イクシオサピエンスは電気海月の夢を見るか(5)




 交通事故、設計不良によるビル崩落、異界存在の暴走、武装集団による銀行強盗、ガス管の爆発、路面の陥没事故ーー

 この三週間のうちに26番街で“起きたことになっている”事故の類が、ライブラ事務所のボードに一覧になっていた。

「……この血界の眷属の目的は何なのでしょうね」

 それを前にツェッドはぽつりと呟く。ただ通り魔のように現れては、薙ぐようにあたりを一掃し、ライブラが駆けつけるとそれを嘲笑うかのように消える。
 天敵のいない血界の眷属は基本的に退くことをしない。この件に絡む吸血鬼はひどい臆病者か、或いはライブラの脅威を正確に見定めているのか、どちらにしろ、まみえることが出来ないという点で厄介であった。今のところ現場に残された監視カメラの映像に、何も映っていないことから、少なくとも血界の眷属のしわざだということが分かっているだけである。

 ツェッドの呟きを受けて、カウチに寝そべっていたザップが首だけを起こした。

「奴らの目的がわかんねぇのは今に始まったことじゃねぇだろ」
「そうですが、なぜ26番街に被害が集中しているのか……」
「ねぐらでもあるんじゃねえの」
「実際そうだったとしても、何かしら考えれば次の出現を予測することが出来るかもしれないでしょう。貴方の肩に乗っているのは帽子の台なんですか?」
「んだとテメェ!」

 いがみ合うのはいつものことだが、火蓋を切るのが弟弟子の方なのは珍しい。それを見ていたレオは、隣に座っているチェインにそっと「なんだかツェッドさん、荒れてますね」とささやいた。

「例の彼女、26番街に住んでるのよ」

 言ってから、チェインは「あ、まずい」とばかりに両手で口をふさいだ。
 ツェッドは軋むような動きでチェインとレオの方を振り向き、ザップは「ほぉーう?」とニヤニヤ笑う。

「おいおいおいおい? 何色ボケちゃってんの? おめぇ、女に入れ込んで世界を救うという大義を忘れるたぁ、弛んでんじゃねえのおおぉぉ?」
「友人を心配するのは当然のことでしょう」
「友人、ねぇ?」
「貴方と一緒にしないでいただきたい」

 それはともかく! とツェッドはチェインに詰め寄る。

「例の彼女って、どういうことですか! どうして僕の交友関係が筒抜けになってるんです!?」

 チェインは気まずげに目を逸らした。

「ほ、ほら、最近、よく携帯をいじってるし」
「一人で出かけることも増えましたしね……。ビビアンさんからツェッドさんが女の人とご飯を食べに来たって話も聞きましたし」
「うそ!? それ、いつ!」
「昨日です」
「貴方達、プライバシーという言葉は知っていますか!!」

 それまで無言でパソコンに向かっていたクラウスが、つと顔を上げ、モニター越しにツェッドの方に視線を寄越した。

「君に新しい友人が出来たことを私も嬉しく思っているよ」
「……ありがとうございます」

 クラウスにまで話が通っているということは、ライブラのほぼ全員が知っているのだろう。何が子細不明の秘密結社だ、とツェッドは重く溜息をつく。何もかもだだ漏れではないか。

「彼女のことを調べたんですか?」

 ツェッドはチェインに尋ねる。チェインはやや引きつった笑みで、頷いた。

「どうしてまたそんな真似を……」
「俺が頼んだ」

 ドアを開け現れたスティーブンが、茶封筒をツェッドの方に示しながらそう言った。
 この男が依頼したのであれば、まさか興味本位ではないだろう。ツェッドはひとまず胸を撫で下ろす。
 スティーブンはソファに座り、頬杖をついた。

