嬉しいことを言わないで





 天気のいい放課後である。窓の外からは他のクラスの生徒の楽しそうに遊ぶ声が聞こえてくる。乱太郎は外に遊びに行きたい気持ちとあくびをこらえながら、提出が目前に迫った計算の宿題に取り組んでいた。
 同じく、口をへの字にしながらしんべヱと喜三太も宿題に向かっている。一つ離れた机で、庄左ヱ門が授業の予習に取り組んでいた。
 それを見ているのかいないのか、蛍火は窓辺で火縄銃の手入れをしている。虎若が目を輝かせながらその姿を眺めていた。


 ことの発端は漢字の再テストの返却の時である。

「先生でもなんでもない私が言えた義理じゃないけど、試験範囲も必修問題も出したのに、この結果はあんまりでは?」

 溜息まじりの蛍火と裏腹に、は組の面々は返却されたテスト用紙を見てわっと歓喜の声をあげた。

「ぼく、二十二点!」
「おれ、三十七点!!」
「きり丸、すっげー!!!」
「苦労した甲斐があったぜ!」

 きゃいきゃいと喜び合うは組に閉口する蛍火は、普段彼らが視力検査のような点数しかとれないことを知らなかった。
 試験って百点満点だよな? とか、高い点数をとったからいいってわけじゃないのか? とか、そういうことをぐるぐると考える。

「ええ……待って……君達って、勉強好きなの?」

 蛍火がひとりごとのように呟くと、教室がぴたりと静まり返った。

「そんなわけないじゃないですか……」

 乱太郎は、何を言っているんだこの人は……という顔をした。忍術学園に入学してからこちら、そんなことを言われたことはない。優秀ない組ではあるまいし。

「いやぁ、私、学校通ったことないからよく知らないけど、一夜漬けでもなんでも試験に合格さえしてしまえばもう勉強しなくていいんだよね。じゃあ、ササッと合格すればいいんじゃないの?」

 えぇ……? と、今度はは組の良い子達が呆れたような顔をした。

「これだから大人は! 子供が勉強しても試験で結果が出せない気持がわかってないよなぁ!」
「そうだそうだ!」

 きり丸がそっぽを向き、しんべヱがそれに同調する。

「そうなの?」

 蛍火は首を傾げた。そうっす! ときり丸が大きな声を出す。

「おれたちは寸暇を惜しんで勉強したいとおもってるんですよ! アルバイトとか、バイトとか、小遣い稼ぎの間を縫って!」
「そう! 美味しいものを食べたり、お昼寝したりする間を縫って!」

 あんまり大変そうじゃない。
 蛍火はハァと相槌をうつ。

「宿題をしようにも難しくて進まないし」
「あ、なら、宿題みてあげようか?」

 放課後に。と蛍火は言った。きり丸は露骨に「墓穴を掘った」と顔を青くする。

「強制じゃないし、土井先生や山田先生ほど上手には教えられないけど、放課後はなるべく教室をうろうろしてるから、何かあったら質問してよ」


 と、そういうことがあった。

 最初はたまに庄左ヱ門が放課後の教室で予習復習や宿題をするくらいであったが、誰がいなくとも本当に蛍火がいつも教室で本を読んだり、書類仕事をしたり、ぼーっとしていたりするので、やがてぽつぽつと一人でやるよりは、と宿題をしたり、委員会の持ち帰り仕事をする生徒が増えた。今では、遊びに来る面子も含めて、必ず誰かが教室にいる。

 乱太郎の計算テキストにぬっと影が映り込む。ぱっと顔を上げると、蛍火と至近距離で目があった。

「手が止まってるね」

 言われ、乱太郎は眉尻を下げた。

「この問題がわからなくて……」

 蛍火が身を乗り出し、乱太郎の手元を覗き込む。蛍火のつむじからぴょんと跳ねた髪の毛を、乱太郎はなんとなく眺めていた。

「え? なに? はげてる?」

 乱太郎の視線に気付いた蛍火が、不安そうに自分の頭頂部に触れる。
 ちがいます、と乱太郎は笑った。

「むしろもっさもさです」
「それはそれで傷つく」

 蛍火は、それなりに手入れはしてるんだけどな、と結った髪に触れる。

「蛍火先生、ぼくたちの宿題を見るの、大変じゃないんですか?」

 乱太郎が何の気無しに問うと、蛍火は怪訝そうな顔をした。

「いや別に……宿題を見てるというか、私もここで好きなことしてるだけだし」

 うーん、と蛍火は口元に手をやる。ここでやらなければ、自室か屋外でやるだけの作業だ。どこでやろうとさして変わらない。

「前も言ったけど、学校に通ったことがないから、みんなが集まって何かしているのを見てると楽しいし、そこで作業してると自分もは組の一員みたいで嬉しいんだよねえ」

 そう言って笑う蛍火に、乱太郎は目を瞬かせる。

「そうなんですか?」
「そうなんだよ。教育実習生じゃなくて、生徒としてここに来たかったよ」

 照星師がもう少し早く忍術学園と関係を結んでいたら、上級生に編入できたかもしれないけど、と蛍火は残念そうに肩をすくめて見せた。
 あーあ、とやや大げさに溜息をつく蛍火を、乱太郎がぽかんとして見ていた。

「蛍火先生は一年は組の教育実習生だから、一年は組の一員ですよね?」
「へ?」
「だって、一応は組の先生だし……」
「そうなの?」
「違うんですか?」
「ちゃんと先生できてるかな?」
「ううーん、教え方はあんまり上手くないし、たまにすごーくおっかないけど、やっぱり先生だと思います」

 それを聞いた蛍火が、すっと床に伏せた。顔を隠して手足をじたばたする蛍火を、虎若がカルカでつついた。うつ伏せのまま、蛍火がぴたりと動きを止める。

「火縄銃の部品を粗末に扱うなよ」

 はぁい、と虎若はカルカを元の位置に戻した。

「蛍火せんせ……どうしたんですか?」

 おずおずと尋ねる乱太郎に、蛍火は顔を隠したままむぐむぐと答える。

「感涙にむせび泣いてるとこ」

 はぁ? と乱太郎は首をかしげた。蛍火は妙に硬い表情のままむくりと顔を上げ、膝を揃えると。

「わかった。喜車の術か」

 と、言う。

「蛍火先生を喜車の術にかけてどうするんですか……」

 乱太郎が呆れ顔で言うと、蛍火はそうだよねぇと項垂れた。

 それを見ていたしんべヱと喜三太が囁きを交わす。

「蛍火先生、どうしちゃったのかな〜?」
「きっと、ストレスで頭がおかしくなっちゃったんだよ。優しくしてあげなきゃね……」

 それから数日だけは、は組のみんなが妙に蛍火に優しかった。