悪戯っ子世にはばかる






 港町ギレンの朝は早く、日の昇るか昇らないかのうちから漁港は賑わい、歓楽街からは朝帰りの男たちが帰ってくる。きらきらと眩しい陽光にパルヴィンが目を細めていると、不意に影がさした。そちらに顔を向けると、派手な赤紫の髪がいやでも目に付く。

「ギーヴか」
「おお、パルヴィン、今日も精が出るな。朝焼けに佇むおまえもなかなかどうして凛としている」
「朝早くからよくもそう舌が回る」
「そうつれなくするなよ」

 ギーヴはにたりと笑ってパルヴィンの方に歩みを進めた。パルヴィンは短槍を手に相対する。放埓で世馴れた吟遊詩人と生真面目で世事に疎い武人、という全く相いれぬ身の上ながら、この二人、妙に仲が良かった。ギーヴはパルヴィンによろしくないことを教え、パルヴィンは時折ギーヴも度肝を抜くような突拍子の無いことをしてみせる。各々ならばそう危ういこともないのだが、一緒になるとダリューンの眉をひそめさせるようなことばかりしている。

「なんだか久しぶりな気がするよ。妓館めぐりも飽きたか?」
「飽きるものか。各国の麗しき女神たちがおれを待っている」
「待ってはいないだろう」
「待っているさ。今宵も五十九か国の女は枕を濡らした」
「ふうん、酒でも零したのか」
「…………いや、いい、何も言うまい」

 はあ、と溜息をつくギーヴに、パルヴィンは不可解そうに眉をひそめる。そういう比喩であるとか隠語であるとかを、パルヴィンは驚くほどに解さない。暗号解読はお手の物であるくせに、とギーヴは呆れる。

「おまえ、もう少し短槍と隠密以外のことに興味を持った方がいい」
「……必要だろうか」
「必要ということはないが、あまりに疎すぎるだろう」

 うーん、とパルヴィンは首を傾げた。ああ、そういえば、とギーヴはかかる計画の妨げにならぬよう、聞いておかねばならぬことを思い出した。

「今朝は、おまえの飼い主様はどうしている?」

 パルヴィンはあからさまに顔をしかめてみせた。ダリューンに忠犬の如く付き従うパルヴィンを揶揄して、ギーヴはそういう言い方をよくした。自称は構わぬが、他称されるのは気分のいいものではない。

「ダリューン様のことをそのように言うのはよせ」
「それは失礼、ご主人様と言うべきであったか」
「なんだろう、釈然としない」

 たしかにご主人様であることは間違いないのだが。ギーヴにそう言われると無性に癇に障る。

「それで、ダリューン卿はいないのか」
「いない。今日は帰ってくるのかな。知らん」
「なぜ。今日はダリューン卿の尻を追わんのか」
「嫌な言い方するなあ。出かけているんだよ。それを追うほど野暮じゃない」

 パルヴィンの物言いにギーヴは、ははぁんとわざとらしく声をあげた。

「妓館か」
「ナルサス様とな」

 あっけらかんとした様子のパルヴィンの表情を、ギーヴはまじまじと見つめた。視線に気付いたパルヴィンが、顔をあげた。

「どうした」

 パルヴィンが問う。ギーヴは内心たじろいだが、おくびにも出さなかった。

「いいや、もっと小娘のようにぴいぴいと喚くかと思っていたのでな」
「失礼な。どうしてダリューン様が妓館に行くことに私が怒らなければならん」
「アルフリードはナルサスどのの妓館通いにいたくご立腹であったぞ」
「そりゃあ、なあ……致し方あるまい。私はどうこう言わん。言う筋合いもない」
「……一応聞いておくが、妓館で何をするか知っているのか」

 ギーヴの問いに、パルヴィンはきっと眉を上げた。

「馬鹿にするなよ、それくらい知っている。妓女の芸を見たり、酌をさせたり、情を交わしたりするのだろう」
「ああ、そうか、知っていたのか、これは驚いたな」

 妓館を知っていたことに、そして、それに対して少しも嫉妬して見せぬところに。いくら口では違うと言っても、パルヴィンはダリューンにほんの少しでも恋慕を抱いているだろうと思っていたのだが、あてが外れたかもしれぬ。つまらないのが半分、面白いのが半分の気持ちで、ギーヴは紺色の瞳を細めて笑った。

「そうだ、パルヴィン、今朝は大きな船が多く寄港し、市場の賑わいも一際らしいぞ。行くか」

 ギーヴが言うと、パルヴィンはにっと笑って応と答えた。なににせよパルヴィンも、ギーヴとつるむのは嫌いではないのだ。

 朝の潮風に、活気あふれる漁師や商売人の声がのって、ギランの市場は盛況を極めた様子であった。パルヴィンはほぼ体の一部のような短槍を肩に担ぎ、きょろきょろと朝の市場の様子を窺っている。ギーヴはそんなパルヴィンをじろりと横目に睨みつけた。

