仕返しは拳で



「蛍火せーんせ!」

 どこからともなくぴょんと現れた乱太郎、きり丸、しんべヱに、蛍火は慣れた様子で「はいはい」と返事をした。普段どおり紙束を抱えて忙しなく廊下を渡っていた蛍火の見慣れぬ格好を見て、三人組は首を傾げる。

「あれ、蛍火先生どうしたんすか、そんなめかしこんじゃって」

 きり丸が尋ねると、蛍火はうふふと笑った。常の下げ髪を当世風に結い上げ、朱色の華やかな小袖を纏っている。顔には白粉と紅を刷き、つい昨日綾部喜八郎の掘った蛸壺に落ちて泥だらけになっていた本人とは思えない。

「今日は街に出かけるの。せっかくだからタカ丸にやってもらったんだ。こういう髪型に憧れてたんだけど、自分では結えないから」
「蛍火先生、似合ってるー!」

 しんべヱが言うと、蛍火は少し気恥ずかしそうにはにかむ。蛍火は先生だからと、大人とばかり思っていたが、着飾り嬉しそうにしている蛍火は、くのいち教室のくのたま達と変わらない。

「これを土井先生にお渡ししたら、出かけるよ。日の暮れる頃には帰るけれど、みんな宿題をきちんとしておくんだよ」

 はーい、と三人は返事だけは元気がいい。後ろ姿もご機嫌に廊下を行く蛍火に、きり丸は目を丸くして「た、たいへんだぁ……」と呟いた。

「何が大変なのさ?」

 乱太郎が言うと、きり丸が乱太郎に詰め寄った。

「蛍火先生が、お洒落して楽しそうに出かけるんだぞ!?」
「そうだねぇ、蛍火先生、とっても似合ってたね」
「ちがぁう! そんなの、目的はデートに決まってるじゃないか!」

 ええー! と、乱太郎としんべヱは大声を上げて驚いた。驚いてから、はたと気付く。

「いやいや、きりちゃん、それはおめでたいんじゃないかな?」
「そうだよ。誰とデートするのかなぁ」
「蛍火先生に恋人が出来て、おれのアルバイトを手伝ってくれなくなったら困る!」

 声を張るきり丸に、乱太郎としんべヱは白々とした視線を向けた。

「きりちゃん、サイテー」
「きり丸、見損なった!」

 二人の責めるような目を受けて、きり丸は慌ててその後を続ける。

「デートの相手がひどい奴だったらどうするんだよ!」
「たとえば?」
「忍術学園の情報を知りたい敵の忍者とか」
「まさかー!」
「でも、蛍火先生のデートの相手、気になるだろ?」

 それは……、と乱太郎としんべヱは口ごもる。それは、気になる。

「蛍火……じゃないや、蛍火先生がどうかしたの?」

 不意に現れた虎若が、三人の輪に顔を覗かせた。

「あ、虎若、実はね――」
「蛍火先生がデートに行くんだ!!」

 きり丸が言うと、虎若は「ええー!!」と三人組が驚くほどの大声を上げた。

「えっ! そんな! 誰と!?」
「いや、そこまでは分からないけど……」

 先ほどまで鼻息荒かったきり丸が尻込みするほどの勢いで虎若が三人に詰め寄る。

「困るよ! 蛍火は発中か狙い越と結婚してもらって、村にずっといてもらうって父ちゃんが言ってたのに! そうしたら、きっと照星さんも残ってくれるし!」
「え……それ、蛍火先生も知ってるの?」

 乱太郎に問われた虎若はぱっと口を手で覆う。知らないんだ……と乱太郎は肩を落とした。本人の預かり知らぬところで色々便利に利用されている人である。一流狙撃手の弟子も、なかなかどうして難儀なものだ。保健委員会に遊びに来てもらったら、きっと馴染んでくれるだろう。

「きり丸も虎若も、蛍火先生のデートを邪魔しちゃ駄目だよ。ねえ、しんべヱ」
「うーん、でも、蛍火先生に恋人が出来て、学園に来てくれなくなったら、ちょっと寂しいかも……」
「ちょっとしんべヱまで……」

