狐と狸の馬鹿試合



 最近不思議に思っていることがある。いや、不思議に思っていることは多々ある。たとえば、師も言っていたとおり学園と関わっていると銃弾が人に当たらないとか、己が見たことも聞いたこともないような南蛮料理が普通に食堂に並び、それを普通に生徒たちが頼んでいるとか、数え上げればきりがない。
 しかし、目下一番不思議に思っていることは、どうにも同じ生徒が二人いるような気がする、ということだった。
 昼食を食べに食堂へ行くと、丁度その生徒と行き違いになった。食事を終えて食堂を出ると、食堂の前で件の生徒が壁に貼られたメニューを見て悩んでいる。はて、先程食べ終えていたではないか、と首を傾げる羽目になる。
 私服に着替えて外出していく姿を遠目に見送った後に、校内で制服姿を見かける。随分早く用事が終わったのか、と目を丸くする。

 ――と、焔硝倉で火薬の在庫整理を手伝っていた蛍火が、それを火薬委員長代理の久々知兵助にぽつりと溢した。作業途中の与太話のつもりであったのだろうが、真相を知っている兵助には面白くて仕方がない。兵助は苦笑まじりに帳面から顔を上げた。

「勘違いではありませんよ、本当に二人いるんです」

 蛍火は火薬を詰めた壺の中身と、壺の首にかけられた札を確認していく。のんびりとした風体からは想像も出来ないが、火縄銃の腕は確かであるらしい。伝え聞いたもので、見たことはないのだが。

「またまた。――唐渡りの粉火薬、二貫三百八十匁。うわ、唐渡りの粉火薬って初めて見た。少し貰っていい?」
「ええ、八匁までなら外部の方にも譲渡していいことになっているので」
「やった! 後で帳簿に付けておくよ」

 蛍火は嬉しそうにその壺を他の壺から離れた位置に選り分けた。

「それで、その二人なんですけど」

 蛍火は次の壺に手をかけながら生返事を返す。どうやら信じていないようだ。兵助は気にせず先を続けた。

「藍色の、僕と同じ制服だったでしょう?」
「え? ……ああ、うん、そうだったかな。こう、面長で優しげな……んん、いや、優しくなさそうなときもあったなぁ。――兵助、これ湿気ってる」

 鈍い光沢の黒い粉を指先につけ、矯めつ眇めつしながら蛍火が答える。確かにそうかもしれない。兵助は肩を震わせて笑った。

「だから、別人なんですよ」

 蛍火はようやく壺から顔を上げる。

「すぐ歳上をからかう」
「蛍火先生がからかいたくなるタイプなのは本当ですけど、こればかりは嘘ではありませんよ」

 蛍火は教生ではあるが、五年生の兵助とはさほど歳が離れていない。先生というよりは近所の姉さんといった風である。最初は土井先生の頼みで兵助を手伝っていた蛍火であるが、今は暇を見て火薬委員会の活動を見てくれる。教生と生徒というには少しばかり気安い。
 じっとりと睨んでくる蛍火に、兵助は肩をすくめて笑った。

「不破雷蔵と鉢屋三郎という同級生です」

 蛍火は兵助の顔をまじまじと見つめる。

「生き別れの双子か何かなの?」
「まさか! 鉢屋三郎って方が変姿の術の達人で、常に不破雷蔵に変装しているんです」
「私に言わせれば、その方がまさかなんだけど」

 それもそうだ。生き別れの双子説の方がまだ説得力がある。

「そう言われましても」

 兵助がそう言うと、煙硝倉の入り口の方から声が聞こえた。どうやら兵助を探しているらしい。
 噂をすれば、と兵助は首を巡らせる。棚の裏から、件の呼び声の主が顔を出した。一拍遅れて、同じ顔が隣に並ぶ。二人を同時に見かけたのは初めてであるらしく、蛍火は唖然として二つの同じ顔を交互に見た。
 その姿がまた笑いを誘う。

