婚活失敗談
ばりばりばりばり、と無言で煎餅をかじる尊奈門に、蛍火は眉尻を下げた。忍術学園の教職員長屋の一室。教育実習生の居室に勝手に居座る闖入者に、蛍火は困り果てている。
「ねえ、部屋の掃除をしてくれるの?」
板敷きの床に散らばる煎餅の破片を見やり蛍火が言うと、尊奈門はぷいと顔を背ける。子供じゃないんだから、と蛍火は肩を竦める。
「何をそんなに気を悪くしているのかは分からないけど……」
「分かっているだろう」
蛍火の言葉を遮り尊奈門が言うと、蛍火はしばらく宙を見ていたが、観念したように尊奈門の向かいに座った。組んだ脚に肘をつき、手を頬にやる。
「私の出自の話でしょう? 別に、尊にだけ黙っていたわけじゃない。そんなことで拗ねられて、私はどうすればいいの?」
「やっぱり分かっているじゃないか」
「気を遣ったんだよ」
余裕綽々といった横顔が、尊奈門はどうにも気に入らない。何を言っても柳に風なのだから、尊奈門はこうしてみっともなく拗ねることしか出来ない。
蛍火はあっさりと答えると立ち上がり、そのあたりに積んであった書物をニ、三、手にした。
「私は図書室に行くけれど、帰ってくるまでにこの部屋を片付けるか、帰るかしておいてよ」
「なあ、おい」
「ああ、しつこい」
いつでも穏やかな蛍火の口調にうんざりとした調子が滲んだ。
「組頭は、おまえのことを知っていたんだろう」
「幼い頃そちら方に身を寄せたことがある。尊ともそのとき会ったじゃない」
「そうじゃない。そのとき、多分、組頭はおまえのことを知っていた」
温厚な双眸がきろりと尊奈門を睨む。
「そうかな。雑渡殿のことだもの、なんでも知ってておかしくない」
「誤魔化すなよ」
「誤魔化しているかどうか当ててご覧」
「――俺に分かるかよ」
「ならば詮索はやめたらいいのに」
どうせ分からないんだから、と溜息まじりに蛍火が言うので、尊奈門は食ってかかろうと片膝を立てる。ぞろりと黒い影が蛍火の背後に立った。
「やめておけ、尊奈門。しつこい男は嫌われる」
組頭、と尊奈門が呟くのと、雑渡殿、と蛍火が額に手をやるのはほとんど同時であった。
「雑渡殿、諸泉殿をからかいにいらしたのですね」
「鋭いねえ蛍火」
「このようなこと、無礼を承知でお尋ね申し上げますが――暇なのですか?」
「そうだよ、部下が優秀でね」
それに我々が暇なのは平和な証拠だ、と雑渡は嘯く。
「ああ、そうだ尊奈門、私が蛍火を知っていたのは、蛍火が殿の正室候補だったからだよ」
雑渡はくるりと尊奈門の方を見ると、意地悪く目を細めてそう言う。尊奈門がその言葉の意味を飲み込む前に、蛍火はぎゃあともぎゅうともつかない悲鳴を上げた。
「なんでそんなこと言っちゃうんですか!? せっかく秘密にしてたのに!」
「だって蛍火があんなに言いたがらないのが面白くって」
「お、おもしろ……そんな理由で暴露することはないでしょう!」
あはははは、と雑渡は、真っ赤になる蛍火の顔を指差して笑い始める。
「え? は? 蛍火が殿の?」
やっとそれだけ言う尊奈門に、蛍火は嫌そうに頷く。
「昔の話だよ。私が九とか十とか」
「え、おまえ、ほんものの姫君だったのか……?」
「いやだからそうだって……尊だってそれで怒ってたでしょう!」
「いや、自称姫君かと」
「そんなイタいヤツだと思われてたなんて衝撃が大きいんだけど!」
「す、すまん、ほら、こう、もっとこぢんまりとした、ぎりぎり武家くらいのあれかなーとか」
黄昏甚兵衛の正室ともなれば、家柄石高もさることながら、戦略的にその家が重要視されていたということだ。
どこの家の出だ、と尊奈門が聞こうとすると、蛍火はそれを手のひらで制した。
「それ聞いたら、尊には二度と会わない」
「あっ、ずるいぞ!」
「二度と会わないなら教えてもらえるらしいぞ、聞いとけ尊奈門」
けたけたと笑う雑渡に蛍火は肩を落とす。
「唆さないでくださいよ……破談を根に持ってらっしゃいますか?」
まさか、と雑渡は口布の下の焼け落ちた唇を歪めた。
蛍火は憤然と腕を組む。
「私はね、結婚相手はちょっと年上だけど、大人の魅力溢れるダンディなイケオジだって言い聞かされて、幼心にそれならいいかーって思ってたんですよ!」
雑渡は盛大に吹き出したが、尊奈門はさすがに蛍火が可哀想になる。それは、初めて黄昏甚兵衛の御尊顔を拝んだときは、崩れ落ちそうになっただろう。
「似姿も結構格好良かったんですよう! 信じられない!」
まさか、それが理由で家を飛び出たのだろうか。
「蛍火、その、同情する……」
「されたくなかったから、知られたくなかった!」
蛍火は勢い良くそう言うと、書物を抱えて部屋を後にする。あれほど荒れていても足音がしないのは、流石と言うべきなのだろうか。
尊奈門は床に落ちた煎餅の食べ滓を丁寧に拾った。