Hasta la vista, baby




 その不可思議極まりない体質をフルに活用するフアナの戦法には流血が絶えない。流血で済めばまだ軽傷で、手足が吹き飛び、胸に穴を開け、腹の中身を零し、と酸鼻を極める。ほとんど瞬きの内に傷は塞がり手足も回復するとはいえ、あまり気分のいい光景ではない。
 どうやら短時間に重傷を立て続けに負うと回復が間に合わないらしく、血界の眷属が関わるような仕事では、ライブラのメンバーが「またフアナが死んでいるぞ」とフアナの一部を持ち帰ることが多々ある。
 フアナが、ライブラの鉄砲玉、一人特攻野郎、血みどろ一番槍、喧嘩百段と、名誉なのか不名誉なのか分からない異名をほしいままにするのに、さして時間はかからなかった。

「うわ、フアナさん、また死んでる」

 レオは、ビニールシートを敷いたカウチに座るーー正確には、立てかけられているフアナを見て、思わず顔をしかめた。

「死んでない死んでない」

 フアナは乾いた血のついた顔に苦笑を浮かべる。レオに続いて事務所に足を踏み入れフアナを見つけたザップがゲェと呻き声を上げた。

「もういっそ死んでてくれよ」

 ザップの悪態を窘める気もおきない。フアナは胸から下の肉をごっそり失い、上半身と下半身が脊柱だけで辛うじて繋がった姿でくつろいでいた。
 レオは生きている人間の剥き出しの脊柱を初めて見た。

「うわー……ちょっと触ってみていいですか?」
「いいよー」

 気の抜けたレオとフアナの会話にツェッドが血相を変えて割って入った。

「レオくん! 傷口ですよ! なんで触ろうとするんですか!?」
「す、すみません、なんとなく……」
「なんとなく!?」
「見慣れたというか、麻痺したというか……」

 頭を掻きながら弁明するレオを横目に、ザップはわかるわーと煙草に火を付けた。

「オレもこの間うぜー女に浮気しねえと誓えって小指切り落とされそうになってよぉ、一瞬小指くらいすぐ生えるからいいかって思ったわ」
「ザップさん、それはないですよ」
「というか、そんなシチュエーション当たり前のように言われても困ります」
「君は一回小指の一本や二本失ったほうがいいんじゃない」

 散々な言われようである。
 フアナはごそごそと身を起こす。身をほぐされた焼き魚のようになっていた胴のあたりを、赤い蛇のように蠢く筋繊維が覆い始めていた。

「スティーブンさんさぁ、私をライブラに勧誘するとき保護のためだって言ったのに、最前線にブチ込まれまくるの、ちょっと納得いかないわ」

 ああ、と吐息じみた相槌を打ちながらツェッドはカウチのビニールシートを避け、フアナの隣に座る。

「前線向きですからね、あなたは」
「というか、実験台だよな。もしくは案山子」

 ザップの揶揄にフアナは視線を上げる。

「あー、相手の出方が分かんないときは私を突っ込んどけみたいな」
「そんで一回死んどけってなぁ、番頭もエグいことするわ」
「みんなもこんなエグいもん見たくないだろうに」

 フアナは話しているうちに皮膚の張った腹を掌で撫でる。見かねたツェッドがフアナに上着を投げた。
 フアナはそれを着ながらザップを指差す。

「言っておくけど、死んでないから。私は死なないわけでも、死んで生き返ってるわけでもない」
「はァ?」
「死んだことがないだけ。それと、ちょっと体が丈夫なだけ」
「……んだそりゃ」

 ぷかり、とザップはフアナの顔に煙草の煙を吹きかけた。フアナは煙を手で払い、煙草の火種を指先で揉み消す。じゅ、と皮膚の焦げる臭いがしたが、フアナの指に火傷の痕はない。
 フアナは弾みをつけてカウチから立ち上がると、顔の血を拭った。

「お腹減ったな。ちょっと何か食べてくる」
「ビクターズのローストビーフサンドですか? あなた、大怪我したときはいつもあれですよね」
「肉を見ると肉を食べたくなるんだよね。今日はレバーサンドかな。自分の肝臓がすっ飛んでくところを見たから」
「……聞きたくなかったですよ。一体どういう神経してるんですか」

 額に手をやり天井を仰ぐツェッドにフアナはあははと笑った。示し合わせたわけでも、声をかけたわけでもないのに、当然のように連れ立って事務所を出て行く二人の後ろ姿を見送ったザップが「ハアあぁあ???」と奇声を上げる。

「なんっだよ今の!?!? 仲良しか!?!?」
「いや仲はいいでしょう」

 何を今更、と肩をすくめるレオを、ザップはぎっと睨んだ。

「オレはアイツの兄弟子だぞ!!!」
「だからなんですか」
「アイツはオレの弟弟子!!!」
「……だから?」
「あんなポッと出人体模型女に取られてたまるかってんだ!」

