陰夜双瞳【五】



 勝ち戦に沸き立つ周囲を見渡し、照星はちろりと酒を舐める。弾正から大盤振る舞いされた質のいい酒は、傭兵や百姓達を大いに酔わせた。照星はなんとなくその気にもならず、此度の戦で鉛弾を撃ち込んだ人間の顔を順に思い出していた。
 一人思い出しては酒を舐め、また一人思い出しては酒を舐める。
 通りかかった雑兵が千鳥足で己の火縄銃を蹴飛ばしかけたので、足をかけて転がしておく。雑兵は派手な悲鳴を上げて地面に倒れ、そのままへらへらと笑っていた。

「照星はおるか。火縄撃ちの照星を誰か見かけなかったか」

 伝令役の男が、喧騒に向かって声を張り上げている。知らぬ振りを決め込むつもりであったが、二十にもならぬような若い伝令があまりに必死な様子なので、渋々名乗り出た。

「私だが、何用だ」
「殿がお呼びだ。火縄銃の腕を見せてほしいと」
「見世物をするつもりはない」

 そう言い切ると、面皰の跡も初々しい顔がさっと青褪める。勝ち戦に浮き立つ弾正に水を差しては、この少年は酒を楽しむ暇も与えられないだろう。照星は肩を竦め「連れて行け」と答えた。







 幔幕の中は、噎せ返るような酒気で満ちていた。地位も身分もある男達が、雑兵と変わらぬ酔態で乱痴気騒ぎをしている。照星は溜息まじりに火縄銃を担ぎ直す。

「殿、件の火縄撃ちを――」
「おう、こっちに参れ」

 宴席でも一際目立つ巨躯が照星を招き寄せる。随分と酒を召したらしく、顔が真っ赤に染まっていて獄卒のようであった。

「照星と申す」
「聞き及んでおる。古今に比類なき火縄の名手だそうだな」
「光栄の至」

 間近で見ると尚迫力のある男である。弾正は呵呵と笑うと、夜闇を指差した。

「射てみよ」

 指の先を見れば、樫の巨木がぬうと立っている。その幹に、敵方の揃えを纏った兵士が、頭上に徳利を掲げさせられ括り付けられていた。徳利には火のついた線香が挿され、ぽっと微かな光を点していた。括られた兵士は震えを押さえるように青褪めた唇を食い縛っている。
 照星はその悪趣味にうんざりしながら、銃身に玉薬と弾丸を込め、火縄に火をつけた。

「人を? それとも陶を?」
「好きな方でよい」

 答えを聞き終わる前に、照星は引き金を引いた。雪洞のやわらかな灯りを引き裂くように火花が炸裂する。発砲音が喧騒を断ち切った。
 しん、と痛いほどの静寂があった。侍童が樫の木に駆け寄り、粉々に砕けた陶器と、恐怖で気を失った捕虜の姿を見る。

「生きておりまする! 生きておりまする!」

 陶の破片を握りしめ振りかざしながら侍童が喚くと、固唾を呑んで見守っていた将達がどよめいた。弾正が膝を打つ。

「なんという腕だ。鬼神もおまえの銃口からは跳ねて逃げるだろうよ。褒美を取らせる。なんでも欲しいものを申してみよ」

 照星は、頬を張られて正体を取り戻した捕虜をちらと見た。若い男だ。照星を呼びに来た伝令よりさらに若いだろう。華奢な肩は子供のようでさえあった。

「彼を逃がしてやってはくれませぬか。せっかく取り留めた命を、あたら散らせるのは験が悪い」

 弾正は上機嫌に大きく頷く。

「然りである。あの者が生き延びたのも御仏の御導きであろう」

 合図一つで侍童は少年兵の縄をとく。弾正は「米と酒を持たせてやれ」と侍童に口添えした。

「して、おぬしはどうだ? おぬしへの褒美をやらねば、わしの気がすまぬ」

 酒を飲むと気の大きくなるたちらしい。既に報酬は受け取っている。それ以上を得る気はない。あのような悪ふざけのすぎた見世物で金を稼ぐのは己の理に反する。
 では、と照星は答えた。

「この宴が終わり、お舘に帰りましたら、きっと念持仏に御加護の感謝を申し上げることでしょう。その祈りを捧げ、目を開けたとき、最初に目にしたものを頂きたい」
「面白いことを言う。経文や供物の餅でもいいのか」
「構いませぬ」

 殊の外その言を気に入ったらしい弾正は、照星に酒の瓶子を二つ下賜すると下がらせた。
 照星はその瓶子を騒ぐ酔漢にくれてやると、近い出立の準備をするために塒に足を向けた。