30min LOVERS





「フアナはどうしてツェッドと付き合わないの?」

 唐突に爆弾を投げ込んだのは、白皙の美貌に淡々とした表情を浮かべたチェインであった。
 問われたフアナは、ぼうとした顔のまま茶菓に手を伸ばし、無言でそれを口にする。ちょっと、とチェインがそれを咎めた。

「都合の悪いこと聞かれたからって、聞こえないふりしないでよ」
「ばれたか」

 フアナはもはや面倒くさそうな顔を隠そうともしない。

 ライブラ事務所のソファセットで寛ぐのは、K・Kにチェイン、フアナという「ライブラで敵に回すと最もヤバイ女三人衆」である。街で評判の菓子をフアナが手に入れたというので、緊急のお茶会が開かれたのだ。紅茶はギルベルトの好意に甘えて準備してもらった。

「あら、おいしー。噂になるだけあるわね」
「余りそうなんで、お子さんにどうぞ」
「いいの? きっと喜ぶわ」

 などという和やかな空気をぶち壊した張本人であるチェインは、足を組んだまま隣席のフアナを一瞥する。紅茶に口をつけていたK・Kが、ガチャンと茶器を鳴らした。

「えっ、あなた達まだ付き合ってなかったの?」
「こっちの味もどうかな。小さい子はこっちの方がいいかも」
「フアナ、聞こえないふりはやめなさいよ」

 フアナは心底うんざりした様子でソファにもたれ掛かった。投げ出した脚がローテーブルにあたり、ティーセットが音を立てる。紅茶が少し溢れた。

「付き合っているというのが性的なパートナーであるという意味なら、K・Kの問いにはイエスだよ。私とツェッドに継続的な性的交渉はない」
「性的なパートナーって、恋人をここまで雑に言い換えたの初めて聞いた」

 チェインが呆れた声を出す。

「私がツェッドと付き合わないのが不思議なら、チェインがザップと付き合わないのは不思議じゃないのか」

 フアナが言い終わらないうちに、チェインが「ない」とバサリと言い切る。

「なぜ。仲良いじゃーー」

 フアナの胸にチェインの腕が突き刺さり、ばつん、と籠もった破裂音がした。ぐああ、とフアナはソファの上でもんどり打って呻く。

「外傷とはまた違う、五臓六腑に染み渡る鮮烈だがまろやかな痛み……!」
「黙れ痛覚ソムリエ。クソマゾ症例見本市」
「ザップより罵倒に知性を感じる」

 噴き出す鼻血をフアナは手の甲で拭った。すでに血は止まっている。

「今の発言は命知らずすぎるわよ」

 K・Kは苦笑気味にフアナにナプキンを差し出す。フアナはそれを会釈しながら受け取り、顔を拭いた。

「本気で殺しにきてたな……」
「死なないからいいじゃない」
「死なないわけじゃない。もしこの体質が回数制だったらどうするの。今ので完全−1だよ」
「それほど罪深い発言だった」
「なんだよぅ、自分が言われて嫌なことを人に言うなよ」
「ツェッドと山猿男は違うでしょ」
「山猿っていうのがザップのことならそれは比喩でしかないけど、ツェッドは割と魚じゃん」
「愛があるんだからいいでしょ」
「愛、ねえ」
「あるでしょ」
「あるねえ」

