砂上の楼閣




「人はもっと生きる喜びを知るべきだと思いませんか。もっと命に感謝すべきです。人が繊細に生きるには、恐怖が必要です。私という恐怖で、人々に違う生き方を強いることが出来る」

 シハナがそう独り言のように呟く。

「……はあ、まあ、それはそれで構わないとは思いますが、貴女が人を殺す理由をそうやって無理矢理でっちあげるのはどうかと思いますよ」
「ああ、ばれましたか」
「貴女が人を殺すのは、貴女がイカれているからです」
「キンブリー少佐にだけは言われたくありません」

 どこまでも砂だらけの地のどこかから、地響きとかすかな悲鳴が聞こえてくる。砂をふくんだ風に、シハナは外套のフードを深く被り直した。

「キンブリー少佐」
「なんです、キンブリー少尉」

 士官学校への入学のため、間に合わせに養子縁組したシハナをからかい半分にそう呼ぶ。慣れはしないが嫌ではないようで、シハナは冷たい灰の瞳をキンブリーに向けた。

「上着くらいお召しになってはいかがですか」

 タンクトップ姿のキンブリーはわずかに眉を上げる。

「何故です」
「保護色の外套なしでは索敵されやすくなり、強い日の光の下に長時間にわたって肌をさらすのは危険だからであります」
「おや、士官学校でよく学んだようですね。入学させた甲斐があった」
「それに、父親の露出なんて求めてないからです」
「……反抗期ですか?」
「貴方を敬愛する娘からの、心からの忠告であります」

 シハナの抱えた小銃ががしゃりと鳴った。
 ふう、とキンブリーは息を吐く。口の中がじゃりじゃりした。この拙い親子ごっこが、キンブリーは殊の外気に入っている。何故だろうか。己も、シハナも、そういうものが向いているとは思えないのだが。

「分かりませんか。上着があっては、この震えを、熱を、悲鳴を、肌で感じられないでしょう」

 フードを目深に被り、襟巻きを巻き、ゲートルだけでなく、前腕まで覆うグローブの上から袖口を布で巻く、という重装備のシハナの頬を、無粋ですねえと指でつつく。指先にざらりと細かな砂が着いた。

「機械鎧に砂が詰まるのです。そうでなければ、こんな暑苦しい恰好はしません」
「おや、不便な体ですね」
「おかげさまで」

 シハナは小銃を構え、引き金をひく。崩落した住居跡に隠れたイシュヴァールの民が、一人、砂上に伏した。血は広がらず、砂に染み込んでいく。

「銃は嫌いだったのでは?」
「そんなことはありません。道具は使いようです」

 シハナはキンブリーそっくりに笑う。血は繋がっていないはずなのに、と、キンブリーは因果を思った。
 銃声に反応して、物陰から兵士が飛び出してくる。荒廃した土地の化身のような屈強な身体を砂除けのマントで覆い、身に太陽を宿したかのような強靭な意志を映す赤い瞳を殺意でぎらつかせる。

「そうら、道具は使いようと言ったではありませんか。あはははは」

 軽やかにシハナは笑い声をあげ、銃口を空に向ける。広い空に向けられて、それは、ぱん、と間抜けなほどに軽い音をたてた。
 気合の入った、或いは悲壮な雄叫びとともに背後に迫るイシュヴァールの民の顔を、シハナは振り向きざまに銃床で殴りつけた。ぱん、と音とともに倒れた男の眉間に穴が開く。
 やれやれ、と己が両の掌を合わせるのを見たシハナの顔が引きつるのが視界の端にちらと写った。
 肚の底が震えるような爆音。誰のものとも判別の付かなくなった炸裂した人体がぼたぼたと砂上に落ちる。手足に伝わる砂でこもった振動。小規模な爆発は砂地で反響することもない。

「ふむ、いまいち」

 キンブリーは顎に手をやる。いつの間に退避したのか、己の足元で伏せるシハナの脇腹を軍靴の爪先でつついた。

「もう少し敵を一所に集めるべきでしたね」
「し、し、死ぬかと思った……!」
「本望でしょう?」

 シハナはよろよろと立ち上がり。べっと砂を吐く。
 上空から手投げ弾が弧を描いて落ちてくるのを見、キンブリーはシハナの襟首に手をやった。襟首を捉えるより先に、シハナは左腕でキンブリーの腰を抱え、右腕の機械鎧からフックワイヤーを射出する。半ば崩れた住居跡にフックを食い込ませ、一気にウインチを巻き上げた。
 腹部に衝撃。胃袋がせりあがる。朽ちた建物の屋根のない二階部分に、やや乱暴に下ろされた。
 フックを外したシハナは、掌をイシュヴァールの民に向けた。僧兵の逞しい胸部にフックが深々と刺さると、機械鎧がぎゅるるる、と唸る。頑健なイシュヴァールの僧兵の身体が、まるで玩具のように宙を舞った。まっすぐに右手の方へ引き寄せられるそれを、シハナは鋼の拳で殴り抜く。一瞬、ぐちゃぐちゃになった顔と目があい、それは重力のまま階下に落ちた。
 キンブリーは鈍く痛む腹をさする。

「もう少し優しくしてくれてもいいのでは?」
「キンブリー少佐、私を盾にしようとしましたね」
「ええ。少佐である私を守るのが、キンブリー少尉、貴女の仕事でしょう」
「仕事なんかで死にたくないのですよ、私は」

 言い切るシハナに、キンブリーは大仰に溜息をついてみせた。

「どうしてこんな子に育ってしまいましたかねえ……」
「さて、育て方が悪かったのではないでしょうか」
「まったく、親の顔が見てみたい」

 己の意志を貫き仕事を全うする美しさを叩き込んだはずであったが、シハナはまったくキンブリーの思うようには育たなかった。彼女は享楽的である。真摯に、誠実に、享楽的であった。だが、己の教育の下にあっても頑として主張を変えぬ義娘を、キンブリーは美しいと思うのだ。その主張の内容はどうあれ。

「仕事とか、そんなの、関係ないですよ。私は私のやりたいことをやって、それで、死ぬんです」
「そのやりたいことが、人殺しですか」
「そういうときもあります」
「狂っている」
「キンブリー少佐こそ」

 ふふ、とシハナは笑う。砂にまみれたざらざらとした笑みだった。己は義娘を自分以上に破綻していると思っている。だが義娘は義父を自分以上に狂っていると思っている。その不均衡がなんだかひどく居心地良かった。