期末試験で百点を取れ!の段(1)



 一年は組の教室に飛び込むなり、庄左ヱ門は「みんな、大変だ!」と大声を上げた。なんだなんだ、どうしたどうした、と集まってくるクラスメイトに、庄左ヱ門は先ほど耳にしたやりとりを説明する。それを聞いたは組は全員目を丸くして仰け反った。
「蛍火先生って、ぼくたち全員がテストで百点を取らないと学園に残れないの!?」
 伊助の言葉に、庄左ヱ門は神妙に頷いた。そのやりとりを見ていたきり丸が頬を掻きながら「じゃあ蛍火先生、就活続行だな」と言う。乱太郎が肩をすくめた。
「きりちゃん、諦めが早すぎるって」
 そんなこと言ったって、ときり丸は唇を尖らせる。
「おれたち全員が百点を取るなんてことさせられるなら、土井先生の胃薬はあれほど増えてないぜ」
 当人が聞いていれば「おまえたちはなぜそれを分かっていて……」と涙を流しそうな発言である。
「土井先生で無理なんだもん、蛍火先生じゃ無理無理」
 ワハハ、と団蔵が笑う。つられて何人かが笑ったが、乱太郎が「でも、わたしは蛍火先生が学園に残ってくれたら嬉しいけどなあ」と言うと、みな笑うのをやめた。そうだなあ、と兵太夫と三治郎が頷く。
「今まで来たことのある教育実習生の中では一番まともだしね」
「土井先生も、蛍火先生がお仕事を手伝ってくれて助かっているようだし」
 庄左ヱ門はそれに強く頷く。
「それに、い組の彦四郎が、蛍火先生はい組の教生だったら学園に残れたなんて言うんだ」
 しんべヱが「なんだってぇ!」と語気を荒げる。
「そんな本当のことを言うなんて、ひどい!」
 い組の放言を許すな、と同調しかけたよい子たちがいっせいにずっこける。まあ本当なんだけどさあ、と金吾が顔をしかめた。
「でも、ぼくたちテストで百点なんて取れないよぉ」
 喜三太が泣き言を言うのを、庄左ヱ門が「ぼくに作戦がある」と遮った。
「正月休みまでに試験は期末試験だけ。でもぼくたちがまともに勉強して百点を取ることができる可能性は低い。みんな集まって耳を貸してくれ」
 庄左ヱ門の案を聞いて、は組の生徒たちは難しい顔をする。
「そんなに上手くいくかなあ」
 三治郎が不安そうに庄左ヱ門の顔を覗き込む。だがこうと決めた庄左ヱ門の意志を挫くのは生半可な覚悟では出来はしない。庄左ヱ門は乱太郎、きり丸、しんべヱを順に指さす。
「これは三人に任せる。反対の者はいるか?」
 庄左ヱ門はぐるりとあたりを見回す。大役を任された三人が「え、わたしたちに出来るかなあ」「お駄賃がなけりゃやってらんないぜ」「だめだったらどうしよぉ……」と不安を口にした。

