教生、クビになる(終)



 佐武村の外れ、照星に貸し与えられた庵の表戸を叩く。大して長い期間離れていたわけではないが、いざこういう場面になるとどういう顔で臨んだものかわからない。応えがあったので木戸を引くと、一段高く設えられた板間に立つ照星が「ああ」とだけ言った。
 いかにも師らしい呆気ない出迎えである。
「ただいま戻りました」
 一声かけ、頭を下げる。忍術学園から佐武村まではそれなりに長旅である。蛍火は旅装を解き手足を洗うと庵に戻った。庵の濡れ縁で照星が火縄銃の手入れをしている。蛍火はその背後に膝をついて座った。
 照星は手入れの手を止めないまま、ちらと蛍火に視線をやる。
「一年は組に百点をとらせることは出来なかったらしいな」
「……力及ばず、お恥ずかしい限りです」
「いや、あの子らに百点を取らせるのは無理だろう」
「な、なんてことをおっしゃるんです」
 照星の辛辣な物言いに蛍火は泡を食う。一応この村の棟梁の息子がそこに含まれているのだ。誰に聞かれるとも知れない。
「でも、大変勉強になりました。貴重な機会を与えてくださってありがとうございます」
 蛍火が言うと、照星は気のなさそうに先目当てを覗き込んだ。
「私が行かせたわけではない。元はと言えば、おまえのとこのご隠居殿のご発案だろう」
「でも、教育実習生として行かせてくださったのは師匠ですし」
 曽祖父は忍術学園で働けと命じてきたのだ。事務員か書庫係か、まさか教える側にねじ込まれているなど思いもしなかったろう。久しぶりに会った場で、袴姿に煤だらけで現れた蛍火を見たときの曽祖父の顔を思い出すと、蛍火は今でも新鮮に笑うことができる。
 結局、曽祖父は遠縁の若い男を養子とし、家を継がせることにしたらしい。どうやらその妻に蛍火を据えられぬかと淡い希望を抱いているらしいが、せいぜい曽祖父の寿命が尽きるまで逃げ回るつもりである。
「実は、しんべヱのお父上から仕事の紹介がありました。忍術学園には、色々な生徒がおりましたから。師匠はきっとこれを見込んで私を忍術学園に送り出してくださったんでしょう?」
 蛍火は微笑む。照星は今後の稼業に役に立つ人との繋がりを得るために己を学園に送り込んだのであろう、と蛍火は踏んでいた。だが照星は怪訝な顔を蛍火に向けた。
「いや、全くそんなことはない」
「……えっ?」
「福富屋から仕事を取ったのか……おまえ、営業に向いてるんじゃないか」
「そ、そんな心底感心した顔しないでください……」
 十年師事して力量を認められたのが別分野では笑うに笑えない。蛍火はぶんぶんと首を横に振ったあと、埃っぽいままの髪の毛をついと耳にかけた。
「私にとっては、得るものの大きい実習でした」
「そうか。ならばよかった」
「せんせーの傍にいると、私が死ぬほど甘やかされていることに気が付けないので」
 蛍火が言うと、照星は眉をひそめて「別に甘やかしているつもりはないが」と鼻を鳴らした。蛍火は苦笑する。
「いえ、私がこれまでどれほど師匠に目をかけて頂いていたか、身にしみて思い知りました」
蛍火は木の床に拳をつき、礼をとる。
「照星師、真面目な話をしてもいいですか」
 蛍火は顔も上げられないまま、照星の反応を待つ。ごとりと重い音がした。火縄銃が濡れ縁に置かれた音であった。
「聞こう」
 視界の端で、濡れ縁に敷かれた板に照星の手が置かれる。蛍火はそれだけを見つめた。
「虎若——虎若さんに、私は何をやりたいのかと尋ねられました」
 若大夫にか、と照星の声が首筋に落ちてくる。蛍火は眉尻を下げる。
「恥ずかしながら、その場では答えられませんでした。それから、私なりに何をやりたいかを考えていたのです」
 学園で教鞭をとること、生家に戻り家を繋ぐこと、師のもとにあること。幸いなことに蛍火には多くの選択肢が与えられていた。だがどれも蛍火のなりたいものではなかった。
 蛍火のこめかみに冷たい汗が伝う。
「不肖ながら私も鉄砲撃ちの端くれ、当代随一の炮術家である照星師の傍にありたい。これまでのように手のかかる弟子ではなく、麾下として。あなたの手足となり、目となりたいのです」
 蛍火は視界の端の照星の手が、ぴくりとも動かないことから気を逸らす。照星は何も言わなかった。
「今のままでは、とてもそうはあれません。今回の実習で私は私の実力不足を痛感いたしました」
 尊奈門どころか、は組のよい子たちにさえ翻弄されるありさまであったのだ。蛍火は床に額を押し付ける。
「福富屋から紹介された仕事は、どうか私が、私の名で受けることをお許し頂けませんでしょうか。福富屋といえば堺でも屈指の大商人、ここで名を売れば私にも独り立ちの目がある。仕事を積み上げ、力をつけて、私は照星師に選ばれたいのです。偶然に、父に、時流に、押し付けられるのではなく。どうか、お願いいたします」
 自身の声が頭の中で反響する。蛍火が顔を上げられないままでいると、頭上で小さく溜息の音が聞こえた。
「顔を上げろ」
 低くそう告げられ、蛍火はおそるおそる顔を上げる。照星は錐で空けたような鋭い瞳孔を蛍火に向ける。
「好きにしなさい」
 照星は素っ気なくそうだけ言った。蛍火は喉を詰まらせ、一瞬脱力したあと、体を強張らせる。
「はい、好きにします」
 それが、照星の最大限の信頼であることが分からないほど、蛍火は馬鹿ではない。
 蛍火は床にへたり込んだままへらりと笑う。
「ああ、よかった。実はこの仕事、ある土倉の主人が里帰りする妻の護衛を雇いたいという話だったのですが、この主人がたいそう悋気深いらしく、若妻の護衛を血気盛んな男の用心棒にはやらせられないということでの募集だったのです」
 世の中は広いものだ。人が多く集まれば不可思議な需要も生まれるらしい。
 それを聞いた照星は眉をひそめる。
「それでは、はじめからおまえにあてた依頼だったのか」
「そうですねえ、照星師が許してくださらなければ、照星師が女装して参加するほかなかったやも」
「アホなことを言うな」
 照星は蛍火の額を平手で叩く。あいた、と蛍火は額を押さえた。