The dead pool



 ザップの言う近道を通るために、普段は足を踏み入れない繁華街を歩いていたレオは、道端の特徴的な看板に見覚えがあって「あれ」と声を上げた。

「この辺って、確かフアナさんの仕事場の近くですよね?」
「は? 知らねー」

 ザップが胡乱げな顔をした後にたりと笑ったので、レオは慌てて先ほどの発言を無かったことにする。

「あー、腹減りましたねザップさん」
「ほぉーん? フアナの奴、確かクラブのバウンサーだったよなあ?」
「ちょっとザップさん! あんた、また碌でもないこと考えてんでしょ!?」
「いんやー、ただちょっと、先輩のよしみでちょろっと入れてくんねーかなって」
「そういうの! そういうのが碌でもないんだよ!!!」

 道端で歩きながら言い争いをしていると、常は弛緩しきっているザップの表情が険しくなった。自分の背後に何かあったのだろうか、と振り返りかけたレオの鼻先をザップの前蹴りが掠めていく。蹴飛ばされた亜人型の異界人が、もんどりうって吹っ飛んで行った。

「ええええ!! SS先輩あんた機嫌悪いからってこんな八つ当たり……!!」

 慌てふためくレオまで尻を蹴飛ばされる。ぎゃ、と尻を押さえた。周囲を目をやると奇妙な光景が――この町では大抵のものが奇妙だが――広がっていた。道行く通行人のうち何人かが、虚ろな表情で宙を見つめながらすれ違う人類異界人問わず襲いかかっている。
 襲う側にも、特に共通点はない。襲いかかるとはいっても、殺すまではいかない。大抵は通行人の手足にしがみついたり、覆いかぶさったりする程度だ。幾人かは殴り合いに発展している。大きすぎたり危険すぎたりする体を持つ異界人に絡まれた通行人は悲痛な悲鳴を上げていた。

「あぶねーハッパでも流行ってんのか」

 無謀にも斗流の天才下衆野郎に襲いかかった人類が、顔面パンチであえなく沈められる。だが、その人は痛がる素振りも見せずに立ち上がると、再びザップに掴みかかった。

「っんだ、このやろ!!」

 ザップは男を引きはがして転がすと、地面に血法で拘束した。それでもなお虚ろな無表情で手足をばたつかせる男を見下ろして、ザップは顔をしかめた。

「うっわ、ゾンビかよ」

 ザップは血の糸で、こちらに向かってきていた数人をまとめて縛り上げる。そのときレオの携帯端末が鳴った。冷や汗の滲む手で端末をとると、スティーブンの声がスピーカーから響く。

「少年、そこにザップもいるな? 第6地区12番街でトラブル発生。暴徒と化した住民が次々通行人を襲っている。原因は不明だが、どうやら意識を何かに乗っ取られているようだ。暴徒とはいえ一般市民、傷つけずに拘束してくれ」
「今、ちょうど、それに巻き込まれてるところっすよ番頭!」

 ザップが怒鳴り、大柄な異界人を縛り上げる。狂暴化したり、腕力が増強されていないようなのが救いだ。ザップの手から伸びる血の糸に、何人もの人類異界人が繋がっている。悪趣味な鵜飼のようだ。

「増援はいるか? こちらへの報告では暴徒はせいぜい30名前後。おまえと、HLPDの鎮圧班で事足りるとは思うが――」

 最後まで聞く前に、ザップは焔丸を手に飛び出していった。何事か、とレオはザップの向かったほうを見て、顔をひきつらせた。戦闘員ではないレオにも、この事態のヤバさは分かる。

「スティーブンさん!!ありったけの増援をお願いします!!」
「なんだ、どうしたんだレオ?」
「暴徒の中にフアナさんがいます!!」

 レオが叫ぶと、端末は一瞬静まり返ったが、次いで溜息とともに「サイアクだ……」と呻き声が聞こえた。

 焔丸がフアナの左腕を切り飛ばす。確かに切断した感触はあったが、腕は地面に落ちる前に蛇のように伸びた筋繊維によってフアナの肩に繋ぎ止められる。フアナは己の体を拘束しようとする血の糸を左腕で無理矢理手繰ると、ぶんと振り回した。
 ザップは素早く血の糸を切るが、体勢を崩して瓦礫に突っ込む。

「ザップさん!」

 駆け寄ろうとするレオをザップは手で制した。

「どいてろ陰毛! フアナの指先でも掠めりゃおまえの肋骨全部持って行かれんぞ!」

 完全にザップに狙いを定めたフアナがいっきにザップとの距離を詰める。ゾンビみたいだというからもっと鈍いかと思ったが、全力疾走である。大きく振りかぶられた右拳が、さっきまでザップのいた瓦礫の山をえぐる。砕けた瓦礫が散弾のように飛び散った。

