ネオサピエンスは電気羊の夢を見る





「人格は先天的要因と後天的要因の2つが相互に作用しあって形成されるらしいんだけどーー」

 ライブラ事務所、水槽の前の椅子に置かれたカウチで本を読んでいたフアナが唐突にそう言ったので、ツェッドは思わず「なんですか?」と問うた。

「人格は先天的、後天的要因によって決定されるんだって。君は先天的ーーつまり遺伝子の半分は魚なのに、人間出来てるよね。魚っぽくない」
「褒めてるんですか?」

 魚っぽくない、とはどういうことだろう。

「そうだね。割と褒めてる。でも、私に好かれるって相当変わってるかも」
「……貶されてます?」
「まさか、そんなことないよ」

 半ば脅されるような形でライブラの構成員になったフアナは、時折ツェッドの水槽の前で本を読む。クラウス手ずから手入れする観葉植物と、水槽の水に反射する光が綺麗だから、とフアナは言っていた。

「私は、自分のことはもうちょっと一人でも平気な性格だと思ってた」

 ぽつりとフアナは呟く。

「でももう一人は御免だね。君といるの楽しいし」
「そうですか」
「これは後天的要因」

 フアナは笑い、本をカウチに放り出すと、水槽に近寄った。硝子に手の平がぺたりと当てられる。押し付けられて白くなった部分と、血の気のある部分の境目が、脈拍にあわせてぶれるのが見えた。

「君は私が考えなしにライブラ加入を決めたと思っているかもしれないけど、そんなことはないんだよ」

 露骨に胡乱気な視線を向けると、フアナはなんだよぅと嘯いた。

「君が、私に何か重要なことを隠してるのは薄々感じてたんだ。だから、ずっと考えてた」
「何をですか」
「君なしで、私がやっていけるか」
「あなた、自覚しているのかしていないのか知りませんけど、時折大胆というか、誤解を招きかねないことを言いますね」
「自覚しているのかって? してるよ」

 わざとだよ、わざと。とフアナの唇は意地悪く弧を描く。

「やろうと思えばやっていけるよ。君がいなくてもね。君に声をかけるまで、私の人生に君はいなかったし。でも、君なしになるくらいなら、死んだ方がマシとは思った」
「それはずいぶん思い切りましたね」
「うん。君に会って、私は私が思っている以上に寂しがり屋で、他人に執着することが分かった。なんだか、案外人間っぽくて、すごく安心した」

 困り顔ともつかぬ笑みを浮かべてフアナは言う。ツェッドはフアナの手の平に、硝子ごしに己の手の平を合わせる。

「僕も、あなたに会えて良かった」

 フアナは口にはしないが、ツェッドの孤独に理解を示してくれる。ーーいや、実際はどうなのだろう。もしかすると、本当は何も考えていないのかもしれないが。
 少なくとも、己と同質の孤独を抱えるフアナが己を必要としてくれることに、ツェッドはほんの少しだけ救われたのだ。フアナほど饒舌に語ることは出来ないけれど。
 フアナは一瞬目を丸くしたが、照れ隠しのように笑った。

「そうだろ」
「ええ、あのとき僕に話しかけてくれてありがとう」

 畳み掛けるようにそう言うと、フアナの頬がいっきに紅潮した。フアナは真っ赤になった頬を、冷たい硝子面に押し当てた。恨みがましい視線を横目で送られる。

「してやったりって思ってるだろ」
「身に覚えがあるんですか?」
「とても」
「自覚があって良かった」
「……今夜は夢見が良さそうだ」

 フアナは捨て台詞のようにそう言う。
 冷たく分厚い硝子ごしに触れ合う色も大きさも形も違う手の平が、なんだか、ひどく、それらしいとツェッドは思った。