 はぁ? とレオは呆れ声をあげる。

「ザップさんはツェッドさんと仲良くしたいんですか?」
「んなわけねぇだろ」
「なんなんですか一体……」

 ザップは机上の財布を掴み、尻ポケットに捩じ込むと「飯行ってくる」と事務所を出ようとする。レオが「行ってらっしゃい」と見送ると、ザップはすごい勢いでレオの眼前に戻ると口角泡を飛ばして怒声をあげた。

「付いてこいよ!!!」
「めんっっどくさい人だなぁ!!!」


******





 公園のベンチに並んで座る二人の足元に、パンくずを求めて鳩が集まってきた。フアナはそれを爪先で散らし、紙袋からサンドイッチを取り出す。

「本当にたまごサンドでよかったの? 一番安いやつじゃん」
「おかげさまで、肉やハムを食べる気分じゃないんですよ」
「あ、そ」

 たまごサンドをツェッドに手渡し、フアナは宣言通りレバーケーゼのサンドイッチの包みを開く。
 ストローのついたプラスチックの使い捨てカップの中で、アイスコーヒーの細かな氷がジャラリと音を立てた。

「あのさ、」

 フアナが何の気もないような口振りで言う。

「死ぬかも、って思ったことある?」
「何を突然」
「聞いてみたいだけだよ」

 フアナはへらりと笑った。そういう笑い方をするとき、フアナは大抵碌でもないことを考えている。
 ツェッドは溜息を零す。

「ありますよ、何度もね」

 こんな仕事をしていれば、ない方がおかしい。

「そうか……、どんな感じ? やっぱり走馬灯みたいなのが見える?」
「指先からどんどん冷たく重くなって、視界が霞むのに音だけガンガン響いて、脈拍が弱まっていくのを感じて、ああ死ぬんだと思ったときに走馬灯は見ませんでしたけど、死にたくないという言葉だけがずっと頭の中をぐるぐるしていました」
「こわい!! リアルすぎるだろ!!」
「実体験ですから」

 嫌な気分とともにコーヒーを嚥下する。思い出して愉快な記憶ではない。
 フアナはふうんと言ったきりしばらく黙り込むと「参考にするよ」とだけ呟いた。

「何のです?」
「ひみつ」

 フアナはレバーサンドを齧る。ツェッドはその飄々とした横顔を見つめた。

「それは、あなたが己の限界を試すような滅茶苦茶な傷付き方をするのと何か関係があるんですか?」

 一瞬だけ、フアナの咀嚼が滞る。フアナはサンドイッチを飲み込むと、眉根に皺を寄せてツェッドを見返した。

「君のその勘の良さは嫌いだ」
「それはどうも」

 ツェッドは肩をすくめる。人間離れした膂力と回復力を駆使する戦い方から、計画性ゼロの暴走肉弾戦車に思われがちだが、その実フアナは頭脳派である。冷静な計算の上で敵の攻撃を避けるよりも体の一部を犠牲にして一発入れた方が有利だと判断すれば、その通りにしている。それを頭のネジが外れていると言われてしまえばそれまでだが。
 だが、最近はわざと敵の攻撃を受けている節があった。作戦がほぼ完了し、撤退の合図を待つ頃になって、フアナは回復が間に合わないほどのダメージを負う。それを担いで帰るのは大抵ツェッドなのだが、フアナなりに考えがあるのだろうとは思い、口は出さなかった。

「そもそもの話なんだけどさ」

 フアナは食べかけのサンドイッチを持つ手を、組んだ脚の上に置いた。

「私、死ぬの?」

 晴れ渡る公園では有象無象が各々の時間を楽しんでいて、ヘルサレムズ・ロットでは珍しいほどの長閑な空気が満ちていた。その中でぽつりとフアナは、まるで難病に悩む少女のような問いを発する。ただその意味だけは、正反対であった。

「……知りませんよ。死んだことがないって、いつもあなたが言ってるでしょう」
「そう、それだよ。死んだことがない。でも、手足が吹き飛ぶのはともかく、体の大半が潰れても生きてるのってどう思う?」
「どう思うと言われても」