「あんなん当たったら死ぬ!!!」

 叫びながら、斬撃とともに紅蓮の業火を放つ。炎はフアナの皮膚を焼いたが、熱に気を取られる様子もない。
 数度切り結んだが、力で押し切れる相手ではない。手数で押すにしても浅い傷では何にもならない。最低でもどこかしら切り落とすか押し潰すかでもしないと、動きを止めることすら出来ない。頭が働いていなさそうで、動きが単調なことだけが救いだ。
どうしたものか、と焔丸を握りなおすザップの吐く息が白くなる。来たか、と安堵すると同時に空気が凍てついた。
 フアナの足元が凍りつき、地面に縫いとめられる。フアナの動きががくんと止まった。

「ザップ、状況は」

 スティーブンは憎たらしほどに颯爽とザップの傍らに立つ。

「見ての通りっすよ。他のゾンビどもはふん捕まえたけど、あのファッキン馬鹿力を殺さず動きを止めるのに手こずってたとこっす」
「いやあ、フアナは殺すほうが難しいだろ」

 軽口を叩き合う二人の前で、フアナは凍りついた脚を無表情で引き抜いた。べきゃ、と湿った生木をへし折るような音がして、地面に貼り付いたままのフアナの膝下から鮮血が噴き出す。自力で引き千切られた脚の、切り株のような傷口からぞろりと肉が形成されていく。

「うげええ、すんげーもん見ちゃったグッロ!!!」
「あんな力技で抜け出されたのは初めてだよ……夢に見そうだ……」

 顔を青くする二人は身構える。走るフアナの眉間を青白い稲光とともに銃弾が貫いた。フアナはやや上体をのけぞらせたが、スピードは緩まない。立て続けにヘッドショットをきめられ、地面に脳漿が飛び散る。殊更大きな銃声とともに、フアナの頭部が吹き飛んだ。
 一瞬フアナの動きが鈍るが、すぐに頭部は再生する。

「あれでも止まんねえのかよ!? こええよ!」
「僕は、死なないと分かっているとはいえ、容赦なく仲間の脳天を狙うK・Kのほうが怖いと思うけどね」

 スティーブンのこめかみを銃弾が掠めていった。

「聞こえてんのよこの性悪!」

 耳元の小型インカムからK・Kの悪罵が飛ぶ。スティーブンは肩をすくめた。

聳える氷の槍がフアナの腹を貫く。フアナは己が吐いた血で汚れた手で氷柱をへし折った。ほとんど理性を感じさせない動きだが、フアナの並外れた膂力があれば腕を振り回すだけで死人が出る。

「電撃を浴びせれば失神させられるかと思ったんだが」

 スティーブンは苦々しく呟いた。目玉が煮えたぎる音がし、鼻や口からぶすぶすと黒い煙が立ち上っているが、フアナの動きが鈍ることはない。むしろ高電圧の影響か時折痙攣的に跳ねる手足が、攻撃の予測を乱してきて非常に厄介だ。
 すでにフアナの体はフアナの脳ではなく他の中枢によって支配されているようだ。無類の物理耐性を持つフアナの意識を奪えないとなると、勝機は絞られてくる。一つは、回復が間に合わなくなるまで肉体を破壊しつくすこと。もう一つは、フアナの体の支配権をフアナ自身に取り戻すこと。
 情報が無い今、後者を狙うのは難しい。被害を最小限にするためフアナを誘導しつつ、チェインからの報告を待ちながら、フアナの肉体を徹底的に破壊するしかないだろう。

「ザップ! 燃やせ!」
「マジすか!?」
「焼き加減はミディアムで頼む!」
「うわ、ステーキ食えなくなるんでやめてください!」

 フアナの胸を貫く赤い刃から炎が迸り、生き物のようにフアナの全身を嘗め尽くす。タンパク質の焼けるひどい臭いとともに、フアナの皮膚も肉も焼けて溶け落ちる。焼き魚のように白濁した目が、ぎょろりと宙を見る。
 全身を松明のように炎上させたまま、フアナはスティーブンの方に突っ込んでいく。スティーブンの足下から生成された氷柱は一瞬で破壊され、フアナを燃やす炎の熱で一気に溶けて水と水蒸気になる。水蒸気がはれるころには、頭から水をかぶり炎の消えたフアナが立っていた。
 それを見たザップがスティーブンに食ってかかる。

