素直な君に
憧れと、好意と、ほんの少しの恥じらいと、隠しきれぬ好奇心と、それらを丸い目と真一文字の口元に滲ませて、幼い尊奈門は蛍火に悪態をついた。
悪態が本心でないのは分かっていて、それでもやはりこちらも幼い蛍火は、近寄ってきては嫌なことを言う尊奈門が、少しだけ嫌いだった。
「おい、蛍火、おまえの喋り方おかしいぞ! なんでそんなのたくた喋るんだのろま!」
「そう? そんなことないと思うのだけれど」
「そーうーそーんなーこーとー」
「左様な話し方はして御座らん」
「あはは、変な喋り方だ!」
「どうして斯様なことをおっしゃるの。 尊は私のことが好きなのに」
「はっ!? 好きじゃない! ばか! 大嫌いだ!」
「どうして嘘をつくの?」
「嘘じゃない! 大嫌いだ!」
嘘じゃない、と言い張るその言葉が嘘だということは容易に分かった。蛍火には、他愛もない子供の嘘など物の数にも入らない。「私のことが好きでしょう」と尋ねた時に、尊奈門がひどく傷付いた顔をしたのだけが気になった。
それを照星に尋ねると、照星は一瞬なんとも言えない戸惑うような表情をして、蛍火の頭に手をやった。
「人間、本当のことを指摘されると動揺するものだ」
「そうなのですか」
「蛍火も、話し方がおかしいと言われて嫌だったのだろう」
「だって、照星師がせっかく直してくださってるのに」
そう言い、蛍火はむうと頬をふくらませる。照星は蛍火の髪をかき混ぜる。
「尊奈門くんは嫌いか?」
「……いいえ、でも、意地悪ばかり言います」
「意地悪を言われても、嫌いではないのか」
「はい、だってそれが嘘だと分かっています。照星師、どうして尊は私のことが好きなのに意地悪ばかり言うのでしょう」
「いずれ分かる」
「分かりますか」
照星は、曖昧な笑みを浮かべた。幼い蛍火はなんだか誤魔化されたような気がして、唇を尖らせて俯いた。
片手で足りぬ歳月が経っても、丸い目と真一文字の口は変わらなかった。背丈は伸びたようだが、蛍火とさして変わらぬか、下手をすれば少し欠けるのではないか。
蛍火は、己に貸し与えられた部屋でチョークの粉にまみれて不機嫌そうに煎餅を齧る尊奈門を眺めた。
「なんだよ」
視線を受けた尊奈門は、嫌そうな声音で、さして嫌そうでない顔をして、蛍火を見返した。蛍火はふうと息をつく。
「なんだよ、って……」
タソガレドキ城と忍術学園は今のところ敵対してはいないが、人の部屋でいったい何をしているのだ。仕事中の蛍火の部屋に突然現れ、何も言わず煎餅を取り出した尊奈門に、蛍火は眉をひそめた。
「なんだよ」
尊奈門はもう一度言う。蛍火は首を横に振った。
「急に人の部屋に来て、煎餅を食べはじめたら、そりゃあ、こういう顔にもなるよね」
そう言うと、尊奈門はぷいと顔を背ける。童子のようだ。昔とまるで変わらない。
「また、土井先生に?」
蛍火が言うと、尊奈門は苦虫を噛み潰したような顔をした。聞けば、土井半助に出席簿とチョークケースで敗北を喫して以来、幾度となく土井半助に復讐を試みるも、どうやら適当にあしらわれているらしい。
その気になれば尊奈門くらい排除できる忍術学園も、尊奈門の勝手な仕業を捉えていないはずのないタソガレドキ忍軍も、なかば遊んでいるのだろう。遊ばれていることに気付いているのかいないのか、蛍火は尊奈門の実直を絵に描いたような双眸を見つめた。
「あまり見るなよ」
「ごめん」
「じろじろと、気持ち悪い奴だな」
飽きるほど言われた台詞を聞いて、蛍火は苦笑する。
「よく言われる」
あ、と尊奈門は狼狽した。囓りかけの煎餅を手に持ったまま、どこかおたおたとして蛍火の視線から身を隠すようにする。
「いや、気持ち悪いわけじゃないんだが、ただ、その……」
蛍火は昔を思い出して笑った。幼い時分より、随分と素直になったようだ。
笑う蛍火に、尊奈門はむっとしたように押し黙った。
「雑渡殿はお元気?」
蛍火の問いに、尊奈門は怪訝そうに眉をひそめる。
「なんで組頭のことを気にするんだ?」
「師の旧知でいらっしゃるもの」
「……変わりない」
「そう、よかった」
蛍火は口元に笑みを刷いた。尊奈門は煎餅を口に放り込み、ばりばりと噛み砕いた。膝に落ちた欠片を手で床に払うので、蛍火は尊奈門を横目で睨む。
尊奈門はそれを黙殺し、不服そうに蛍火をちらと見た。
「組頭のことは、気にするんだな」
「うん?」
蛍火が首を傾げると、尊奈門はふんと鼻を鳴らした。それが何か、蛍火にはなんとなく分かっていたが、わざと分からぬふりをする。
「なんでもない。おまえは餓鬼の頃から性格が悪い」
「そうかな。尊が素直すぎるだけでしょ」
「尊と呼ぶな」
「だめ?」
「駄目だ。もう餓鬼じゃない」
そう、と蛍火は微笑み、「尊」と尊奈門に呼びかけた。尊奈門はむっとした顔をする。
「そんなことだけ、言いに来たの?」
蛍火が意地悪く目を細めると、尊奈門は一瞬呆気にとられたが、ぱっと頬に朱を散らすと、足音も高く立ち上がった。
「……帰る」
「気をつけて。雑渡殿によろしく」
蛍火がひらひらと手を振ると、尊奈門はいつかのようにどこか傷付いたような顔をして、蛍火を一瞥した。ぴしゃん、と閉じられた明り障子をぼうと見て、蛍火は浅く息を吐く。
あんな顔をさせるつもりじゃなかったのにな、と思った。