帰宅
本来であれば輝かしいはずのこの年代を、火薬と硝煙と土と泥にまみれ、日々むさ苦しい男共の怒号と悲鳴の飛び交う中で過ごすことがあっていいものか。いいや、いいわけがない。
「……別にいいと思いますが」
シハナの返答にレベッカはあーと大げさに額へ手をやった。
「これだから彼氏持ちは!」
「ははは、一昨日フラれましたがね」
「なんですと!?」
レベッカは身を乗り出す。とても楽しそうだ。
「格闘の実習でたまたまペアになりまして、新しい関節技を試したら……」
こう、ボキッと。と、シハナは胸の前で木の枝を折るような仕草をしてみせる。
「は!? そんなことでフラれたの!?」
ちっさい男ねぇ! と何故かレベッカの方が強く憤慨する。
「これだから士官学校のボンボンは嫌なのよ!プライドばっか高くて! あーもー腹立つ! シハナ、合コンよ! 合コン!」
「へ?」
「実はねー、今度の休みにパーティに誘われてんの」
ふっふふー、とレベッカは人差し指をたてた。
「聞いて驚くなかれ、相手は学者、インテリよ!」
迫力に気圧されてシハナは頷く。さすがは士官学校きってのタフガールである。日々に追われて生きている自分とは違い、熱意をもって充実した人生に取り組むレベッカを少し羨ましく思う。
「よーし、これでリザとシハナを確保ね」
「え、私も!?」
隣で本を読んでいたホークアイが飛び上がる。完全に我関せずを決め込んでいたらしい。
「当たり前じゃない。あんたがいないと次から誘ってもらえなくなるでしょ」
「でも予定が……」
「なによ」
「街のガンショップで――」
「却下、連行決定」
「最後まで聞いてよ!」
「いやよ」
「レベッカ、パーティって何を着ていけばいいんですか」
「おっぱい出しときゃ大丈夫よ」
「アイマム」
******
退屈な音楽が流れる室内で、シハナは天井でくるくる回るファンを眺めていた。レベッカも半ば死んだような表情で黙々とナッツを食べている。リザだけは兵器開発部の男達と熱心な議論を交わしていた。
明るく、外交的なレベッカに大勢の男たちが声をかけてきたが、そのあふれるエネルギーに圧倒され次々撃沈させられている。
「あー、軍人もダメ、インテリもダメ、どんな男ならいいのよ!」
「さあ……猟師とかですか」
「ちょっとそれどういう意味」
「なんでもございません」
シハナは両手を挙げる。あ、とレベッカは何か思い出したように、退屈そうにソファに凭れ掛けさせていた体を起こした。
「一人、すっごいいい男がいたのよ!」
「へえ、レベッカの御眼鏡にかなうとは」
「さっき二階のバルコニーで見かけたのよ! 物腰穏やかな紳士だったけど、私の目は誤魔化せないわよ! あれは鍛えこんでる体ね! 脱がせてやりたいわ!」
「……おぉう」
熱くなる方向が間違っている。「脱がせてやりたいわ!」の部分で、背後で談笑していた男がギョッとしてこちらを振り向いた。
レベッカは興奮気味にシハナの腿を平手で叩いた。
「あ、あの人! ほら!」
「レベッカ、痛いですって、ぇあ!?」
レベッカの指す、黒髪を束ねた男を凝視する。ラフにシャツとスラックスを合わせている。見間違いではないか、と一度目を閉じ、目を開ける。しかし、それは確かに己の義父その人であった。
キンブリーは女性と談笑していたが、シハナの姿を見とめると笑顔を一瞬だけ凍りつかせた。珍しいものを見た。7、8年は一緒にいるが、初めて見る表情だ。
「ね、いいでしょ!」
「お? あ、……あー。……そうですね」
「何よその言い方」
キンブリーはつかつかとこちらへ歩いてくる。ああ、いやだなあ、何を言われるんだろう。シハナは目を泳がせる。
休暇は寄宿舎からキンブリーのもとへ帰るつもりであったのを、理由を言わずに一日遅らせたのだ。
「シハナ」
キンブリーがそう言うのを聞いて二人が知り合いだと察したレベッカは、シハナのシャツの裾をひいた。
「紹介して」
そう、小さく耳打ちして、いそいそと髪を耳にかける。
「奇遇ですね、まさかこんな場所で」
キンブリーは笑みともつかぬ顔のままそう言う。
「そうですね、驚きました」
正直な感想だ。レベッカの熱い視線を受け、シハナはため息を一つついた。
「ええと、彼女は士官学校の同期で友人のレベッカ」
よろしく、と二人は握手する。
「はじめまして、ゾルフ・J・キンブリーです」
「……キンブリー?」
レベッカは眉を上げる。
キンブリーはにこりと笑い返した。
「娘がお世話になっております」
「む、む、む、む、むすめっ!?」
レベッカはシハナの鼻先を指差す。その指を掴んで反らしながら、シハナが答える。
「養子です」
一回りしか年齢は変わらない。それを言うとレベッカは少しだけ安心したような複雑な顔をした。
「あらー、お父様……シハナの……」
