(閑話)魔弾の射手



 蛾眉山は緩やかな山であるが、一度足を踏み入れれば大水の度に路を変える水のせいでくねくねとした狭い道が切り立った崖の底に這っている。川やそれが干上がった道が、蛾眉の如く細かく分枝して山中に張り巡っている。
 そこの一路を敵軍の援軍部隊が通るという情報を得て、タソガレドキ城方は狭路の両脇にそびえる崖を崩して足止めしてしまえ、と沸き立った。タソガレドキ城が抱える忍者隊でも火薬の扱いに長けた狼隊にかかれば、造作もない仕掛けである。
 だが、それに待ったをかけたのが此度同盟関係にあった城の者達である。曰く、その路を塞いでしまうと人や荷の往来に五日は余計にかかるようになる。そのうえ、領内の水田に注ぐ水道が変わってしまうと言う。
 同盟主は道を塞ぐことだけは罷りならんと主張する。しかし、崖は急峻で大勢の弓兵は置けない。真正面から迎え撃つだけの兵力も割けない。なればどうすると問うたところ、手があると言った。
 曰く、鬼神の如き腕前の火縄撃ちがいるのだと。その者に崖の上から援軍の将首を狙わせると。

「おまえかよ!」

 尊奈門が声を上げると、火縄銃を担いだ蛍火が肩を竦めた。

「鬼神の如き腕前の火縄撃ちの、その弟子だよ」

 上背こそあるがおっとりとした顔立ちは柔和で愛らしく、一欠片の勇猛さも感じさせない。その蛍火が火縄銃を手にする様は、驚くほど不似合いである。
 手にした士筒は雑兵の持つような火縄銃よりずっと長く、大きい。蛍火の体にさえ有り余るのではないかという代物である。それを、二丁も担いでいる。
 こののぺっとした女に扱えるものか、と尊奈門は疑わしさに眉をひそめる。その眉を見た蛍火は、うふふとやはり柔和に微笑んだ。

「私が外せば、尊が崖を発破するんでしょう?」
「ああ、なるべく崖は崩したくないが――」

 果たして、この女にそれが出来るのだろうか。
 もともと呼ばれたのは蛍火の師である。しかも、蛍火は今忍術学園に身元を預けていたはずだ。どうしてこいつがここにいるんだ。組頭は把握しているのか、と逡巡する尊奈門を、蛍火はちらと見た。

「照星師は多忙でね、学園からも近いから私が代わりに来たんだよ。雑渡殿は当然ご存知だし、女ごときにとさんざめく同盟主も黙らせて頂いたよ。尊からもお礼を申し上げておいてね」

 いつもこの調子である。忍であるというのに生来素直な性質の尊奈門は、たびたび思う様を表情に出しすぎると苦言を呈された。蛍火も人の心の機微に敏い、思いやり深い性質なのかもしれない。
 だが、そうだとしても、蛍火の人の思うところを読む能力は尋常ではない。腹心の部下にさえ心の内を見せぬ術に長けた雑渡も、蛍火のその目を避けているふしがある。
 人の心が読めるのか、と、幼い頃に蛍火に聞いたことがある。今より少しだけつんとしていた蛍火は、ふくりとした唇を笑みの形にして「まさか、化物でもあるまいし」と答えた。

 ほう、と蛍火は細い溜息をつく。濡れたように光る黒い目が、崖下の道をじいと見つめた。
 そこを人馬が通るとして、直線距離は二十間というところであろうか。

「いけるか?」

 問うと、優しげな黒瞳が賢しげに細められる。

「まあね」

 日の暮れたあたりは暗く、どこからともなく茂みが揺れる音がする。人の気配はない。東の空が白々と明るくなり始める頃であった。

 蛍火の生家が名家であること、そこの跡継ぎとして婿を取ることを求められていることを知ったのが、数日前である。どこからの伝手かは知らぬが、忍組頭の知るところであった。
 幼い頃、照星にタソガレドキの隠里へと連れられてきた蛍火は、愛想はいいがどこか取り澄ましたところがあり、京言葉にも似た訛でおっとりと話す様は浮世離れしていた。里の者は、やれさる没落した家の高貴な姫君であるだの、やれ貴いお方の御落胤であるだの、好き好きなことを言い合ったが、まさかそれが本当だとは思いもしなかった。
 里の女しか知らぬ尊奈門には蛍火が何か不思議な生き物のように見えて、何かとからかったものだ。思えば、淡い恋のようなものであったろうか。
 暁闇に沈む蛍火の横顔を盗み見る。高貴な身の上だと聞けば、そのぼうとした顔もなるほど品のある面差しに見えてくる。

