曙光の赫【一】
木の葉のそよぐ音と、小川のせせらぎ、小鳥のさえずり、そういったものしか聞こえぬ深山で、火薬の炸裂する轟音が響いた。繁みから鳥達が警告音を発しながら飛び去っていく。
不幸にも鉛弾の一撃を食らい地に落ちた山鳥を、蛍火は拾い上げた。
「蛍火」
呼ばれ、蛍火はそちらに顔を向ける。真新しい羽二重のように真白かった顔は日に焼け、手入れの行き届いていた髪は素っ気なく括られている。
「はあい」
大きな声で返事をしながら、蛍火は照星のもとへ駆け戻った。
「照星師、当たりました!」
「ああ、よくやった」
照星のあっさりとした褒め言葉に、蛍火は相好を崩す。目の端に出来た小さな火傷の瘡蓋が引き攣った。
箱入りのお姫様でも三年も野に放てば逞しくなるものだ。照星に背負われていたのが嘘のように、今では己の荷に加えて照星の火縄銃を一丁担がされている。
「今晩も野営になる。支度をしておきなさい」
このところ野営続きだ。疲労も溜まるし、食料も心許ない。蛍火は文句こそ言わないが、不安そうに照星を見上げた。
「照星師、どこへ向かっているのです?」
そういえば伝えていなかったか。枯れ葉や粗朶に火をつけようと四苦八苦する蛍火の頭を戯れに撫でると、蛍火は肩を竦めて小さくなる。
「もうそんな子供じゃありませんよう」
「そうだったか」
幼気ばかりが勝っていた容貌にも個性が滲むようになった。優しげな目鼻立ちはきっと母親に似たのだろう。御所流の所作が抜けないのかおっとりのんびりして見えるが、その実なかなかのおてんばである。
火傷や傷跡の残る手が、山鳥から羽を毟り内蔵を取り除く。それを笹の葉で包み、焚火に放り込んだ。
照星の見立て通り、蛍火は人並外れて見る力に秀でていた。腕力で劣る女童であることを加味してさえ狙撃手として優れた適正を見せた。
だが、それと戦場で使い物になるかは話が別だ。正確には、それが蛍火にとって喜ぶべきことなのか判じかねていた。
蛍火が火縄銃の扱いに慣れていくたびに、照星には蛍火の目を臣下の統制に利用していた弾正と、蛍火の目を狙撃に利用している己の違いが曖昧になっていく。
照星は火縄銃を教えるために蛍火を連れ歩いているわけではない。我の通し方を教えてやると言ったのだ。それを違えるつもりはない。
「知り合いに会いに行く。しばらく逗留するつもりだ」
照星が言うと、蛍火は目を丸くした。
「こんな山奥にお知り合いがいるのですか?」
「いや、里の裏の山から回り込んでいる」
「どうしてそんなことを」
ここ数日の悪路を思い出したのか、蛍火は眉を顰める。
「用心深いたちの里で、正面から立ち寄るのは面倒だ」
「……空き巣みたいですね」
照星がその辺の倒木を転がし腰掛けると、蛍火はするりとその隣に座った。ぱちん、と生木が弾けて火花が散る。
やがて、火が安定し獣脂の焦げる香ばしい香りがただよいはじめた頃には、日は暮れ、蛍火はうとうとと船を漕ぎ始めていた。かくん、と支えを失ったように照星の肩に額をぶつけた蛍火は、小さく呻いてとろとろとした目を上げる。
「せんせい」
照星の背後、暗い茂みを見た蛍火の黒い目の焦点が定まった。
「誰かこちらに来ています」
照星は咄嗟に焚き火を蹴り散らした。蛍火の視線の先に火縄銃を構える。火縄の灯りを手で隠しながら、暗闇に目を凝らす。
「何人だ」
「ふ、二人……多分」
照星は蛍火を背後に押し隠す。藪を漕ぐ音が微かに聞こえた。照星は音の方に銃口を向ける。それに気付いたのか音が止んだ。
しばらく膠着したあと、暗闇から男の低い声がする。
「何者だ。ここで何をしている」
「この先の里の者に用がある。名を照星という」
声の主の緊張が解ける気配がした。
「照星殿か!」
下草を掻き分けて現れた男は、照星の姿を見とめて頭巾の下で破顔する。男の姿を見て、照星は吐息とともに銃を下ろした。
「山本殿、久しいな」
「本当に。音沙汰を聞かぬのでてっきり……、おい、高坂、出てきなさい」
現れた高坂は照星に向かって礼を取る。照星はそれに簡単に応えた。月明かりでお互いの顔が見える距離まで近付きあうと、山本が照星に尋ねた。
「用向きというのは小頭にですか? というと、見舞いにいらしたので?」
照星は眉を顰める。体調を崩しているのだろうか。あの殺しても死なないような男が。
「いや、そうではないが――具合が良くないのか?」
山本と高坂は一瞬目を見交わせた。ひどく言い難そうに山本は口を開いた。
「ひどい火傷をしたのです。しばらく寝付いていて、最近は鍛錬もしているのですが、いまだ療養中です」
「それは大分ひどそうだな」
「一つお耳に入れておきたいのは、その、火傷で容貌も変わられたので――」
「元より大した面でもなし、あいつの顔が変わろうが私の知ったことか」
別にあの男の顔をどうこう思ったことはない。照星が言うと、山本は苦笑気味に頷いた。
「里にご案内いたしましょう」