ふたまたにんじゃ
「このっ、二股忍者!!」
ぴしりと指を指され、蛍火はおもわず背後を振り返った。共に火縄銃の手入れをしていた虎若が不思議そうにこちらを見つめている。その罵倒がまさか虎若に向けられたものとも思えないので、己に向けられたのだと認めざるを得ない。
「ふたまたにんじゃ」
一瞬意味がよくわからなかったので、口の中で反芻してみる。ふたまたにんじゃ。二股忍者。なんだそれは。
蛍火は乱太郎達とさして変わらぬくらいの背丈の忍装束を着た少年を床に座ったまま見上げた。
「ええと、君、何年生? ごめんね、まだ全員は覚えられていなくて」
少年は敢然と蛍火を睨みつける。
「俺は学園の生徒じゃない!」
「では、どこのどなた?」
「……それは言えないけど」
こんな成りでも一端の忍であるらしい。だが、蛍火も二股忍者などという不名誉な呼名がどこで広まっているのか知っておきたい。
「ドクダケ、マツホド、ドクササコ、ウスタケ、オニタケ、オーマガトキ、タソガレドキ――なんてこった、タソガレドキか」
蛍火が言うと、少年はぎょっとして一歩後退る。
蛍火は額を押さえて項垂れる。
「それで、私がどなたとどなたを二股かけてるの?」
おおかた、諸泉尊奈門と高坂陣内左衛門あたりであろうか。蛍火が問うと、少年はむっとした顔をする。
「しらばっくれるなよ! 尊奈門さんの気持ちを踏み躙った悪女め!」
「しらばっくれてないし、尊の気持ちを踏み躙っていないし、悪女でもない。二股なんてかけてない。ついでに言えば忍者でもないよ」
蛍火は一息にそう言う。
「で、君は尊の部下か何かかな? まさか弟ではないよね。……息子、は尚のことないか」
やれやれどうしたものかと蛍火は分解したままの銃身を敷き布の上に手放した。
「やいやい、蛍火が二股悪女だなんてどういう了見だ!」
虎若がぱっと蛍火を庇うように立ち塞がる。あと十年もしないうちに頼もしい背中になるであろうそれを見て、蛍火は慌てた。今だけは余計なことをしないでほしい。それに、二股悪女とまでは言われていない。
「虎若、いいから――」
「蛍火は発中か狙い越と結婚す――あ、」
「えっ、何それ初めて聞いた」
しまったと口を押さえる虎若に、蛍火は狼狽える。少年は甲高い怒りの声を上げた。
「きっ、きさまっ、二股だけでは飽き足らず……!」
虎若がさらに大きな声で対抗する。
「蛍火はそんな不誠実なことはしないぞ! ドす部下といい感じで、小松田さんにも懐かれてるけど、それは抜けた男を放っておけないだけで!」
「虎若! 頼むからそれ以上何も言わないで!」
蛍火は悲鳴を上げて虎若の口を乱暴に塞いだ。少年はといえば、顔を真っ赤にして口をぱくぱくさせた。
「は、はれんちだっ!」
「誰がはれんちだ」
勘弁してよ、と蛍火は溜息をつく。
「この六股忍者!」
「私は蛸か」
虎若が蛍火の手を逃れ、ぷはと息を吐く。
「蛍火先生、蛸なら八股ではないですか?」
「虎若」
「……すみません」
そのとき、人影が少年の傍らに現れると、その小さな頭を拳で殴りつけた。痛そう、と蛍火は顔をしかめる。
少年は頭を押さえて蹲ると、涙目で人影――尊奈門を見上げた。
「そ、尊奈門さん、ぼく……」
「言い訳は文書で提出しろ」
普段言われ慣れているだけあって、その台詞は堂に入っている。
尊奈門は蛍火をちらりと見ると、すまんと言葉短かに頭を下げた。その様子を見て、少年はひどく傷付いたような顔をする。
「だって、こいつ、尊奈門さんを弄んで捨てたんでしょう!?」
「だっ、誰がそんな与太をおまえに吹き込んだ!」
「組頭が」
「組頭っ!」
二股と言われると心外だが、弄んで捨てたと言われると一概に嘘とも言えないのが難しいところだ。蛍火は目の前の喜劇をぼんやりと眺める。少年の頭に二発目の拳が落ちたところで、割って入った。
「下の者の管理がなっていないと散々馬鹿にしてもいいのだけれど、今回は兄貴分思いの可愛い少年に免じて許してあげるよ」
むくれる少年に尊奈門は頭を下げさせる。先に行っていろ、と言われ、少年は渋々踵を返した。
「虎若、彼を門まで送ってあげなさい。出門票へのサインを忘れないようにね」
虎若は一瞬嫌そうな顔をしたが、蛍火に睨まれると少年の後を追った。
蛍火は気まずげな尊奈門に向き直る。
「何か聞きたそうな顔をしてる」
ふふふ、と蛍火が笑うと、尊奈門は眉根を寄せた。
尊奈門は蛍火の向かいにどかりと座る。
「誰だよ、発中と狙い越って」
「師匠がお世話になっている村の若い衆だよ。それについては触れてくれるな」
あとで虎若を問い質さねばなるまい。尊奈門はむっつりと言葉を続ける。
「ドクササコの忍者にも、ここの事務員にも粉をかけているのか」
「子供の言い分を真に受けるなよう。ドクササコは師と因縁があるから、繋ぎがあって困ることはないでしょう。小松田くんは……いい人なんだけどね、何かと世話を焼くことになる」
蛍火が淡々と言うと、尊奈門は納得の行かない様子で蛍火を横目に見た。
「随分好かれているな」
尊奈門はぼそりとそれだけ呟く。蛍火は尊奈門の、その忍らしからぬ素直さが昔から好きだ。
「そう。人当たりはいいんだよ。生まれつき人の良さそうな顔をしているからね。実際人が良いかは別として」
「それは私が一番よく知っている」
蛍火は低く笑う。
「一番知っているのは師だよ。尊にはね、これでも思いやりを持って接してる」
「嘘だろ!」
間髪入れずに尊奈門が言うので、蛍火は眉をひそめた。
「失礼だなあ」
蛍火は床に座り直し、手入れ途中の火縄銃を手にする。ふと覗いた照準から見えた尊奈門が先程までの威厳の欠片もない困り顔であったので、蛍火は一人小さく笑った。