「ちょっと番頭何するんすか!」
「すまん! つい咄嗟に!」

 あんなの受けられないし受けたくない。皮膚を泡立ち融かしながら火達磨でこっちへ向かってくるフアナを思い出してげんなりする。

「ちょっと、クラっちはどうしたのよ」

 インカムからK・Kの声がした。

「クラウスは待機だ。彼に仲間を破壊しつくすなんてやらせられるか。それに、こんな街中であの二人が本気でぶつかってみろ。被害甚大で賠償どころの話じゃなくなるぞ」

 インカムから溜息に似た吐息の音がする。ザップがイライラと葉巻を噛み直した。

「あの魚野郎は――」

 言い終わる前に、ごうと風が巻き起こる。足をとられて一瞬動きの止まったフアナの両腕が、赤い三叉槍で切断される。それが癒着する前に、突風がフアナの体を石壁に叩きつけた。肋骨が砕け、内蔵がシェイクされる音がした。顔の穴という穴から血を流すフアナがごろごろと地面を転がっていく。生えた腕で跳ねるように起き上がったフアナの首が、容赦なく落とされる。
 さすがのザップもうおおと小さく声を漏らした。

「おま、やりすぎだろ……」
「何を言っているんですか。この程度じゃフアナにとっては掠り傷も同然ですよ」

 その言葉通り、フアナは起き上がると、虚ろな目をツェッドに向けた。その視線を受けたツェッドは三叉槍を胸の前に構えると、無造作に伸ばされたフアナの腕を切り払った。ごとりと腕が落ちる。

「主な攻撃手段である腕を切るのは有効ですが、それより頭部を狙った方がいい。特に中枢神経と感覚器官は再生に時間と体力がいる」

 一対の血刀がツェッドの手から放たれ、正確にフアナの双眸を貫いた。目が見えなくても問題ないのか、フアナはそれを抜こうともせずツェッドの方に血だらけの顔を向ける。目から赤いククリ刀が突き出ている様は、グロテスクな触覚のようだ。

「それと、切断した肉体は3秒以上傷口が空気に触れていると癒着できなくなるので、さっさと本体から引き離してください」
「ぐええ、キモい……」

 呻くザップをツェッドが睨む。

「産まれながらの体質のことをあれこれ言うのはどうかと思いますけど」
「ちげーよ! いや、フアナもキモいけど。テメーだよテメー。フアナマニアかよ。詳しすぎだろ」

 ザップは焔丸を振り回してフアナの首を刎ねた。もう何度目かも分からない。助言の通り落ちた首を彼方に蹴飛ばす。頭部は繋がらず、新たな頭部が再生されていく。ツェッドは罵声を意に介した風もなく三叉槍でフアナの眼を裂き、真空刃で体中を膾切りにする。

「実験したんですよ。どの部位を破壊されると、ダメージが大きいのか」
「うえ、クレイジーフアナのマッドな実験室ってか!? 想像もしたくねえよ!」
「別に楽しくてやっていた訳じゃないです。ただ――」

 ツェッドは血紐でフアナの両手両足を絡め取る。フアナはぎちぎちと耳を塞ぎたくなるような音をたてて己の肉体を破壊しながら血紐を引きはがした。顔色一つ変えずフアナの体を刻んでいたツェッドの顔が、一瞬痛々しげに歪んだ。

「約束したんです。フアナに何かあったら僕が殺すと」

 ザップは鼻を鳴らす。

「んで、あのバケモンはどうやったら殺せるんだよ」
「さあ、とりあえず、死ぬまで殺し続けます」

 正確な発音の英語でひどく物騒なことを言う。ツェッドは三叉槍をゆるりと大きく回した。紅い先端が違わずにフアナに向けられる。

「ツェッド!」

 携帯端末を手にしたスティーブンが鋭く叫んだ。

「搬送された他の暴徒から原因が判明した!寄生型のナノコンピュータが第三腰椎に食い込んでいる!」
「それを摘出すればいいんですね!」
「本来ならば大手術で神経を傷付けないよう慎重に摘出する必要があるが、幸か不幸か――いや、間違いなく不幸だが、相手はフアナだ。叩き切れ」

 ツェッドの手の内で三叉槍が形を変える。すらりと長い刀剣となったそれで、ツェッドはフアナの胴を薙いだ。フアナの腹から上がどさりと地面に落ちる。バランスを崩して蠢く乗っ取られた半身を、ザップが大きな溜息とともに焼き尽くした。再生能力を失っている下半身は、簡単に消し炭となる。大乱闘の割に、ひどくあっさりした幕切れであった。

 万が一を考えて、警戒を解かないまま三人はフアナの上半身を囲む。急速に再生しつつある下半身を引きずりながら、フアナは両腕を支えに上体を起こした。げっそりした顔で、三人を見上げる。