「聞いたのか」

 ぽつり、と蛍火が言った。淡々とした口振りだが、その表情はどこか寂しげだ。

「何をだ」
「家のこと」

 う、と尊奈門は言葉に詰まる。ここでしれっと首を横に振ることのできる性分ならば、と悔やまれる。狼隊の息子でよかった。黒鷲か隼ならば、勘当ものである。

「尊には、あまり知られたくなかった」
「なんでだよ」

 嫌味か、と蛍火を睨むが、弱々しく笑み返されて尊奈門は気勢を削がれた。

「わからない。なんでかな」

 穏やかな微笑にいつも含みのある娘だった。今も昔も変わらない。

「自領に戻り、家督を継ぐのか。女だてらに領主様か」

 知らず、口調は皮肉めいたものになる。

「家督と火縄銃と、どちらが重いだろうね」

 蛍火はそう言って笑った。蛍火が否定しなかったので、尊奈門はむっとして押し黙る。

「その様子じゃ、私がそれを断ってしまったのは知らなかったのだね」

 尊奈門ははっとして蛍火の顔を見る。

「おまえ、馬鹿なのか」

 思わずそれが口をつく。蛍火は声を上げて笑った。
 直情を笑われ、尊奈門は顔を赤くする。

「だって、そうだろう。皆、国土地が欲しくて戦に明け暮れているんだ。それをやると言われて、要らぬと言う者がいるか」
「ここにいるよ」

 黒い睫毛が伏せられるのを、尊奈門はぼんやりと見ていた。角ばったところなど一つもないような、まろい頬に幽き影が落ちる。

「なんで」
「なんで?」
「なんで、家に戻らない」
「なんでかなあ」

 のんびりと蛍火は呟き、抱えた火縄銃に頬を当てる。

「家に戻れば婿をとらねばなるまい」
「それは、そうだろう」

 平然と言うも、尊奈門の胸にもやもやとしたものがふと浮く。それを見透かしたように、蛍火は目を細めた。

「世の婿殿は、己の北の方が火縄銃を振り回すなど好むまいよ」

 当たり前だろう、と言いかけたが、蛍火が悲しそうな顔をしたので、口を噤む。
 蛍火が髪を梳き、錦の着物を纏う様は、きっと似合うのだろうと思ったが、言葉にはしないでおく。

「ならば、タソガレドキに来ればいい」

 尊奈門が言うと、蛍火はゆるゆると首を振る。尊奈門は言い募った。

「組頭がおっしゃっていたではないか。高坂さんも、小頭も、……わ、私も、狼隊だから、きっと嫁しても火薬に触れられる」

 す、と蛍火の冷ややかな双眸が尊奈門を射貫いた。その目があまりに鋭いので、尊奈門は知らず身を固くする。

「ばかだな、尊。私が高坂殿や山本殿と? 雑渡殿はそうおっしゃっていたが――あれは嘘だよ」
「なに、」
「他の何人か、知らない名前を出していたね。なんと言ったか忘れたけれど」

