SEVEN



【傲慢】


 己が強大なファザーコンプレックスをこじらせている自覚はあった。産まれた――作られた、というべきか、そのときから数多の魂の奥底の、核の部分に刷り込まれたそれは、情愛でも色欲でもなく、もはや崇拝に似ていた。傲慢たる己が唯一頭を垂れるのは、ただ父上ひとりだけであった。だから、彼女を見たときに感じるのは、強烈な同族嫌悪であった。

「お姉さんは、ばかですね」

 小さなあどけない手が、シハナの手を握った。手と声のいとけなさに比べて、その内容と口調のなんと苛烈なことか。シハナは苦笑する。

「おや、セリム様、いけませんよ。こんなところにいては。また護衛をまいたのですね」
「ときおり様子を見てやらねば、犬は誰が主人かすぐ忘れますから」

 シハナの目が笑んだ。それは見慣れた追従の笑みでも、殻の愛らしさに目を細めたのでもなかった。それは、どちらかというと、嘲笑であった。

「なんです、その顔は」
「護衛の方達が可哀想でしょう。叱責をうけるのは、セリム様だけでは済まないのですよ。もちろん、私だって閣下に叱られてしまいます」
「質問に答えなさい。その顔は、なんだと、聞いているのです」

 噛んで含めるように問う。ざわざわと足下に伸びる影が蠢く。シハナは肩をすくめた。

「さあ、もとよりこういう顔です」
「いい加減になさい。貴女も、義父も、その命がこちらの手の内にあることを忘れぬよう」

 それですよ、とシハナは言った。プライドは眉をひそめる。

「鎖に繋がれた犬を怖がるなど、愚か者か臆病者だけです。そうでしょう?」

 かっとプライドの頭に血が上る。本当に、人の神経を逆なですることにかけては、他の追随を許さない。他人に取り入るときと同じ器用さで、シハナは人の最も触れてほしくないところを突く。基本的に人間という生物を下等と見下すプライドには出来ぬ芸当だ。

「だから貴女はばかだというのです。血の繋がらぬ男などを義父と慕い、それゆえに縛られるなど」

 プライドは言った。シハナは笑った。しかしそれは多分意味のない笑みだった。

「血縁を愛でることは、獣でも出来る」

 ああそうか。プライドは最も屈辱的なそれに気づいてしまった。シハナの見たときに感じるは同族嫌悪などではない。己より下等な生物のくせに、己と同じようで、己よりずっと自由なこの女が、ひどく、傲慢の肥大したプライドを傷つけたのだ。





【憤怒】


 ああ、なるほど、得心がいきました。とだけ、目の前の女は言い、酷薄そうな薄い唇をゆるりと弧の形にした。ブラッドレイ――ラースは、彼女の義父を遠目にしか見たことがないが、エンヴィーはその笑顔を「父親そっくりのえぐいスマイル」と評していた。
 外見だけでなく中身も酷似しているようで、この国の成り立ちを話して聞かせても、眉ひとつ動かさない。ただ義父の思惑に言及したときだけ、灰の瞳がやや翳った。
 女――シハナ・S・キンブリー大尉を、ブラッドレイは正面から見据える。

「もっと驚かないのかね」
「閣下が人造人間であることを、でありますか。私は錬金術に疎いですので、それはどうともお答えしかねます。個人的見解を述べさせていただくならば、錬金術で人間が錬成可能であることを、特に不思議だとは思いません」

 ほう、とブラッドレイは口の端を上げる。あの紅蓮の錬金術師の義娘というから期待したが、そっちの素養は全くないらしい。好都合といえば好都合であった。手駒は刃向わぬほどには利口で、面倒くさくない程度に愚かな方がいい。それを言うならば義父の方は、あまりに賢しすぎた。いつ戯れにこちらの手を噛んでくるか分からない。であるから、使いどころは限られる。優秀だが扱いにくい。
 それに、とシハナは続ける。

「今日日、軍事国家なぞ流行らんでしょう。収奪はさらなる収奪を必要とし、内部の不満は膨らむばかり。そんな火車を回し続けねばならぬほど、この国に資源が乏しいか。否、錬金術という固有の資源がある。では、統治者が無能か。否、建国以来と称されるキング・ブラッドレイ大総統閣下であらせられる。では、なぜ。戦争のための戦争であったから、領地拡大のための領地拡大であったから、建国のための建国であったから。しっくりと腑に落ちた次第であります」
「それも義父の受け売りかね」

 言うと、ふとシハナは笑った。

「いいえ。義父は錬金術師であります。義父にとって世界とは流れのひとつであり、読み取るものであって追及するものではないようでありました。義父にとっての世界は、己を巻き込んだ空気の渦のようなものでありましたが、私にとっては手の平の中のものであります」
「そうかね。手の平ひとつ、ままなっておらんようだが」