 *

 不安そうな三人が向かったのは、蛍火の部屋である。以前は試験問題を盗みに忍び込んだが、今回は違う。三人は障子戸の前で「蛍火先生! いらっしゃいますか!」と声をかけた。返事があったので、乱太郎が戸を引く。
「失礼します!」
 文机に向かって帳簿をつけていた蛍火は「どうしたの、改まって」と怪訝そうな顔をした。この三人が揃って現れるときは、大抵いいことがない。しんべヱが鼻水をすすりながら眉をキッと上げた。
「蛍火先生にお願いがあってきました!」
「言ってごらん」
「土井先生の部屋から、期末試験の問題を盗み出してほしいんです!」
「なんだって?」
「ばか! しんべヱ! 声が大きい!」
 蛍火は目を丸くし、きり丸はしんべヱの口を塞ぐ。乱太郎は「聞いてください、これには深い理由が」と蛍火に縋りついた。蛍火は渋い顔をしながら「一応、理由を聞いておこうかな」と言う。
「わたしたちが期末試験で百点を取らないと蛍火先生が学園に残れないと聞いて」
「うん」
「でも、わたしたちがまともに勉強しても百点を取るのは難しいから」
「うん」
「事前に試験問題を手に入れてカンニングしようと思ったんですけど」
「うん」
「わたしたちでは土井先生から試験問題をこっそり盗めないだろうと思って」
「うん」
「蛍火先生に盗んでもらおうってなったんです」
「うーん、思い切ったなあ!」
 怒るよりも感心してしまい、蛍火は膝を打って笑う。それを見たきり丸はほっとしたように表情を緩め「やってくれるってことですか」と言う。蛍火は首を横に振った。
「いやだよ」
「なんでっすか! 学園に残りたくないんですか!」
 そこだよ、と蛍火はきり丸の鼻先を指さす。
「本採用欲しさに試験問題を盗むなんて、恥ずかしくてやりたくない」
 そこをなんとか! と乱太郎としんべヱが泣きつく。
「は組のみんなは、蛍火先生に残ってほしいんです!」
「ぼくたち、先生のために先生にお願いしてるのにどうして先生が嫌だなんて言うんですかッ!」
 鼻水でべとべとの顔で迫ってくるしんべヱを手で防ぎながら、蛍火は「気持ちは嬉しいけど」と呻く。いくらなんでも盗みを働いてまで職を得ようとするのは如何なものか。
「それに、私だって土井先生から試験問題を盗むなんて出来るかどうか」
「そんなあ、確かに蛍火先生は忍者ではありませんけど……」
 きり丸が「わかりました!」と言いながら両手をパンと打った。
「蛍火先生、ぼくが蛍火先生を雇います!」
「わはは、ドケチのきり丸が?」
 まさか、とばかりに蛍火はせせら笑う。きり丸は苦悶に顔を歪めながら、懐から小銭入れを出し、そこから銭を一枚取り出した。額に汗が浮かび、顔色は青ざめ、唇は噛み締められ、手は震えている。蛍火は目を細めながら手のひらを差し出す。
 きり丸は全身の血管が破裂しそうな表情を浮かべ、瀕死の蛇のように身悶えする。蛍火はそれを面白そうに眺めて「どうした、きり丸。私は安くないぞ」と煽った。
 安くない、と言われたきり丸は毒でも盛られたかのように顔色を紫にする。それを乱太郎としんべヱがはらはらと見守った。
「よせ、きり丸! 無理するな!」
「ドケチのきり丸がそんなことをしたら死んじゃうよ!」
 ワアワア言う二人を後目に、蛍火は意地悪くにやにやする。きり丸は目を真っ赤に充血させ、鼻血を垂らし、脂汗を全身にかきながら「蛍火先生はバイトを手伝ってくれるし、これは投資だ!」と叫ぶと蛍火の手のひらに銭を一枚落とし、ぎゃーっと悲鳴をあげるとその場にばたりと倒れ込んだ。残り二人が倒れたきり丸に駆け寄り抱き起こす。
「きりちゃん、しっかり!」
「よくがんばったね、きり丸!」
 蛍火は手のひらに落とされた銭を見下ろし「まさかきり丸が本当に金を払うとは」と驚いた顔をした。「でもこれでは安すぎる」とも言った。乱太郎としんべヱがそれを耳にして抗議の声を上げる。
「こんな姿のきり丸を見てなんとも思わないんですか!」
「さらに巻きあげようとするなんて、ひどい!」
 きり丸の顔色は紫を通り越して黒くなっている。その顔で銭をさらにもう一枚差し出そうとしてくるので、蛍火はさすがに顔色を変えて手を引っ込めた。
「うわっ、もういいもういい」
「じゃあ頼まれてくれますか?」
「それはイヤ……」
「グワーッ、保ってくれおれのドケチ根性! 銭一枚追加だーッ!」
「ぎゃあ! わかったわかった、やるよ、やるって! 怖い!」
 あのドケチのきり丸が、鼻血を垂らしながら身銭を切ろうというのだ。己のためにそこまでしてくれるというのだから、多少は嬉しい。それで汚れ仕事をさせられるというのも釈然としないが。
「気は乗らないけど、銭一枚分は働くよ」
 蛍火は銭を指先で弾き、手のひらの上に転がす。乱太郎、きり丸、しんべヱは「やったあ!」と跳ね回り「庄左ヱ門に報告しよう!」と蛍火の部屋を出て行った。