 反屋か椎良か、その並びであればきっと五条も候補なのだろう。尊奈門が幾人かを思い浮かべていると、蛍火は口の端を引き上げる。

「それは、真実」
「な、なんであいつらなんだよ」

 歳の頃でいえば丁度良いのかもしれないが、蛍火は彼らと面識がないはずだ。蛍火はしばらく暗い谷底を見つめていたが、尊奈門の方に視線を向けた。

「当てようか。彼ら、黒鷲隊でしょう?」
「だから、なんだ」
「鈍いな、尊。雑渡殿は私を黒鷲隊に入れたいんだよ」

 尊奈門は蛍火の双眸を見つめる。人の心を覗き込む、不可思議な黒い目。

「それは、おまえが人の心を読めるからか?」

 蛍火は苦笑する。

「前も言ったでしょう。そんな化物のような真似は出来ないよ」
「しかし――」

 言い募る尊奈門の手を、蛍火の手が掬い上げる。ひんやりと柔らかな手は、ところどころ皮が厚くざらりとしていた。
 慌ててその手を振り払おうとする尊奈門に、蛍火は真剣な面持ちで顔を近付けた。吐息すら感じられるほどに近い。蛍火の目の下にほつほつと小さな火傷の跡がある。手の甲にも、赤い爛れが残っていた。
 蛍火の、尊奈門の手を握っていない方の手が尊奈門の顔の前でひらめく。

「瞼が持ち上がった。でも怯えているわけじゃない。ひどく驚いてる。瞳が大きくなってるのは、気が昂っているから。顔に血の気が増しているし、眉間に一瞬力が入った」

 蛍火は握った尊奈門の手を視線の高さにまで上げた。

「脈が速い。手に汗が滲んでいる」

 目を白黒させる尊奈門に、蛍火はにこりと笑った。

「尊、君は私が好きなんだよ」

 いつも、それだ。尊奈門は手を振り払い、蛍火と三歩距離を置く。

「出鱈目を――」
「出鱈目なものか。私はね、人より少しだけ、他人の表情に敏い」

 妖術ではない。忍術でも奇術でもない。ただ人が目で見て、耳で聞くように、蛍火にはそれが出来た。

「尊はばかだ。どうして雑渡殿が君を私に長らく会わせなかったと思う? 好いてはならぬ類の女だからだよ。特に、君みたいな素直な性質のやつは」

 尊奈門は何も言えずに立ち尽くす。蛍火は続ける。

「里にも良い子はいたでしょう。そのうち幾人かとは遊んだろうし、さっさと所帯を持ってしまえばよかったのに」
「……そんなことはない」
「今、左上を見た。昔のことを思い出してる。瞳が大きくなったのは、それを思い出して気が昂っているから。今も思い出して心揺さぶられるような子がいたんだ」

 蛍火は一息に言う。それから、表情を翳らせる。

「気分のいいものじゃないでしょう? 私も、人の本意を見るのは気分が良くない」

 何と答えたらいいのか分からなかった。だから、尊奈門は小さく「呪いのようだ」と呟く。
 雇う側にしてみれば、蛍火など一山いくらの野鉄砲だ。だが、その眼にならば値千金をつけてもいいという城がいくつでもあるだろう。

「そんなこと、私に話してよかったのか」

 言うと、蛍火はひらひらと手を振る。

「いいよ。雑渡殿に報告してよ。こんなの、私がいなくたって、やり方が分かれば誰にでも出来る」
「出来るかよ」
「出来るよ」

 蛍火はずいと尊奈門の目を覗き込む。

「私が尊のことを好きかどうか、当ててごらん」

 朝焼けを溶かし込んだ黒い瞳が、いたずらっぽく引き絞られた。
 尊奈門はじっとその目を観察してみた。健康そうな艶々とした白目。大きな黒い瞳は今は朝陽を映して金茶にきらめいている。強い光のせいで、濃い色の瞳孔が細くなった。

「わ、私をからかっているだろう!」

 思わず目をそらす。蛍火は首を横に振った。

「残念、不正解。実のところ、私は君が結構好き」

 尊奈門は唖然と、恬淡とした蛍火の顔を見つめる。

「な、なに――」
「でも、君は奥方に鉄砲撃ちの真似事などして欲しくない男だ」

 そんなことはない、と言いかけて、尊奈門は口をつぐむ。蛍火にその場凌ぎの嘘や取り繕いを口にするのは、無意味だし無礼だ。

「私を娶るためだけに黒鷲の養子になる? それとも、タソガレドキを抜ける? 山奥で熊でも撃って暮らそうか」

 私はそれでもいいけどね、と蛍火は囁く。

「そんなこと、無理に決まっている」

 尊奈門が答える。ふ、と蛍火は明るい笑みを浮かべた。

「男は嫌い。結婚さえちらつかせれば、女は言うことを聞くと思っているもの」
「そんな男ばかりとは限らないだろ」
「そうかな。――そういう男の真似をしてみたけど、あまり気分は良くなかったなぁ」
「おまえの師匠も男だぞ」
「……いや、あの人はそもそも人間か怪しい」

