嘘、大袈裟、紛らわしい



 チャーリーにトイレットペーパーと紅茶の買い出しを頼まれたディメンシアは指示された店を探して街のメインストリートをきょろきょろしていた。ドラッグに耽溺するかわりに紅茶で心を落ち着けてみては、というチャーリーのエンジェルダストへの提案に、当のエンジェルダストは「おばあちゃんじゃないんだからさあ」と不満げだった。チャーリーこだわりの銘品を扱う紅茶店があるらしく、ディメンシアはチャーリーの手書きの地図を頼りに店を探す。チャーリーに「スマホのマップアプリで……」と言われたのだが、生憎ディメンシアはスマホを持っていない。
 あの角を曲がったあたりが目的の店か、と歩調を早めようとすると、背後から声をかけられる。ディメンシアが振り返ると、首から上がビデオカメラの男と液晶の男が立っていた。液晶の男の方が朗らかに話しかけてくる。
「やあ、こんにちは、ヴォックスだ。今ヴォックス・ナイトって番組の街頭インタビューをしているから、協力してくれ」
 協力して当然、という態度の男は、青いちかちかする目をディメンシアに向ける。ディメンシアはその顔に見覚えがあり、一瞬目を泳がせた。先日、アラスターとの大人げない公開口喧嘩で町中の電力をダウンさせたオーバーロードだ。ディメンシアは咄嗟に自身がアラスターと親交があることが露見するのは避けた方がいいと判断した。ここは穏便にやりすごすしかない。
 ディメンシアが素直にインタビューに応じると、アシスタントの小柄な悪魔がディメンシアに小さな丸いシールを一枚ぺたりと手渡し、ボードを目の前に差し出す。ボードは「(やっぱり)(間違いなく)(人気者がたくさん出てる)テレビ」と書いてあり、その下にシールを貼る枠がある。端っこに小さい枠があり「(マジで?)(冗談だろ?)(貧乏でテレビが買えないのか?)ラジオ」と書かれていた。テレビの枠内にはシールがはみ出そうなほど貼られているが、ラジオの枠内には一枚もシールがない。
 ヴォックスはビデオカメラ男のレンズに向けて笑顔とボードを向けた。
「今、番組でテレビとラジオ、どっちがより有用で、刺激的で、愛されているかをインタビューしているんだ。さあ、アナタはテレビとラジオ、どっちが好き?」
 ディメンシアは手元のシールを見下ろし、受けるんじゃなかったと後悔した。ディメンシアはおそるおそるシールをヴォックスに手渡そうと差し出す。
「あー、ごめんなさい、急いでて」
「急いでる? そうか、じゃあそこにぺたっと貼るだけでいいんだ。さあ」
 シールを押し返されたディメンシアはカメラ男をちらと見て、ボードに視線を向けた。
「ええと、そうですね、私は……テレビも、好きですよ、うん、あんまり観たことないけど」
 ディメンシアは愛想笑いを浮かべながら言う。ヴォックスがにんまりと笑った。ディメンシアは愛想笑いを浮かべたまま、しれっとシールをラジオの枠に貼り付けようとした。目敏くヴォックスに見咎められ、制止される。
「おっと、そっちはラジオの枠ですよ」
「あれ、そうですか」
 空とぼけて貼り付けようとすると、ヴォックスはディメンシアの手を掴んで止めた。
「おい、ウケ狙いのつもりか? 素人のボケは白ける」
「……そういうわけでは」
 この際、インタビューを受けてしまったのはもういい。諦める。だがこのインタビューでテレビに投票する様子を撮影されるわけにはいかない。その映像は何があろうと必ずアラスターの手中に落ちる。理屈ではない。そうなのだ。ディメンシアは詳しい。そしてそれを観たアラスターはディメンシアから心からの反省と謝罪を引き出すことに躊躇しないだろう。
 なんとしても、そんな映像を撮影されることだけは避けなければならない。
 ディメンシアは無言で素早くシールをラジオ欄に貼り付けようとする。ヴォックスはボードを頭上に上げ、それを阻止する。ヴォックスはボードをアシスタントに投げ渡し、ディメンシアの腰に手を回し優しく囁く。
「おいおい、まさかラジオに投票しようとしているわけじゃないよな?」
 ヴォックスがアシスタントに視線を向けると、アシスタントは「そんなまさかありえないアーハハ!」と笑った。ディメンシアもそれに合わせてアハハと笑いヴォックスの手をすり抜けボードにシールを貼り付けようとする。ヴォックスはディメンシアの手首を掴み、苛立ちでちらつく顔をディメンシアに近付け、睨みつけた。
「おふざけはこれまでだ。さっさとテレビに投票して失せろ」
「それは……ちょっと難しくて」
「なんだと? まさかラジオの方が好きなのか?」
「いえ、そういうわけでは……」
「じゃあなぜテレビに投票しない?」
「宗教上の理由で」
「ここは地獄だぞ!?」
 ヴォックスは歯噛みし、ディメンシアの手首を掴み上げると「しかたない、手首を切り落としてシールを貼らせよう」とアシスタントに目配せする。ディメンシアは一瞬ヴォックスの力が緩んだ隙にヴォックスの手を振り払い、カメラ男のレンズを裏拳で割り、アシスタントの喉笛に噛み付くとボードのラジオ枠にシールを貼り付け、テレビクルーの怒号を背にその場を逃げ出した。
 全速力で角を曲がり紅茶ショップに駆け込み、レジのあるカウンター内に転がり込む。悲鳴を上げて警報装置を鳴らそうとした店員に「あやしいものではありません、これがほしいんです」とチャーリーの買い物メモを差し出す。店員は口元を血だらけにしハアハア息を荒らげるディメンシアと買い物メモを見比べ、迷いなく警報装置のボタンを押し込んだ。店内のシャッターが自動で閉まり、アラームが鳴り響く。
 表戸を蹴破って下っ端テレビクルーたちが駆け込んでくると、その後ろから警備員が押し寄せ、店内を機銃掃射した。カウンター内に隠れていたディメンシア以外の全員がばらばらになったのを見届け、警備員たちは仕事を終えた喜びに満足そうな顔をしながら帰っていく。
 ディメンシアは穴だらけで毛羽立ったカウンターから這い出し、血だらけのメモを拾い上げた。店員も蜂の巣状態で床に転がっていたので、ディメンシアは紅茶缶が満載した棚を一つ一つ検分し、チャーリーのメモと照らし合わせながら目当てのものを探すほかなかった。





 一仕事を終え、ホテルのロビーに降りてきたチャーリーは、シャンデリアにディメンシアが吊るされているのを見つけ悲鳴を上げた。
「これは……どういうことなの!?」
 チャーリーは高い天井に吊るされたディメンシアを下ろす手だてが思いつかずおろおろする。力なく項垂れるディメンシアの首には「私は友を裏切りました」「トイレットペーパーを買うのも忘れました」という看板がかけられていた。その下のソファでアラスターが心底楽しそうに笑いながらコーヒーカップに口を付けている。
「アラスター、いったいディメンシアはどうしたの?」
 アラスターは「それはですねぇ!」と肩を揺らしながらロビーの隅に設置されたテレビを指差す。ヴォックス・ナイトの街頭インタビュー映像で、テレビとラジオのどちらが好きか尋ねられたディメンシアが笑顔で「テレビ、好きですよ」と答える様子が放送されていた。