 ちょっと、と、遠慮がちな声が二人を遮る。なんとも言えない微妙な表情を浮かべたツェッドが、フアナの背後に立っていた。

「僕、ここにいますけど……?」

 フアナが無言でツェッドに菓子の包みを一つ投げ渡す。ツェッドはそれを受け取り、礼儀正しく「ありがとうございます」と礼を言う。

「いや、お菓子が欲しかったわけではありませんから」
「え、じゃあなに?」
「そういう話を本人を前にしていいんですか? 本人というよりも、みんないるんですけど」

 成り行きをはらはらと見つめていたスティーブンやレオがさっと目を逸らした。我関せずのつもりらしい。

「陰で言ったら陰口じゃないか」
「そういうものですか」
「うん」 
「そうですか」

 フアナとツェッドの弛すぎる会話に、K・Kが割って入る。

「ツェッドはどうなの? フアナと付き合いたいとか思わないの?」

 唐突な問いに、ツェッドは硬直した。何か考えるように首を一巡させると、ひたとK・Kを見つめて「ないです」と答える。女性陣二人組が悲鳴を上げた。

「い、言い切った!!! ひっど!!!」
「うわ、ツェッド見損なったわ……」

 理不尽に失望され、ツェッドは困惑する。

「フアナも同じ気持ちでしょう」
「まあ、でも君に言い切られると釈然としない」
「そんなことを言われても」

 フアナは背後のツェッドを振り仰ぐ。

「このあたりではっきりさせておきたいんだが、君にとっての性的対象は魚か? 人か?」
「こんなところで自分の性的指向を暴露するのは気が引けますが、後々まで誤解が残ると困るので言います。人です」
「まじか!!!」
「そこまで驚くことないでしょう」
「じゃあ付き合うか」
「……は?」
「付き合うか。みんなうるさいし」

 衝撃の発言に打ち震えるライブラメンバーの視線を一身に受けて、ツェッドは「あなたはまたそうやって……!」と頭を抱える。クラウスだけが黙々と向かっていた書類から顔を上げて「おめでとう」と寿いだ。


******



 炭酸の抜けたコークのような交際宣言から20分。渦中の二人を除いて、事務所の全員が緊張の面持ちで二人の動向を見守っていた。
 といえど、当の二人は何も変わった様子はなく、いつもどおりカウチに並んで座っている。ツェッドは本を読み、フアナは書類を繰っていた。

「フアナ」

 ツェッドがフアナの名を呼ぶ。フアナではなく、それ以外の人物の肩が跳ねた。フアナ自身は何も気にかけた風もなく「うん?」と答える。

「何か話してくださいよ」
「なんで」
「あなたが付き合うと言ったんでしょう。恋人同士らしい話題を提供してください」
「そんなもんないよ」
「……ないんですか」
「普段から君とはよく話すけど、それを以て何故付き合わないのかと言われたということは、つまり普段の話題は恋人同士らしくないんでしょ」
「そうなんでしょうね」
「付き合ってしまったら何も話すことがないよ」
「なるほど」

 いやなるほどじゃないだろ! と、事務所全員の心が一致する。かたかた、とクラウスのタイピング音以外は静まり返った事務所には、未だかつてないほど緊迫感に満ちた沈黙が落ちている。

「話すことが無くなってしまいましたね」
「人間らしさを失ってしまう」
「あなたから論理的な言葉を奪ったら本当に赤ちゃんですものね」
「怒るぞツェッド」

 はあ、とフアナは溜息をつく。フアナがそういう憂鬱な素振りを見せるのは珍しい。事務所の体感温度が2℃は下がった。

「美しいものが見たいなぁ」
「何を藪から棒に」
「美しいものは美しいだけでいいんだよシンプルだろ」
「それを美しいと認める者がいた場合だけでしょう」
「私が認めればいい」
「突き詰めればそうなりますか」
「額も枠もいらないから、ただ美しいものだけ見ていたい」
「無理な相談ですね」

 K・Kが部屋の隅の方で、剣呑な空気に怯えながら、さりとて部屋を去ることも出来ずにいたレオに忍び寄り、後ろから羽交い締めにする。

「な、なに? なんなのあれ? 何語?」
「いや英語でしたよ……多分」
「なんか……何を言ってるかわかんなかったんだけど。 あの子達、いつもあんなキレたトークしてるの?」
「知りませんよ……」

 もとよりそう声の大きな二人ではないし、二人の会話に耳を澄ませたこともない。普段レオを交えた会話では、ここまで歪んだレコードのような会話はしていない。
 部屋にはチェインの姿がなかった。一足早く存在を希釈してしまったらしい。室内にいるのか、既に室外に逃げたのかすら分からない。

「そういえば、今日の夕食ですけど」
「ああ、うん」
「中止にしましょう」

 淡々と述べたツェッドの言葉に空気が凍る。なんで? 付き合い始めたんでしょ? 一緒にディナーに行けよ! と、全員が心中で叫ぶが、二人には届かない。
 そうだね、とフアナが答える。

「世間一般的には付き合い始めの異性同士が行く店としてあの薄汚い店は相応しくない」
「何処か雰囲気のいいお店を見つけて予約しておきますね」
「ああーすごく付き合ってるっぽい。でも、今晩はお腹を空かせて眠るのか」
「致し方ありません」
「今日は家で何か食べるか」
「付き合い始めてその日の男女がお互いの家を訪ねていいんですか」
「駄目だね。許されない。世間に求められる普通の埒外」

