イクシオサピエンスは電気海月の夢を見るか(4)




 作られた、人類と魚類の交配種ーー

 フアナは口中で呟く。そういうものも、この街には在るのか。
 仕事柄、そういう生き物はいくつか見てきた。だが網さえ異なる生物同士の交配など、聞いたこともない。考えたことすらないかもしれない。
 産まれ落ちた時点から親もおらず子も望めず、仲間すらいない。一科一属一種どころか、一科一属一種一個体とは、その孤独は如何程のものであろうか。
 人界を厭い、半ば世捨て人のようにヘルサレムズ・ロットに暮らすフアナですら、街中で人類を見かけると安心するのだから。

 己は彼の孤独に惹かれたのだ、とフアナは思う。そうでなければ、継続的に連絡をとろうとは思わない。
 携帯端末の履歴にずらりと並ぶツェッドの名を見てフアナは苦笑いする。アドレス帳には母親と仕事場の上司と一部の同僚、それからこの街に来る前の友人がほんの数人だけ登録されている。我ながら、友人が少ないにも程がある。
 ツェッドならば、己の孤独に寄り添ってくれるかもしれないと思った。己ならば、ツェッドの孤独に一定の理解を示せるかもしれないと思った。だが、それは、甘えであるし驕りであるかもしれない。
 彼のことを知りたいと思った。その孤独を共有させてはくれないか。考察させてはくれないか。

 端末の画面が光る。来る連絡といえば、仕事場からかツェッドからだけである。最近はもっぱら後者だ。

「はい、フアナ」

ーーお久しぶりです、ツェッドです。今、大丈夫ですか?

「大丈夫だよ、暇すぎて君のことを考えてた」

 端末の向こうから沈黙。なので、勝手に言葉を続ける。

「この間、飲んだとき、すごい恥ずかしいこと言っちゃったなって」

ーーああ……

 溜息をついたのか、ボワッと耳障りな音が聞こえる。

ーー気にしていませんよ、酔っていましたし

「いや、気にするよ。もう君にどんな顔で会ったらいいかわからん」

ーー普通にしててください。こっちまで恥ずかしいでしょう

「なんで? ああ、帰り際になんか真面目なこと言ったから?」

ーー…………ええ、まあ、いえ、ちょっと待ってください! あなたの言っている恥ずかしいことって何の話ですか

「あ゛ー、いや、あんまり思い出したくない。ほら、一回死んだとかなんとか」

 再び、スピーカーは無音になる。

ーーそうですか

「えっ、ちょっと待って! 私、それ以外になんか恥ずかしいこと言った!?」

 記憶を失うほど飲んではいないつもりだが、そういう言い方をされると不安になる。

ーー……覚えてないならいいんです

「いやいやいや! うわー! 聞きたくない! でも教えて! 後学のために」

ーー何の後学ですか

「わかんないけど」

ーー僕のこと、好きだって

「は?」

ーーやっぱり覚えてないんですね

「いや、覚えてるけど。 恥ずかしいの?」

ーーえ?

「え?」

ーー恥ずかしくないんですか?

「いや君にとって他者を好きになることが恥ずかしいなら恥ずかしいんじゃないか?」

ーー無茶苦茶ですね、あなたは

「今さらそんなこと言うなよ。で? ああ、うん、好きだよ。そうじゃなきゃこんな頻繁に連絡とらないし、ご飯に誘わない」

ーー……なるほど

「好きなものには好きと言わなきゃ。人形か馬鹿か間抜けでなければ。……あまり、理解を得たことはないけど」

ーーそうでしょうね

「だって君も私のこと好きだろ? 」

ーーそうですね。あなたの理論に則るなら、あなたの言うような意味で僕もあなたが好きですよ

「そうでしょ。 それで、何の用です?」

ーー暇だったので

「ただの暇つぶしか!」

ーーええ、今から出られます?

「ああ、うん、いいよ」

ーーでは、ダイアンズダイナーで

******




 そもそも、ダイアンズダイナーってどこだ。

 ヘルサレムズ・ロットではGPSを用いた地図アプリはあまり役に立たない。ハチャメチャなルートを指示するアプリを駆使して辿り着いたダイナーで、フアナはドアをくぐり、額ににじむ汗を手のひらで拭う。

「いらっしゃい。お好きな席にどうぞ」

 金髪の若い女の店員が、愛想よくそう言った。
 店内をぐるりと見渡す。青い肌の半人半魚などすぐに見つかると思ったが、ここではその程度の個性などまだ大人しいほうだ。

「フアナ」

 名を呼ばれて、そちらを向く。何故かひどく奥まった席に、ツェッドが座っていた。

「なんでこんな奥に」
「知り合いに会いたくないんで」
「ああ、そお」

 フアナは上着を脱ぎ、椅子をひく。

「店の場所くらい教えてよ。迷いに迷ったわ」

 言うと、ツェッドは驚いたように顔を上げた。

「ここに来るのは初めてでしたか?」
「そうだよ」
「すみません、一緒に来たことがあるとばかり」
「まあ、色々行ったからね」

 互いの家を訪ねることはないので、ほぼ必然的に飲食店で顔をあわせることになる。どの店に何回行ったかなど、とうに忘れた。
 店員にタコスとサイダーを頼むと、店員は何故かフアナではなくツェッドの方にニッと笑った。それを受けて、ツェッドはああと呻く。