「ふ、ふざけんな……こんなにあっさり片がつくなら、あんなにぐちゃぐちゃにすることないだろ……」

 掠れた声で呻く。ザップの額に青筋が浮いた。

「あん? テメー、まずは助けてくれてありがとうございますだろうがよ」

 フアナはきっとザップを睨み付ける。常は恬淡としたフアナの瞳に涙が滲んでいて、ザップはぎょっとして口をつぐむ。

「ありがとうなんて気持ちになるか! めちゃくちゃ痛かったわ! 死ぬかと思った!」
「え、フアナ、意識があったんですか?」

 武器を解除しながらツェッドは顔を引きつらせる。意識も痛覚もないものだと思い込んで好き勝手していたのだ。

「あったよ!!体は動かせなかったけど!!! あのさ、もっと穏便な止め方あったでしょ!!! こんな、おま、トラウマになるわ!!! 生きたまま焼かれて熱い痛いし苦しいし! あちこち吹っ飛ばされるし! 執拗に目は狙われるし! 目に何か刺さるのめちゃくちゃ怖いんだよ!!! 先端恐怖症になりおええぇ……」

 余程恐ろしかったのか、嘔吐きながら怒りまくるフアナを見下ろし、三人はどうするとばかりに目配せし合う。生きたまま刻まれたり燃やされたりしたことを鑑みると、この盛大な逆ギレを窘めるのも酷に思える。
 フアナ、と名を呼びながらクラウスとレオが駆け寄ってくる。クラウスはずたずたになったフアナのシャツの上から、入院着のような薄青のワンピースをかけてやる。
フアナのあまりの剣幕に誰も指摘できなかったが、再生した下半身は何も身に着けていない。往来がないとはいえ、うら若き女性が尻丸出しでいるのは忍びない、という気遣いだろう。フアナ自身はそんなことを気にしている余裕もなさそうだったが。

「クラウスさん……、すみません、ありがとうございます」

 ワンピースのスナップボタンを震える手で留めながら、フアナは呟く。クラウスは膝をつき、フアナの手を取った。

「すまない、フアナ。我々の力が及ばないばかりに、フアナに辛い思いをさせてしまった。リーダーである私の不甲斐なさ故だ。どうか皆を許してくれないか」

 真摯なクラウスの言葉に、フアナの怒りはしゅるしゅると萎んでいく。

「いえ……私の不注意が招いた事態で――」

 言いかけたフアナの視線が一点から離れなくなり、全身が硬直する。顔色がみるみる真っ青になった。フアナの視線の先には、ライフルケースを抱えて心配そうにこちらに駆けてくるK・Kの姿がある。フアナは近寄ってくるK・Kから逃げるように飛び退り、足をもつれさせて思い切り転んだ。

「フアナ!」

 ツェッドがフアナを助け起こすと、フアナは声にならない悲鳴をあげてツェッドの背に回り込む。

「むりむりむりむり、でんき、こわい、いたい、まじでやばい」

 外傷は一瞬で治る体にも、度重なる電撃はショックが大きかったらしい。その場にいる全員からなんとも言えない視線を向けられて、K・Kは足を止める。

「な、なによう……」

 フアナの暴走を止めるためにスティーブンに指示されての行動であったのにあんまりだ、とK・Kは眉を垂れた。


******

「は? 動画投稿!?」

 それを聞いたザップは素っ頓狂な声を上げ、ツェッドは大きな溜息をついて読みかけの本を閉じた。
 らしいですよ、とレオは先を続ける。

「なんか、若者グループが、街中でリアルゾンビしたらやばかった〜みたいな動画を撮るために寄生型のナノマシンをばらまいたって聞きました」
「っかー、世も末だな。そんな動画を撮るガキも、喜ぶガキも腐ってンだろ」

 言い分は真っ当だが、どの口が言うのだろう。

「ほんのいたずらのつもりだったのでしょうけど、そこにフアナがいたのが不運でしたね」

 住人のいたずらとなれば、ライブラの出る幕ではない。浅慮な子供達は、警察にぎっちり油を絞られたことだろう。
 そのとき、事務所の通用口の方から引きつるような悲鳴と、ガギョンと破壊音が聞こえた。ザップがあーあとばかりに肩をすくめてみせる。

「あいつ、またドアノブ引きちぎってんぞ」

 レオは通用口の方に首を巡らせる。

「フアナさんもかわいそうに、あの一件以来、すっかり静電気恐怖症になっちゃって」

 あー、もー! とドアの方から泣き声交じりの苛立たしげな声が響いた。