「雷蔵、三郎、こちらは一年は組の教育実習生の蛍火先生。火薬の扱いに慣れているから、委員会活動を手伝って頂いてるんだよ」

 並ぶ二人のうち一人が口を開きかけたところ、蛍火は「待って!」と声を上げた。

「雷蔵と三郎、どちらがどちらか当ててもいい?」

 黒い目を丸くして蛍火が言うと、雷蔵と三郎は顔を見合わせ、ついでにっと笑った。

「どうぞ、試してみてください」
「難しいですよ」

 薄暗い焔硝倉ではよく見えないから、と蛍火は二人を外に連れ出していく。兵助は慌ててそれを追った。
 兵助が三人に遅れて焔硝倉を出ると、蛍火は火薬を検分するときと変わらぬ真剣さで二人の顔をじっくりと見ていた。

「うわあ、すごい。本当にうりふたつ……」

 蛍火はぐるぐると二人の周囲を周りだす。お腹をすかせた犬のようで、兵助は思わず笑ってしまう。
 
「僕だって分からないんです。蛍火先生には無理ですよ」

 五年間同じ釜の飯を食っても、黙ったままではどちらが雷蔵でどちらが三郎か分からないのだ。
 蛍火はむっとして兵助の方を見た。

「兵助、私のこと、鈍いと思ってるでしょ?」
「い、いや、そんなことはありませんけど……」

 少なくとも鋭いとは思っていない。口籠る兵助に、蛍火は鼻を鳴らした。

「絶対に当ててやる!」

 蛍火は二人に向き直る。

「今から質問をするけど、何を聞いてもそうだと答えてくれればいいからね」

 そう言ってから、向かって左側に立っている方に問うた。

「君は不破雷蔵か?」

 黒い目がじいと同じ顔の片割れを見つめる。狼狽えながらも「そうです」と答えると、蛍火は再び右の方に同じ質問をする。そちらも「そうです」と答えた。
 蛍火は愕然と目を見開く。

「うっそ、全然わからん!!!」

 それはそうだろう。そうだと答えろと言ったのは蛍火自身であるというのに何を言っているのだ、と兵助は胡乱げな顔をする。
 蛍火は兵助の方に掌を向けた。

「待って待って、まだそんな顔しないで!」
「どんな顔ですか」
「何言ってんだこいつ全然見分けついてないじゃないか、って顔」

 蛍火は二つの同じ顔を交互に見ながら、今度は「君は鉢屋三郎か?」と問うた。二人は苦笑しながら、順に「そうです」と答える。
 今度は、蛍火は不思議そうな顔をした。それから、向かって左側に立っていた方を示す。

「今のは嘘。ということは、君が雷蔵か」

 示された方も、隣で聞いていた方も驚きを隠せない様子で息を飲んだ。その反応を見るに、当たっていたらしい。
 蛍火は三郎の顔を覗き込む。

「君、さっき雷蔵だと言ったときは嘘をついてないように見えたんだけどな。心まで演じていると嘘も真になるものかねぇ」

 蛍火は三郎の顔をまじまじと見つめる。さすがの三郎も気まずそうに顔を背けた。

「ふうん、面をしているから、顔の動きが少し鈍いのかな。嘘をついているのに気が付けなかった。勉強になったなぁ。忍者って怖い」

 蛍火は独りごち、顔に喜色を滲ませる。

「これで結構鋭いんだよ私は」

 蛍火は兵助に向かって微笑んだ。ぽかんとして成り行きを見ていた兵助は、慌てて言葉を探す。

「え、ええ、びっくりしました。どうやったんですか?」
「ふふ、秘密」

 


 


 しかし、面白くないのは変装名人の名を恣にしていた鉢屋三郎である。あれ以降、何かと変装した姿で蛍火の前に姿を現した。

「ぎゃっ! せんせえ!? ……じゃない!! 三郎! やめてよ! 心臓が止まるかと思った!!」

 不気味な面をつるりと外し――外しても、その下には雷蔵の面があるのだが――三郎はにっと笑った。

「この程度の変装が見破れないようじゃまだまだ。勉強してください」
「嫌味だなぁ。戦場じゃ顔も判別できぬうちに射殺してしまうからいいんだよ」
「……狙撃手って怖いですね」

 三郎がぺろりと顔を撫でると、その下から柔和な若い女の顔が表れる。それは紛れもなく蛍火自身の顔で、蛍火は一拍間をあけて悲鳴をあげた。