こぼれてないってぇ」
 ディメンシアはタオルでエンジェルダストのこぼした水を拭いた。エンジェルダストは細い指先でディメンシアの手の甲をひっかく。邪魔をしているのかと思ったが、どうやら自分で拭こうとしているらしい。手元が覚束ない。
 ディメンシアは「お仕事、大変なんですね」と声をかける。エンジェルダストは「大変なんてもんじゃないよ」と鼻を鳴らした。
「どんなお仕事なんですか」
 会話を繋ぐためになんとなくそう尋ねてみただけであるというのに、エンジェルダストは酔って腰を抜かしていたのも忘れたように跳ね起きた。
「嘘だろ!? おれのこと知らないの!?」
 エンジェルダストの膝に置かれていたタオルが吹き飛ばされべしゃりと床に落ちる。ディメンシアはエンジェルダストの反応に目を丸くし、エンジェルダストの顔を見たままタオルを拾い上げる。
「あー、確かにどこかで見かけたことがあるかも……?」
 ディメンシアが首を傾げ曖昧に笑みながら言うと、エンジェルダストはその反応に完全に不満そうに二対の腕を組む。
「あんたポルノ観ないのかよ!」
「ポ? え? ……なんですか?」
「ポルノ! おれは地獄で一番ホットなポルノスターだぜ? DLサイトのダウンロード数上位はぜぇーんぶおれだし、違法アップローダーはおれの動画だらけ! 裏サイトにはトイレの盗撮動画まで出回ってんの!」
「……すみません、詳しくなくて」
 ディメンシアが言うと、エンジェルダストは勢いよくボトルの水を飲みながら、空いた手の指先をディメンシアの鼻先に突きつける。
「なんでポルノ観ないんだよ!」
 初めてそんな問いを突きつけられた気がする。ディメンシアは首を傾げながら「なんで……?」と考える。あー! とエンジェルダストが大きな声を上げた。
「あのラジオデーモンのせいだろ! どうせ家にはラジオしか置いてないんだ! かわいそうなディメンシア、愉しみはアラスターの目を盗んで深夜の官能小説朗読ラジオを聞いてのオナニーだけ」
「いやいやいやそれは」
「性的なことから極端に遠ざけるのも虐待だろ? 家にポルノがないなんて、そんなの教育によくない!」
「は、はァ……」
 バーカウンターで成り行きを聞いていたハスクが見かねたように「酔っ払いをまともに相手するなよ」と声をかけてくる。そんなこと言ったって、とディメンシアは四本の腕で掴まれた自身の手を見下ろした。逃げられそうにない。
 エンジェルダストはディメンシアの手を三本の腕で掴み、モニターの電源を入れる。
「エンジェルダストせんせーの性教育の時間だ。――このシチュエーション、結構いいと思わないか? 使えそうな企画だ」
 ソファに座らされ肩を組まれる。エンジェルダストはリモコンでモニターを操作しながら「なにがいいかなー」とサムネイルを吟味している。
「ディメンシア、ファックすると子供ができるんだよ、知らなかったろ?」
「……知ってます」
「ポルノビギナーのディメンシアにはこれだな、タミーリンの妊婦シリーズ」
「妊婦シリーズ?」
「このビッチ、年中妊娠してんだよ」
 けらけら笑いながらエンジェルダストが動画を再生する。ディメンシアは大画面でお腹の大きな女悪魔があらゆる淫蕩の限りを尽くすのを観て「ワァ」と小さく悲鳴を上げた。
 動画が始まった途端寝落ちしたエンジェルダストは、鼻を啜る音で目を覚ます。目を開けるとディメンシアがめそめそ泣いていて、エンジェルダストは酔った自分が眠る前にしたことを思いだし跳ね起きる。ドギツいポルノを観せられて泣いているのかと思い、慌ててリモコンに手を伸ばし動画を止める。
「悪かったよ、泣くほど嫌だとは思わなかった」
 ばつが悪そうにエンジェルダストが言うと、ディメンシアは鼻をかみながら「ちがうんです」と呻く。
「出産シーンに感動して……」
「は?」
「タミーリンと娘の苦労を乗り越えた出会いが本当に……素晴らしくて……」
「……あっそ」
 エンジェルダストは動画を再生した。タミーリンが男に跨がり大暴れしながら娘に授乳している。これのどこに感動要素があるかね、とエンジェルダストは飲みかけのボトルに口を付ける。水を一口含み、画面を注視する気にもなれずディメンシアに声をかける。
「あんた天国行きたいんだった?」
 真剣に画面を観ていたディメンシアはちらとエンジェルダストを見た。
「ええ、少し興味があったので」
「本当に天国に行けるなんて信じてんの?」
 エンジェルダストの言葉に、ディメンシアは苦笑して「半分くらい……いや、四分の一くらいは」と言った。
「へえ、四分の一なんて見積もり甘いんじゃないか?」
「そうかも」
 ディメンシアが眉根を寄せる。エンジェルダストは溜息をついた。
「まあ、おれはタダ宿めあてだから全然構わないけどね。精々がんばったら」
 エンジェルダストは意地悪く「アラスターがあんたのリードを手放してくれるかな」と付け足す。言いながらヴァレンティノのことを思い出して、一瞬息を詰まらせる。ディメンシアは首を傾げて「どうでしょうか」と呟いた。
 エンジェルダストは片眉を上げ、ディメンシアの顔を見る。
「ずっと聞きたかったんだけど、なんであの真っ赤なポン引きとつるんでんの? いつから?」
 エンジェルダストの問いにディメンシアはしばらく何か考えたあと「ずっと一緒にいるから、一緒にいるんです。いつからかは……いつからでしたっけ?」と呟いた。エンジェルダストはそれを言いたくないのだと思い「ウケる、ハードにキマってんの?」と笑う。画面の中でタミーリンが左手にガラガラ、右手にチンポを握っていた。