師君は三世の縁あり
佐武村で貸し与えられた庵の一室には、照星以外の人間が入ることは殆どない。蛍火でさえ師の私室には遠慮して最低限しか寄り付かなかったというのに、その男は我が物顔で板間に座って茶を飲んでいた。
「なぜここに居る」
照星が呆れたように言うと、雑渡は事も無げに照星が入ってきた木戸を示した。
「そこから入ったからだよ」
これ以上何を言っても無駄であることを分からぬほど浅い仲ではない。照星は黙って火縄銃の手入れを始めた。
しばらくはその様子を何も言わずに眺めていた雑渡が、ふと思い出したように言う。
「忍術学園で蛍火に会ったよ」
そうか、と照星がそれだけ答えた。
「もっと何か言うことはないのか? 元気だったか、とか、上手くやれているのか、とか」
「ない。あれは体が丈夫だし、人当たりはいい」
それに、定期的に手紙は受けている。面倒だからそれは教えてやらぬが。
あ、そう、と雑渡はつまらなそうに肩をすくめる。照星はその姿を睨んだ。旧知とはいえ抜け目のない忍組頭である雑渡昆奈門が、まさか弟子の近況だけを伝えに来たとは思えない。
照星が無言で先を促すと、雑渡は飄々と目を細めた。
「うちの里の者と結婚しないかと尋ねたよ」
照星は火縄銃を分解していた手をぴたりと止める。
「それで?」
「断られた。にべもなかった」
照星は鼻を鳴らした。
「私を通さずそんな話を蛍火に持ちかけるような無礼を、蛍火は許すまい」
「ふふ、一端の師のようなことを言うようになったな」
「何とでも言え」
照星は床に置かれた竹筒のふざけた吸口を外し、中の茶を飲む。雑渡のわざとらしい抗議の視線を黙殺した。
「照星、蛍火を殺すつもりか」
不穏な言葉に、照星はゆるゆると顔を上げる。真意を伺わせぬ隻眼と目が合った。照星が何か言う前に、雑渡が言葉を続ける。
「照星、おまえの炮術は既に絶人の域だ。蛍火は、よくも女の身でおまえに喰らいついたものだよ。だが、それだけだ。蛍火はおまえにはなれない」
照星は指先で銃身をそろりと撫でた。照星はなんとなく、雑渡の言いたいことを察した。
「私は蛍火を死なせるつもりはない。だが、蛍火は私への恩義に殉じて死ぬことに一分の迷いもないだろう」
それを照星が望むにせよ望まぬにせよ、蛍火がそうと決めたならば照星に口を挟む余地はない。
二人の師弟関係はいつでもそうだった。唯一照星が蛍火に決断させず、その意向を確かめもしなかったのは、火縄銃を持たせたことだけだ。
「何も分からぬ姫君に火縄銃を仕込み戦場に放り出すことが恩義ならば、私とて極楽浄土へいける」
雑渡らしからぬ説法めいた物言いに、照星はふと笑った。隻眼が険を帯びる。
「照星、私も蛍火の火縄銃の腕は認めている。だからこそむざむざ死なせたくはない。このまま蛍火がおまえに付いて歩いて何になる? おまえのように流れの狙撃手になるのか?」
雑渡はそこでひゅうと息をした。それから静かに首を振る。
「おまえには悪いが、それは無理だ」
そんなことは、照星が一番よく分かっていた。己の技量がすでに余人の及ばぬ域に達していることも、それを水瓶の中身を移すように蛍火に教えたところで己のようにはなれないことも、戦場での鉄砲の在り方と己等師弟の有り様が食い違っていることも。
せめて、火縄銃の使い勝手が異なっていたら。もう少し射程が伸びたならば、もう少し威力が大きかったならば、と照星は思わずにいられない。そうすれば蛍火は、戦場の遥か彼方から大将首を射貫いて見せただろう。
だが、いまだ鉄砲は集団戦の搦手にすぎない。
「そうだろうな」
だから、照星は素直にそう答えた。それが雑渡の意図には反していたらしかった。「おまえねぇ、」と雑渡は呆れたように額に手をやる。
「いいのか、それで」
「あれとてそう莫迦ではない。己が死ぬと分かっていてそうすると決めたならば、私に止めるつもりはない」
きっぱりと言い切る照星に、雑渡は深い溜息をついた。
「なんだろうね、おまえら師弟は」
「私は私が教えられることを教えた。あれはそれに応えた。それだけだ」
「それにしても、もっとやりようがあっただろう。育て方を間違えたんじゃないか?」
「そうか。おまえならどう育てた」
「色事の一つや二つ仕込めば、男の弟子とはまた違う育てようがある」
照星は至極真剣な面持ちでそれを否定した。
「あれに人心を掌握する手練手管を教えてみろ、それこそ手に負えなくなる」