 鋼の義手を揶揄すると、シハナは数度その手を握った。

「まこと、世界とはままならぬものであります。大総統閣下」

 ブラッドレイは哄笑する。

「言いおるわ、人間。なるほど、見かけよりずっと莫迦ではないようだ」

 ひゅ、とサーベルを抜き、シハナの頸に突きつけた。シハナの薄皮一枚裂いた鋼のそれに、灰色の無感動な目が映る。

「しかし、小賢しすぎるな。やはり始末しておくべきか」

 シハナは口を開き何か言いかけたが、迷うように瞳を移ろわせ、口を閉じた。興が削がれた。ブラッドレイは剣をおさめる。

「冗談だ。シハナ・S・キンブリー大尉。本日をもって大総統府直轄、大総統付きに任ずる。存分に、この国のために尽力したまえ」
「身に余る僥倖、光悦至極に存じます。この身朽ち果てようと、我が愛する祖国のために邁進する覚悟であります」
「なに、あまり気負うな。どうせ死体が腐り果てても手足は残るだろう」
「イエスサー」
「ときに、君の言うこの国の在り方は君達親子に似ていると思わんかね。悪徳のための悪徳、非道のための非道、殺戮のための殺戮」
「イエスサー」





【嫉妬】


 嫉妬という面倒な本質を背負わされたがために、エンヴィーは胸を掻き毟りたくなるような焦燥感に身を焦がされ続けてきた。姉のように人間に好意を寄せることも、兄のようにまるきり人間を下等と歯牙にもかけぬことも出来ない。
 人間は馬鹿でクソでどうしようもないから、精々苦しんでのた打ち回ってほしい。それはこの女に対しても同じであった。
 ぱん、と軽い音がして己の額が血を吹く。拳銃の持ち主は額を抑えて呻くエンヴィーを見てへらへらと笑った。

「てめえ……なにすんだよ!」

 額を抑える指の間からシハナを睨みつけると、うん? とシハナは首を傾げる。

「発砲しました」

 ぱん、ぱん、と続けて二発。体のあちこちから血を吹くエンヴィーを見て、シハナは声をあげて笑った。こんな鉛玉で死にはしないが、己の中の命が目減りしていくのは見過ごせない。

「なんだってんだ、なんだってんだよ急に!」

 他の駒より従順で有能なシハナが、まさか約束の日を目前に裏切るとは思わなかった。ぬかったのだ。やはり、義父の死は伝えるべきではなかった。

「パパ殺されて怒っちゃってんの?」
「何を言っているのですか。違います」

 ぱん、ともう一発。

「ぱんぱんぱんぱん撃ちやがって! 死ななくてもやっぱりちょっとはいてぇんだぞコラ!」

 めきめきと軋むような音とともに、エンヴィーの中性的な肢体が変形する。黒い総髪、青い瞳、余裕の滲む笑み、ひるがえる白いコート。

「この姿では手が出せないでしょう? シハナ」

 二度とこの世では見えることのない姿に、シハナの引鉄を引く手が止まった。エンヴィーは内心せせら笑う。だから、人間は馬鹿だというのだ。肉の詰まった皮袋のくせに、皮一枚で容易に騙される。

「さあ、銃を置きなさい」

 シハナは素直に拳銃を置く。エンヴィーは口の端を歪めた。ひゅ、と空を切る音、左頬への鈍痛、気付いた時には、キンブリーの姿をしたエンヴィーの頸は、270度ほどねじれていた。頚骨が軋み、ねじ切れる。文字通り鉄拳の衝撃に耐えきれず、エンヴィーの顔面は半壊した。
 倒れたエンヴィーの顔を、シハナはサッカーボールのように思いきり蹴飛ばす。赤い血と白い脳味噌が飛び散る。
 血だらけの拳を握り、エンヴィーの顔を蹴り続けながら、シハナは哄笑した。

「まさか生きているうちに親父殿を思いきりぶん殴れる日が来るとは!」

 生きててよかったああぁぁ! と、シハナは吠える。

「ああ、なんでした? なんで裏切ったかって? さあ、なんででしょうね。退屈だったからですかね。死なない人間を殺すって面白そうでしょう? どっちに転んでも私達に明日は無いんです。なら、せいぜい引っ掻き回して、でっかい花火を上げましょう」

 それに、とシハナは付け足す。

「そうですね。少しだけ腹も立ちました」

 しかしエンヴィーの破れた鼓膜にその呟きは届かなかった。





【怠惰】


 シハナは足元を見下ろす。この固くしっかりとした地盤の下に、錬成陣がはりめぐらされていると思うと、妙な感じがした。
 いまだ見たことのない人造人間の一人、怠惰の名を冠したスロウスが、そこにいるらしい。ラストは、どうしようもなく面倒くさがりな子よ、そこが可愛いのだけれど、と言っていた。しかし、いくら永遠に近い寿命を持つ人造人間でも、建国以来ずっと穴を掘りっぱなしとは、どう考えてもめちゃくちゃ働き者ではないか、と思う。
 シハナは日々なんの変化もなく黙々と目の前の土くればかりを弄繰り回す日々を思い、そんな生活をするくらいなら死んだ方がましだ、と思った。





