Marry me!





 宴席の端で、アルフリードは目を輝かせてパルヴィンの方へ身を乗り出した。

「パルヴィン、もう一回やってよ! 次は当ててみせるからね!」

 パルヴィンは笑うと、右手の人差し指と中指の間に挟んだ胡桃を、アルフリードの目の前にかざした。跳ね上げたそれを左手で掴み、指先でひょいと弄ぶと、右手で握りこんだ。

「どっちだ」

 目の前に突き出された両の拳にアルフリードは意気揚々と右手を指差しかけたが、はたと思いとどまったようであった。

「さっきはそうして間違えたからね。もうその手は食わないよ」

 そう言って、アルフリードは左拳を指差した。パルヴィンは黙って左手を広げる。そこには何もない。ああ! とアルフリードは声をあげた。

「右手か!」

 パルヴィンはにいと口の端を上げると、右手を広げる。そちらも空であった。アルフリードの闊達そうな瞳がくるりと丸くなる。

「うそだあ! どこいっちゃったのさ!」
「さあね、どこかなあ」

 パルヴィンは空とぼけて見せ、アルフリードの耳元に手をやった。手の内に胡桃が転がり出る。

「ああ、ここだ」

 パルヴィンにとっては芸とも呼べぬ手遊びであったが、思いのほかアルフリードには受けが良かった。微笑ましく目を細めるパルヴィンに、アルフリードは両手を叩いて喜んだ。

「ねえ、あたしの結婚式でさ、それやってよ」
「こんな地味な芸、せっかくの式が白けてしまう」
「そんなことないさ!」
「アルフリードとナルサス様の結婚式だろう。未来の宰相――いや、宮廷画家とゾット族長の結婚式だ。一流の楽団と奇術師を呼ばねば」

 そう言うと、アルフリードは納得したのか、引き下がって頷いた。手にした玻璃の器に浮かんだ果実を眺める。華やかな結婚式には、そういう飲み物がよく似合うだろう。

「あたしね、衣装はもう決まってるんだ。母さんと祖母さんが作ってくれた花嫁衣装があってね。綺麗な空色で、赤と金の糸で刺繍がしてあるもので、とても立派なんだよ」
「それはいい。アルフリードには空色がよく似合う」
「今は兄者に預けてるんだけどね――――パルヴィンは、結婚はどうするんだい」

 急にそう振られ、パルヴィンは胡桃を転がして遊んでいた手を止めた。ううん、と軽く唸る。

「いずれするだろうなあ」
「そっか、ダリューンとかい」
「それは無いよ。残念なことだけど」

 パルヴィンが苦笑気味にそう言うと、アルフリードは邪気ない瞳をして首を傾げた。

「どうして」
「どうして、と言われても……ダリューン様は主だから」
「主だと駄目なのかい?」
「ナルサス様はエラムと結婚しないし、殿下はダリューン様と結婚なさらないだろう」
「男同士じゃないか」
「ああ、そうか……いや、うーん」

 困り果てたパルヴィンに助け船を出したのはファランギースであった。パルヴィンの肩に白い繊手が置かれる。

「大人は何かと難しいのじゃ。なあ、パルヴィン」

 笑うファランギースと、納得のいかぬ顔をするアルフリードを比べ見、パルヴィンは肩を落とす。ファランギースに付き纏っていた酔漢の眉間へ向けて胡桃を指で弾いた。ぎゃ、と悲鳴をあげて男は顔をおさえ、すごすご退散する。

「なんじゃ、目の一つでも潰してやればよかった」
「あれでも殿下の大切な兵士だろう」

 一兵たりとも欠かせぬ。そう言うと、ファランギースは手にした酒杯に唇をつけた。

「まっこと、パルヴィンは忠義深い」
「ファランギースに言われると、からかわれている気がするよ」
「からかっておるのよ」

 こともなげに、ファランギースは秀麗な美貌をやや悪戯っぽくゆるめた。
 パルヴィンの不満そうな視線を、ファランギースは一笑に付す。

「私を大人扱いしてくれるのはファランギースだけだと感に入っていたところだったのだが」
「おぬしを子ども扱いするのもダリューン卿だけではないのか」
「……まあ、そうだな」

