恋のレッスン




 ギーヴは品定めするように目の前の女を眺めた。パルヴィンは手入れを終えた短槍を、重心の微調整のためにゆるりと振るった。彼女が常に荷を負うのに使っている短槍が、絶技という他の無い動きをすることを知る者は、アルスラーンにごくごく近い者だけである。 
 ゆるやかな円運動から、ひらめくように短槍がくりだされる。パルヴィンは納得がいったのか、二、三度左右の手で短槍を持ち替え、鞘におさめた。見ているだけであったギーヴは、手を打ち鳴らしながらパルヴィンに歩み寄る。

「さすが、野兎を捕える雪豹より美しい。その比類なき槍術になら、おれも捕らえられてみたいものだ」

 パルヴィンははたと手を止め、一瞬何か考え込んだ風に見えた。すぐに、ああ、と得心したような声をあげると、おさめたばかりの短槍から鞘を払い、腰を落とした。光る穂先がこちらを向く。

「手合せか、ギーヴ。君の武器はどうする」

 大真面目にそういうものだから、ギーヴは呆れて大きな溜息をついた。

「ちがう。パルヴィン、おれは今、おまえを口説いたのだ」

 自ら解説するほど馬鹿げたこともない。ギーヴの言葉にパルヴィンはぼっと顔を赤くした。それは口説かれたことに対してなのか、それとも間抜けな勘違いに対してなのか、どちらにしろ脱力ものである。
 パルヴィンは憤慨しているのか、恥じ入っているのか、よく分からない表情のまま、拗ねたように草叢に座り込んだ。ギーヴはいそいそとその傍らに座る。ファランギースに手痛くいなされるのも面白いが、パルヴィンを呆れながらからかうのも面白い。

「そういうのは、ファランギースに言ってくれ」
「こんなときに他の女性の名を出すなど、無粋ではないか」

 パルヴィンは困った顔をした。

「ギーヴ、あまりからかわないでほしい」

 ギーヴは芝居っぽく天をあおいで見せる。

「おいおい、パルヴィンもパルス女なら、色事の一つや二つこなせなくでどうする。そんな子供のような言い分で男がひくものか」

 ぐいとパルヴィンの手をとった。短槍を握らせれば自在に操るその掌も、ギーヴの手の中では殊の外小さく見える。意外にも、パルヴィンはその手を振りほどかなかった。
 思案気な表情が、ギーヴの紺の瞳を覗き込んだ。

「そうは言っても、みんな、そんなのどこで訓練しているんだ」

 訓練、とは。ギーヴは内心苦笑する。パルヴィンの目があまりに真剣であったから、さすがのギーヴも表立っては笑えなかった。

「ファランギースのように上手くギーヴをいなせるようになりたいのだが、どうすればいいだろうか」
「場数だな。反復あるのみだ。恋をしたときには、パルヴィンだって駆け引きをしただろう」

 ギーヴがそう言うと、パルヴィンは、困惑を通り越して絶望の表情を見せた。

「…………無いのか」

 それは想定外であった。何かとダリューンと恋仲ではないのかとからかわれるパルヴィンである。ダリューンとそういったことは一度も無いというのは知っていたが、他の男とも恋をしたことがないとは。まあ、マルダーンフマルダーンと畏怖尊敬されるダリューンが常に隣で睨みを利かせていれば、寄ってくる男は己のような豪胆な男だけであろう。そんな男はそうそういまい。

「ギーヴ、恋とはなんだろう」

 パルヴィンは真面目そのものの調子でそう言った。

「そんなもの、習ったこともない。人はどうやって恋をするんだろう。恋をしたら私はどうなってしまうのだろう」

 伏し目がちにこちらに向けられた不安そうな少女めいた瞳に、ほんの少しだけどきりとした。ようし、ここは、このギーヴが一肌脱いでやろう、と無用なはりきりが、下心とともにわいてくる。

「そうか、ならば、手始めにおれに恋をしてみるか」

 触れたままであった手の指を艶かしく絡める。ギーヴはパルヴィンの左胸に手を当てた。掌に、想像していたより柔らかいものが触れる。

「恋をすると、ここがざわめく。その姿を見、声を聞けばうるさく脈打ち、姿が見えず、便りがなければもやもやとする」
「うん」

 素直に頷くパルヴィンに気を良くしたギーヴは、胸に当てていた手をゆるゆると腹へ、その下へ下ろしていく。

「そうして、次にーーーー」
「私は恋のことはよく分からんが、ギーヴがそれにかこつけて私の体を触りたいだけだというのはよく分かった」

 短く持たれた短槍の穂先が、ギーヴの胸に当てられた。上着の上からちくりとギーヴの肌を刺す。ギーヴは降参とばかりに両の手を挙げた。

「いや、そればかりではないよ。もちろんパルヴィンの体は魅力的だが」
「ギーヴの話を真面目に聞こうとした私が馬鹿だった」
「そこまで言われてはおれも男がすたるというもの。どれ、それでは最後にくちづけの作法だけ授けて進ぜよう」

 ギーヴがパルヴィンの背に手を回しずいと顔を近づけると、パルヴィンの唇が何か言いたげに戦慄いた。封じ込めるように、唇を重ねる。柔らかな唇の間に舌を差し入れようとすると「パルヴィン!」と戦場と聞き紛う怒声が響いた。パルヴィンの体は大きく跳ね上がり、さすがにギーヴも身を固くする。
 草叢の向こうから、ダリューンが怒りの表情でこちらに向かってきた。

「出立だ! 遊んでいる場合か!」
「は、はいっ! もうしわけありません!」

 おもちゃのようにパルヴィンはびょんと立ち上がり、紐でもつけられているかのように真っ直ぐダリューンの元に駆けて行った。竦みあがりそうな圧で以てこちらを一瞥して行ったダリューンに、ギーヴはやれやれと首を振った。