FM 102.7MHz 1997



 秋からエレメンタリースクールに通うことになったデボラは、夏の時期を兄とともに祖母の家で過ごすことになった。祖父を亡くしてからしばらく元気のなかった祖母は、時薬が心の傷を癒やしたようで、喜んで二人を迎えてくれた。
 祖母はデボラが生まれる前に足を悪くしてから杖をついていたが、それを感じさせないほど活発な人だった。掃除も洗濯も自分でしており、祖母の家は雑貨屋を営む一階も居住スペースのある二階もきれいに整頓されていた。
 湖畔に佇む小さな雑貨店は、レジャー客やその相手をする労働者が細々と訪れる小さな店だった。祖父が生きていた頃は貸しボート屋もしていたらしいが、今はやめてしまった。ボートは手放され、船着き場の跡だけが家の前に寂しく残されている。兄がそれを見て「ボート、乗りたかったな」と呟いていた。祖母はそれを聞いて淡く微笑み、兄の頭を撫でた。兄は小さな子供扱いされることに気まずそうな顔はしたが、祖母の皺ばんだ手を拒絶することはない。
 兄妹は夏の間、澄んだ水の湖で泳いだり、祖母の店を手伝ったりして過ごした。祖母の店を手伝っていると、観光客がチップを弾んでくれたり、おやつをくれたりする。デボラはいっそう店の手伝いに励んだのだが、兄は恥ずかしがって店の手伝いをしたがらなかった。
 夜はテレビを観ながら、祖母の作った夕食を食べた。その後、トランプやボードゲームをして、大抵デボラは兄にこてんぱんにされて膨れっ面でベッドに向かう。ある晩、トランプゲームで三連敗したデボラは、盛大に拗ねて足音も高く部屋に戻ろうとした。見かねた祖母がデボラを呼び止め、寝室に招いた。祖母はあたたかいココアを淹れてくれて、父の幼い頃の写真や、兄が赤ん坊の頃の写真を見せてくれた。兄が潰れた浮き輪にしがみついて泣いている写真を見て、少しだけ気分がスッとする。数年前まで赤ちゃんだったと思えば、ゲームで勝たせてあげてもいいなと思った。
 祖母はデボラに美しいペンダントを見せてくれた。金色の大きな飾りに小さな赤い石がちりばめられている。古めかしかったが、手入れよくぴかぴかと輝いていて、魔法のネックレスのようだった。デボラはそれを一目で気に入った。目を輝かせ宝物のように両手でペンダントを掲げ持つデボラに、祖母は優しく微笑んだ。
「それは、私が私のお母さんからもらったペンダントなの。だからデボラが素敵な大人の女性になったら、あなたに贈るわ」
 デボラはペンダントの表面に彫られたオリーヴの葉の紋様をうっとりと指先でなぞりながら、何度も頷く。
「でも、それっていつ?」
 デボラの問いに、祖母はいたずらっぽく目を細めデボラの頭を撫で、額にキスをした。
「そうね、ゲームで負けても拗ねなくなったらかしら」
 デボラは「絶対ね」と祖母に念を押し、促されるまま眠りについた。その晩は夢に金色のペンダントが出てきて、黒色の大人っぽいワンピースを着たデボラはそれを恭しく受け取り首にかけた。


 翌日、デボラは昨晩の夢を噛み締めながら、祖母の雑貨屋の店番をしていた。梱包用の麻紐と包装紙を首から下げ、素敵なペンダントのことを思い出す。麻紐に貼り付けた包装紙の切れ端を指先でそっと摘まむ。
「キミの手作りペンダントも素敵だけど、昨日のペンダントは本当に素敵だった! きっとおばあさまのお母さまの愛情が詰まってるんでしょう、そんな感じがします!」
 突然、店内に明るい声が響く。デボラは驚いて顔を上げ、店内をきょろきょろと見渡した。客が来たのかと思ったが、店内に人影はない。
「キミのほっそりした首にかければ、あのペンダントはもっと輝くだろうねえ! そうは思わない?」
 レジスターの向こうの壁にかけられた祖母のポータブルラジオの電源ランプが赤く光っていた。スピーカーから男の笑い声が聞こえてくる。デボラは祖母がラジオのスイッチを切り忘れたのかと思い、ラジオに手を伸ばしかけ、その手をぴたりと止めた。ラジオから聞こえる声に覚えがある。マックスが死んだ前の日に、デボラにマックスがいなくなることを願うよう唆した声だ。
 一瞬硬直したデボラの心を溶かすように、声は明るい調子でデボラを誉めそやす。
「キミが大人になったら、なんて、おばあさまは分かってない。キミのことをまるで子ども扱い! 私は知っています、キミは素敵なレディで、素敵なペンダントはアナタにこそふさわしい!」
 デボラは壁にかけられたラジオを見つめる。
「私、あなたのこと知ってる」
 小さく呟くと、ラジオのスピーカーからおおげさに息を呑む音がした。
「ワオ、覚えていてくれたなんて、なんて光栄なんでしょう! レディの記憶の片隅に、私の居場所があるなんて望外の喜び! ときには私のことを思い出してくれることはあった? そうだったら私は本当に天にも昇る気持ちです。私はいつもあなたのことを気にかけています」
「マックスは、あなたが殺したの?」
 アアー、と悲し気な声がデボラの声に重なる。
「私が? まさか! 私は神様じゃあない! ほゥら私は無力なラジオの声にすぎません。自分ではサイコロひとつ投げられない哀れな道化、虫一匹殺せやしない!」
 ラジオの声が、芝居がかってひそめられる。
「でも、キミの願いを聞いてあげることは出来る」
 デボラは小さくなった声に引き寄せられるようにラジオに二歩近付いた。歌うような声音が先を続ける。
「マックスのことは残念だったね、キミが悲しんでいると私も悲しい! でも結果的にマックスはいなくなったわけだし、キミの願いは叶えられた! ブラボー! キミの願う力は強くて特別! きっとそれは才能です!」
 才能、とデボラは口の中で呟く。そのとおり、とラジオの声が囁いた。
「どうでしょう、ペンダントも願ってみては?」
「でも、マックスみたいに……」
 誰かが悲しむようなことがあっては嫌だ。俯くデボラを気遣うように、ラジオが優しい声を出す。
「だいじょうぶ、だって今回はペンダントが欲しいって願いでしょう? アナタがもう立派なレディだとおばあさまに伝わればいいだけ! こわいことなんか何も起きるわけがない!」
 黙り込むデボラの背を押すようなポジティブな言葉をシャワーのように浴びせられ、デボラはじわじわとラジオの声が言うとおりのような気がしてきた。素敵なペンダントが欲しいなんて願いはなんでもない。祖母もいずれデボラに贈ると言っていた。それが少し早まるなら、これほど嬉しいことはない。
 デボラは胸に下げた包装紙のペンダントを両手で握りしめる。
「あの素敵なペンダントが、早く私のものになればいいのに」
 ラジオの音声がぐにゃりと歪み、ブツンと音が途切れた。


 祖母の家で過ごす最後の日の朝、足の悪い祖母は階段で足を滑らせた。祖母は古い家の急な階段を転げ落ち、頭を強く打った。激しく泣くデボラの声を聞きつけた隣の家の住人が救急車を呼んだが、祖母は助からなかった。
 祖母の葬式の後、父はデボラの首にあのペンダントをかけてくれた。「母さんが大事にしていたペンダントだ。おまえに渡すから、大切にしなさい」と、父は沈痛な面持ちで言った。デボラは胸のペンダントを見下ろす。ロケットになっていたそれを開けると、中には両親と兄とデボラの写真が入っていた。