あのくらい不器用で丁度いい、と言う照星に、雑渡は「私には蛍火が不器用にはとても見えんがね」と零した。比類なき狙撃手の鷹の目も、愛弟子の前には曇るものであろうか。
「おまえならば、蛍火を心変わりさせられると踏んだのだが」
「力になれず残念だ」
「……その物言い、蛍火のようだな」
「あれが私を真似ているんだ」
照星は穿ったような鋭い双眸で雑渡をきりと一瞥する。
「昆奈門、おまえが本当に惜しんでいるのは蛍火の命か、それともあの目か」
雑渡は悠然と照星を見返した。
「どちらもだ」
爛れた皮膚にぽかりと浮かぶ隻眼には一縷の動揺も見られない。
「おまえの友人として蛍火の命を、タソガレドキの忍組頭として蛍火の目を心底惜しんでいる」
照星は鼻を鳴らす。
「こういうときだけは蛍火の目が欲しくなるな」
この天性の嘘つきの表情も、蛍火ならば難なく読んだだろう。雑渡は低く笑い声をたてる。しかし頭巾から覗く眼は笑っていない。
「照星、三年前の合戦を覚えているか」
照星は頬杖をつき、記憶を辿る。
「どの合戦だ。戦など飽きるほど起きているだろう」
「何某城の城主――蛍火の父親が討死した合戦だよ」
雑渡の目が、窺うように照星を見る。余人の半分しかない目で、余人の倍も物を見てやろうという目付きだった。
「それか」
「おまえは敵方に雇われていたな」
「ああ、そうだ」
すんなりと頷く照星に、雑渡は少しだけ意外そうな顔をした。だがその表情もすぐに淡く消える。
「何某城城主は表向き華々しく討死したしたことになっているが、人の口に戸は建てられないものだ。援軍要請に応じた何某軍の行軍中に、城主は暗殺された」
雑渡は、己の右目の下に人差し指を突き立てる。
「馬上の城主の、兜と頬あての隙間を縫って一発。三町は離れた崖の上から、寸分違わず撃ち殺された」
雑渡の方をちらと見たきり火縄銃の煤を拭い始めた照星に、雑渡は続けた。
「そんな真似が出来る奴など、そうはいまい」
「それは脅しか?」
照星が問うと、雑渡は首を横に振る。
「そうじゃない。だが、蛍火はどう思う。あれ以来何某城は不幸続きだ。猛将であった城主を無くした何某軍は勢いを失い、経験不足のまま大将に引きずり出された次男――蛍火の腹違いの兄も討死。出家した長男を連れ戻すの、出奔した末の姫を連れ戻し婿をとるのと大騒ぎで、今回蛍火が忍術学園にやられたのだってそれが関係していないわけではないんだろう?」
相変わらず、大した情報収集力と洞察力である。照星は銃身の塵を払うために息を吹きかける。
「蛍火と距離を置いた方がいいんじゃないか」
雑渡が言った。照星は先目当てを覗き込みながら、つ、と雑渡に冷ややかな視線をやった。
「それは蛍火が決めることだ」
「己の父親の死因を知ってもか」
「そうだ」
「……蛍火をタソガレドキに留め置くためならば躊躇わないぞ」
「構わない。だが、撃ったのが私だと言うのはやめておけ。笑われてもいいなら止めないが」
不審げに目を細める雑渡に、照星は口の片端を上げる。
「それは私ではない」
泰然としていた雑渡の目が、今日初めて動揺した。
「あんな芸当、あの場にいておまえ以外の誰が――」
雑渡は言葉を失う。口布に覆われてよく見えないが、おそらくは己の計算違いへの口惜しさと憤りで唇を噛んでいることだろう。
「弾丸は、城主の右目の下を貫いていたのか」
照星が問うと、雑渡は「そうだ」とこの男にしては珍しく言葉少なく答えた。
そうか、と照星は小さく溜息をつく。
――眼窩は外したか
胸中で呟き、照星は雑渡の方に向き直った。
「私としても、他ならぬお前のもとに蛍火をやるならば憂いも少ない。だが、蛍火が否と言うならば、私が出来ることはない。あとはおまえが好きに交渉でも脅迫でもしてくれ」
照星の言い分に、雑渡は溜息混じりに笑った。
「まったく、おまえは分からんな」
そうであろうか、と照星は瞑目する。
照星が蛍火に求めたのは、己で判断を下すことだ。玉薬を込め、口火を付け、火蓋を落とす、その間を。銃口の角度を、腕の力の入れ方を、引き金を引く瞬間を。全て己で判断させた。
それが蛍火に最も欠けた能力だったからだ。
至極わかりやすい理屈ではないか、と照星は思ったが、そう言おうとしたときにはすでに雑渡の姿はなかった。
挨拶くらいしていったらどうだ、と照星は小さく独りごちた。