「あまり田舎者のような真似をするな。我等はアルスラーン王太子殿下の従者だぞ」

 パルヴィンはギーヴの苦言を無視して生きたまま樽に詰められている蟹を見ると、うひゃあと声を漏らした。

「なあギーヴ、これ、ジャスワントの風呂に入れてみよう」
「馬鹿、煮えていい出汁が出るだけだ」
「ジャスワント、怒るだろうなあ」

 ひひひ、と楽しそうに笑う。二人の悪戯の被害者はもっぱらジャスワントであった。アルスラーンに滅多なことをしようものなら、ダリューンに比喩でなく殺される。ダリューンとナルサスは、年長で高位だ。ギーヴはそのあたりに頓着しないが、パルヴィンが断固拒否する。ファランギースに下手なことをすれば後が怖いし、子供相手に悪戯をしかけるほど二人は大人げなくない。生真面目で割合に温厚なジャスワントを呆れさせたり、怒らせたり、ときにはやり返されたり、まあ、仲よくやっている。

「おい、何を食べているのだ」
「蟹だ。市場の主人がくれた」
「……生で食うのか!?」
「漁師はそうするらしい。美味しいぞ。ぷりっぷりだ。すごい。ギーヴも食べるか」

 生のままの蟹の足をでろりと差し出されて、ギーヴは顔をひきつらせる。沿岸部で魚介類を生で食べる文化があるのは知っているが、内陸生まれのギーヴには少々受け入れがたい。そもそも海老蟹の類は、虫のようでどうにも好かない。

「……おれは遠慮しよう。パルヴィンがもらったのだから、パルヴィンが食べればいい」

 今やギランで最も人の口の端にのぼる皇太子ご一行の二人が連れ立っていては、それなりに目を引く。特に、美貌の女神官ファランギースと、行動も見た目も派手なギーヴと、女だてらに槍を担ぐパルヴィンには、人口に膾炙してしかその姿を知らない町の衆も、その特異な風貌から「ああ、あれが噂の」と好奇の視線を向ける。パルヴィンなどは槍を置いて歩けばいいが、ファランギースは顔を外すわけにもいかぬから気の毒だ。ギーヴに限っては自業自得である。
 パルヴィンは声のかけやすい外見のためか、さきほどから度々「そこの槍遣い!」と声をかけられている。そのたびに足を止めて人懐こく応じるものだから、パルヴィンの手には蟹だけでなく、水菓子や、皮袋にいれられた生きた蛸がぶら下がっている。
 袋の中で魔物じみて蠢く蛸を覗き込み、パルヴィンは気味悪そうにしながらも楽しそうに笑った。「ジャスワントの背中に入れてやろう……いや、でも、美味しいらしいしなぁ」とか、そんなことをぶつぶつ呟いている。


*****


 ギランでも有数の高級妓館をナルサスとダリューンが選んだのは、遅くまで飲めるから、そして、従業員がしっかりしているからだ。妙な店に入って、良からぬ噂をたてられたり、会話の内容を面白おかしく言いふらされてはたまらない。そもそも、女と情を交わしたいのならば、友人と連れだって妓館に行くなどと気味の悪い真似はしない。
 いつもより少し遅く起きた二人は、庭にたてられた白亜の四阿で、軽い朝食をとっていた。きんきんに冷えた緑茶をぐっと飲み干せば、酒の残った頭も冴える。

「結局朝帰りか」

 ナルサスがそう言って笑えば、ダリューンは「アルフリードが怒るだろうな」と茶化した。ナルサスの眉間のあたりに皺が寄る。

「妙な勘繰りはよせ。おぬしこそ、パルヴィンにそうとう恨みがましく言われるのではないか」
「そんなわけがあるか。パルヴィンはそのあたりは心得ている」
「ほほう、まるで女房に対するような口ぶりだ」

 反論を諦めたダリューンは、ナルサスを軽く睨むと薄焼きのパンを口にした。南国から運ばれた果実を砂糖で煮たものが乗せられて、とろりとして甘い。独特の甘酸っぱい果実の香りが鼻を抜ける。

「何度も言っている。おれとパルヴィンはそういう関係ではない。きっと今頃、おれがいないと羽を伸ばして、ギーヴと街をうろついているか、ジャスワントをからかって遊んでいるだろう」