 その一人が、重篤なのだ。パルヴィンは溜息をつく。ファランギースは弧を描く美しい眉をすいと上げた。

「して、パルヴィンはいかような男と結婚したいのじゃ」
「そうそう、それ、すっごく聞きたいな!」

 美貌の二人に詰め寄られ、パルヴィンは尻だけで後ずさる。

「そ、そうだな……」
「うんうん!」
「ほれ、早う申せ」

 パルヴィンはしばらく考えると「黒い目の男がいいな」と言った。問うた二人の方が顔を見合わせる。

「ダリューンじゃん」
「ダリューン卿じゃな」
「黒い目の男がパルスに何人いると思っているんだ」

 パルヴィンは顔をしかめてそう言った。目を指差して、二人の方に身を乗り出す。

「ほら、私の目は色が薄いだろう」

 示された瞳は確かに夏の空の色をしている。そう言ったきりのパルヴィンに痺れを切らしたアルフリードが「だから、どうしたの」と先を促した。パルヴィンは何故わからないんだと心底不思議そうな顔をする。

「目が黒い方が夜目がきくだろう。それに、目立たないから密偵に向く」
「うん、で、だから?」
「黒い目の男と子を成せば、黒い目の子供が産まれるだろう」
「そうじゃな」
「いや、だからだな、黒い瞳の男と結婚して子を成せば――――」

 懸命に説明しようとするパルヴィンを、ファランギースが遮った。

「おぬしは、より強い子供がほしいのじゃな」
「ああ、そうだ。あと、私も父もあまり体格には恵まれた方で無かったから、逞しい男がいい」
「ダリューンじゃん」
「ダリューン卿じゃな」
「もういい」

 パルヴィンはすねて顔をそむける。ファランギースはその若い横顔を見つめた。己もパルヴィンも恋に舞い上がるような年齢ではない。婚姻の、ある種の無慈悲さや残酷さも、知っていておかしくはない。だが、ごく平然と、より洗練された子孫を残すために結婚する言うパルヴィンは、なんだか物悲しくさえ思えた。

「強い子供がほしいなら、ダリューンと結婚すればいいじゃないか」

 アルフリードが言う。パルヴィンは首を振った。

「私の子供は、ダリューン様の御子息に仕えお守りするんだ。私の父がヴァフリーズ様に、私がダリューン様にしたように」

 パルヴィンにとってそれは、説明するまでもない自明の理だったらしい。結婚をするにも恋をするにも、何事にも囚われぬゾット族のアルフリードは不可解そうな顔をしたが、ファランギースは黙ってパルヴィンに酒杯をすすめた。紅酒の水面に、灯りの火が映ってゆらめいた。

「なんだ、おれの話か。さっきから不躾におれの名前がよばれているようだが」

 女だらけの座談会に、不意に太い男の声が割り入る。突如現れたダリューンの姿に、パルヴィンは酒杯に伸ばしかけていた手をさっと膝の上に戻し、姿勢を正した。

「いいえ、なんでもありません」
「そうか、そうは聞こえなかったが」

 ファランギースはついと翡翠の瞳をダリューンに向ける。

「ダリューン卿、不躾なのは卿のほうではないか。女性同士の艶めいた話題に、殿方が無遠慮にも首をつっこもうとは」

 ややわざとらしげにファランギースは言い、おおげさに肩をすくめて見せた。ダリューンはそれを受けて、こちらもまたおおげさに額に手をやる。

「これは失礼したファランギースどの。いやはやそのような席で我が名が聞こえるとはまことに重畳。しかして、ここは一つ我が名がどういう故あって乙女たちの口の端に上ったのか、ぜひ聞かせていただきたい」

 古臭く芝居がかりすぎてはいるが、ギーヴさながらの巧みな台詞である。ただギーヴの甘い美貌ならともかく、その台詞を言うにしてはダリューンは精悍すぎる。ともかく武芸一辺倒であるばかりと思っていたこの男の、意外な一面を見た気がした。
 アルフリードがにっと笑ってパルヴィンの方を見る。

「パルヴィンが、結婚するならダリューンがいいって」
「ちがう!」
「そうか、おれでは駄目か」
「い、いいえ! 決してそのような!」

 わたわたと顔を赤くしたり青くしたりと忙しいパルヴィンを見て、ダリューンは笑った。パルヴィンは数度深呼吸して平静をとりもどすと、ゆっくりと説明をはじめる。

「私の欠点を補う男と結婚して、強い子をもうけ、ダリューン様の御子息のために尽くす所存であります」

 それを聞いたダリューンは苦笑し「そうか、精々励め」とだけ言った。それを、ファランギースは横目で睨んだ。今度ばかりは芝居ではない。

「よいのか、ダリューン卿」
「……おれとしては、自由に人を好いて結婚してほしいものだ。そう説いて聞かせて承諾するような奴なら、とうにそうしている」

 ファランギースはそれでもなお物言いたげな顔をしたが、何も言わなかった。