飼い主の心得
「いいのか」
と、それだけ問うとナルサスはちらりと、後方からとぼとぼ着いてくる鹿毛に目を向けた。馬上では、散々叱られたパルヴィンが憔悴した様子で揺られている。今にも落馬しそうだ。
「自業自得だろう。逼迫したこの状況で、同士とくちづけを交わしているなど。不謹慎極まりない」
黒影号に跨るダリューンは、前を向いたままきっぱりとそう言った。はー、とナルサスは長い深い溜息をつく。ダリューンは若くして万騎長となった男である。武勇だけではなく、もちろん頭だって悪くはない。十分に切れる男である。だが、昔からそうなのであるが、ことパルヴィンに関するときだけは、馬鹿になるのだ。
「それは、パルヴィンも迂闊だったであろうが、恋は自由だろう。あそこまで怒鳴りつけなくたってよかろうに。おぬしとて、東方へ赴いた際は絹の国の美姫と浮名を流したというのになあ」
「……それとこれとは話が別だ」
頑なな表情でダリューンは低く唸る。ナルサスは首を振る。
「違うものか」
「いいや、違う。相手はあのギーヴだぞ。哀れな思いをするのはパルヴィン自身だろうが」
「それでは聞くがな、あそこでギーヴとくちづけていたのがファランギースどのであったなら、おぬしはそこまで激したか」
ダリューンはしばらく黙っていたが、馬蹄の音にかき消されそうな小さな声で「いいや」と返した。
「ファランギースどのは大人だろう」
「パルヴィンといくつも変わらぬよ。しっかりしろ、ダリューン」
ぐう、とダリューンは呻く。ナルサスはほとほと呆れ果てた。何かとパルヴィンを子ども扱いしてはパルヴィンに嫌がられているのだから、そろそろ学習すればよいのに。王宮で初めて出会った頃には、まだ少女といっていい年齢のパルヴィンが既にダリューンにまとわりついていた。詳しいことはしらぬが、かなり長い付き合いであるらしい。これ以上の適任はいないという理由で、軍内の汚れ仕事を任されるパルヴィンを、ダリューンが兄か父のように気にかけているのも頷ける。
「おいナルサス、おれはな、パルヴィンがあいつの短槍の半分ほどの身の丈しかない頃から知っているんだ。心配くらいしたっていいだろう」
開き直ってそう言い張るダリューンに、ナルサスはこれ見よがしに溜息をついてみせた。ダリューンの眉間に皺が寄せられる。
「ならば、そう伝えてやれ。あんな頭ごなしに叱りつけては、パルヴィンが可哀想だろう。謀反など起こされてはどうしてくれる。得難い人材だぞ」
「パルヴィンがおれを裏切るわけがない。おれがイアルダボート教に改宗する方がまだあり得る」
「はあ、なんだそれは。惚気か」
ダリューンは心底嫌そうな顔をした。
「そうではない。なぜおぬしらはなんでもそういう話にしたがるのだ」
「面白いからさ」
「こちらは面白くもなんともない」
「いや、真面目な話だが、そうまでしてパルヴィンの恋路を邪魔したいのならば、おぬしが恋仲になればよいのではないか」
「別に邪魔をしたいわけでは――」
「邪魔だろう」
ぐ、とダリューンは再び言葉に詰まる。
実際、ダリューンはパルヴィンの恋路の邪魔以外の何者でもない。ファランギースの隣にいるからこそ霞むが、パルヴィンもそう不器量というわけではないし、気性もごくごく生真面目である。女気のない軍中の若い兵士の中には、パルヴィンに満更でもない思いを抱く者もいるだろう。それを、ダリューンが常に一緒にいるばかりに、機会という機会を奪っている。
そう言うと、ダリューンはふんと鼻をならした。
「おれに怖気づく程度の男にパルヴィンが惚れるわけがない」
「おぬしに怖気づかぬ男はそうそうおらんよ。ああ、これでは、パルヴィンは本当に恋は出来ぬなあ」
だから、おぬしがもらってやればよいのに、とからかい半分に付け足すと、ダリューンは不意に真剣な顔をナルサスの方へ向けた。
「それは、出来ぬ。パルヴィンが真の忠義で以ておれに仕えてくれているのに、そんな不埒な思いを返しては、あまりに無礼ではないか」
ナルサスは面食らったが、目を伏せて口中「真の忠義、ねえ」と声にならぬ程度に呟いた。武骨で堅物な友人の横顔を盗み見、困ったものだと肩を落とした。