 虎若ときり丸はすでに大乗り気である。困ったことになったと乱太郎がおろおろしているうちに、あれよあれよという間に「蛍火先生デート追跡大作戦」が始まっていた。







「ねえ、やっぱり帰ろうよ。こんなの良くないよ」

 こそこそと隣の虎若に耳打ちする乱太郎を、虎若はきっと睨んだ。

「じゃあ、乱太郎は帰ればいいじゃないか」

 虎若はいつになく真剣な面持ちで、街道沿いの茂みから道端の茶屋で人を待つ様子の蛍火を見つめている。

「蛍火を待たせるなんて! そんな男ぼくが許さんぞ!」
「虎若、なんか娘の彼氏に会う父親みたいだな」

 しんべヱが茶屋の団子に気を取られてふらふらと出て行きそうになるのを押さえながらきり丸が言う。

「蛍火先生が早く着きすぎただけかもしれないよ」

 乱太郎が慌てて取りなすも、虎若の厳しい面持ちは変わらない。

「あ、あれ見ろよ!」

 きり丸がこそこそと街道の向こうから来る男を指差す。笠を被り、袴を履かぬ軽装で、特徴的な瞳を欠いた双眸。その強面に似合わぬ腑抜けた表情――。

「ドクササコの凄腕忍者の部下! なんでここに!」
「まずいぞ! 蛍火先生は一度ドクササコに酷い目に合わされてる!」

 なんとかして蛍火先生を助けねば、とおたおたする四人を尻目に、蛍火はひらひらと白目に手を振った。

「ここだよ」
「あ、ごめんね、蛍火ちゃん。遅れちゃって」
「いいよ、退屈はしなかったもの」

 にこりと笑う蛍火の隣に白目が座る。
 まさか、と四人は顔を見合わせる。

「どう、元気でやってる? お頭に殴られた顔は大丈夫?」

 白目は気遣わしげに蛍火の顔を覗き込む。離れた茂みに隠れた四人には仲睦まじい様子にしか見えない。

「蛍火先生のデートの相手って、ドス部下だったのか!」

 乱太郎が言うと、でも、ときり丸が続く。

「ドクササコは悪い城だし、おれたちはドクササコ忍者隊とも仲が悪いよな」
「もしかして、蛍火先生、ドクササコの忍者に騙されてる!?」

 しんべヱが眉を垂れながら言うと、虎若が「なんとかしなきゃ!」と拳を握った。
 緊迫する四人に対して、白目と蛍火はのほほんと茶を啜る。

「おれ、やっと休みがとれたんだー。でも、たまの休みに忍術学園の先生に会ってるなんて知れたら、お頭にぶん殴られるよ」
「それは大変だねえ」
「給料もあんまりよくないし、まあ、それはおれがヘボだからなんだけど」
「白目はヘボなくらいがいいんだよ」
「……それ、どういう意味?」
「そのままの意味だけど」

 蛍火がおっとりと笑むと、一瞬首を傾げていた白目は「まあいいか」とへらりと笑う。

「ねえ、聞いてよ蛍火ちゃん。お頭ったらひどいんだぜ」

 この前も――、と訥々と話し始める白目の言葉を、蛍火はうんうんと聞く。
 それを横目に見ながら、四人はどうにかして二人を破局させる作戦を練っていた。

「今、ドス部下は熱いお茶を飲んでいるだろ? あの器をどうにかして壊して、熱いお茶をドス部下にかけてやろう」

 虎若が悪どい顔でそう言う。

「でも、なんでそんなことを?」

 乱太郎が至極真っ当にそう問うと、虎若はにやりと笑った。

「熱いお茶に慌てる格好悪い姿を見れば、蛍火の目も覚めるはず!」

 そういうものであろうか。乱太郎は首をひねる。そもそも格好良い格好悪いでいえば、ドス部下自体が格好悪い立ち位置である。

「でも、どうやってバレずに器を割るんだよ」

 きり丸が言うと、そこまで考えていなかった虎若はたじろいだ。

「……狙撃?」
「いやいや! バレるよ! 危なすぎるし!」
「蛍火先生に当たったらどうすんだよ!」

 やいのやいのと言い合う三人組と、茶屋で供される団子に気を取られるしんべヱの背後に、ぬっと大きな影がよぎる。

「流星錘でカチ割る、という手はどうだ」

 突然聞こえた低い声に、四人は飛び上がった。
 しんべヱが声の持ち主をもちもちした指で差す。

「あっ、ドクササコの凄腕忍者!」
「しっ、静かにしろ、あの阿呆共にバレる!」

 ちょっと! と、虎若が眦を吊り上げる。

「阿呆共ってどういうことだ! 蛍火は阿呆じゃないぞ!」
「ちょっと抜けてるけどね」

 きり丸が一言付け足す。凄腕は虎若をじろりと睨んだ。

「敵方と手紙をやりとりしたり、のんびり茶を飲む忍者なんて、阿呆で十分だ」
「だって蛍火先生、忍者じゃないし」

 狙撃手見習いだし。

「いや、あの他者の懐に入る手練手管、くのいちに決まっている」

 生来の人当たりの良さだ。あとは多分、白目の底抜けな警戒心の無さゆえだ。
 しんべヱがやれやれと丸い肩をすくめる。

「忍者とか関係なく、部下の恋路を応援してあげようとは思わないんですか!」

 しんべヱの言葉に、凄腕ははっとして目を見開く。手の内に収めていた流星錘をゆるりと弄ぶと、目にも止まらぬ速さで白目の器めがけて投擲した。
 陶器の割れる音と、白目の悲鳴が響く。