 ははは、とナルサスは笑った。その三人のどつきあいは最早一行の名物である。ジャスワントの怒号が響けば「ああ、ギーヴとパルヴィンがまたやった」と人々は苦笑し、パルヴィンの悲鳴が響けば「どうやらジャスワントがやり返したようだ」と物見に興じ、ギーヴの叫喚が響いたときは「ジャスワントかパルヴィンかどっちかは知らぬがよくぞやってくれた」と喝采した。
 最初は、敵方で異国の人間ということで馴染めない様子であったジャスワントも、最近はパルス語で流暢に二人を罵倒している。周囲のジャスワントに対する目も、いくぶん優しいものになった。
 ナルサスがそう言うと、ダリューンはこめかみのあたりに触れながら溜息をつく。

「いいやら悪いやら」
「おれはいいと思う。まあ、やりすぎはよくないが。パルヴィンも、最初よりずっと明るくなった」
「パルヴィンは、暗かったか?」
「そういうわけではないが……」

 舌鋒鋭いナルサスにしては珍しく、歯切れの悪いもの言いをする。ダリューンは口の端をちょっと上げて見せた。

「いや、いい、言いたいことは分かる。あれでも、昔よりはずっとましになっていたのだがな」
「そうなのか、昔はどういう様子だったのだ」
「そうだな。今以上に、おれしか見えていなかった――――いや、違う! そういう意味ではない!」

 ダリューンの発言に衝撃を受けたナルサスの手が、薄パンをぼろりと取りこぼした。ダリューンは顔を赤くして、羞恥というよりも半ば憤怒の表情で否定する。両の手を大きく乱暴に振ったために、空の椀が倒れて転がった。

「……ああ、突拍子もなく惚気られたのかと思った。さすがのおれも堪忍袋の緒が切れるところであったぞ」

 神妙な顔でナルサスは言った。口調は軽いが、おそらく、冗談ではない。ダリューンは額に手をあて呼吸を落ち着かせる。

「しかし、そうとしか言いようがない。あいつの父親は、少々厳しすぎる御仁でな、パルヴィンには幼少の砌より短槍の扱いとおれへの忠節しか教えなかった。結果、あの様だ。十三になったとき、知っている男の名といえば父親とおれの伯父上とおれだけという有り様だった。それに比べれば、今はよっぽど健全だろう」

 力説するダリューンを後目に、ナルサスは薄パンをかじった。どうだろうか、と思う。ナルサスは殊更色恋沙汰に疎いわけではないが、手練れているわけでもない。そういう関係ではないと頑なに否定しながら「パルヴィンはおれが必要なのだ」「ダリューン様がこの世で一番大切だ」と真顔で主張しあう主従は、ナルサスの智謀を以てしてもよく分からなかった。
 からかいはするが、どうこうしてやろうという気はない。相談を持ちかけられれば、まあ、のってやってもいい。だが、ナルサスが思案することは、どうかアルスラーン王太子殿下にひとまずの安寧をおさめていただくまで、パルヴィンが妊娠し、家庭に入ると言い出さねば良いが、と、それだけである。多国語を解しありとあらゆる場所に溶け込む術を心得たパルヴィンは、今のところなかなか代えがたい人材であるのだ。



*****




 周囲は市場の活気あふれる賑わいから、朝の歓楽街の埃っぽい喧騒に変わっていた。朝方ともあって人通りは少ないが、出入りの業者や朝帰りの客で夜とは異なるざわめきを見せている。セリカから運ばれてきた太く立派な竹でできた、高い目隠し塀を見上げたパルヴィンは「はああ」と変な風に息を吐いた。

「猛獣でも飼っているのか?」
「おまえにしては詩的なことを言ったな。さよう、此処こそ世で最も美しく恐ろしい獣の住まう場所、麗しくも獰猛な獣の巣」
「ふうん、そうなのか。虎か? 獅子か?」
「…………そんなようなところだ」

 ギーヴは呆れ果てる。この界隈に紛れ込んだのは、道に迷ったのでも、足が向いてつい、というわけでもない。昨晩、ある妓館でナルサスとダリューンを見かけたギーヴは、ふとあくどい悪戯を思い浮かんだのだ。妓館で妓女に囲まれるダリューンに、パルヴィンを鉢合わせたらどうなるだろうか、と。
 思いついたままにここまで来たはいいものの、さて、どうしたものか、とギーヴは思案する。
 と、突然、道の向こうから大きな物音と、男たちの怒号と、女たちの悲鳴があがった。そちらに目を向けると、何かもうもうと土ぼこりを上げる一団がこちらに向かってくる。一体何事だ、とパルヴィンもギーヴの隣に並んで同じ方向を見た。そして、二人同時にぎょっとして目を剥いた。
 広い道を、酒瓶や木箱を蹴立て粉砕しながらこちらに疾駆してくるのは、男の背丈ほどもある巨大な鳥であった。それが、十や二十できかぬ数で、お互いに太く逞しい脚で蹴り飛ばしあいながら、ぎいぎいと耳障りな鳴き声をあげ、くんずほぐれつこちらに突進してくるのだ。短槍を構えたパルヴィンに、ギーヴは「昼は鳥の蒸し焼きにしよう。何人食わせられるかな」と自棄な冗句をとばした。