「口止めをしなくては」
「何を」
「あなたとここにいたことを」
「なんで」
「ここをよく利用する職場の人間が、控えめに言って面倒臭い男なので」

 それを聞いてフアナは苦笑いした。

「男女と見ればそういう目でしか見れない連中はどこにでもいるよ」
「あなたは少し気にしなさすぎですけどね」

 そうだろうなぁ、とフアナは肩をすくめる。そういう、男だとか女だとか、人種、年齢、国籍、その他諸々で枠にはめられるのは好きではないのだ。必要以上に反発してしまう。
 時には、自分自身で、他者をそういう枠にはめてしまうこともあるが、それでも、なるべくなら自由でいたい。

「こんな街で、男だ女だ言ったって仕方ないよ。明日、性別が変わるかもしれないし、死ぬかもしれないのに」
「そうは言っても、今、僕は男でフアナは女でしょう」
「……魚類には性転換する種類が結構いるけど、君はしないの?」
「しませんよ!…………しませんよね?」
「交配した魚がヘダイ亜科なら年齢とともに雌化する」
「……本当ですか?」
「うん。マゴチとかクマノミなら、体が大きくなると雌化する」

 愕然とするツェッドを尻目に、フアナは運ばれてきたタコスを頬張った。
 トルティーヤの端から溢れるレタスを手で口中に押し込むと、ツェッドに無言でナプキンを渡された。こちらも無言でそれを受け取り、手についたソースを拭う。

「そういえば、一昨日、あー、あの、元ミッドタウン、今なんて呼ばれてるかは知らないんだけど、あそこで大規模なガス管の爆発があったって」
「そのようですね。ニュースで観ました」
「私の住んでる部屋の近所なんだけどーー」
「だ、大丈夫でしたか!?」
「大丈夫でなきゃここにいないよ」

 ガス管の爆発、と、後から聞いたのだ。フアナはその事故が起こったとき自室にいたのだが、そんな大規模な爆発が起こったような揺れや音は聞こえなかった。
 ただ、いつも通り、何か破壊音と、悲鳴だけが聞こえた。後から事故現場へ野次馬に行くと、ガス管の爆発という割にどこも弾けた様子はなく、ただ薙ぎ倒されたように遺体袋だけが点々としていた。

「変だなーって。まあここじゃあ変なことしか起きないんだけどね」
「ガス管の爆発なんて怖いですね。そこ、引っ越した方がいいんじゃないですか?」

 唐突にそう言われ、フアナは目を丸くする。

「へ? ああ、そうだね、でも、職場に近いし、家賃も安いし。ーーそうそう、それでさ、大家さんがそのガス管爆発の現場に居合わせたらしいんだけど、なんか、ライブラっていうのが一枚噛んでるとか、そういうことを言ってた」
「へえ、そうなんですか」
「私はあんまり詳しくないんだけど、人界を異界の侵食から守ろうって秘密の組織らしいよ。君、知ってた?」
「ええ、話だけは聞いたことがありますよ」

 ツェッドの反応があまりに素っ気ないので、フアナは不審気に眉をひそめた。こういう話は、結構好む方だと思っていたのだが。

「人類も、いずれ滅ぶのかね」
「それは、いずれ、滅ぶでしょう」
「うん、だから、それが異界の存在が原因だとして、それは仕方ないことなのかなって、少し思う」
「そうでしょうか?」
「これが淘汰か、って。とうとう人間も淘汰される側に回ったんだなって、思う」
「あなたは諦めが良すぎます」
「直したいね」
「しかし、それでも、淘汰されまいと努力する人類もいるんです。あなたが諦めるなら、あなた一人で死んでください」

 突き放すような物言いに、フアナはほんの少しだけ驚いた。なんと答えたらいいのか考え、茶化すのはやめておく。

「そうだね、淘汰されないように適応するよ」
「そうしてください」

 サイダーの気泡がふつふつと上がってくるのを眺めて、ストローを咥える。

「それで、大家さんがさ、赤毛の大男が暴れてるのを見たって」
「それがガス管爆発の真相だとでも?」
「さあ、どうなんだろう」
「爆発にしろ暴れる大男にしろ、そんな危ない場所は引っ越した方がいいですよ」

 フアナはサイダーのコップをテーブルに置く。

「なんでそんな引っ越しさせたがるのさ」
「なんでって……危険でしょうに」
「ヘルサレムズ・ロットで危険じゃない場所なんてないよ」
「それはそうですけど……」

 何か言いにくそうなので、それ以上追及はしないでおく。しかし、引っ越しなどそう簡単に出来るものでもない。

「なるべく早く引っ越して、それが無理ならなるべく外出は、特に夜間の外出は控えてください」
「待って待って! 何!? 何の話!?」

 何をそんなに危険視しているのか。こちらが怖くなる。
 ツェッドは口を開けたが、何も言わずに閉じた。目を閉じ、開け、決心したかのように何か言いかけたとき、携帯の呼び出し音が鳴る。
 ツェッドは一言「失礼」と詫びると、電話を受けた。

「すみません、仕事が入ったので」
「そっか」
「また」
「うん」

 慌ただしく小銭をテーブルに置き、歩き出そうとしたたき、ツェッドは急にかかとでターンすると、フアナの鼻先に長い指を突きつけた。

「いいですか! 引っ越し! それから夜間外出禁止! 絶対ですよ!」

 フアナは気圧され、ただひらひらと右手をふった。