「思わん」

 ひゅんひゅんと流星錘を鳴らしながら凄腕が言い切った。

「大人げないぞ!」
「男の僻みは醜いぞ!」
「ははは、なんとでも言え!」

 凄腕は悪役然として笑う。
 その凄腕の背後で、茂みががさがさと音を立てた。草葉を揺らしながら、蛍火が溜息交じりに四人を見下ろす。

「あのねえ、いくらなんでもやりすぎ――」

 そこに、ドクササコの凄腕忍者の姿を見つけて蛍火は顔を引きつらせる。
 言葉を失う蛍火に、凄腕はずいと詰め寄った。

「おまえ、忍術学園からの命でドクササコに探りを入れていたのか」
「へ? いえいえ、なんのことやら」
「とぼけても無駄だ」

 凄腕は蛍火の腕を捻り上げる。蛍火は痛みに顔をしかめた。
 そこに、着物を茶で汚した白目も駆け寄ってくる。

「蛍火ちゃん、どうし――わっ、お頭!?」

 白目の顔が青ざめる。凄腕が白目を睨んだ。

「この間抜け! 忍者にまんまと騙されやがって!」
「だから、蛍火ちゃんは忍者なんかじゃないですって!」
「ばかやろう!」

 凄腕は蛍火の小袖の袖をたくし上げる。蛍火の白い腕が剥き出しになった。
 火縄銃を支える上腕は引き締まり、肉の溝が穿たれている。それを見て、凄腕は鼻を鳴らした。

「この太い腕を見ろ、これがただの町娘の体か。背も高いし、体格も良い」
「ふ、ふと……」

 狙撃手とはいえ若い娘。あんまりな物言いに蛍火は悄然と呟く。凄腕は構わずに続ける。

「おまえ、女装の男忍者だろう」

 凄腕が無遠慮に蛍火の懐に手を突っ込む。掌に柔らかく血の通った肉が触れ凄腕が目を丸くするのと、蛍火が声にならない悲鳴を上げて凄腕の顔面に肘を入れるのは、ほとんど同時であった。
 ごえ、とらしからぬ呻き声を上げて、凄腕は地面に転がる。
 蛍火は顔を真っ赤にしてわなわなと震えながら凄腕を見下ろした。

「骨が太いのも、体格が良いのも、背ばっかり馬鹿みたいに高いのも! 生まれつきです! 人の気にしていることを!」

 悲鳴のように叫び、蛍火はわっと顔を手で覆った。

「乳は自前ですよ! なんなんですか一体!」

 ぼろぼろと泣き出す蛍火に、その場にいる全員が残らずおろおろする。

「蛍火ちゃん、おれ、蛍火ちゃんが男だなんて疑ったことないよ? 蛍火ちゃんは背が高くて格好良くて、でもお淑やかですごく可愛いよ!」
「そうだよ、蛍火! 村の若い衆も蛍火みたいな子が女房なら最高だって言ってたよ!」

 白目と虎若が必死で取りなす。乱太郎、きり丸、しんべヱが凄腕に詰め寄った。

「蛍火先生に謝れ!」
「いくら悪い城の忍者だからって言っていいことと悪いことがある!」
「デリカシーがない!」

 蛍火が男ではないのかという憶測が外れた上に、娘の体を勝手に触り泣かせたとあっては、ドクササコの凄腕忍者も立つ瀬が無い。
 凄腕はおずおずと立ち上がり、蛍火に声をかける。

「その……すまん。もしかしたらと思っただけで、男にしか見えないとか、そういうわけではない。むしろ、こう、むっちりと妙に男心をそそる体つきをしているから、男が変装しているんじゃないかと――」

 フォローしているのか追い打ちをかけているのか分からない凄腕の釈明に、蛍火は無言で凄腕の頬を殴った。
 平手ではない。拳である。
 凄腕の体が再び地に沈む。拳への体重の乗せ方が素人のそれではない。
 地面で目を回す凄腕の傍らで、蛍火はは組の答案用紙を返すときと同じように微笑んだ。

「虎若、乱太郎、きり丸、しんべヱ、帰ろうか」

 四人は勝手に付いて来た手前、おとなしく蛍火と共に帰途につく。
 虎若がこっそりと蛍火の表情を窺おうとすると、蛍火とぱちりと目があった。

「どうしました――じゃないや。どうしたの、虎若」
「え、えっと、泣いてたから、大丈夫かなって」

 思いまして……と語尾が小さくなる虎若を、蛍火はからからと笑った。

「大丈夫だよ。そりゃ気にしてることは気にしてるけど、泣くほどじゃないもの」
「えっ、じゃあ、あれは演技だったんですか!」
「ちょっと大袈裟に騒いでみただけ。だって、殴られっぱなしは癪でしょう?」

 それを聞いた乱太郎がはっと顔を上げる。

「もしかして、ドス部下とデートしたのもそれを狙って……!?」
「いや、それは普通に遊んでた。ただの女子会」
「女子会!?」

 ドス部下って女の子だったっけ? と乱太郎は眉根を寄せた。

「あのね、女が目一杯お洒落をするのは、デートよりも女子会のときだよ」

 蛍火がそう言うので、乱太郎はそういうものかととりあえず頷いた。