「そうですよ。ボーイフレンドとしてはお勧めしません」
「同い年の娘なんていらないわよ」
「ですよね」
そもそも深く付き合うのに向いた男ではない。世間一般を装うために、多からず少なからず恋人もいたが、誰も長続きしない。
内面に踏み込むことを決して許さないキンブリーに女たちは不信感を抱き離れていく。少しでもその昏く淀んだ深淵を覗いた女は、這う這うの体で逃げて行った。これでも友人思いな方なのだ。
「ごめんなさい、レベッカ。私、今日は帰ります」
「え、そんなぁ」
「父親の前でボーイフレンドを探す気にはなれませんから」
「あー、そうよね」
主催者に簡単に詫び、帰り支度をするシハナにキンブリーが上着を羽織ながら声をかけた。
「さて、お嬢さん、このあと食事でもどうです?」
「やめてください、気味の悪い」
「冗談です。夕食は済ませましたか」
「いいえ、まだ」
「それではどこかに食べに行きましょう。ここの食べ物は不味い」
「……そういうことは、せめてここを出てから言いませんか」
シハナはため息交じりに言い、ドアを開ける。冬の冷え込んだ風がすうと頬を撫でた。
「東部は冷えますね」
シハナは上着の前をかき合せる。キンブリーは白い息を吐いた。
「食べ物が美味しいところは好きなのですが」
「さっきのパーティの食べ物は不味かったですよ」
「どこまで根に持ってるんですか」
普段は食にそこまで執着しないくせに、とシハナは肩をすくめる。機嫌が悪いのだろうか、と男の横顔を盗み見た。
「悪いですよ」
急な一言にシハナは面食らう。
「何がです」
「機嫌」
「……ああ」
そんなに分かりやすい顔をしていただろうか、と己の頬に触れてみた。
「本来、学業に専念すべき学生が、ああいうパーティに参加するのは頂けませんね」
意外とまっとうな忠告をされて気まずくなる。親か! と内心思い、すぐに親だった! と思い直した。
「それは……ええと、すみません」
「何があるのか分からないのですから」
「たとえば、父親が出席していて友人が目をつけていたり」
キンブリーが黙る。街の喧騒だけが聞こえた。
「出たくて出たわけではありませんよ」
「私だってそうです。では、この話はもうおしまい」
ね、とシハナは首を傾げる。キンブリーは何か言いたげであったが、矛をおさめた。
南部生まれで、キンブリーに引き取られてからは長いこと中央暮らしであったシハナに、東部の冬は堪える。雪こそ少ないが、刺すような寒さだ。
キンブリーはシハナを東部の士官学校に入学させた。その後すぐキンブリー自身も東部へ異動となった。理由は聞いていない。ただ「面白いことがありますよ」と言われた。それで納得した自分も自分だ。
「親父殿」
「なんです」
「私が学校に行っていて、寂しかったですか?」
「……何を藪から棒に」
不審そうな視線を向けるキンブリーにシハナは笑う。
「私は寂しかったです。今なら貴方が私を拾った理由が分かる」
己は己がおかしいことを知っている。養父の言葉を借りるならば、己は異端である。人間らしい幸せに幸せを見出せない。それでも、幸か不幸か、確かに人間であるのだ。一人ぼっちではいられない。
そうですか、とキンブリーは呟く。白い息がふうと立ち上った。
奇妙な入墨の入った大きな掌で、ぐしゃぐしゃと髪をかきまわされる。
「やめてください。子供じゃないんですから」
「子供でしょう。戸籍上は」
「そうですけど、そうではなく」
シハナは諦めてされるがままになる。
「なんなら、手でも繋ぎましょうか。童心に帰って」
冗談ですよ、と言う前に、義手でない方の手を掬い取られる。本気にされると思っていなかったシハナは目を丸くした。
自分から言い出した手前、振り払うわけにもいかない。妙に上機嫌な養父の横顔を見ると、そういう気持ちも失せる。ああ、この人も、人であるのだな、と思った。
頭のいい人であるから、人の心の機微にも聡い。それをどう活用するかは別として、だ。だから、キンブリーは己がずっと一人であったことを理解していたのだろう。
両親に惜しみない愛情を注がれ、友人付き合いをそつなくこなし、恋人に恵まれ、なお、彼は一人だった。
シハナは己が異端であると理解する前からキンブリーと一緒にいたから、その孤独は分からない。だが、想像は出来る。
ゆるく、手を握り返した。
「そして、食事をして、一緒にお風呂に入って、同じベッドで寝ますか、10年前のように」
「勘弁してください。父親でいられなくなる」
「おかげさまで魅力的に育ちまして」
けらけらと笑うシハナに、キンブリーは眉をひそめた。
「酔っていますか?」
「酔ってませんよ、失礼な」
握った手を、上着のポケットに突っ込む。
「あ、言い忘れていました」
「何をですか」
「ただいま帰りました、親父殿」
「はい、お帰りなさい」