 蛍火は、細くくねる道の向こうに目をやる。曙光に軍勢の影が滲んでいた。
 蛍火は傍らに置いていた火縄銃を手にすると、すうと息を整えた。

「一応、発破の用意もしておいてね」

 冗談めかした口調でそう言ったが、目は鋭く標的に向けられている。
 尊奈門は蛍火が火縄銃を扱うのを初めて見る。幼い頃の蛍火は精々照星の薬込みくらいしかやっていなかった。
 蛍火は人馬の影をひんやりと見下ろした。常の穏やかで柔らかな光は、その目に見られない。彼女の師によく似た、全てを俯瞰するような目をしていた。
 蛍火に答えようとしていた言葉は、唾とともに飲み込まれる。何を言おうとしていたかすら、忘れてしまった。土埃をあげる黒い塊にしか見えなかったそれが騎馬隊と徒兵になる。
 蛍火は火縄銃を持った手をだらりと下げていたが、髪を掻き上げるのと変わらぬさり気なさで銃を構えた。
 構える動作と狙いを定めるのが、ほぼ同時である。ひた、と銃口が静止したと思ったときには、すでに火花が散っていた。顔の前で真っ赤な火花が盛大に燃えているというのに、瞬きひとつしない。手元を見もせず二丁目の火縄銃を取ると、続け様に次弾を放つ。
 一際大袈裟な兜の男がぐらりと馬上から滑り、その傍らの騎兵が馬上でもんどり打って転げ落ちた。
 尊奈門は言葉を失う。蛍火の腕と火縄銃は既に一体であるかのようだった。銃撃の反動で蛍火の草履が地に喰い込んでいく。
 蛍火はいまだ何が起きたか理解しきれていない様を睥睨しながら、早合を込める。尊奈門とて一通り火縄銃は扱えるから分かるが、尋常でない速さである。収まるべきところに収まるようにして、玉薬が銃口に吸い込まれていく。
 兜の立派な順に、男がぼたぼたと地面に落ちていく。五人落ちたところで、やっと何かよく分からないがとんでもないことが起きていることに気付いた軍勢が烏合のようにざわめきだす。
 蛍火は表情一つ変えずに六人目を射落とした。
 徒兵が何かを叫び、こちらを指差す。その瞬間、その男の右の眼窩が炸裂し、血肉が噴き出した。それを見た周囲の雑兵は悲鳴を上げ、我先にと身を低くする。それを咎め律する将兵も既に地に倒れている。整然としていた軍勢はいとも簡単に総崩れになった。
 尊奈門は呆然と蛍火の横顔を見つめていたが、火縄銃を下ろした蛍火と目が合い、正気に戻る。蛍火は生気に満ちた黒い瞳を煌めかせて笑った。

「照星師はこんなもんじゃない」

 今日は条件が良かった、と独りごちながら、蛍火は二丁の火縄銃を担ぐ。常に感情を抑えた風な蛍火の表情が今は生き生きとして、はっとするほど美しかった。凪いだ夜の海のような目が、夏の雷光のような閃光を帯びる。
 こいつはこんな顔をするのか、と思った。物柔らかな上辺ばかりを見ていた己を恥じたし、その双肩に体の一部のように担がれた火縄銃を周囲が寄ってたかって取り上げようとしていることに憤りさえ覚える。

 ――ああ、こいつの言うとおり、私はこいつに惚れているのだ。

 そして、それが故に尊奈門は蛍火から火縄銃を奪えない。
 蛍火は尊奈門の顔をちらと見た。

「だから、尊に私は向いてない」
「……勝手に読むな」

 ごめん、と蛍火は笑う。

「夫婦は二世の縁、師君は三世の縁ってね。ちなみに一世は何か知ってる?」
「親子だろ」

 馬鹿にしているのか、と蛍火を睨むと、蛍火はいつものようにおっとりと笑うだけだった。