 レオとK・Kは知らぬふりを決め込んでいたスティーブンに詰め寄る。

「ツェッドさんとフアナさんがフルスロットルでなんか怖いんですけど!」

 声を荒らげるでもない。噛み合っているのかいないのかよく分からない言葉の応酬がただただ恐ろしい。

「……俺に振らないでくれ」
「そんな薄情な!」
「あの二人は割と独自の世界観に生きてるからなぁ……いや正確には、フアナについていけるのがツェッドだけなんだろうが」

 自由にやらせているうちは楽しそうにしているが、外から枠にはめようとすると途端に空気が軋むほどギクシャクする。焚き付けた責任の一端を担ってしまったK・Kは、どうしたものかしらと焦りを滲ませた。

「今更、やっぱり別れたほうがいい、って言うの?」
「そんなことを強要してみろ、フアナは二度とこちらを信用しなくなるぞ」
「じゃあどうすればいいのよ」
「こうなってしまった以上、最後まで見守るしかないだろう。全員腹を括れ」

 ああ願わくばあの二人が二人の間でしか通じない独自の言語を構築する前に解決してくれ、とスティーブンは祈る。もはや手遅れな気もするが。
 ぴりぴりした空気を裂くように、ドタンバタンと事務所のドアが開く。

「クソがっ! 金返せ金返せうるせーんだよ!」

 金貸しに追われたか、はたまたお小遣いをせびっていた女性に叱られたのか、褐色の額に青筋を浮かべたザップが、どすどすと室内に入ってきた。そして何故か、他にソファがあるというのに、カウチのツェッドとフアナの間に尻を捩じ込んだ。

 ーーザップ!!! 空気読め!!!!

 室内の全員が青褪める。隣に兄弟子が来たことで気分を害したらしいツェッドが何か言おうと身を起こしたが、それを遮ったのはフアナであった。

「ザップ、聞きたいことがあるんだけど」
「おん? なんだフアナ後輩、殊勝な態度じゃねぇか。今なら10分100ゼーロで相談に乗ってやる」
「悪徳弁護士でさえ今日日初回相談無料なのに。ーーたとえば、一組の男女、いや男女に限らなくてもいいんだけど、性的なパートナー関係を結んだばかりの二人がいた場合、何をするべきだと思う?」
「は? 何語だよ」
「英語だよ。付き合い始めの二人がいたら、一番最初に何をすべき?」

 なぜザップに聞く、と、ツェッドを含めた全員が思う。

「ファック」

 ザップに問えば当然こういう返答になる。
 フアナは白けきった顔をした。

「えー……」
「ファックしかねぇだろ。ファックして寝て起きて飯食ってまたファックして寝る」
「ザップは恋人同士じゃなくてもそんなことばかりしてるじゃないか」
「知るかよ」

 フアナはひどくがっかりした顔をして、ザップの向こうのツェッドに話しかけた。

「やめた。楽しくない」
「いつあなたが飽きるかと待っていましたよ」
「別に最初からやりたくてやってたわけじゃない」
「では阿呆なことをするのはやめて頂きたい」
「実践主義なんだよ」

 フアナは腕時計に目をやる。

「30分もたなかった。人生で一番虚しい30分だったけど」

 フアナはカウチから立ち上がり「ラテ買ってくる」と事務所を後にした。

 スティーブンが細く長く息を吐き、椅子に深くもたれ掛かった。

「今日ほど君の下劣さに感謝することはないだろうね」
「なんの話っすか?」

 レオがザップに向かって手を合わせる。

「SS先輩、マジSSでありがとうございます」
「んだよ陰毛頭ケンカ売ってんのか」

 K・Kがザップの肩に手を置く。

「言いたいことは色々あるけど、今日だけは見逃すわ。ありがとう」
「姐さんまで!?」

 どこからともなくチェインが現れる。

「クソゴミ発情期猿」
「テメーのはただの罵倒じゃねえか!!!」

 皆が安堵の息を漏らす中、クラウスだけがツェッドとフアナの交際を祝うパーティーの知らせを、無言でそっと削除した。