【強欲】


「ははあ、人間でも人造人間になれる、と。これはもはや言葉の定義に問題があるように思いますが」

 まじまじとグリードの顔を覗き込みながら、シハナは言った。グリードはうるさそうに顔をそむける。

「人造人間というか、ホムンクルスだからな」
「何が違うのですか」
「何って、……なんだろうな」
「私に聞かないでください」

 シハナは呆れたように言った。それから続けて口を開く。

「じゃあ、私もなれますか?」
「ああ? 無理無理。おまえなんか、一発で賢者の石に食らいつくされて死んじまう」
「そうですか。それは残念」
「そんなもん、なってどうするってんだよ」
「さあ、でも、面白そうでしょう? どうせ短い一生ですから、一度くらいホムンクルスになってみたっていい」

 笑うシハナを、今度はグリードが呆れて見つめる番だった。

「なるとしたら、おまえの背負う名は何になるんだろうな」
「うーん、考えなしとか、無鉄砲とかですかね」
「そんなポジションねーよ。ちょうど空席だし、色欲はどうだ」
「どうでしょう。あまりそういうものに身を焦がしたことはないのですが」
「じゃあ、暴食」
「普段から粗食ですよ」
「嫉妬」
「妬くほど他人に興味が無いです」
「怠惰」
「御国のために粉骨砕身の職業軍人です」
「憤怒」
「いい大人ですから怒りくらいコントロールできます」
「傲慢」
「己も他人も等しく価値がない」
「……オレの後釜」
「強欲ですか? 欲しいものは特にないのですけれど」
「おまえ、何が楽しくて生きてんだ?」
「失礼ですね」

 とにもかくにもこの世のすべてが欲しい強欲のグリードだが、この女だけはいらねえやと顔をしかめた。





【暴食】


 おでのおとーさまはすごいおとーさまだけど、シハナのおとーさんもすごいっていってた。
 おでがどうすごいの? ってきいたら、シハナにいろいろっていわれた。
 おでが人間を、ぼりぼり食べると、人間はいやそうな顔をする。でも、シハナはいやそうな顔をしない。だから、おでは、シハナがすき。
 シハナはラストににてる。おではラストがすき。だから、シハナもすき。どこが、にているかというと、女の子のところとか。でもシハナは人間だから、いっかい、食べようとしたら、いっぱいなぐられた。
 ごめんなさいっていってもゆるしてくれなくて、ちょっとこわかった。エンヴィーが、食べていいって言ったのに。エンヴィーは、いっぱいなぐられるおでをみて、わらってた。ラストが止めてくれて、シハナはなぐるのをやめた。おではもうにどとシハナを食べようとしませんと言った。シハナはゆるしてくれた。よかったわね、とラストはいった。エンヴィーはつまらなそうだった。





【色欲】


 あらあら、と、ラストは己の穴の開いた腹部を見下ろした。戯れにシハナの口中に己の舌をねじこんでみたところ、ラストの腹に当てられた鋼の掌から、フックがゼロ距離で射出されたのだった。ぎゅるぎゅるとウインチが巻かれると、肉と血を巻き込みながら、それは義手の中におさまる。
 炸裂した腹部の肉は、内側から盛り上がり、何事もなかったかのように皮を張る。ラストは唇についた血を舐めた。

「ぶち込まれるのは好きよ」
「すみません、驚いたので」

 シハナは平然とは言えぬ様子でそう言った。煮ても焼いても食えぬと思っていたが、案外初心であったらしい。ちょっと困ったように下げられた眉が、可愛らしかった。
 父親から切り離された情動のうち、色欲だけは独りでは生まれないし満たされない。そのためかどうかは知らないが、ラストはおおむね人間に好意的であった。それゆえに人間の蛮行を悲しくも思う。それはこの、狂気が服を着て歩いているような親子にも等しく向けられた。あっさりと拒絶されたが。

「キスくらい、なんでもないでしょう?」
「なんでもあります。びっくりした」

 シハナは己の唇を数度、触ったりこすったりした。いくらなんでも、そこまで慌てふためかなくたっていいだろう。ラストは艶めく唇をふっと緩めた。

「あら、大好きなパパとはしなかったの?」
「しませんよ。貴女は父親や兄とセックスするんで――――いえ、答えなくていいです」

 シハナは額に手をやり溜息をついた。ラストは意外に思って目を細める。とかく、この親子は、この世の悪徳という悪徳を片端から実行しているように思っていたから。

「だって、血のつながりはないんでしょう?」
「それでも父親ですよ。薄気味悪いこと言わないでください」
「愛しているのに?」
「それとこれとは話が別です」
「どうして?」
「どうしてって……どうしてでしょう?」
「分からないわ。特に私には」

 ラストは色欲である。愛は分からずとも、色欲は分かる。人間の愛は色欲と切り離せない。だから、ラストは愛を装うことはできた。そして、愛に憧れた。ラストは、彼女の薄暗く潔癖な愛に似た何かを、ひどく羨ましく思った。