陰夜双瞳【四】
長く引き摺る打ち掛けの袖が、碁盤上の石をばらばらと落としていく。それをぼんやりと見下ろしていると、おふさはまるでそれが一大事かのように声を上げる。
「ああ、そのようなことを。まるで童のように」
そうして侍女に合図をして、それを片付けさせする。すぐに何事も無かったかのように元通りになった様を見て、すずはただただつまらなく思っていた。
「少し疲れた。一人にしておくれ」
「大事ございませんか、薬師をお呼びいたしますか」
「よい、下がりゃ」
おふさは不愉快そうな顔をして、すぐにその表情を押し隠した。眦に苛立ちと侮蔑が滲んでいる。
きっと、近しくもない男に顔を見せたことを憤っている。それか、己から血のにおいがするのだろう。
下がろうとするおふさにすずは声をかける。
「狩りをしたことはあるか」
「いいえ、まさか」
おふさが言うので、すずは控えていた侍女にも顔を向けた。
「其文字はどうだ」
侍女も首を横に振った。そうか、とすずは呟き、二人を下がらせる。
誰もいなくなったが常に誰かの気配がする部屋で、すずははじめに綺麗に片付けられた碁石を床に散らした。かつん、かつん、と硬質な音がした。
碁盤の傍らに座り、空になったそれに肘をつく。
――怒っていたな
あの男の事を思い出していた。
すずは手近にあった碁石を一つ拾い、手の中でくるくると弄ぶ。怒っていたことは分かった。あの能面のような奇妙な顔に、一瞬だけ怒りが迸った。己に対して怒っていた。だが、どうして怒っていたかまでは、すずにはよくわからない。
気に触るようなことを言っただろうか。すずは手の内の碁石をひょいと放り投げる。板間に落ちたそれはからからからと床を転げていずれ止まった。
「ああ、名前を聞くのを忘れていた」
ぽつりと呟く。仕切りの向こうで誰かが身動ぎした。まあいいか、とすずは碁石を拾い上げる。もう会うこともあるまい。