 困る。強いて言うならビックリ体質だとは思う。敢えて口には出さないが。

「もしかして、私、死なないんじゃないか?」

 至極真剣な表情で、フアナはそう言った。

「は?」
「おい、阿呆みたいな声出すなよ。腹立つなぁ」

 理不尽な罵倒である。ツェッドはストローに口をつけた。ひんやりとした苦味が喉を滑り落ちる。

「死なないと、何か問題なんですか」
「問題だよ。流石にそこまでいったら人外がすぎる」
「今でも十分人外ですよ」
「もうサンドイッチ返してよ」

 フアナはツェッドのたまごサンドに手を伸ばした。それを回避すると、フアナが思いの外苦しげに眉を寄せていたので、ツェッドは「あ、」と声を漏らす。

「人間でしかないんだよ。悲しいことに」
「悲しいですか?」
「うん、いっそ、違う生き物だったら良かった」
「なぜ」
「説明が欲しい。このビックリ体質のね」

 フアナは苦笑いとも泣き笑いともつかぬ顔をした。

「この間、スティーブンさんに勧められて詳しい検査を受けていたでしょう?」
「ああ、あの結果はまだ。でも、そうじゃない。そういうことじゃない」

 フアナは小さく一口サンドイッチを齧り、気の遠くなるような時間をかけて咀嚼する。沈黙に耐えかねたツェッドが口を開きかけると、フアナが言葉を続けた。

「父親は中学教師、5年前に癌で亡くなった。母は敬虔なクリスチャンで、今も教会での奉仕を欠かさない。勿論、どちらもいたって普通の人類だ。牙狩りなんて、聞いたこともなかった。ヴァンパイアは空想上の怪物か精神疾患の賜物だと思っていた。異形と戦うことを使命に産まれたわけじゃない。特殊な訓練を積んだわけじゃない。異界のものから何かを与えられたわけじゃない。どうして、何のためにこんなおかしな体になった? ーー私は一体なにものだ?」

 安っぽいプラスチックのカップに、結露がきらきらと光る。ツェッドの手に触れたそれは、小さな雫となって地に落ちた。砂の地面がぽつりと濡れた。
 己は一体なにものであるのか。それはツェッドとフアナが抱える共通の懊悩で、どうしても分かち合えない苦痛だ。

「人間でしょう」
「ツェッドは私を人間だと思うのか」

 ツェッドは無言でフアナの横顔に手をやる。指の背がフアナの頬に触れるぎりぎりで止まった。
 毛穴のある、透けない皮膚。呼吸のたびに上下する胸、頭髪、表情豊かな瞼、血色の唇、全て、ツェッドの体には無いものだ。ツェッドは溜め息とともに手を下ろす。鋭い爪の先から水滴が落ちた。

「人間ですよ、フアナは。ただ少し、丈夫なだけで」
「困った話だよねえ」

 フアナは笑った。

「もしあなたが死なないのだとして……」

 ツェッドが言うと、フアナは唇の端に笑みの残滓を浮かべながら、黙ってツェッドに先を促す。

「僕の寿命はどのくらいなのでしょうか」
「はぁ?」
「あなた、僕には阿呆みたいな声を出すなと言ったのに、自分の方がよほど阿呆みたいな声を出しましたね」
「悪かったな!」

 おら、続けろ! とフアナは爪先でツェッドの脛を軽く蹴飛ばす。勿論、軽くだ。本気で蹴られては、ツェッドの膝から下が二つ先の区画まで飛んで行く。

「魚類の寿命はご存知ですか?」
「専門外」
「素直に知らないと言ってください。1年のものもいれば、200年以上生きるものもいるそうです」
「ふうん」
「僕は何歳まで生きられるのでしょうね」
「こんな仕事してたら、長生きは出来ないでしょ」
「お互い様ですよ」
「私はしぶといぞ」

 確かに、とツェッドが頷くと、フアナはけらけらと笑い声をあげた。

「そうか、君が200年生きるなら、私も200年生きてもいいな」
「そういう魚類もいる、というだけの話ですよ。もしかしたら明日寿命が尽きるかもしれない」
「そうしたら、私は親指立てながら溶鉱炉に沈むことにする」
「名シーンですね」
「そしてHasta la vista, baby と叫ぶ」
「そこはI'll be backじゃないんですか。というか、発音いいですね」
「地獄で会おうぜベイビー」
「僕は地獄に堕ちませんよ。お一人でどうぞ」
「どこ行くの?天国? あ、おさかな天国!」
「怒りますよ」

 ごめん、とフアナはあまり申し訳なくもなさそうな顔で言い、ツェッドの手ごとたまごサンドを掴むと、一口齧った。

「君がターミネーターを知っているのはちょっと意外だった」
「あなたが貸してくれたんでしょう」
「そうだっけ?」

 そうですよ、とツェッドは答え、フアナの手からレバーサンドを奪うと、大きくぱくりと齧りついた。

「ああ、私の肝臓サンドが」
「言い方!」

 フアナは残った包み紙と、空になったプラスチックのカップをゴミ箱に放り込む。

「帰ろうか、ツェッド」
「そうですね」
「ありがとう」
「何がです」
「たまごサンドをくれたこと」
「あなたが買ったものですけどね」
「そうだった」