期末試験で百点を取れ!の段(2)
銭を受け取ったからにはその分の働きはしなければならない。蛍火は手の内で黒ずんだ貨幣をころころと転がす。銭を要求しそれを受け取りながら、仕事を一方的に放棄するのも心苦しい。それに、ドケチのきり丸にとって、銭一枚は銭一枚以上の価値がある。そうまで学園に残ってほしいと思ってもらえるのは、単純に嬉しい。学園に教師として残るのも、悪くないのかもしれない。
蛍火はそんなことを考えながら一年は組の先生方の部屋の前で土井先生を呼ぶ。さすがに銭一枚で盗みまでは働いてやれないが、土井先生が作った試験問題の在処くらいは伝えてやってもいいかと考えた。部屋の中から土井の応える声がしたので、蛍火は引き戸を開ける。
「おや、蛍火さん、どうしましたか」
「土井先生にご相談がありまして」
「私でよければ、聞きますよ」
何が言えるかも分かりませんが、と土井が言うので、蛍火は膝行で室内に入る。部屋には土井のみがおり、山田先生はいない。室内の様子に普段と変わったところはない。三日後に期末試験を控えた今、試験問題はすでに作られているはずだ。さてどこにあるだろうか、と蛍火は考えを巡らせる。
「以前、どの仕事に履歴書を送っても門前払いだという話をしたことを覚えていらっしゃいますか」
「ええ、覚えています」
「それで、土井先生にお伺いしたいのですが、あのぅ直截にお答えくださいね、実習中の私の仕事ぶりはいかがでしたでしょうか」
問われた土井は眉尻を下げ、顎に手をやり視線を天井に向ける。
「そうですねえ、私は蛍火さんがいてくださって大変助かりました。細々とした雑用から授業の代理まで卒なくこなしてくれましたし。さすが、照星さんの教えを受けているだけはあります」
師まで褒められ、蛍火も悪い気はしない。えへへ、と頬を掻く蛍火に、土井は優しく微笑んだ。
「私も山田先生も、蛍火さんが学園に残ってくれたらと思っています」
「それは――もったいないくらいのお言葉です。でもまあは組の全員に百点をとらせるのは難しいんですけどね」
蛍火が笑うと、土井も苦笑いした。そのとき、土井はちらと部屋の隅の行李を見た。どうやら試験問題はあそこに保管しているらしい。知りたいことは知ることができた。
「学園長先生もあなたの働きぶりを見てお考えを改めてくださらないものかなあ。ここだけの話、は組の生徒たちは蛍火さんに残ってほしいと期末試験に真剣に取り組んでいるようです」
「就活に難航している私を思いやってくれて、優しい生徒たちです。きっと土井先生の教えがいいのでしょうね」
礼のように言い添えると、土井は照れたように笑った。
「期末試験で百点をとるために、試験問題を盗み取る計画をたてているようです。教室で相談しているのを小耳に挟みました。庄左ヱ門が、蛍火さんに盗みを依頼しようなんて言い出していて、よく考えるものだと感心したものですが――」
バレとるやんけ。
絶句する蛍火に、土井も笑顔のまま固まる。土井の表情からはみるみる微笑が消えていった。
「え、まさか蛍火さん」
「……はい」
「嘘でしょう蛍火さん」
「……はい」
「生徒たちの頼みを受けたんですか」
何と答えたものかと一瞬考えた蛍火は、今後の関係性や自身の信頼性や師の面子を勘案し、唇を引き結び目を閉じる。
「…………はい」
「蛍火さん!?」
土井が眉を吊り上げ蛍火に詰め寄る。蛍火は眉尻を下げ情けない顔をして「はい、申し訳ございません」と項垂れた。土井はずいずいと蛍火を部屋の外に押し出す。試験問題の窃盗を狙う人間を、試験問題と同じ部屋の中にはいさせられない。蛍火はされるがままに廊下に押し出された。
「な、なにをしてるんですか!」
「雇うと言われてちょっと嬉しくなっちゃって……」
「何言ってるんですか!!! だめですよ!!!」
「誠意ある依頼には誠意で応えよというのが照星師の教えでして……」
「だからって生徒のカンニングに加担しないでください!!!」
はい、おっしゃるとおりです、すみません、面目ございません、と廊下でぺこぺこ頭を下げる。この年になって廊下に立たされるとは思いもしなかった。
土井に散々叱られた蛍火はとぼとぼとは組の教室に向かう。銭まで受け取っておきながら失敗しましたは大恥もいいところであるが、黙っているわけにもいかない。悪い報せほど素早く忌憚なく報告しろと師匠も言っていた。
重い足取りでは組の教室の戸を引く。何と伝えたものかと悩む蛍火をよそに、は組の生徒たちは庄左ヱ門の卓に集まり何かを囲んでいる。蛍火が上からそれを覗くと、期末試験の問題が卓上に置かれていた。
「あ、蛍火先生、土井先生のお説教は終わったんですかぁ?」
喜三太が蛍火を振り仰ぎそう言う。いったいどういうことだと目を丸くする蛍火に、きり丸がニッと笑った。
「ぼけーっとした蛍火先生が、土井先生から問題を盗めるわけがないじゃないっすか」
蛍火はきり丸の額を平手で叩く。八つ当たりである。あいた、ときり丸は額を押さえた。庄左ヱ門は蛍火に試験問題を見せる。
「蛍火先生が叱られている間に、身の軽い乱太郎が土井先生の部屋に忍び込んで試験問題を書き写してきたんです」
さすが庄ちゃん、と盛り上がる生徒は試験問題に身を乗り出し、この問題はどうだこっちはああだと言い交わしている。どうやら自分は囮としていいように使われたらしいと気が付いた蛍火はそれを見下ろし頭を抱えながら「……クソガキども」と小さく呻いた。