☆2 ウーン人を選ぶ内容かも。私にはあいませんでした^^;



 アラスターの部屋のドアをノックすると応答があったので、ディメンシアはドアを開けた。ホテルの一室であったはずのワンルームが奥に開けていて、薄暗い森が彼方まで広がっている。アラスターは古びた木の下にテーブルセットを置いて、そこで腐敗した鹿の死体を食っていた。
 ディメンシアは「……言ってくれれば料理しました」と呻く。アラスターは口元をナプキンで拭うと「お構いなく、これが一番楽しめる食べ方なので」と言った。アラスターは指先でディメンシアにテーブルに着くよう示した。ディメンシアは肺腑に染みる悪臭にうんざりしながら席につく。鼻先を蝿がわんわんと飛んだ。
「アナタも食べます?」
「いいえ、結構です」
「ほんとにィ? 遠慮せず、さあ」
「お腹空いてないんです、なので大丈夫です、ありがとうございます」
 食欲が湧かないという意味では嘘ではなかった。アラスターはそうですかとフォークを持ち直し、緑色に変色した肉に突き刺す。銀色に光るフォークの先を、白い蛆虫がぷりぷりと逃げ惑った。
「アラスター、気になることがあるんです」
 席に着いたディメンシアは卓上の蛆虫を目で追いながら、おずおずと切り出す。アラスターは鹿肉を咀嚼しながら黒く粘る血で汚れたナイフで先を促した。
「今日、ポルノを観たんですけど」
 ギャギャ、と不快なノイズが響く。アラスターの瞳孔が開いたのでディメンシアは慌てて「酔ったエンジェルダストに紹介されて」と付け足す。アラスターはハハと短く笑うと「マアいいでしょ、それで?」と言う。
「妊婦タミーリンのイクイク行進曲ってポルノだったんですけど」
 か細いハウリング音が鼓膜を震わせた。アラスターは口にした肉に味がなかったような顔をして一瞬天井を仰いだが鼻を鳴らして「それが?」と鹿肉を飲み込んだ
「内容は――」
「内容は聞いていません。それで、ディメンシアは何が気になったんです?」
「……タミーリンは、」
「タミーリンの話はいい」
「か、関係ない話じゃないんです……」
 だからつまり、とディメンシアは身振りを交えて考えを話す。
「私が地獄で生まれた悪魔なら、地獄で生まれ育った記憶があるはずですよね」
「そりゃそう」
「私が罪人なら、生前の記憶があるはず」
 アラスターは肩をすくめる。
 ディメンシアは慎重に言葉を選んだ。アラスターの機嫌を損ねては、回答を得られなくなる。
「その……私が気が付いたのは、私のそのあたりの覚えが、全然ないことで……つまり、私って――」
「記憶ですか? 私が奪いました。ハハハ!」
「――つまり……記憶がないんじゃないかって思……はい?」
 思考を遮りさらりと告げられた言葉にディメンシアは絶句する。アラスターはフォークを軽く振りながら「私が奪いまァした」と節をつけて繰り返した。
「な、なんで……?」
 思わずぽつりと呟くディメンシアに、アラスターは首を傾げる。
「なんで? なんでっていったいどういう意味かな? オカシなこと聞きますねェ! それは私に理由を尋ねていますか?」
「そ、そうです……どうして?」
「どうして? こちらこそどうしてだ。その記憶が必要ですか? 無くて困ってる? 困ってないデショ? 事実としてそのナントカってポルノを観るまで気にもしなかったんだから。もう一本観れば気にならなくなるんじゃないですか?」
 一方的に捲し立てられ、ディメンシアは「それはそうかもしれないですけど」と眉尻を下げる。
「でも、なんだか気持ち悪いです」
「また忘れてしまえばいいじゃありませんか。今までもそうだった。別になんてことはない。アナタに必要のないものだったから奪っただけです。まさか私のことが信用できない? 私はアナタの大切なものを奪うようなことはしませェん。これまでも、これからも、絶対にね。そうでしょう?」
「アラスター、私は――」
 ディメンシア、とアラスターは猫撫で声を出し、汚れたナイフの先端をディメンシアの鼻先に向ける。ディメンシアはその声音に反射的に身を強張らせた。
 アラスターは尖った歯を剥き出しにした凶暴な笑みを浮かべたまま、ナイフの先をゆっくりと自身の傍らの地面に向ける。
「そこに」
 ディメンシアは椅子から転げ落ちるようにアラスターの足元にへたり込む。アラスターはナイフを置きテーブルに軽く寄りかかると、冷ややかな赤い目でディメンシアを見下ろした。
「ディメンシア、それで、キミはどうしたいんです?」
 アラスターは身を折りディメンシアの顔を覗き込み、噛んで含めるように問うた。ディメンシアはアラスターの血まみれの口内や、黄色い歯の間に挟まる鹿の毛を見ると、恐怖で頭がぼんやりした。ディメンシアは勝手に痙攣する瞼を伏せ、まばらに草の生えた地面を必死に見つめる。ディメンシアは震える息を何度か喉奥から吐き出す。
「アラスター、いいえ、何も」
「よろしい」
 アラスターはディメンシアの頭を掴み、膝立ちにさせると額にキスをする。生臭い血が額から鼻筋に垂れて落ちた。
 アラスターはナイフを振り、ディメンシアに席に戻るよう促す。ディメンシアは短い呼吸をしながら席に戻った。テーブルの上で震える手を柔く握る。
「ディメンシア、顔色が悪い。やっぱり少し食べたほうがいいようですね!」
 ディメンシアは卓上の鹿の死骸を上目に見た。首を横に振りかけたディメンシアをアラスターが制止する。
「口に無理矢理詰め込まれたいのか」
 ディメンシアはぎゅうと目を閉じ、溜め息とともに開けた。
「いただきます」
 ディメンシアはアラスターの差し出すフォークに手を伸ばす。アラスターは喉を震わせるように笑いながらディメンシアの手にシルバーを握らせた。そのひんやりとした触り心地にディメンシアは人知れず背筋を粟立たせる。恐怖で痺れる頭では、己が何を気にしていたのかさえ分からなくなった。それが何より恐ろしい。