「ばか、言ってる場合かよ」

 パルヴィンは目隠しの向こうに生えている立派な胡桃の木の枝に蛸の入った皮袋を投げ上げた。水菓子は諦めるほかないが、蛸だけはぜひジャスワントのもとへ持ち帰りたい。
 パルヴィンはつるつるとした竹の目隠し塀に向けて大股で駆け寄ると、塀の一歩半手前で強く地面を蹴り、短槍を地面に突き刺すようにすると、石突を踏み台に跳びあがった。右手の指先を塀の上部にひっかけ、ひょいと身軽に塀の上に身を置く。おお、とギーヴは感嘆しかけるがそんな暇はない。道を塞ぐようにして、怪鳥の一団がすぐそこへ迫ってきていた。

「ギーヴ、槍を!」

 心得た、とギーヴは槍を拾い、塀の上のパルヴィンに差し出した。パルヴィンは槍をギーヴごと引き上げ、ギーヴは槍を伝うようにして塀の上に駆けあがる。間一髪、ギーヴの足下を怪鳥が砂埃とともに走り抜けていった。



*****

「いったい何の騒ぎだ」

 塀の向こうがにわかに騒がしくなったことに、ナルサスは眉をひそめた。ダリューンは妓女を呼び、緑茶をもう一杯所望し、ちらと塀の方を見る。

「さあな、おおかた、宿酔いの輩が騒ぎでも起こしたのではないか」

 その途端、塀の上に人影が現れた。続いてもう一人。ナルサスはその姿にひどく心当たりがあり、軽い眩暈を覚えた。狭い塀の上で、半ば抱き合うようにして互いを支えあう二つの人影は、まぎれもなくギーヴとパルヴィンであった。

「パルヴィン?」

 ダリューンまでも、滅多に聞けぬような間の抜けた声でパルヴィンの名を呼んだ。塀の上のパルヴィンは聞きなれているであろう声に、驚きのあまり弾けるように振り向き、その勢いのまま体の平衡を崩し、落下する。あがいた手が、枝にひっかかっていた皮袋にぶつかり、パルヴィンの後を追うように袋が落ちてくる。
 ダリューンはとっさにパルヴィンの体を抱きとめた。ありがとうございます、と、謝意を示しかけたパルヴィンの顔に、皮袋が落ちてくる。うぎゃ、とパルヴィンは悲鳴をあげた。はずみで袋の口が開き、中からでろでろと蛸が決死の脱出をはかる。その薄気味悪い様に、剛胆で鳴らしたダリューンも思わずパルヴィンを地面に落とした。蛸とともに地面で砂にまみれたパルヴィンは小さく呻く。

「うわ、パルヴィン、すまん」
「い、いえ、受け止めていただいただけでも。お見苦しいところをお見せいたしました。申し訳ありません」
「いや、いい、いいんだが、一体どうして塀の上から落ちてきたんだ」
「ええと、その、鳥に追われて」
「……鳥?」

 小鳥でも想像したのか、ダリューンは胡乱気な顔をした。パルヴィンは立ち上がり埃を払うと、おずおずと弁明する。

「大きな、気味の悪い鳥で。それが、こっちに走ってきて」
「鳥なのに、走るのか?」
「し、信じられないかもしれませんが」
「鳥に追いかけれると、塀の上から蛸とともに落ちてくるのか? わけがわからん」
「私も分かりません」

 二人は互いに顔を見合わせて、困った顔をした。ダリューンは溜息をつき肩を落とすと、パルヴィンの背中についた砂をやや乱暴に払ってやった。

「まったく、遊ぶなとは言わぬが、ほどほどにな」
「面目ございません」
「大任を前に怪我などしたら、どうするつもりだったのだ」
「……申し開きのほどもございません」

 つい説教口調になるダリューンを、ナルサスは軽く視線でたしなめる。ダリューンはぎくりとして、軽く咳払いをした。
 ぎこちなく髪の砂も払ってやり、額にできた小さなひっかき傷を撫でる。

「あまりおれを心配させるな」
「はい」

 そうやりとりする二人を塀の上から見下ろしていたギーヴは、なんだかあまり面白いことにはならなかったな、と次の悪巧みに考えをめぐらせた。