「彼女に君がライブラだということは?」
「話していません」
「よかった」
「無関係な一般市民を危険に晒せませんから」

 スティーブンは頷く。

「そう、それに、彼女が完全なシロとも言えないからね」

 ツェッドは瞠目する。

「あり得ない!」
「そうかい? 君もライブラの一員になったからには、偶然必然を問わず向こうから関係を持とうとしてくる相手には注意した方がいい」

 スティーブンは茶封筒の中から書類を取り出す。

「ここに彼女の全てが書いてある。全て、だ。読むかい?」

 ツェッドは迷い、それから首を横に振る。

「いいえ、必要なことは本人から聞きます」
「そうかい」

 ザップはカウチから跳ね起きると、スティーブンの持つ書類を覗き込んだ。続いてレオも、おずおずという様子でそれに倣う。

「は? なんだこりゃ、ふつーの人間だな」
「結構立派な経歴じゃないですか! なんでこんな人がこんな街に……」

 スティーブンは書類をしまい、立ち上がると、部屋の隅のシュレッダーに放り込んだ。モーター音とともに、フアナの情報は紙屑になっていく。

「全く、調べる必要がないほど健全かつ潔癖な経歴だよ。現住所がヘルサレムズ・ロット26番街であることを除けばね。どうして彼女のようなまっとうな人間がヘルサレムズ・ロットに住んでいるんだ? ツェッド君、彼女に何か妙なところはなかったか?」
「妙なところ……」

 フアナには妙なところしか見つからず、ツェッドは何とも言い難い表情をした。それを見たスティーブンは目つきを鋭くする。

「あるんだね?」
「……あるも何も、奇妙が服を着て歩いているような女性なので」

 ツェッドの返答に、スティーブンも何とも言い難い表情になった。

 疲れ果て、ソファに半ば倒れこむようにしてツェッドは座る。追うようにザップが隣に座り、わざとらしく肩を組んだ。

「んで、ヤったの?」

 完全に無視するツェッドに、ザップは詰め寄る。

「おまえにわかる言葉で言うと、交尾したのか?」

 ツェッドは肩に回されたザップの腕を払いのけた。

「あまりの下品さに返す言葉もなかっただけです」

 それに、魚類は基本的に交尾はしない。どうでもいいことだが。

「はあ!? あんだけ会っててヤってねーの?」
「だから、貴方と一緒にしないでください。フアナは友人です」
「じゃあ、会って何すんだよ」
「会って、食事をして、話をして、たまに映画を観て、この間は美術展に行きましたし、まあ、そんなものです」
「いやいやいや! そこまでしたらヤるだろ!!」
「だから! ヤるとかヤらないとか、そういう下品なことを言うのはやめてください!」

 それを聞いていたチェインが、口を開く。

「でも、やっぱり女子としては、好意があるから誘うんだし……意外とツェッドからのアタックを待ちわびてるかもよ」
「貴方達はフアナのことを知らないからそんなことが言えるんです」
「どんな人なんですか?」

 レオに聞かれ、ツェッドはしばし考え込む。

「…………人類、奇行種って感じです」

 それを聞いた3人はいっせいに吹き出した。離れたところで書類を見ていたスティーブンも笑みを押し隠すような顔をし、紅茶を淹れるギルベルトの手が一瞬だけ震える。

「たとえ、僕とフアナが、そういう、ええと、いわゆる男女の関係になるとしても、今ではないです」
「哺乳類に進化するまでか?」
「いい加減、怒りますよ」

 ツェッドは隣の兄弟子を睨みつける。
 奇想天外天衣無縫なフアナの言動を見ているだけで、今は楽しいのだ。ツェッドには、己がフアナに向けている好意と、ライブラメンバーに向けている好意の違いがよく分からない。どちらも特別には違いないが、そこに差はあるのだろうか。
 そもそも、己は半人半魚で、フアナとは種族が異なる。人類が犬や猫を愛しいと思うことが恋とは違うのと同様に、己がフアナに向ける好意は恋とは違う、気がする。

 それに、深い関係になったら、己の性格上、ライブラであることをフアナに隠し通すことは出来ない。必ず、洗いざらい話してしまう。
 そうなると、フアナの身に危険が及ぶ。まさかただの恋人をライブラの保護下に置くわけにもいかない。ならば、K・Kのように結婚して、家族として保護申請するか。
 それはいくらなんでも先走りすぎである。

「色々、難しいんですよ」

 ツェッドはぽつりと呟いた。